中編3
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待とうよ。

深夜のことだ。昨年、結婚したばかりの妹から電話が掛かってきた。

「おっ、お姉ちゃん!すぐ来て!すぐ来て!」

「何よ、こんな時間に……。悪いけど、明日じゃだめなの?」

「すぐ来て!すぐ来て!」

妹は興奮しているのか、声の調子が上ずっていた。何やら緊急を要するらしい。私は眠い目を擦り擦り、家を出た。妹の家までは車で十分の距離にある。欠伸をしながら車に乗り込み、眠気覚ましにと煙草を吸った。

「また隆さんかな……」

妹の旦那である隆は、外では大人しく礼儀正しい癖に、家だとまるで別人だという。仕事がうまくいかなかったり、会社の人間関係でトラブルがあったりすると、その鬱憤を暴力という形で晴らすのだ。先月も妹に呼び出されて家に行ったら、顔面を醜く腫れ上がらせた妹が泣いていた。先々月は鼻先を殴られ、鼻骨を骨折したと聞く。また、「死んでくれ」「お前の作る料理はゲテモノだ」「近くに寄るな。気分が悪くなる」等、モラハラめいた発言も受けているらしいのだ。

妹から度重なる相談を受ける度、私も母も幾度となく離婚を薦めた。心配した母が、一度警察に相談したらどうかと提案したが、世間体を気にする妹は首を縦には振らなかった。

「もう少し……。もう少し考えてみる。そう簡単に別れられないのよ」

煮え切らない態度の妹に、私は少なからず苛ついていた。離婚するしないは個人の自由かもしれないが、その度に呼び出され、泣き言を聞かされる身にもなってほしい。私は私で自分の家庭もあれば仕事だってある。それなのに、妹からの呼び出しは今月に入ってもう五度目。本当は行きたくはないのだけれど、母があまりにも妹のことを心配しているため、近くに住んでいる私が行かなくてはならない。正直、私の神経もかなり擦り減っていた。

妹の家に着き、チャイムを鳴らす。だが、何度チャイムを押しても返答がない。変だと思いつつ、ドアノブに手を伸ばす。鍵は掛かっていなかった。

「お、お姉ちゃん……お姉ちゃん……」

妹の声が奥からした。靴を脱いで上がり、寝室として使っているという和室へ向かう。からりと障子戸を開けると、妹がブルブル震えながら座っていた。隆は寝ているらしく、ぴくりとも動かない。

「ん……?」

横を向いて寝ている隆の様子が何だか変だ。耳……耳に何か棒のような物が刺さっている。近くに言ってよくよく見ると、それは耳かき棒だった。しかも深く刺さっているーーーというより、耳かき棒の半分がすっぽり穴に収まっているではないか。隆はピクピクと小さく痙攣しており、白目を剥いて口をぽかんと開けていた。

「っ、ひいいっ!」

驚いて後退る。すると妹が青ざめた顔で私の腕を掴んだ。

「わ、わざとじゃないの。隆さんが耳が痒いから耳掃除してくれって言うから……。そ、そしたら手が滑っちゃったの。と、取れないのよ。棒が深く刺さっちゃって、さっきから引っ張ってるんだけど……。ど、どうしよう……」

「どうしようじゃないわよ、莫迦!救急車呼ばなきゃダメじゃない!」

「あ、嗚呼、そうか。きゅ、救急車。救急車呼ばなくちゃね……」

妹は気が動転しているのか、理性を失っているらしい。救急車を呼ばなくちゃと口では言っていても、どこか茫然としていて、動こうとはしない。そうこうしているうちに隆が泡を吹き始めた。見かねた私は携帯を取り出し、「119」を押そうとする。

が。妹が私の手を取り押さえ、鋭く叫んだ。

「待って!」

「何よ!どうして止めるの!」

妹を睨みつける。彼女はボロボロ涙を流してはいたが、口元にはうっすらと笑っていた。

「ねえ、どうせなら死ぬまで待とうよ……。あと五分もすれば死んじゃうよ、きっと……。ねっ?」

せっかくだしね。

死ぬまで待とうよ。

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mamiさん、コメントありがとうございます。

私もですよ。私も自分が同じ境遇であった時、どうするか分かりません。世間話を気にして、最後の最後で救急車は呼ぶかもしれませんが……どうでしょう。自分自身が一番信用ならぬもので。

最近、テレビで某宗教団体に身も心もどっぷりハマってしまった女性を特集されていましたが。どうして身も心もしゃぶり尽くされて尚、帰依するのか不思議でなりませんでした。しかし、心が病んでいる時、弱っている時に優しい言葉を掛けられ、手を差し伸べられれば、私もその手に縋る他ないでしょう。

その時その時の状態、環境に置かれてみないと、分からないことはあるのですね。

でも…分からなくはないです…
そうしない自分を願いますが…