長編11
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ウサミ

ー私はもう涙を流すことすらできないー

私はこの瞬間が一番嫌いだ。

私の名前が黒板に書かれた瞬間、あちらこちらからクスクスと笑う声が聞こえる。

「はい、静かに!笑わない!」

担任の女性教師が眉毛を釣り上げてもちっとも迫力は無かった。

黒板には、美しい文字で「宇佐木 美々」と書いてある。

「うさぎ びび?」

男の子がすっとんきょうな声で言うと、みんながどっと笑った。

私の耳は真っ赤になり、俯いてしまった。

「違います。うさぎ みみさんです。」

そう言うと、ますます男の子を中心にどっと笑い声が起こった。

「静かにしなさい!何がおかしいの?今日からこのクラスの仲間です。仲良くしてくださいね。」

担任がヒステリックに怒る。

いいよ、先生だってきっとへんな名前だって思ってるんだから。

本当に、お父さんもお母さんもなんでこんな名前を私につけたんだろう。

父親が転勤族のせいで、3度目の転校初日だった。

前の学校でもさんざん、この名前でからかわれたし、容姿も美々という名にはふさわしくないし、

父親に似て、背も高かったので、少し前に流行った巨人の出るアニメが始まった時には、

随分とからかわれたものだ。

口だけではなく、陰湿ないじめも受けた。上靴を隠されたり、ランドセルに草をいっぱい詰め込まれたり。

その度に私は、お友達のウサミに相談したのだ。

「ウサミ、どうして私は苛められるんだろう。」

ウサミは、私が6歳の誕生日の時に、お父さんがプレゼントしてくれたウサギのぬいぐるみだ。

ウサミは、真っ白でフワフワで、長い耳の中だけが薄いピンク色だ。

辛いことがあると、私はいつもウサミに話した。

お父さんやお母さんに話して、悲しませたくなかったのだ。

お父さんもお母さんもきっと転校ばかりさせて、私が辛い思いをしているのではないかと、心配しているに違いないのはわかっているから。

「なあ、宇佐木!お前の耳ってやっぱ、うさぎみてえに長いのか?」

ニヤニヤしながら、見知らぬ男の子が声をかけてきた。

頭が悪そうだ。一番嫌いなタイプ。

「バッカじゃないの?くだらない。そんなわけないでしょ?ねえ、宇佐木さん?」

隣から尖った女の子の声がしたので、驚いて私は顔を上げた。

私の隣は、ツインテールに髪の毛を束ねた可愛い女子だった。

「私、この組の学級委員長の長田由真よ。よろしくね。」

女の子はにっこりと微笑んだ。天使みたい。

「なんだよ、長田。お前には聞いてねえんだよ。」

下卑た笑いをやめずにその男子は言った。

「バカだからバカって言ったんじゃん。アンタちっとも面白くないんだよ!

アンタの言うこと、ちょーつまんない。」

そう彼女が言うと、みんながどっと笑った。

私のこと、庇ってくれたの?

私は嬉しくなった。みんなに笑われて、恥ずかしくなったのか、その男子は

長田さんを睨みながら、自分の席に戻って行った。

どうやらこのクラスでは、仲良くやって行けそうだ。

「ありがとう。よろしくね。長田さん。」

私が小さく言うと、由真って呼んでいいよと言ってくれた。

その日の放課後、別の男子が声をかけてきた。

私は男子が苦手で、今度は何を言われるのかと身を硬くした。

「宇佐木さんって、背が高いね。何かスポーツしてたの?」

そんなことを言われて、私はしばらくポカンとしてしまった。

男子というものは、意地悪いことしか言わないと思っていたから。

その男子は、私と同じくらい背が高くて、中学生のような大人びた雰囲気を醸し出していた。

カッコいい。そう思った瞬間、私は顔が熱くなるのを必死で隠そうと俯き加減に首を横に振った。

「ええ?そうなの?背が高いから何かやってたのかと思った。勿体無いな。

バレーとかバスケとかやったらいいのに。」

私は男子の名札を盗み見た。

「柳原 竜馬」 りょうま君。心の中で呟いただけでドキンとした。

「わ、私には、出来ないよ。」

情けない声が出た。

「そんなの、やってみなきゃわかんないじゃん。そうだ。俺、ミニバスやってるんだけどさ。

見学に来ない?」

男の子にそんなふうに声を掛けられたことなんて無くて、私は舞い上がってしまった。

背が高くて得したことなんて無かったけど、こんなこともあるんだ。

「うん、見学くらいなら。」

自分の勇気がしばし信じられなかった。

その日私は何もかもがうまく行きすぎて浮かれていた。

「ねえ、ウサミ。私、今度の学校ではうまくやっていけそう!」

そう言うとウサミをぎゅっと抱きしめた。いつもにも増してウサミはふわふわで良い匂いがした。

きっとお母さんがウサミを柔軟剤の入った洗剤で洗ってくれたんだ。

転校するたびに暗く陰鬱になっていく自分に嫌気が差していた。

今度こそ。私は希望で胸が膨らんだ。

ところが次の日、登校するとあるべき所に、私の上靴が無かった。

確かに靴箱の上段に入れておいたのだ。よその靴箱に間違えて入れたのかと思い、

確認したが、私の上靴はどこにもなかった。私の胸に以前経験したような真っ黒な不安の霧が立ち込めた。

仕方なく上靴無しで、教室にこっそりと入り、一日他の人に気付かれないようにした。

給食の時間になり、私はトレーを持って、給食をよそってもらい、自分の席に戻ろうとした。

自分の席に着く瞬間に、後ろで派手な音がして振り返った。

長田さんの牛乳瓶が、下に落ちて割れていた。もしかして、私が倒してしまったの?

「もしかして、私が倒してしまったの?ごめんなさい。」

私がそう謝ると、長田さんは、

「いいのいいの。大丈夫だから。気にしないで。」

と言った。

「でも、今日、飲むものが・・・。私ので良ければ。」

と自分の牛乳を差し出した。

「いいよ、いいって。私、今日ミニバスの練習あるから。お茶持ってきてるから大丈夫だよ。」

そう言って笑った。なんていい人なんだろう。

私はせめて雑巾とバケツを持ってきて、破片を拾い集め、後片付けをした。

その様子を見ていた、一人の女子が私に忌々しそうに舌打ちをした。

「ホント、あんたってトロいよね。見ていてイライラする!」

そう吐き捨てられて、私は驚いて見上げた。

小学生なのに、髪の毛が明るい栗毛色で、お化粧をしているみたいに目が大きくて睫の長い大人びた女子だった。まだみんなの名前を覚えていない。思わず名札を見た。

「佐々木 留美」

ちょっと怖そう。

長田さんが留美が去って行ったあとに、私に耳打ちしてきた。

「気にしちゃだめよ。あの子は不良なのよ。噂じゃ高校生と付き合ってるらしいよ。

それにね、お父さんは暴力団関係の人らしいから。あまり関わらない方がいいよ。」

そうなんだ。怖そう。あまり近寄らないようにしよう。

「ところで美々、今日は上靴はいてないね?どうしたの?」

長田さんに見られてしまった。恥ずかしかった。私はウソをついた。

「わ、忘れちゃった。」

「やだ、美々ったら。結構ドジね。」

美々って。初めて友達から下の名前で呼ばれた。嬉しい。

その日、私は柳原君に誘われたミニバスの練習の見学に行った。

長田さんも、同じミニバスのチームなんだ。

男子と混合とは珍しい。柳原君と長田さんは、とても仲が良さそうだった。

そう言えば柳原君はうちのクラスの学級委員だっけ。

学級委員でも一緒。ミニバスでも一緒。なんだかお似合い。

そう思うと心のどこかで寂しさを覚えた。

何、期待しちゃってたんだろ、私。

背が高いってだけで、呼ばれたに決まってるじゃん。

コーチの人に、一緒にやってみないか、と誘われた。

ドリブルや、シュートを教えてもらい、初心者だけど、割とすんなりとシュートが決まった。

「凄いじゃん、宇佐木さん!」

柳原君が私にハイタッチしてきた。

私はその日、スキップして帰りたいくらいに浮かれていた。

「ウサミ!私、バスケやるかも!」

早速ウサミに報告してぎゅっとウサミを抱きしめた。

最高の気分。自分に少しだけ自信が出てきた。

あくる日、学校に行くと、上靴がちゃんと自分の靴箱に戻っていた。

なんだ、誰か私のを間違えてはいてしまって、気付いて戻してくれたんだ。

私は安堵した。

「いたっ!」

私は上靴をはいた瞬間、チクリとしたので、慌てて上靴を脱いだ。

すると私の足の親指に画鋲が刺さっていたのだ。

念のためもう片方も確認してみると、やはり画鋲が入っていた。

酷い。誰がこんなことを。

私は昨日のことを思い出していた。

「見ていてイライラする。」

そう言って私を睨みつけた女子を思い出した。佐々木留美。

もしかしたら、あの人が。私の中に留美に対する小さな疑念が沸いた。

その日から、私の周りでは少しずつおかしなことが起こった。

持って来たはずの、コンパスがなくなっていたり、ランドセルに覚えの無い

擦ったようなヨゴレがついていたり。消しゴムに画鋲がたくさん刺さっていたこともあった。

明らかに故意に誰かが私の持ち物に悪戯をしているのは明白だった。

この学校ではうまくやっていけると思ったのに。でも、このクラスにそんな酷いことをする人間の

心当たりがない。あるとしたら、あの初日に恥をかかされた男子か、もしくは・・・留美。

佐々木留美に対する理由の無い疑念は晴れなかった。

そもそもあの日、何故理由無くイライラするなどと言われたのかもわからなかった。

そんなある日、給食の時間のことだった。私は4時間目が終わり、給食の前にトイレに立ったのだ。

「やめなよ!くだらない!」

教室に帰ると、留美の大きな声が響いていた。留美の手が長田さんの手を掴んでいる。

揉め事?私は教室に入るタイミングを失っていた。

「はあ?何?」

長田さんが笑いながら留美を見上げている。

「今、給食ん中に何か入れただろ。お前。」

留美がそう言うと長田さんが目を剥いた。

「入れてませんー。バッカじゃねえの?」

「そっか。何も入れてないんだ。じゃあ、お前のと取替えろ。」

そう言うと、私の食器と長田さんの食器を取り替えた。

すると、長田さんはウッと言葉に詰まった。

いったい何が起こってるの?どうして私の食器が?

私は嫌な予感に心臓が早鐘のように鳴った。

「食え。」

留美が低い声で長田さんに促す。長田さんは黙っていた。

「何も入れてねーんだろ?食えよ。」

皆がしんと静まり返り、行く末を見ている。

すると長田さんはシクシクと泣き出した。

「ごめんなさい。ごめんなさい。」

そう繰り返した。私は、信じたくない事実を目の前に突きつけられてショックを受けていた。

私はその日、早退した。

今までのことは、たぶん全部長田さんの仕業なんだろう。

「せっかく友達ができたと思っていたのに。」

私はその日、ウサミに顔を埋めて泣いた。

その日の夕方、留美が私の家を訪ねてきた。

私は、留美のことをいろいろと誤解していたようだ。

ぶっきらぼうな留美は一見怖そうだけど、実にサバサバとした性格だった。

男の子みたい。そう思った。

「なんかさ、ネチネチと陰険な悪戯ばっかしてさ。アンタ、それに気付かないし。

ずっとイライラしてたんだよね。あの牛乳の時だって、あれ、あいつがわざと倒したんだよ。

あいつ、牛乳が大嫌いなんだよ。でも残したら担任のババアがうるさいだろ?

陰でコソコソやりやがって。顔に似合わず、えげつないんだよ、あの女。

アンタに意地悪してたのだって、あれはたぶん柳原がアンタに接近したから、

嫉妬したんだよ。くだらない女だよ、あいつ。」

留美はマシンガンのようにまくし立てた。きっと正義感が強い子なんだ。

「ウサミ、留美は良い子だったよ。私、誤解してた。

しかも、留美のお父さんが暴力団ってのも、高校生と付き合ってるってのも、

全部長田さんのウソだったんだよ。酷いよね?」

私は相変わらず、ウサミに全てを報告しなければ気がすまなかった。

子供っぽいと思うけど、ウサミは私の全てを受け入れてくれる、大切な友達。

そして、心配してたずねてきてくれた留美。お友達になれたらいいな。

私はウサミに密かに願い事をした。

願った通り、私と留美は友達になれた。

その代わり、他のクラスの人からは無視された。

たぶん、長田さんが、皆にそうするように命じたのだろう。

ただし、柳原君を除いては。彼は誰に対しても公平だった。

その後柳原君は、よその学校に転校してしまったので、

やはり私と留美はクラスで孤立していた。

でも私は平気だった。留美がいるし、長田さんも留美が怖くて私には何も手出ししてこなくなったから。

中学生になれば、またクラス替えもあるから、別になんとも無い。

その頃の私は、留美といるのが楽しくて仕方なかった。

やっと親友と呼べる人ができたのだ。

その頃の私はもう、ウサミに話しかけることはなくなっていた。

ウサミは棚の上で埃にまみれて薄汚れていた。

小学校を卒業とともに、私は部屋の整理をしていた。

小学校の思い出なんて、ほとんど良い思い出はなかったので、私はほとんどのものを処分した。

そして、ウサミが目についたのだ。

私もそろそろ、ぬいぐるみに話しかける年でもないよね。

でも、ウサミにはいろいろ相談したしなあ。

しかし、ウサミは薄汚れ過ぎて、新しい気持ちで生活をスタートするには、あまりにも

過去の惨めな思いを思い出させすぎる。

「明日、燃えるゴミの日だっけ。」

私はそう呟いて、床についた。

朝目覚めると、体が異様に重かった。

熱を測ると、38度あった。

「病院に行こう」と母に言われたけど、起き上がるのも億劫なほど体がだるく、寝ていれば治ると言って、大丈夫だからと仕事にでかける母を見送った。

あ、燃えるゴミ。ま、次のゴミの日でいいか。

私はそのまま、深い眠りについた。

何時間眠ったのだろう。

私は、目覚めて体を起こそうとした。

あれ?体が。動かない。

「おはよう!ウサミ!」

誰?私のウサミに話しかけているのは。お母さん?

私のぼんやりとする視界が晴れてきて、私を覗き込む顔を見た。

え?

なにこれ。私?

「あ、元、美々だっけ?」

私の顔がニヤニヤといやらしく笑った。

私は状況が理解できなかった。

「美々がいけないんだよぉ。ウサミを捨てようとか思うからぁ。ウサミ、美々のこと、すごく助けたよね?

美々の愚痴をすごく聞いてあげたのに、捨てるとか酷くない?だからあ、今日から私が美々になるって決めたの。」

ウソ!私は、動かない体を見た。

ふわふわした白い毛。

私が?ウサミになった?

「美々~?今日は学校、行くんでしょー?ご飯、食べちゃいなさーい。」

下からお母さんの声がする。

お母さん!助けて!

声にならない。

「はぁ~い。」

代わりにウサミが答えた。

「じゃあ、ウサミ、行って来るね。」

そう言うと、美々になったウサミが私のホッペにキスをした。

あれから1ヶ月が過ぎた。

「ねえ、ウサミ!見て見て!中学校の制服!ちょーかわいくない?

それとさあ、中学校に行ってびっくり!柳原君が帰ってきてたんだよ!

やっぱり柳原君もバスケやるらしいから、私もバスケ部にするつもり!」

ウサミはスカートをこれ見よがしにヒラヒラさせて、くるくると回った。

「ねえ、ウサミ、学校って楽しいね!お友達たくさんできちゃった。

それとね、柳原君に告白されちゃった!」

私はウサミ。

どんなに悲しくても涙を流すこともできない。

縫いぐるみだ。

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