長編11
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キッドナップ

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「…あんな子猫相手に手傷を負うとは。」

和歌歩 陸は傷だらけの左手を忌々しそうに見つめながら、夕暮れの道を歩いていた。

「加減せず殺してしまわなくなったとは、私も少し丸くなったらしい…。」

手に当て布を巻きながら、少しふらついた。

「…体力の消耗が激しいようですね。少し休んでいきましょう。」

彼は近くにあったベンチに腰掛けた。

「ふー…。」

一息ついて、眼鏡を外す。

そんな彼のワイシャツの裾を、小さな白い手が引っ張った。

「ん?」

彼が顔を上げると、そこには淡いピンクのワンピースを着た幼い少女が立っていた。

和歌歩の目付きを見て怯んだらしく、一度は逃げ出そうとしたが、少女はその場に踏み留まった。

「おじちゃん、一人なの…?」

「えっ…?」

そもそも私が見えるのですか、と言いかけて、彼は口をつぐんだ。

ただでさえ怯えた様子の少女を、余計に怖がらせる事はないと思ったのだ。

「…ええ。まあ。お嬢さんはお一人ですか?」

少女は無言で頷いた。

「なぜこんな時間に?ご両親が心配されますよ。」

少女は、今度は首を横に振った。

「愛は悪い子だから…。お家にいたらぶたれちゃうから。」

「それはそれは…。」

和歌歩は少女の横顔を見た。なるほど、街灯の光に照らされた白い肌が僅かに赤みを帯びている。

「今日も新しいお父さんにぶたれて、逃げてきたの。遊んでって頼んだら、うるさいって。」

「…。」

どうしようもない大人がいたものだ。

和歌歩は顔をしかめた。

「愛さんといいましたね。お母様は?」

「ママも一緒。愛、もうお家に帰りたくない。」

少女は和歌歩の腕にしがみついた。

「おじちゃん。愛のことどっかに連れてってよ。」

和歌歩は困ったように目を逸らした。

「愛さん、知らない人について行ってはいけないと言われた事は?」

「昔パパに言われた事あるかも…。でも、パパがいなくなってからはママも新しいお父さんも、そんな事言わない。」

「先生は?」

「わかんない。あんまり学校行った事ないから…。行かせてくれないの。」

和歌歩は少女の小さな手を包むように握った。

「…少しだけ、遠くに行きましょうか。」

「…ねぇ、おじちゃん。」

しばらく歩いていると、愛が言いづらそうに口を開いた。

「何ですか?」

「…喉、渇いたな。お水飲みたい。」

和歌歩は微笑んだ。

「そんな事でしたら、遠慮せずに仰ってください。すぐご用意致しますよ。」

そう言って、彼はポケットから財布を取り出した。

「使えますかねー、このお札。」

近くの自販機に札を突っ込む。札は無事飲み込まれ、ジュースのボタンが点灯した。

「どれになさいますか?」

「どれがおいしいの?最近飲まないからわかんない。」

「え、えーと…。」

和歌歩は困惑した。何せ小さな子供の好みなど分からない。

「私がおいしいと思うのはこれですけど…。」

彼は缶コーヒーを指差した。愛はちょっと考えて言った。

「それは苦いんじゃないの?ママのをちょっとなめた事あるけど、あれは嫌い。」

「…ですよね。」

結局和歌歩は無難なオレンジジュースを買い、缶のタブを開けてから愛に手渡した。

「どうぞ。」

「ありがと。」

愛はそれを嬉しそうに受け取って、口をつけた。

「…おいしい!甘くておいしいよ、おじちゃん!」

「それは良かったです。さ、飲みながらでいいです、ゆっくり進みましょう。」

「うん!」

嬉しそうに頷いて自分の手をとり、歩き出す愛の姿を見ながら和歌歩は思う。

きっとろくな食事も貰っていないのだろう。

彼の手の中の小さな手は、壊れてしまいそうなほど華奢なものだった。

「…他に欲しい物はありますか」

「えっとね…。お菓子が食べたい!」

和歌歩は笑って頷いた。

愛の、この不憫な少女のささやかな願いくらいは叶えてやりたい。

そんな思いが彼の胸の中を駆け巡った。

コンビニで買った一揃いの菓子類を2人で抱えて、道端のベンチに座った。

「チョコなんて久しぶりー。」

満面の笑みをたたえてチョコレートを頬張る少女を、和歌歩は慈しむような眼差しで見ていた。

「おじちゃんは食べないの?おいしいよ。」

あーんして、と、少女はクッキーを差し出した。

和歌歩は優しくその手を押しやり、言った。

「私には必要ありませんから。どうぞ、気兼ねせず召し上がってください。」

「そう。」

少女は和歌歩に差し出していたクッキーを頬張り、笑った。

やれやれ、少しは落ち着いたか。

和歌歩はややほっとして、立ち上がった。

「あれ、おじちゃんどこか行くの?トイレ?」

「いえ。」

和歌歩は膝を折り、愛の頭を撫でた。

「愛さん、あなたはもう大丈夫です。あなたに私は必要ありません。そろそろお家に帰りなさい。」

「え…。」

愛の大きな瞳に、みるみる涙が溜まっていく。

「やだ、愛まだおじちゃんといたい!ずっと一緒にいたいの!」

「残念ですが」

和歌歩は眼鏡をかけた。彼の表情はレンズの逆光に遮られた。

「ずっとなんて事は存在しません。冷たいようですが、私と愛さんは元は他人です。」

「もうあんなお家には帰りたくないの!お願い、おじちゃん。もっと、もっとずっと遠くに、愛の事連れてって‼︎」

愛は泣きながら和歌歩に縋り付いた。

「もう嫌なの…。毎日ぶたれるのは。それに愛…。」

愛は少し口籠って、顔を赤らめた。

「愛、おじちゃんの事好きだよ。愛がもうちょっとお姉さんだったら、ケッコンしてもいいよ。」

和歌歩の白い頬がさっと赤くなった。

そして、しがみついた愛の手を振り払う。

「そんな事を言うものではございませんっ!私なんぞを愛しているとは。あなたはまだ未熟です、未熟だからそう言えるんです。あなたの言う『お姉さん』になれば、私がどんな男かよく分かるでしょう。」

一気に捲し立ててから、我に返る。

目の前には、突き飛ばされて転び、こちらを見上げる少女の姿。その目には動揺が見てとれた。

「…すみません。私とした事が。」

和歌歩はそっと愛を抱き起こした。

「いい。おじちゃんは愛が悪い事したから怒ったんだよね。新しいお父さんとは違うって、すぐ分かるよ。」

「…。」

和歌歩は眼鏡を直し、愛の目線まで屈んだ。

「…本当に、宜しいのですか?」

愛はこくんと頷いた。

和歌歩はそれに答えるかのように頷き返し、愛の手をとった。

「もう少し、歩けますね?」

「うん。なんか体が軽くなった!きっとおじちゃんがいてくれるからだね。」

和歌歩は無言で歩き始めた。

「ねぇ、おじちゃん。今度はどこに連れてってくれるの?」

無邪気に自分の手を引く愛に、和歌歩は微笑んだ。

「もっと…ずっと遠くです。」

「おじちゃん。ホタルがいるよ。」

「ホタル…。」

和歌歩は周囲に浮かぶ青い光を眺めながら、呟いた。

「綺麗だね。」

愛は光に手を伸ばした。

幾つかの光が彼女の周りに集まる。

「ええ。」

和歌歩も光に手を伸ばす。が、光は彼の手を擦り抜けて散った。

「…ホタルは正直です」

彼は淋しげに笑い、手を握り締めた。

「愛さん、行きましょうか。」

「えー、もう少しホタルさんと遊びたい!」

愛は髪にホタルを纏わせて、和歌歩を見上げた。

「もう少し先に行けば、またホタルと会えますよ。それも、あなたの会いたいホタルと逢えるでしょう。」

「?」

愛は首を傾げたが、素直に頷いた。

「おじちゃんがそう言うなら。」

2人はまた歩き始めた。

「…おじちゃん、あれ。」

愛が何かを指差した。

それは美しい花園で、色とりどりの花々が咲き乱れていた。不思議なのは、その中にミスマッチなスーツ姿のサラリーマンやみすぼらしい老人がいる事である。

「あそこのお花、取ってきていい?」

和歌歩は愛の手をさらに固く握った。

「あそこはいけません。危険ですよ。ちょっと見ていれば分かるでしょう。」

暫くすると、サラリーマンや老人の背後に黒い人影が現れた。そして、彼等の身につけている背広やシャツなどを剥ぎ取り始めた。

「おじちゃん、あれ何?何だか怖いよ…。」

「奪衣婆です。…ですが、愛さんは深く知らなくても良いのです。あなたはあんな場所を通る必要ありませんからね。」

和歌歩は花園に背を向けて、愛の手を引いた。

「あなたはこちらです。」

「…ん。」

いつからあったのか、傍に現れた白い階段の方へ、2人は向かった。その階段を上りながら、和歌歩は愛に尋ねた。

「疲れましたか?」

愛は首を振った。

「おじちゃんが一緒だから、大丈夫だよ。」

和歌歩は困ったように笑い、そして頷いた。

「長い道のりでしたが、もうすぐ終着点に着きます。」

「本当?」

愛の顔が明るく輝いた。本当はかなり疲れていたのだろう。

「ですが、終着点に入るかどうかはご自分でお決めください。」

「え?入るに決まってるでしょ、おじちゃんたら。変なの。」

屈託のない愛の顔を見る和歌歩の顔が、辛そうに歪んだ。

それには気付かず、愛は階段を上っていった。

暫く上ると、光のカーテンのような物が姿を現した。それを見て、和歌歩が足を止める。

「…どうしたの?」

「私はこれ以上一緒に行く事が出来ません。」

「えっ⁉︎やだよ、一緒に行こ!」

愛は和歌歩の腕を掴んで、強く引いた。

「!」

引かれた手がカーテンに触れた瞬間。

カーテンに触れた和歌歩のネクタイと腕が砕けるように消えた。

「おじちゃん!大丈夫?」

駆け寄ろうとする愛をもう片方の手で押しとどめると、和歌歩は言った。

「愛さん。後ろをご覧なさい。」

愛がそれに従って、後ろを振り向くと、先ほど見たのと同じホタルが1匹飛んでいた。それは階段に舞い降りて、若い男の形をとった。

それを見た愛の表情が輝く。

「…パパ‼︎」

男は優しく笑ってしゃがみこみ、愛を抱き寄せた。

「なんで急にいなくなっちゃったの、あの後ママが新しいお父さん連れてきたんだけど、すごく意地悪だからイヤだったんだよ?」

男は悲しげに俯いた。

そして、和歌歩の方へと視線を投げかけた。

和歌歩は頷くと、口を開いた。

「愛さんのお父様は、自動車の事故で亡くなられたのです。家路を急いでいる最中に、信号無視で走ってきたトラックにはねられて。」

愛の表情が凍った。その表情が溶けると、今度は和歌歩のズボンに掴みかかった。

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「嘘だよ!だったら何でパパがここにいるの?パパが死んじゃったなんて、絶対嘘だよ!何でそんな嘘つくの、愛、嘘つく人キライだよ‼︎」

ズボンにしがみついたまま泣き出す愛をいたわるように、和歌歩は腰をかがめた。

「お気の毒ですが、私は子供に嘘を吐く質ではございません。」

さあ、ご決断を。

愛の顔を胸に埋めさせたまま、和歌歩は顔を上げた。

「このまま進んでお父様と共に暮らすか、それとも私と共に下に下りて、また普通の暮らしを送りますか?」

愛は和歌歩の胸から顔を離し、泣き腫らした目で彼と壇上の男の顔を見比べた。

「…パパと行くとどうなるの?」

「あなたは天に召されます。」

「それは死んじゃうってこと?」

「…ええ、まあ。」

愛は暫く考え、再び和歌歩に尋ねた。

「おじちゃんと行くとどうなるの?」

「今まで通りの暮らしが始まります。」

「ママも、新しいお父さんも?」

「ええ。」

「おじちゃんは一緒にいてくれないの?」

「いたくても、いることができません。」

愛は俯いた。

そして、和歌歩に抱きついた。

「愛、パパと行く!もう、あんなお家は嫌なの!」

「…。」

和歌歩はゆっくり頷いた。

「…怒らない、の?」

「私には他人の選択に口出しする権利はありませんから。愛さんの選んだ道です、止めはしません。」

「…ありがと」

愛は和歌歩の頬に軽く唇をつけた。

「おませさんですね。」

和歌歩は微笑して立ち上がった。

「今までのお礼。他に思いつかなかったの。」

愛は小走りで壇上の父の元へと駆け寄り、思い切り抱きついた。

男は愛の頭を撫で、和歌歩を見た。

「お父様も、それで宜しいのですね。」

彼の問いに、男は頷いた。

そして、深々と頭を下げた。

和歌歩も礼を返し、踵を返して階段を下りていった。

「私には、まだやることが1つ残っています。」

彼はそう呟き、薄く笑った。

その笑みには、愛に向けたような温かみは全くなかった。

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「なぁ、いいだろ〜?そろそろ…。」

「もう、もう少し待って。ねぇ、愛はどうしたの?」

「そんな事どうだっていいだろ、ナオミ。そうお固くなるなよ!」

髪を明るい茶髪に染めた女と、金髪の男。彼らが愛の「形式上の」保護者である。

「だって面倒じゃない、ケーサツとか来たら。」

「ダイジョーブだって、ほら…。」

男が女の肩に手をかける。

その時、玄関のチャイムが鳴った。

男と女は顔を見合わせた。

「面倒くさ。あんたが出てよ。」

「ちっ、何で俺が…。」

男は玄関に出た。

「はい…?」

「今晩は。黒井商事の和歌歩 陸と申します。」

「はあ?こんな時間にセールスっすか?別のとこ行ってくださ…。」

閉ざされかけたドアの隙間に、和歌歩は素早く足を滑り込ませた。

「娘さんの愛さんのことでお話があります。」

男が凍り付いた。

「愛さんのお母様、いらっしゃいますか?」

「な、何でセールスマンなんかに自分の女出さねーといけねーん…。」

殴りかかろうとした男の手が止まる。

和歌歩の逆手に握ったボールペンが、男の首筋にぴったりとくっついていた。

「私は平和主義なんです。手を汚させないでください。」

男はへなへなとその場に崩れ落ちた。再起不能だ。

「…フン、みっともないですね。」

和歌歩は男を押しのけ、愛の母親のいる居間に足を踏み入れた。

「愛さんのお母様ですね?」

女は驚いたように振り向くと、武器のつもりかガラスの灰皿を構えた。

「だ、誰よあんた!何他人の家に勝手に入ってきてんのよ!」

和歌歩はそんな女を無視して、言った。

「お気の毒ですが、娘さんはお亡くなりになりました。」

「えっ…?」

女は動揺したように和歌歩を見た。

「ですがご安心を。彼女は天上で幸せにしております。」

では私はこの辺で失礼します、と、和歌歩は踵を返して居間を出ようとした。

「ち、ちょっと待ちなさいよ!どういう事よ、愛が死んだなんて?」

和歌歩は振り返りもせず答えた。

「そういう事です」

「ふざけんじゃないわよ!」

女は和歌歩に掴みかかるが、擦り抜けて壁に突っ込んだ。

「あ…あんた何なのよ‼︎愛に何したのよ⁉︎」

震えながら言う女を蔑むように見て、和歌歩は言った。

「言っておきますが、愛さんを殺したのは私ではありません。愛さん自身の意思で、彼女は実のお父上と共に暮らす事を決めたのです。それに」

和歌歩は一段と言葉に力を込めた。

「男にうつつを抜かして子供を蔑ろにするあなたのような人間が、偉そうにそんな口を聞いていいと思っているのですか?」

「‼︎」

女は顔を真っ赤にして、灰皿を和歌歩に投げつけた。

が、当然のように灰皿は彼の身体を擦り抜けて壁にぶつかり、割れた。

和歌歩は振り返り、無機質な目で女を見た。

「…1つお尋ねしますよ」

「…何よ。」

「あなたはなぜ、生まれてきた子供に『愛』と名付けたのですか?」

女は少し黙った。

「…前の死んだ旦那がつけたのよ。…ダッサい名前よねえ、ベタすぎだっつーの!」

笑う女。

和歌歩は彼女につかつかと歩み寄り、その頬を張った。

「あなたは母親失格です!母親を名乗るのも、愛さんの名を呼ぶのもおこがましい!」

そして彼女の襟首を掴み、ぐいと引き寄せた。

「『愛』。素敵な名前です。これはお父上が、本気で考えてつけた立派なお名前です。あなたのような人間に馬鹿にされるような筋合いはありません!」

和歌歩は放心状態になった女を突き放し、部屋を出た。

「愛さんの選択は正しかったようですね。安心しました。」

家を外から眺めながら、和歌歩は胸を撫で下ろした。

そして、三日月の浮かぶ夜空を見上げて微笑した。

「愛さんのご冥福を、心からお祈り致します。」

呟き、彼は夜の闇に姿を消した。

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紫月花夜様、コメントありがとうございます。和歌歩さんファンでいらっしゃいましたか。彼は謎の部分も多いですから、これからいろいろ明らかになってくると思われます。お気遣いありがとうございます。頑張らせていただきます。

紫音様、コメントありがとうございます。
他の登場人物達のスピンオフ。それなら次は棗さん辺りでしょうか…?と考えております。これからもよろしくお願いします。

和歌歩様Loveです~
和歌歩様の優しさにキュンキュンしました~♡
スピンオフも大歓迎です
これからも無理せず頑張ってください

和歌歩ファンの1人ですよ(*´罒`*)♥

今回の和歌歩さんは、とても素敵でした。

今回のようなスピンオフも凄くいいと思います。

たまにでいいので、高校の怪談シリーズの登場人物のスピンオフを書いていただけたら嬉しいです(*´∀`*)