長編9
  • 表示切替
  • 使い方

「雨と月」 序 夢現

予約時間をとうに過ぎている。

最近は、この手の相談が増えているのだろう。

ひとりひとりにかかる診察時間が長くなるのも無理はない。

事前に何度も時間変更があり紹介状を持って来ているにもかかわらず、遅れること1時間半、やっと医師と面会できた。

nextpage

さんざん待たされた挙句、私を待っていたのは、たった今研修を終えてきましたといわんばかりの幼顔の男性担当医。

年の頃は、息子と同じか同世代であろう。

(なんだか頼りないわねぇ。)

パソコンの画面と画像診断の結果を見ながら、

「満月の夜、外は晴れているのにもかかわらず、にわか雨が降っていると勘違いなさるのですね。単なる勘違いじゃないんですかねえ。そのぐらいなら、心配するほどでもないような気がしますが、ただ、その男が来て以来、言動がおかしくなったというのは、きっと、きっかけになった何かがあるはずなんです。」

nextpage

「そうなんです。とても心配なんですの。結婚してから20年以上も経つのですが、最近では、あの人じゃないような気がしてなりません。姿形は、あの人なんですけど、性格も含めた内面というか本質が、まるで別人になってしまって。怖いんです。」

nextpage

「男が話したという、話自体も、たしかに少し気味が悪いですよね。男は、ご主人に目をつむるよう話したのであれば、何か催眠術のようなものをかけられたのかもしれません。」

「催眠術?」

(特にそんな素振りは見られなかったけれど。)

nextpage

「あくまでも推測です。気になるのは、男と会ったことをご主人は、一切覚えていない。記憶にないとおっしゃたのですよね。」

「はい。朝になってすっかり忘れていたのです。」

「でも、奥さんは、前の晩、その男と会っているんでしょう?」

nextpage

担当医は、下を向いて、くるくるとペンを回しながら、なにやら考え事をしていたが、

「認知症やアルツハイマーをご心配なさっていらっしゃったようなので、再度、うちでも 脳波、MRI、他いくつか検査してみたいのですが。

nextpage

そちらの方は、奥さんがご心配なさるほど深刻なものではないと思われるのですがね。紹介状に記載されてある内容や添付されてきた検査結果を見ると、ここに来る患者さんたちの同世代の方たちに比べても、脳および体内年齢は、お若いと思います。

nextpage

昨年満55歳で定年したそうなので、多分、そのせいもあるのかもしれませんね。たしかに言動にはおかしな点も見られますが、特に、これといった深刻な問題ではないかと思いますよ。」

nextpage

「そうですか。・・・・・・・。」

「とはいえ、ご家族の方は、ご心配でしょう。紹介状をいただいた病院の処方でほぼ間違いないと思います。頓服もいただいているんでしたね。まだ、二週間程度残っているようですので、必要に応じて本人が嫌がらなかった飲ませてあげてください。もし、今後、言動がエスカレートするようだったら、いつでも結構ですので、二週間待たずに ご連絡いただけたらと思います。」

nextpage

若い担当医は、机の引き出しから、名刺を取り出すと、さらさらとペンを走らせた。

「私の携帯の番号です。出られなくても着信があったことは解りますから。もし、なにかございましたら・・・ということで。」

「あ、ありがとうございます。よろしいのですか。とてもお忙しいのに。」

「いや、気にしないでください。息子さんも地方勤務で普段家にいらっしゃらないようですし、お一人で、何かと大変かと思いまして。」

幼顔の医師は、それより・・・と言って、眉を顰めた。

「どうですかね。ご主人、病院の診察嫌がりませんか。」

「ええ、実は、以前の病院では、二週間に一度診察に来るようにと言われていたのですが、実家に行くからとか人を訪ねたいとか、なんだかんだ理由をつけて、行きたがらなくて。なんとか頼み込んで、一か月に一度の診察にしていただいたんです。」

「お薬は、何とか飲めておりますが、自分のしたことを覚えてなくて。本人が一番辛いんでしょうけど。」

「解りました。あちらの病院と うちのケースワーカーとも相談しながら、なんとかやって行きましょう。」

担当医は、壁の時計をちらりと横目で睨み、くるりと椅子を回し、背を向けた。

「では。」

看護師が、次の患者の名を呼ぶ。

「ありがとうございました。宜しくお願いいたします。」

カーテンを開け、軽く礼をし、狭い診察室を出た。

ふぅ。とため息をつく。

nextpage

セカンドオピニオンでも、医師の診断は、そう変わらなかった。

私は、もらった名刺を、ハンドバックの横に張り付いている、うすべったい小物入れに差し込んだ。

秋の夕暮は、つるべおとし。

家にひとり残して来た夫を思う。

急がなきゃ。

駅までの道のりを、足早に歩きだした。

nextpage

wallpaper:517

日は、傾き、東の空には、青白くぼんやりとした月が見える。

wallpaper:736

nextpage

今日は、満月か?

そう、あの日もみごとなまでの満月だった。

男と話している最中、夫は、雨が降ってきたと言った。

にわか雨だと。

でも、出前の寿司屋が来た時は、雨なんて一粒も降ってなかったし、

今日は終日晴れだと言っていた。

おかげで夜道が明るくて助かると。

「やっぱり認知症なの?あなた、いったいどうしちゃったの。」

私は、顔を覆った。

nextpage

薄気味悪い男は、あの夜を最後に、一度も訪れていない。

あの日、私が気を遣って部屋下がりをしてから、二人の間で、一体何があったのだろう。

先に床に就いてしまったため、全く解らないのだ。

nextpage

朝になり、起きて、真っ先に、客間を覗いてみたが、寝具は、前夜支度した時に敷いたままの綺麗な状態に置かれてあった。

男の姿は、どこにも見当たらず、前の晩に振る舞った とっておきのブランデーや出前の寿司にも全く手が付けられていなかったので、おそらく、私が居間を去ってから、そう時を経ないうちに帰ったのだと思う。

玄関の鍵は、きちんと施錠されていた。

ということは、

夫は、男を見送ってから鍵をかけたことになる。

nextpage

夫は、居間のソファに横になったままの状態で熟睡しており、

「あの男はどうしたのだ。どこに行ったのだ。」

と何度尋ねても、

nextpage

「そんな男など訪ねて来てはいない。お前どうかしてないか。」

と、ケロっとした顔で話す。

また、あの日以来、夫は、今では住む人もいない空家同然になってしまった実家を、まるで取り憑かれたように ひと月に何度も訪れては、終日探し物をするようになった。

nextpage

「奥様でしょうか。ご主人様のご様子がおかしいので、来ていただけないでしょうか。」

遂に、先代からの古いお付き合いだという ご近所の方々からも、電話を頂戴するに至り、さすがに、黙って見過ごすわけにもいかず、お迎えのご主人の手を借り、泣き叫ぶ夫を、引きずるようにして連れ戻したのである。

nextpage

ご近所の人の話によれば、玄関先に 蔵から出したという、古い掛け軸やら書物やら漆塗りの食器や箪笥などの家具調度品の類に至るもの全て並べ、なにやら物色していたのだが、突然「ないないないないない。」と、そこらじゅうに物を放り出し、頭を掻きむしりながら叫び号泣したのだという。

nextpage

それから、四・五日も経たぬうちに、夫の叔母にあたる人の入院先にまで押しかけ、

「父は、なぜ私が生まれる前に死んだのだ。合点がゆかない。説明しろ。」

と怒鳴り散らし、ご本人のみならず、ご家族や入院先の病院にも たいそう ご迷惑をおかけしたとのことで、

夕方近くなって、叔母の病院の関係者に連れられて、しょんぼりした顔で帰ってきた。

「うちの病院は、重い症状の方が多いのです。困ります。」

と、酷いお叱りを被った。

nextpage

男は、夫の母方の祖母の親類筋にあたる者だ とのたまわっていたが、

祖母は既に他界、親戚一同は、地元にはいない。

かろうじて、あの当時のことを知る人に出会い、尋ねてみるのだが、

そんな男はしらぬ。

第一、「秋月家」などという家は、屋号でも聞いたことがない。

そもそも、地元で「なになに家」(け)と称される家系、および一族は、

「藤田」姓を名乗る人たちぐらいだ。

「藤田家」ならいざしらず、そんな珍しい苗字なら、地元でも知らぬ人はいないはず。

おおかた、狐にでも化かされるか、今流行りの詐欺にでもあったのではないのか。

と、迷惑そうな顔をして言われたのだった。

nextpage

いずれにせよ、このままではいけない。

薬の量は、二倍に増え、夫は、終日寝てばかりいた。

起きていても、うつろな表情で、ぼんやりと外を眺めているだけ。

たまに、

「雨が降って来たな。これは、強くなりそうだ。」

などと、青天にもかかわらず、ぼそぼそと呟いている。

あの男は、誰なのか。

また、あの男の言っていた、夫の生家「藤田家」と「秋月家」の間で取り決められたという約束事。

「旧暦8月15日に生まれた男児」と交換され、否応なしに、別の人生を歩まなければならなくなった者たちが、今どこでどうしているのかも知りたかった。

nextpage

私は、腹をくくり、夫「藤田一」の実家をほぼ10年ぶりに訪れてみることにした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

wallpaper:517

nextpage

男に言われるまま、目を閉じた。

「何も見えないのだが。」

「なに、じき見えて来ますよ。」

男は、とっておきのブランデーを口に含みながら自信満々に応える。

nextpage

いい大人が小ばかにされているような気もするが、

なぜか、逆らえず、言われるままに意識を集中する。 

nextpage

いつまでも埒が明かない いい歳をした男ふたりの可笑しな言動に、

妻は嫌気がさしたのか、

早々に退散することにしたらしい。

nextpage

「あのぅ、私、そろそろ、おやすみさせていただいてもよろしいでしょうか。」

「奥さん、すみませんね。こんな時間まで居座ってしまって。そんなに気を遣わなくても構いませんよ。小一時間もしたら帰りますので。」

nextpage

私は、目を閉じたまま応える。

「あぁ、あとは、全部やっておくから。先

に休んでくれて構わないよ。」

「秋月様は、どうぞごゆっくりなさってください。奥にお布団も用意しておきましたから。あなた、ごめんなさい。明日朝早いから。お先に失礼いたしますね。おやすみなさい。」

「おやすみ。」

nextpage

風に煽られた庭木がバサバサと窓に当たる。

「風も出てきたようですな。」

降り出したにわか雨は、いよいよ本降りになってきた。

nextpage

この調子では、朝まで止みそうもない。

雨脚が弱まるまで、この男は居座るつもりではないのか。

いやはや、とんだことになったものだ。

nextpage

閉じられた瞼の奥は、しばらくは漆黒の闇でしかなかったのだが、

やがて、針の穴ほどの点が現れ、そこから光が差し出して来た。

光はみるみるうちに、手のひらほどの大きさにまで広がり細長い楕円に変化した。

nextpage

「おぉ、なんだあれは。」

「見えて来たかね。」

円の中に、ゆらゆらと薄暗い映像が浮かびあがる。

nextpage

子どもの頃、胸をわくわくさせた懐かしい記憶が甦ってきた。

「こ、これは、幻燈・・・。」

「あなたも古い人間ですね。今時の若者に、幻燈といっても何のことだかさっぱり解らんでしょうな。」

「では、スライド写真。」

と言いなおすと、男は、はははと、せせら笑った。

nextpage

「まぁいい。そんな感じに見えていれば十分です。」

もごもごと口ごもった声の様子からして、つい今しがた届いた出前の寿司を、つまんでいるらしい。

ずうずうしい奴だ。

nextpage

光の輪の中に、厳つい門構えの邸の映像が浮かびあがって来た。

「何が見えますか。いや、何に見えますか。」

「かなり大きな厳つい門構えのお邸が。武家屋敷のようにも見えます。それも、時代を遡った江戸時代?もしくはもっと前ぐらいの。」

「ほう。それ、そこが、秋月の館ですよ。」

nextpage

男は、嬉しそうに話す。

瞬く間に光の輪が消え、私は、さっきの映像に出てきた大きな邸の門の前に立っていた。

「では、その中に入りましょう。」

nextpage

私は、踵、土踏まず、つま先の順に ゆっくりと足を着いた。

それから、徐に 左足、右足と 歩を進める。

「そうそう、そんな感じで。その調子その調子。」

nextpage

身体は眠っているが、意識は、完全に覚醒している。

そして、今まさに目の前に広がる

「秋月の館」とやらに向かって歩き出した。

nextpage

身体から急に力が抜けていくのを感じた。

身体を支えきれなくなった私は、そのまま崩れ落ちるかのようにソファに身を横たえる。

nextpage

(いよいよだな)

男は、私を見下ろし、片方の唇の口角をあげ、にたりと笑みを浮かべた。

Normal
閲覧数コメント怖い
24112
12
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意

『雨と月シリーズ』…好きですっ🎵
薄気味悪くて、そんな所が面白くて…続きが気になっちゃって仕方ないです…はぁぁ。。

では!次、行ってまいります(^O^)/

りこ様

こちらの作にも 「怖い」ありがとうございました。
私の過去の投稿作を丁寧に読んでいただき、
その都度「怖い」まで頂戴し、心から感謝申し上げます。

若い友人に言わせると、私の作品は、どれも「長い」「解りにくい」「古臭い」「ワンパターン」「ネタがベタ」なのだとか。的を得たコメントに納得です。精進しなければ。
"(-""-)"
今回の りこ様からいただいた「怖い」は、「言い訳はいいから、早く書いて!」という励ましのエールと受け止め、気を取り直して再度チャレンジいたしますので、どうか気長にお待ちくださいませ。
ホント 人の評価している暇があったら、自分の心配せぇや。ですね。

みけ様

「怖い」ありがとうございました。

深雪様

「怖い」ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

カヲル様

「怖い」ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

mami様

「怖い」ありがとうございました。
不気味な居心地の悪い怖さを描きたいと思っております。
相変わらずの遅筆ですが、ていねいに描きたいので、
頑張ります。

machida様

すみません。
コメントの文字が間違えて変換されました。
登校ではなく 投稿でした。

続きを書いている最中です。
今しばらくお待ちください。

machida様

「怖い」ありがとうございました。
次回から、登場人物が増え、複雑に絡み合って参ります。
読んでいただけるだけで、とてもうれしいです。
頑張って登校しますので宜しくお願いいたします。

裂久夜様

「怖い」と「コメント」ありがとうございました。
続きを楽しみにしていただいてうれしいです。
少しずつですが、途切れない様アップしたいと思っております。
宜しくお願いいたします。

先が気になります。
続きを期待しています。