中編5
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「雨と月」序章 創

私の名前は、フジタハジメ

漢字で書くと、「藤田 一」

もうじき、齢60に手が届こうという歳になるこの日まで、

自分は、藤田 一だと信じて疑わず生きてきた。

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だが、この名は、私の本名ではないらしい。

そもそも、私自身、「藤田 一」本人ではないのだという。

聞いた当初は、あまりにも ばかばかしい話で、一笑に付していたのだが、

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最近になって、私の祖母の遠縁にあたるという人物がやってきて、

本当の「藤田 一」は、自分だと言い出したのである。

年の頃は、私とそう変わらない、いっても60そこそこだろう。

顔は、日に焼けて、肉体労働でもしていたのだろうか、肩幅も広く、170センチほどの中肉中背比較的がっしりとした体躯をしている。

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人は、ある年齢を過ぎると、役所に出向く機会が増える。

否が応でも、住民票や戸籍謄本や抄本、場合によっては除籍謄本が必要になる。

「あなた戸籍上の人物ではないです。」

「戸籍に問題があります。」

などと指摘されたことは過去一度もない。

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生年月日も生まれも本籍も、現住所も、両親も、なんら変わることがなく、

戸籍上、私は、「藤田 一」なのである。

男は言う。

まぁ、戸籍なんて 届け出人が記載し、役所の職員が受理するだけのこと。

届け出た時の段階での間違いなんて、

良くある話ではないか。

それもそうだが・・・

と言いかけて口ごもる。

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その男の言うことには、なんでも、男の実家である「秋月家」の跡継ぎは、代々、「旧暦8月15日の満月の夜に生まれた男子」でないといけないらしい。

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仮に、その日以外の男子が生まれた場合は、生後1か月未満の「旧暦8月15日」生まれの男子を「養子」に迎え、長男として身代わりに立てなければ、家の存亡にかかわるほどの災いを引き起こすのだという。

 家の存亡に関わるほどの禍とは、どのようなもので、仮にその禍によって、「秋月家」は、どうなってしまうのかといった具体的な話は一切しない。

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なぜなら、先祖代々、その決まりは、一度も破戒されることなく律儀に遂行されてきたため、今に至るまで、安寧に過ごして来られたのだから、災禍について話せないのは当然などとという。

秋月家が大過なく過ごしてこれたのは、自分の戸籍を失ってまでも、この家に生涯の大半を捧げた先祖たちの尽力によるものだ。と、男は胸を張った。

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そうして、その男の家と、私の先祖との間で何らかの契約が交わされ、私と男は、生後間もない男児が入れ替わり

別々の家に引き取られ、それぞれの人生を生きてきた。

というのだ。

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確かに、父の生家は、「藤田」といい、家を継ぐ長男は、ある年齢に達すると、「一」(ハジメ)という名前に改名していた。私の父は、私が生まれてすぐに、不治の病に倒れ急逝したと聞かされている。

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当時流行した流行り病に罹って。。。とのことだが、戦後の混乱も治まり、高度経済成長でこの国も裕福になりかかっていたこの頃、こういってはなんだが、藤田家は、地元では素封家として有名だった。家系うんぬんいうほどの家なら、医者にかかることだって可能だったはず。

なのに、父は、医者にも掛らず頓死したのだ。

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それより不可解なことは、この男の言う「秋月家」なる家、家というからには、家族もおろう。また、その周辺の親類縁者も当然いてしかるべきであろうが、高校を卒業して、東京に出てくるまで、地元での「秋月家」の評判ないし噂について、私は、一度も耳にしたことがない。

それどころか、その存在すら知らないのである。

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さて、くだんの男の言うことは、本来、「藤田家」を継ぐべき人間は、自分であるにもかかわらず、

全く赤の他人である私が、継いでいるのは得心の行かぬ話だから、早く自分の本当の戸籍を取り戻し、今現在の自分の名前を返上し、晴れて新生「藤田 一」になって、自分の人生を、もう一度一からやり直したいのだと。

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今の名前ではいけないのでしょうか。と素朴な疑問をぶつけると。

「それでは困るのだから、こうしてお願いしに来ているのですよ。」

語気を強め、なにやら急に、黙りこくってしまった。

 

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いかにも胡散臭い話ではあるが、男が真剣に話すものだから、私も、つい話に引き込まれてしまい、気が付くと、柱の時計は、午後7時を回っている。

いつの間にこんなに時間が経ったのだ。

男は、「これはこれは、失礼いたしました。では、また後日伺います。」と言って席を立った。

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人見知りで、あまり人と関わりたがらない妻が 何故かこの日は上機嫌で、気味が悪いだけの大して面白くもない男の話に興味を持ち、「めったに訪れない珍しいお客人でもあるし、お寿司でもとって、今宵は、ゆっくりとお話しなさってはいかが?」と、茶菓を下げたテーブルに、正月に大事に飲もうととっておいたブランデーまで出してくる始末。

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男も男で、「奥様、お肌がお綺麗でございますね。そのお召し物にも良くお似合いでございます。」などと、歯の浮くようなお世辞などを口にする。

 一人息子も社会人となり、まぁ、私も定年退職したばかりで、暇を持て余しているし、特に実害もなさそうだと、立ちあがった男に再度座りなおすよう促し、その男の話にじっくり付き合うことにした。

「息子がいますがねぇ。息子には、一(ハジメ)という名前は付けませんでしたよ。気の毒でね。一なんて。」と私が言うと、

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男は、ゆっくりとソファに腰を下ろし、

天井に向かって、なにやらぶつぶつと呟き、その後、両肩をぐるりと回して床にうつむいた。

「あの。。どうしました。」

「あ、ちょっと考え事を。」

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そのすぐそばの窓から さわさわと風の音が聞こえて来る。

ぽつぽつと雨が屋根に当たる音がする。

それはやがて、本降りとなってきたようで、ザーザーという音に変わった。

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「にわか雨でしょうか。」

男は、ソファに深く腰掛けると、ふぅと息を吐き、私をじっと見つめた後、

おもむろにこう言った。

「あなたには そうか・・・やっぱり・・・雨の音が聞こえるんですね。」

妻は言う。

「いやねぇ、さっきまで月が出ていたのに。それも満月だったのよ。」

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足元に湿った空気がまとわりつく。

男は、うっすらと笑みを浮かべた。

「ちょっと、目を閉じていただけませんかね。」

「なに、面倒なことじゃございません。」

私は、瞼を閉じた。

「では、お話しいたしましょう。」

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ネタバレ注意

りこ様
「怖い」ありがとうございました。
この作品、宙に浮いたままなんです。
申し訳ございません。
お約束していながら、放置プレー・・他人事ではございません。
連作の難しさを感じております。

私の意図するところではない方向に、登場人物たちが勝手に動き出してしまい。
プロットからストーリーに展開する段階で、収拾がつかなくなってしまいました。
何とか完成させますので、気長にお待ちください。

深雪様

「怖い」ありがとうございました。
この話は、序章にしては解りにくい話かもしれませんね。
今後の展開をお楽しみに。

mami様

「怖い」と「コメント」ありがとうございました。
とっても嬉しいです。

そうです。
この話には、続きがあります。
どういう展開になるか。
お楽しみに!

続き気になりますね。そして、シリーズなんですね。
楽しみにしています。

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ネタバレ注意

怖いと言うか…気持ち悪いですね。
続きが気になります!

時雨様

「怖い」有難うございました。
これもシリーズになります。
よろしくお付き合いください。