中編7
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八塚の蟲 2

あらすじ

平凡な高校生『田中恵美』が、かろうじて人の形を保つ『それ』と出会ったきっかけ。

それは、母親の実家に招かれるという、大したことなさそうな理由であった。

招かれた屋敷では、『白菊の儀』が行われることになっていた。

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music:1

八塚屋敷は、隣町の郊外にある、広大な邸宅だ。私の知る限り、これほどの屋敷は映画の中でしか見たことが無い。

「母さん」

思わず名前を呼ぶと、母さんが私を見て微笑んでくれる。大丈夫、と言いたげなその様子に、ほっとした。

促されて正面を見ると、そこには厳格そうな雰囲気を漂わせた、老人と老婦人が並んでいる。着物姿の二人の周囲には、警備の者ですと言わんばかりの、スーツ姿のいかつい御兄さんやおじさんが立っていた。

「おひさしぶりです、お父様、お母様」

母さんのその口ぶりは、何時も聞く声とはどこか違っていた。やっぱり私は、こんなところに来て良い存在では無いんじゃないかと、急激な不安に襲われる。

でも。そうだとしても私は、本家の血筋を引く孫娘。それも溺愛する末の娘の子供、可愛い可愛い孫ということになるわけで。

「恵美や恵美、元気だったかい?」

「赤ん坊の時以来だし、手紙のやり取りも無くて、嗚呼本当に、本当に……おおきくなって」

それまでの厳格さはどこへやら。感極まった様子で笑みを浮かべる祖父母に、ほっとしてしまった。

しかし挨拶もそこそこに、私たちは家の中に入らざるを得なかった。というのも、私たちの後ろには、軽く20人は列を作って待っているのだ。

その20人全てが、八塚家の親族らしい。見知った顔もあるのか、母さんが会釈している。

彼らは、御当主に会うためだけに、こうして本家の行事に参加するらしい。中には、ここまで飛行機や電車を乗り継いで大移動してきた人もいるらしく、ただただ唖然とする。

そういうものなのだ、とは納得できる。ただ、私は少なくとも、平均的なサラリーマンのお父さんと、スーパーでパートとして働くお母さんの間に育ったのだ。

おじいちゃん! 、って呼んでみたいし、お父さんのお爺ちゃんみたいに畑でトラクターに乗らせてもらったり、おばあちゃんお手製のご飯も食べたりしてみたいんだけど、それも出来ないってことはよーく分かってしまった。

「先代当主様におかれましては……」

「先代当主夫人にお会いできましたこと、誠光栄に御座います」

……ここは、この場所は、一体何時代なのだろうか。

家の中に通され、座敷に上がってからもそれは続いた。

行事、と聞いていたから子供もいるのかと思っていたけれど、確かに私と同い年くらいの少女もいる。

今も、私の方をちらちらと見ながら、囁き合っている一群が居る。全員女の子だなぁ、とぼんやり考えていたけれど、不思議と全員に統一感がある。

行事だから白いものを身につけているのだろうか、と思っていたけれど、微妙に違う。白い菊の花を、全員が服装のどこかしらに付けている。そういうしきたりがあるのだろうか。

するとそのうちの一人……名前が出てこないけど、とりあえず八塚だろう人が、話しかけてきた。同い年、ではない。多分私より、少し上だ。

「ねえ、白菊の儀には出ないのかしら?」

「しらぎくのぎ? ……」

聞き慣れない単語に思わず聞き返すと、囁きが大きくなった。私のこの答えに満足したのか、彼女は意味深な笑みを浮かべて一群の輪の中に戻ってしまう。

よく分からないが、恐らくは八塚の人しか参加できない儀式なんだろう。だとすれば、例え名字だけとはいえ袂を別った私では、参加する資格はまずあり得ない。それは、八塚の名字を返した母さんにも当てはまる。

でも、不思議と言えば不思議だ。もしこれが八塚の人だけが参加できる行事なら、どうして白い菊を見に付けている人と、つけていない人がいるんだろう。

分からないけれど、儀式の前には帰る身だ。私はすぐに、それを忘れた。

「恵美ちゃん」

「お母、様?」

母さんの口元が、ふっと笑った。いや、そりゃ私だって、いつも通りにお母さんと呼びたいんだけどさ。ほらね、世間様の目がね、あるでしょう?

「あのね、あなたのおばあ様とお話があるのよ。すぐ戻ってくるけれど、しばらくお父さんと一緒に居てくれる?」

「分かったわ」

母さんとしては、自分の目が届かないところに娘がいるのが心配なんだろう。その言葉通り、父さんの近くまで行く。

「おお、恵美。おいでおいで、ここへお座り」

嬉しそうに目を細めるのは、お爺ちゃん。お父さんはどこか困ったように笑っている。

いくらおじい様が可愛がっているお母さんの血を引くとは言え、私は八塚の子供であって、そうではない。周りの大人の視線が、私に集まるのが分かる。何故八塚の家の者ではないあいつに、その視線が雄弁に語ってくる。

なるべく素知らぬ顔をしてみるけれど、うっとおしいことに変わりは無い。一瞬でもいい、この場からちょっと離れられないかな。それか私以外に興味が移って欲しいところだけれど、今のところお爺ちゃんは私に夢中なようだ。学校はどうだのなんだの、ひっきりなしに話しかけてくる。……話すことは、嫌じゃないんだけど。

父さんも、口は挟めない。楽しげに会話するこのおじい様の機嫌を損ねることを、周りの人は一番に恐れている。でも、私がここに居続けるだけでも、彼らは気が気じゃ無くて焦る一方だ。彼らにとって有益な話を、私がいる限りは出来ないからだ。

「そうかそうか。部活は楽しいか。よかったのぉ」

そんなことを考えていたせいか、不自然にならない程度の沈黙で、会話が途切れた。今しかない。

「おじい様、ちょっと失礼します、わ」

「うむ」

慣れない言葉遣いに苦労しながらに告げると、おじい様は女性特有の用事だろう、と言いたげな表情で頷く。それから会話の糸口を探していた周りの大人達に、話しかけ始めた。多分、周りの焦りを、そして私の負担を、もうとっくに気が付いていたのだろう。

「ふぅ……あ、そうだ」

 まだ行事の時間にはならないらしいけれど、今の内にトイレに行かないと、この後抜けだしたりするのも、また大変かもしれない。車を止めてあるところまではそれなりにかかるし、我慢しすぎも良くないだろうし。

広い屋敷だからか、数年ぶりに来る人のためなのか、あちらこちらに張り紙がしてある。トイレはこちら、とか、庭はあちら、とか。

その張り紙に沿って歩いて行った、間違いは無いはずだった。

「あれ? 」

一つ角を曲がった時、私は奇妙な感覚に襲われた。

一族総出の行事というだけあって、人の数は尋常ではない。いくらこの屋敷が広くても、どこかしこにも人がいるくらいには、大勢が詰めかけているはず。なのに、その座敷に、その廊下に、人の気配が無い。

「道、間違えちゃったのかな……」

振り返ろうとして、視界に何かがちらついた。白い、ひらりとした、着物の袖だろうか。誰かいるなら、こっちの方角で良かったんだ、と安心する。

そのまままっすぐ進んでいくと、急に着ているスーツの袖を掴まれた。あまりに突然だったので、声も出せずに振り返る。

music:6

 白い。

 目が痛くなるほど、白い。

 にっこりと笑った口、その奥の舌だけが、赫い。

 白。ぷかりと、その文字だけが、頭の中を泳いでいく。

「よし」

sound:3

楽しげに笑ったのは、白い白い、青年だった。どこもかしこも真っ白な色で、目にしみるほど。

そのせいだったのかもしれない。

「名は?」

「恵美……」

私は、問われるままに、そう呟いていた。

呟いてしまった。

「えみ」

嬉しそうに、青年が繰り返す。その顔を見て、私はひっ、と悲鳴を飲み込んだ。

真っ白な全身の中で、唯一黒い目。その目は、まるでトンボの様な形をしている。なんと言えばいいのか、鼻から上がトンボの顔とでも言えばいいのだろうか。

「……誰?」

かろうじてそう問いかけた、その時だ。

「あら、恵美ちゃん?」

声をかけてきたのは、見知らぬ女性。そちらを振りかえると同時、視界の端から白が消えていく。

music:1

「あ、はい」

「良かった。急に居なくなっちゃって、心配していたのよ。あっ、私、春江って言うんだけどね、貴女のお母さんのお姉さん。知ってるかしら?」

ぺらぺらと話す女性は、私の手を掴んで歩きだした。痛いくらいに、力が強い。

「あ、あの」

「これから白菊の儀があるのよ、滅多にないものだから、見て行ったらどうかしら?」

「しらぎく?」

「ええ、20年に一度しかないの。名字は違えど、八塚の子でしょう? 是非どうぞ」

そう言われて、背中を押される。座敷の中には、女性しか居ない。

そこらに居る女性達に、髪に白い菊を刺される。似合っているわ、と楽しそうに言われて、促されるままに私は座敷の中に足を踏み入れた。

そこには、たくさんの女の子達が座っている。皆、白い菊を身につけて、ただ前だけを見つめていた。驚いたのは、今年生まれたばかりの赤ちゃんまでいることだった。何が行われるんだろう、という興味の方が勝ってしまって、私は促されるままに座布団の一つに座った。

すると、座敷の外が微かに騒がしくなって、すぐに。

「最期の白菊の儀になるのだから、見ておこうと思ってねぇ」

おばあちゃんが、そこに居た。春江、と名乗った女性の顔が、一瞬だけ曇る。しかしすぐ笑顔になると、一番奥の席を示した。後ろに障子戸がある、座敷の真中から外れた席。そしてそれは、私の隣の席でもある。

「では、お母様。そちらにお座りになって」

「ありがとう」

music:6

どき、どき。

私の胸が、跳ねる。

何かとてつもないことが起きそうな、予感だけがしていた。

あの真っ白い青年のことなんて、忘れてしまうくらいだった。

何故この時、青年のことを忘れてしまったのだろう。恐らく、多分、いや確実に。

sound:28

私はこの時すでに、『憑かれて』いたのだ。

つづく

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