長編9
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うずらの卵

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神谷さんは高校生の頃、廃墟探険に凝っていた。

「凝るって言っても高校生だから、家の近所か出掛けて行ける範囲だけどね。ボロ屋や潰れた工場なんかを見学して、写真を撮ってたの」

廃墟へはカオリとミカという同級生も必ず一緒に行った。

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「さすがに一人だと怖いから。それに幽霊とかより人間のほうが怖いもの」

実際、ある病院の廃墟を見て回っていたとき、突然暗がりから男が現れ、迫ってきた事があった。

泡を食って逃げ出したが、後でそれは、その廃墟に住む浮浪者だと教えられた。

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「でもね、三人一緒でも目的は少しずつ違ってたの」

神谷さんは見捨てられた建物の、ぼろぼろで迫力のある写真が欲しかったし、カオリは廃墟に転がっている古い瓶や陶器、スプーンや箸といった物を集めていた。ミカは純粋に霊を見てみたいというのが願いだった。

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それは卒業の迫った二月の事。

いつも何処へ行くかを決めるのは、神谷さんの役目だったが、その時は珍しく、ミカが

《凄い所がある》と言ってきた。

「どう凄いのよ?」

「とにかく激スゴ」

強引なミカの口車に乗せられて行ったのは

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電車で三十分ほどの駅からバスを乗り継いだ、住宅街の中の一軒家だった。

「なにこれ…」

「大丈夫、大丈夫」

ミカはそう言うと、なんの変哲もない建物の裏に回り、壊れたサッシの隙間から中に入った。

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中に入れば外見からは想像もつかないほど荒れ果てていた。

「なんか臭くない?」

神谷さんが言うと、カオリも鼻を鳴らした。

「黴じゃないね。これ」

雨戸が全てに閉められているため室内は真っ黒だった。

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彼女達は懐中電灯を手に歩きはじめた。

フローリングだった床には絵の具を乾かした様な埃の筋がいくつも付いていた。

一階の奥には風呂場があり、バスタブには腐敗した水が溜まっていた。

見ると壁やタイルに飛び散った様な痕がある。

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「ここね。一家四人が頭のおかしな男に惨殺された家なの……」

ミカがぽつりと口を開く。

「中年夫婦と小学生の娘と幼稚園の息子。男は捕まるまで、ここでずっと遺体をバラバラにしてたんだって。新聞には単なる強盗殺人って出ていたけど、本当は猟奇殺人だったのよ。親戚が売ろうとしてるんだけど、なかなか買い手がつかなくて放置してあるの。」

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「このお風呂で遺体は切断されたのよ」

神谷さんはぼんやりと新聞で読んだ気がした。

発生当時、県内では騒がれたが、その直後、外国で大きなテロが起き為に、報道が立ち消えになってしまった事件だった。

バスタブの中には雑誌やカップラーメンの容器、何故かカツラの様な物までが黒いねっとりとした汚水に浸かっていた。

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「行こう」カオリが不安げに呟いた。

「二階があるの」

ミカが先に立って歩いた。

みしみし鳴る階段を上がると、部屋がふたつ並んでいた。

廊下の奥の鏡に、自分達の懐中電灯が反射した。

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右側の部屋には子供部屋らしい飾りつけが僅かに残っていた。

左の部屋に入った途端、神谷さんは軽い目眩を感じたという。

「あんな事は初めてだったんですけど、部屋に入った途端ふわっと身体が持ち上げられるような気がして、それが消えると、逆にずーんと身体が重くなったんです」

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その部屋は畳や壁だけではなく天井にまで黒い染みが飛び散っていた。

神谷さんは何故かシャッターを切った。

「錯覚だと思うんですけど、フラッシュとフラッシュの間に、何かぽっと隅にいたような気がするんです」

女の影だったように思う。ただし、その事は二人には黙っていた。

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「もう帰ろう」

隅に落ちていた塩ビの人形を拾い上げカオリがそう呟いた。

既に日は落ちかかっていた。

「駄目よ」

ミカはきっぱりと言った。

「今日は付き合ってもらうわ」

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「何を?」

神谷さんが訊ねた。

「神谷は写真。カオリは備品。二人は今までの探険で満足したでしょうけど、私はなにも獲得してないもの。わたし幽霊が見たいの」

「何言ってんの。そんなの自分から見れるわけないじゃん」

カオリが叫んだ。何故か懐中電灯を持つ手が震えていた。

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「ねぇ。お願い……協力して。もう卒業したらこんなこと出来ないもの」

ミカは二人を拝んだ。

「お願いします!」

彼女らが黙っていると、ミカはガラスなどが散乱する畳に膝を付き、土下座をした。

「何してんのよ!もうわかったから。良いよ、やろうよ。とっととやって早く出よう」

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神谷さんはミカを立ち上がらせた。

「良いよね」

神谷さんが訊ねると、カオリも渋々頷いた。

「で、どうするの?」

神谷さんが訊ねるとミカはポケットから紙を出した。

紙には、鳥居とひらがな五十音の円、そして《はい》《いいえ》が書かれてあった。

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「ええ!こっくりさん!?」

「うん。これしかないもの」

ミカは隅に転がっていたカラーボックスを持ってくると、その上に紙を広げた。

「本当は私もカオリも気が進まなかったんです。だって殺人があった家の中で…こっくりさんなんて……」

三人は十円玉に指を乗せた。

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「ねぇ、知ってた?ここの犯人って凄いんだよ。奥さんか旦那さんに、自分で自分目玉をほじくって取らせたんだって」

「もう!やめてよ!」

カオリが悲鳴の様な叫びを上げた。

女がいたように思えた付近の影が、不意に濃くなったように感じられた。

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《こっくりさん、こっくりさん、いらっしゃいましたら………大きくお回り下さい》

ミカが呪文を唱え出すとすぐに十円玉が動き出した。

「あれ!早すぎない?誰か動かしてるんでしょう」

ミカは冗談ぽく言ったが二人は何も言わず首を振った。

十円玉はミカの繰り出す質問によく答えていた。

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質問は恋愛や将来の事など、他愛のないものばかりだった。

そしてそろそろネタも尽きかけた頃、ミカは突然

「あなたは霊ですか?」

と訊ねた。

十円玉は動かなかった。

「やだ変なこと訊かないでよ」

カオリが呟く。

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すると十円玉は《いいえ》へ行き、次に《お》へと向かい、次々に移動した。

ミカが口を開いた。

「なにこれ……」

《おんりょう》

十円玉はそう告げていた。

その時、三人の携帯が一斉に鳴った。

「もう厭だ!」

カオリが駆け出した途端、全員が悲鳴を上げながら階段を駆け下りた。

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気がつくと、家の前の路上で皆へたりこんでいた。

「やばいよ。帰してないよ。こっくりさん」

「莫迦!あれこっくりさんなんかじゃないよ」

ミカの言葉に神谷さんが声を荒げた。

三人の携帯には留守録はおろか、着歴すら残ってはいなかった。

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そのミカが、駅の階段から転んで顔面を打ち、眼球を破裂させたのは、卒業して間もなくの頃だった。

「それでカオリと御見舞いに行ったんですけど……」

看病疲れしたミカの母親は、彼女達に娘を逢わせようとはしなかった。

ミカは失明のショックで精神に異常をきたしているのだと教えてくれた。

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二人は言葉少なに駅へと戻り、そのまま手を振って別れた。

互いに相手が何を考えているのか判っていた。

これから自分達の身に何が起こるのか………それを考えていたのである。

数週間後、神谷さんがバイト先で受けた電話は、何を言っているのかはっきり聞き取れないほど相手がはしゃいでいた。

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「よく聞こえないんだけど………」

《だからぁ、カオリ、目が潰れたよ!見てきて、教えて!絶対だよ。よろしくね》

言葉が出なかった。

カオリも逢おうとはしなかった。

ただ母親が、奇妙な事故だったという事だけは教えてくれた。

友達と買い物に行くため、駅にバイクで向かっていたカオリの眼鏡の中に

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蜂が飛び込んできたというのだ。

蜂は一瞬でカオリの眼球に針を突き立てた。

バイクごと転倒したカオリは、後続の車に両足を轢かれた。

骨折が酷く、切断するかもしれないとの事だった。

「蜂が入るなんて聞いた事がないわ………それに両目とも刺したらしいの」

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母親は真っ赤に泣き腫らした目をハンカチで拭いながら、教えてくれた。

カオリの部屋は雨戸が閉ざされていた。

一週間ほどして、携帯にカオリとミカから《ずるい》《残るはあんただけ》という留守録が残される様になった。

二人とも自分の知ってる声ではなかった。

低く呻く様な声で昼となく夜となくかけてくるのである。

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神谷さんが出ると、電話は切れた。

着歴に《カオリン》《ミカポン》と残るのが淋しい。

留守録のときだけ二人は喋る。

《死ぬよ…だんだん酷くなってるもの》

《良い思いしてるんでよ》

《代わってよ………》

最後には決まってげらげら笑うか、啜り泣きになった。

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神谷さんはバイクに乗るのを止めた。駅のホームや階段付近では、列の最後に下りる事にした。友達と遊ぶ事もなくなった。外出するのが恐ろしくなってきたからだという。

バイトもクビになった。

このままでは駄目になる………。

そう思いながらも、どうして良いか解らなかった。

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ある夜、ハッとして身体の向きを変えた。

その瞬間どすっと鈍い音がし、枕の上に三角錐のオブジェが落ちてきた。

「いつもは机の脇のケースに置いてあるものなんです。それが、ベッドサイドにある書棚のてっぺんに載ってたんですね」

それはある有名な彫刻家のレプリカで

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重量が二キロはあった。

直撃すれば失明だけでは済まなかった。拾い上げようとすると、先端が枕の生地を突き抜けていた。

全身が粟だった。

後一秒でも遅れていれば、自分は血塗れだった。

彼女はオブジェをベッドから払い落とし、もう一度蒲団に潜り込んだ。

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オブジェが額を貫き、枕が血と脳漿に濡れる………。

まるで昆虫標本の様に留められている自分の姿が眼前に浮かび、なかなか消えてくれなかった。

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ぶつり………。

音がした。

《うっ》

神谷さんの部屋には大きな箪笥があった。

声はその裏から聞こえてくる。

ぶつり………ぶつり………《うっ》

身体を動かす事はできなかった。

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やがて箪笥の陰にいた者が動いた。

ぼーっと薄暗い室内にそれはいた。

髪の長い女だった。

座ってこちらに横顔を向けている。

ぶつり………

自分の顔を殴り付ける様にしていた。

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手にはドライバーの様な物があった。

女はそれで顔を突いていた。

ぶつり………《ねぇ……》

何か言われた。神谷さんは目を閉じた。

ぶつり………《ねぇ……》

畳が擦れる音が聞こえ、声が高い位置になった。

ぐらりと倒れる様な感じで足を一歩踏み出した。

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それはギクシャクと近づいてきた。

手足の関節に深い切り込みがいくつも入っていた。

目を開けて確認してしまった事を後悔した。

《ねぇ………もう………えぐっ………》

彼女は必死になって目を閉じた。

やがて、どのくらいの時間が経っただろう……

気がつくと何も聞こえなくなっていた。

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神谷さんはゆっくりと深呼吸を繰り返した。

もう一度、耳に神経を集中させた。

声も、息づかいも。衣擦れも、顔を刺す音もしなかった。

ほーっと息を吐きながら、両親の部屋へ駆け込もうと、目を開けた途端。

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ぐちゃぐちゃな顔が目の前にあった。

目があるはずの場所には、切り裂かれた肉の暗い穴と、

紐状の何かがじくじくと血を溢れさせ垂れていた。

《もう良いよな……良いだろっ》

出来損ないの人形の様にそれは身を震わせ、のし掛かってきた。

………狂うかもしれない。

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その瞬間、悲鳴が竜巻の様に喉の奥からせり上がった。

だが声より先に女が空いた口に指を入れてきた。

舌の上に、生臭いうずらの卵の様な物が触れた。

………眼球だと思った。

神谷さんは失神した。

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翌朝、娘のただならぬ様子に母親は昔から付き合いのある霊能者を呼んできた。

霊能者は迎えに行った母親を見ただけで、

「なにやってるんだ!」

と、声を荒げたという。

「とにかく御狐様は私が何とかする。でもね、死霊はあんたがするんだよ」

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霊能者は神谷さんに一ヶ月間、毎日、彼女が使用したコンタクトレンズを埋めたうずらの卵をふたつ、

部屋の隅の女がいた位置に供えるように告げた。

「そして、ふざけ半分で出入りした事を謝る事……。死ぬ気で謝らないと許してくれないよ。この人達は本当に無念だったんだ」

あれから六年経つが、神谷さんは今でも続けている。

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コメント有り難うございます。ミカ確かに色々怖いですね。

ミカが怖い