長編34
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「貴方は特別です」

仕事の疲労だろうか。最近、頭が痛い。

体調の不調を感じた俺は、の総合病院を受診した。

病院の待合室の硬いソファーに腰掛けながら、何気無く俺は壁に貼ってあるポスター目をやる。

『健康第一! 身体に異常を感じたら即病院へ!』

『日本の病院配置数は世界最高水準です!』

…まぁ、確かに病院は沢山あるわな。

具合が悪くなれば、重症軽症問わず、いつでも病院に掛かれる程の配置はされている。

今日のこの国の、医療体制の発展は目覚ましいほどの速度である。

「⚪︎⚪︎さーん、こちらへどうぞー。」

看護師に名前を呼ばれた俺は、診察室に入る。

「風邪ですね。お薬を出しておきます。」

医師の診断結果は、…ただの風邪。

財布と処方箋を背中の鞄に仕舞い込み、俺は病院を後にする。

病院の近くの公園を通った時。蟻の行列が見えた。

小さな蟻が長い行列を作っている。

蟻んこ。虫けら。箒で履いて捨てるのも容易い存在。

こいつらには、個性とか、働くという自覚はあるんだろうか?

俺は溜息を吐く。

何を考えているんだか。蟻に個性なんか、あるわけないだろ?

俺、疲れてるんだな…。

俺の体調不良の原因は、結局の所、仕事のストレスが原因な気がする。

俺みたいな下っ端は、与えられた仕事を粛々とこなしていればいいのかもしれない。

自分の代わりなら、いくらでもいる。

だが、仕事を選べず、拒否権もなく、ただ言われた事をしているばかりだと、心が腐る。

まるで、自分が取るに足らないちっぽけな存在であると自覚させられているようだった。

不貞腐た気分で、俺は公園を後にする。

病院からの帰り道。

ありふれた商店街の、人通りのない路地裏を歩いていた時である。

時刻は既に夕暮れ。空は茜色に染まっている。

俺が夕焼けの空を何気無く仰ぎ見た…、

その時である。

夕焼け空にポツンと一つ、小さな赤い光の塊が見えた。

…?

…なんだあれ?

俺は空にある光の塊を凝視する。

一見すると、星の光に見えた。

だがよく見れば、その光の塊は、星の光ではあり得なかった。

動いてるのだ。

放物線を描きながら。

目にも留まらぬ速度で移動と急停止を繰り返している。

…あれは、星じゃない。

じゃあ、なんだ?

飛行機? ヘリコプター?

いや、あんな動きをする航空機など、見たことがない。

じゃあ、あれは、なんだ?

…まさか…、

UFO??? 未確認飛行物体?

ハッとした俺は、急いで鞄を覗き込み、携帯電話を取り出すと、空に向かってカメラを向ける。

だが、俺が再び空に目を向けた時には、既にUFOは、消えていた。

幻だったのか?

俺が空の彼方に消えたUFOの姿を探して薄暗くなったきた空を眺めていた、

その時である。

「貴方は『選ばれた者』です。』

突然、声がした。

唐突な声に俺は驚き、声の聞こえた方向に目を向ける。

そこには、紫色のフードを深々と被ったローブ姿の小柄な人物が、簡素で小さな机と椅子に腰掛けていた。

机の上には、10センチ程の黒っぽい水晶が置いてある。

「貴方は『選ばれた者』です。」

フードの人物が、再び俺に向かって声をかける。

…選ばれた者? 何を言っているんだ?

「あんた、誰だ?」

「ただの占い師でございますよ。」

…なんだ、占いか。

選ばれた云々も、ただの客引き文句なのだろう。

「宜しければ私に、貴方の未来を描かせては頂けないでしょうか?」

占い師が、老婆とも中年男とも判別のつきにくい声で俺に語りかける。

「いったい俺の、何が『選ばれた者』なんだ?」

UFOの目撃と、突然の占い師の登場で、少し動転していたのかもしれない。

俺は、占い師の胡散臭い会話に付き合ってしまった。

「貴方は、自分の存在など取るに足りないちっぽけな者だと感じているのでしょう?

貴方が何をしようと、世間は何も変わらず、世界は貴方とは無関係に動いていく、そう思っているのでしょう?

そんな事はありません。貴方には、世界を変える才能があるのです。

そう、貴方は、『選ばれた者』…十把一絡げの大衆とは違う、【特別な者】なのです。」

…特別な者…。それは仕事で病んでいた俺の耳に心地いい響きだった。

「俺が、特別だって? 何か証拠があるのか?」

「では、今から貴方が特別な存在である事を、証明します。

さぁ、この水晶を覗いて下さい。そこから、全てが変わるのです。

貴方は、世界の真の姿を目にするのです。」

俺は、占い師の言葉通りに、机の上の水晶を覗き込む。

…奇妙な水晶だった。

それは、妙な形をした多面体だった。だが不揃いな大きさの切子面を数多く備えており、歪な十面サイコロのようでもある。

色は、真っ黒い…というよりも、まるで闇夜のように黒々としている。

「明日より貴方は、世界の真の姿を垣間見ます。貴方の中に在る『特別』が、貴方だけに世界の真の姿を見せるのです。」

彼方から、占い師の声だけが聞こえる。

…俺の、『特別』?

突然、視界が暗転した。

その暗闇の中に、何か蠢くモノがいた。

黒光りする軟体生物。

うねり蠢く触手の塊。

顔面に穿たれた漆黒の孔。

それは、只々、ただ只管に、あれは、

『名状し難い怪物』

だった。

「我々を、救って下さいませ。

邪悪な者の支配から、我々を解き放って下さいませ。」

意識の途切れる寸前、占い師の声が聞こえた気がする…。

はっ!!!

俺は眼を覚ました。

見慣れた天井が見える。

俺の部屋。俺の家。俺の日常。

…。

…。

俺は何をしていたんだっけ?

昨夜、どうやって家に戻ったのか、記憶が曖昧だった。

確か、昨日、病院に行って…、

えっと…、UFOを目撃して、

占い師に声を掛けられて、

で、水晶を覗き込んで…、

それから後の事は、覚えていない。

無理矢理に思い出そうとすると、激しい頭痛がする。

だが、忘れた記憶の中でも鮮明に覚えている事もあった。

占い師の言葉だ。

占い師の言った、意味不明の言葉の数々。

『貴方は選ばれた者。特別な者』

『貴方は世界の真の姿を見る事になります』

…真の世界を見る?

支配からの解放云々とか言っていたが…。

俺は洗面台の鏡を覗き込む。

だらしのない寝癖と無精髭以外は、いつもの俺だった。

バシャバシャと顔を洗い、仕事の向かう身支度を整える。

何の変哲も変化も起きる事の無い、普段で普通に繰り返される当たり前の日常が、今日も始まる。

…。

…始まると、思っていた。

出社のために街に出て、人混みの中で、

俺は、世界の変化に気付いた。

俺の視界に、奇妙なモノが映っている。

交差点を歩く様々な人々。

仕事に行くスーツ姿のサラリーマン。。

学校に向かうセーラー服の女子学生。

ランドセルを背負う少年。

それだけなら、日常の光景だ。

違うのは、その道行く人達の幾人の姿が、

変貌していた。

人の姿では、無くなっていた。

まず、頭が巨大に膨れ上がっている。普通の人間の三倍はあった。

その巨大化した頭に吸い取られたかのように、体に相当する部分は小さく萎んでいる。

頭だけで、頭身の四肢分の一を占めているのだ。

しかも、萎んだ体にくっ付いている手足は、細く長くなり、さらにその体型のアンバランスさを際立たせている。

そんな体型の人間が、スーツやランドセルを纏いながら、頭部をユラユラと揺らして歩いているのだ。

更に大きな特徴があった。

それは、眼、である。

顔面の中で、目だけが肥大化しており、しかも、真っ赤だった。

血のように真っ赤な目をギョロギョロとさせながら、何食わぬ顔?で、街を歩いてるのだ。

その異形の姿は、…吐き気を催す程に気持ち悪く、醜かった。

道ゆく人の全てがその異形の姿をしてるわけではなく、せいぜい100人に1人ぐらいに割合だろうか?

だが、その異形の姿の人間に気が付いているには、どうやら俺だけのようだった。

なんなんだこれは?

何が起きているんだ?

何故だか、過去、何処かで俺はその異形の姿を見たことがあるような気がした。

会社に着いた。

社内にも、人間が何人か存在していた。

挨拶をすれば、普通に返事が返ってくる。

受付の女性が、入り口のカウンターで来訪者に挨拶をしている。

椅子に座った同僚が、近くの同僚と親しげに会話をしている。

有り触れた日常の光景。

唯一異なるのは、

そのうちの幾人かが、『醜く変貌した何か』となっているという事実だけ。

それはまるで、当たり前の日常に、異質な者が紛れ込んでおるような…、

体内に異物が混入しているかのような…、

そういう生理的に不快な感覚を連想させるものだった。

「おい、顔色悪いぞ! 大丈夫か?」

普段と異なる光景を目の当たりにして意気消沈していた俺に、同僚の✳︎✳︎が声を掛けてきた。

「そういや、風邪っぽいとか言ってたよな…。ちゃんと病院に行ったのか?」

明るい✳︎✳︎の声に、俺は顔を上げ、手を振り「大丈夫」のジェスチャーを返す。

俺にとって✳︎✳︎は、社内で唯一の友人だった。

「病み上がりなんだから、あんまり無理するなよ。」

そう言って、✳︎✳︎は自分のデスクに戻っていった。

友人の遠慮のない声が、俺を安心させる。

そも安堵と同時に、俺の中に好奇心にも似た疑問が浮かぶ。

…いったい、何が起きているんだ?

…あの『変貌した何か』は、なんなんだ?

幾許か冷静さを取り戻した俺は、あの『何か』が何なのかを知る為 に、観察を始めた。

数日間の観察の後、

気付いた事がある。

むしろ、気付きたくなかった。

だが、一度違和感に気付いてしまえば、それらは確実に目に入ってしまう。

あの、醜く変貌した人間は、『何か』は…、

異常だった。

『何か』となった受付の女性。

彼女?を観察していて、気付いたことがある。

受付の女性は、膨れ上がった顔で、来客者に爽やかな挨拶をしていた。

だが、ひとたび周囲に誰もいなくなると、一転して表情が変貌する。

その表情は無表情どころではない。

能面のような顔で、周囲に眼を向けている。

それは無表情はまるで、膨れ上がった頭部に人の皮を顔をへばり付かせただけのようだった。

再び来客があれば、彼女は、先程と同様に笑顔で爽やかに挨拶をする。

先程と寸分違わぬ笑顔と声と抑揚で。コピーのように。

そしてまた、無表情に戻る。

その姿は、「受付の女性」という役割を演じるだけの、『何か』だった。

近所の公園で、『何か』の」姿をした子供が、犬を殺していたバットで殴りつけていた。子供は、何度も何度もバッドで犬を殴る。

既に犬は口から血を吐き、力無く横たわっている。

数分の殴打の後、子供は倒れる犬傍に寄り添い、膨れ上がった頭を下げると犬の体に押し当てる。

そして再び、血に塗れたバットを振り下ろす。ダメ押しとばかりに。

『何か』の姿をした同僚の男性。

他の同僚との会話が終わると、受付の女性同様に無表情になる。

暫くすると、男性は口元をモゴモゴと動かし始める。

何かを食べているのか?

男性の手元には、ありふれたお菓子の袋が握られている。

男性が袋の中から、黒っぽい小さな何かを摘み上げ、口に放り込む。

シャクシャクとした咀嚼音。

黒っぽい小さな何かには、細い手足が生えていた。

それは、台所で時折目にする、あの害虫に酷使していた。

俺は気付く。

「奴らは…、あの『醜く変貌した何か』は、人間じゃない!」と。

違和感は、日に日に増していく。

精神的にではない。

視覚的に、現実的に、増していくのだ!

肥大化した頭を持つ『何か』は、日を増す毎に、その数を増やしていくのだ!

最初は、100人に一人ぐらいだった。

だが、今では50人に一人程になっている。

そのペースはゆっくりだった。だが確実に『何か』はその数を増やしている。

そして、一見普通の人間と変わらないように日常を過ごしている。

自らを人の生活に無理矢理に溶け込まさせているかのように。

けれど、その異質な存在に気付いているのは、俺だけだった。

朝の駅。混雑するホーム。

電車を待つ人の群れ。

その中にも、巨大な頭部と肥大化した赤い目をギラつかせる『何か』は、数多く紛れ込んでいる。

プォー

駅に電車が到着する。

その時、事故が起きた。

背広姿のサラリーマンが、線路に飛び込んだのだ!

うわー! 飛び降りを目撃した者の叫び声!

キキィッ! 急停車する電車!

混雑と急停止に蹌踉めき混乱する人々!

その中で、俺は見た。見てしまった。

セーラー服姿の『何か』が、…サラリーマンの背を押したのを!

何の躊躇いもなく、線路に落下させたのを!

そのセーラー服の『何か』は、何気なく、日常行為のように、人を殺した。

だが、その『何か』は、押す前も押した後も、人を殺した後も、全く動じる事はなかった。

無表情のままで、赤く輝く瞳で、、

線路の上で五体バラバラになったサラリーマンの死骸を見つめている。

その行為を見て、俺は理解した。

あの赤い視線の意味に。

あの目は、「観察」をしているのだ。

俺が日頃からこっそりと奴ら『何か』を観察していると同じように。

奴らも、人間を、観察しているのだ!

人間が、どうやって生きているのかを、

どのように死ぬのかを、

観察しているのだ!

俺は恐怖を感じる。

同時に、自分の浅はかさに気付く。

日常に紛れ込む、何の躊躇いもなく、無感情に人を殺せる『何か』存在。

それは、自らに忍び寄るかもしれない、死への恐怖。

俺も、奴らに…『何か』に、殺されるかもしれないのだ!

何気無く、日常生活の延長線にあるような気軽さで。

その日から俺は、『何か』の観察を止めた。

俺が『何か』の存在に気付いている事は、絶対にバレてはならない。

バレたら、今度は俺が殺されるかもしれないのだ。

だが、観察を止めたとて、奴らの奇異な行動は、嫌でも目に入る。

奴らが俺を見つめている。視線を向けている。血塗れたような真っ赤な瞳で、俺をギョロリと凝視している。

例え視線に気付いても、俺は気付かないふりをする。

そうしなければ、生き残れない。

俺は震える手足が悟られないように、黙々と息を殺しながら、仕事に没頭するふりをする…。

『何か』が見え始めて一週間が過ぎた。

俺の周囲に、新たな変化が生じた。

友人の✳︎✳︎が、入院したのだ。

会社の階段から転げ落ち、救急車で病院に運ばれた。

その日の夜。心配する俺の元に、✳︎✳︎から電話があった。

「いや〜、まいったまいった。右足が折れてんだとさ。で、明日手術するんだと。」

✳︎✳︎の声は明るい。

だが、他の患者に遠慮してか、声は小さい。

「リハビリも含めて、一ヶ月間程の入院になるらしいぞ。会社の皆んなには迷惑かけちまうから、謝っておいてくれな!」

✳︎✳︎に声に安堵した俺は、仕事の事はまかせておけ! お前はしっかり療養してこい!と励ます。

「…実はな。大きな声では言えないんだけど…。」

唐突に、✳︎✳︎の声が曇る。

「俺、押されたんだ。後ろから急に。トンってさ。で、階段から落ちたんだ…。」

押された?

「ああ。俺は、誰かに、突き落とされたんだ…。」

俺の脳裏に、先日の駅のホームでの出来事が思い出される。

気のせいだよ。俺はそう✳︎✳︎に返事を返す。

だが、言葉とは裏腹に、俺の心中は穏やかではない。

言葉にできない思考が頭を支配する。

まさか、

まさか、奴らは、✳︎✳︎を殺そうとしたのか?

だが、何のために?

仮にもし本気で殺害するなら、階段から突き落とすなんて方法では確実性に欠ける。

「変な事言って悪かったな。まぁ、気にすんな!。」

そう言う✳︎✳︎の声は、相変わらず明るかった。

だがその声は、普段に豪胆な✳︎✳︎と違い、僅かに震えていた…。

三日後。

✳︎✳︎が出社した。

予想に反して、✳︎✳︎は包帯一つ巻いていない。

確か三日前の電話では、一ヶ月は入院しなければならないと言っていた筈だが…、

元気になったのなら、それに越したことは無い。

俺は✳︎✳︎に、退院が早まって良かったな、と声をかける。

「た…いいん、早まった? 見た目通り… どこも普通、だぁよ。普通の筈だぁよ? 何かおかしいかな?」

✳︎✳︎の返事が、何か奇妙だ。

噛み合っていないというか、認識に差があるというか…。

そんな✳︎✳︎が俺に視線を向ける。ジッと見つめる。凝視する。

それは、どこかで見た事のある視線だった。

「あ、ああそうだ。俺は、入院してたんだな。うんうん、そうだった。」

✳︎✳︎が、やっと俺にまともな返事を返した。

だが、その表情には全く人間味はなく、能面のような顔をしている。

「いやー、大変だったよ。

心配かけたね。怪我には気をつけないとね。でも怪我の心配なんてもうどうでもいいか。それより気をつけなきゃいけないのは、病気。そう病気だよ。人間の内臓の中だけでも300種類も細菌が巣食ってるんだ。本当に気持ちが悪いよ。ぬるりとした腸の中には汚らしい細菌がびっちりだ。でも仕方ないよね、我慢しなきゃね。それが僕らの目的なんだから。うん。しなきゃならないんだ。」

✳︎✳︎が突然、機関銃のように喋り出す。

言葉になっているが、意味がわからない。

無表情にままで、ただ言葉を羅列する機械のように、口元だけが酸欠の金魚のようにパクパクと意味不明な台詞を並べ立てている。

「えーっと、君は⚪︎⚪︎だったよね、合ってるよね? 俺、いつも通りだよね?

おかしくないよね?

おかしくないよね?

おかしくないよね?

おかしくないよね?

おかしくないよね?

おかしくないよね?

おかしくないよね?

おかしくないよね?

おかかかかしくなないないいないいよね?

おかいsこかいsくおあきすおかいkすかうきかおきあうsく

ハハハハハはははははははははははははははははははハハハハハははははははっはは」

✳︎✳︎が、壊れたテープレコーダーのような奇怪な音声を発する。

その✳︎✳︎の突然の変貌を、俺はただ呆然と見つめることしかできなかった。

その直後、

✳︎✳︎の動きと声がピタリと止まった。

いつも間にやら、✳︎✳︎の後ろに、同僚のサラリーマンがいた。

例の、『何か』の姿をした同僚だ。

「✳︎✳︎君は、まだ調子が悪いみたいだね。僕が向こうで休ませてくるよ。」

そう言って、✳︎✳︎を連れて、血塗れの同僚は部屋の奥に消えていく。

当の✳︎✳︎も、ギクシャクと歩きながら、血塗れの同僚に付いていった。

次の日から、

✳︎✳︎は、

歪で巨大なゴム風船に✳︎✳︎の顔を貼り付けただけの、

『何か』と同じ姿になった。

✳︎✳︎は、会社復帰当初の事など忘れてしまったかのように、黙々と働いている。

ふと時々、動きを止めて、無表情に周囲を見渡し、また作業に戻る。

既に「見た目だけなら」立派な✳︎✳︎になのだろう。

だが、中身は全く別のモノだとうことは、俺だけが知っている。

ある日、✳︎✳︎が書類裁断用の切断機で、指を切ってしまった。

近くにいた俺は、✳︎✳︎に、大丈夫かと声をかけようとして、

だが、✳︎✳︎の手を見た俺は、愕然とした。

よく見れば、✳︎✳︎の右手の小指と薬指の二本の指が、裁断機でバッサリと切り落とされていたのだ!

だが、✳︎✳︎は、叫び声一つ挙げず、平然と床に落ちた自身の二本の指を見つめている。

そして、残された左手の指で無造作に床の二本の指を摘み上げると、

右手指の切断面に、切り落ちた指を押し付ける。

血は、ほとんど出ていなかった。

その時、俺は目にした。

✳︎✳︎の細い腕にある血管が、異常な程の動きで脈打つのを!

血管だけが、まるで別の生物のように腕全体を蛇のように蠢くのを!

数秒の後、指は元通りに、右手にくっ付いていた…。

その光景を、俺は唖然と見つめる。

✳︎✳︎は、唖然としている俺を振り向いて、

「今見た事は、内緒だよ。」

と、一言。

俺は、頷くしかなかった。

「それよりも、君に聞きたい事があるんだ。今から屋上に行こう。」

✳︎✳︎そう言われ、俺は、拒否もできず、半ば強引に、会社のビルの屋上に連れて行かれた。

5階建てのビルの屋上。

昼休みも過ぎたこの時間では、誰もいない。

屋上の端で、✳︎✳︎が僕に語り掛ける。

「気付いているんだろ? 僕らに。」

俺は声が出ない。

「彼の脳髄には、君の記憶がたくさんある。

君は、そう、彼にとって、うん、いい奴、そうだ、友人という存在なんだろ?

その友人が、彼の…いや、既に『僕らの』、か。

僕の変化に気付かないわけがないからね。」

ゴクリ。俺は唾を飲み込む。

だが、口の中は既にザラザラに乾き、上手く飲み込めない。

手足は無意識にガタガタと震えている。

俺は、ここで、殺されるかもしれないのだ。

「けどね、気になる事がある。」

なんだ?

「君は何か…他の人間と違うものを感じる。君は、一体、何者だ?」

? ✳︎✳︎は、何を言っているんだ?

俺が、他の人間と、違う?

「ふむ。君自身には身に覚えがないのか。下等劣種は個人記憶を遺伝情報媒体に転写できないのだったね。それじゃあ仕方ない。

…連れて帰ろう。」

目の前の✳︎✳︎の体が震えるのが解った。全身の血管が蠢くのが解った。

✳︎✳︎が両手を前方に差し出し、俺ににじり寄ってくる!

俺は叫び声を挙げながら後ざする。だが、フェンスが俺の移動を妨げた!

逃げるには、フェンスを乗り越えるしかない。

だが、落ちて助かる高さではない。

逃げ場を失い、恐怖で足を竦ませた俺は、コンクリートの地面にへたり込んだ。

そんな俺に、かつて✳︎✳︎だった『何か』が迫る!

少しでも現実から逃れたく、俺は自身に生じた恐怖に従い、眼を閉じる!

その時、

変化は起きた。

俺は、無意識に(心の底の声に従って)両手を前に(力一杯)差し出した(突き出した!)。

得体の知れない光が、俺の掌から飛び出した。

数秒後、俺が眼を開けた時。

目の前から、✳︎✳︎が、消えていた。

俺は、自分の掌に目を向ける。

…普段の手だ。何も変わらない。

だが、その掌は、今まで感じたことのない熱を帯びていた。

…✳︎✳︎は何処へ行ったのだろうか?

周囲を見渡す俺は、ビルの下の方から、人のざわめきが聞こえる事に気付く。

”飛び降りだ!”

”ビルから人が落ちてきた!”

まさか!

俺はビルを駆け下り、ざわめきの聞こえる場所に向かう。

そこで俺が見たものは、

ビルを囲む数本の鉄柵に、

身体を貫かれた、

✳︎✳︎の、

無残な死体だった。

✳︎✳︎の死体を目にした俺には、通行人に囲まれた、かつて✳︎✳︎だったモノの死体を、ただ呆然と眺めることしかできなかった。

✳︎✳︎の死体は、手足を投げ出した大の字の姿勢で天を仰いでいる。

その顔には既に血の気は無く、生きている筈がない事を物語っている。

しかも、驚いたことに、

✳︎✳︎の姿は、以前のものに戻っていた。

元の人間の姿に戻っていた。

…✳︎✳︎は、死んでやっと、✳︎✳︎に戻れたのかもしれない。

けど。

俺の心は暗い。

俺の手に残る、得体の知れない力の残滓。

心の底から聞こえた、謎の声。

✳︎✳︎は、死んだ。

だが、✳︎✳︎を殺したのは、俺自身なのかもしれないんだ。

俺は再び✳︎✳︎の死体に目を向ける。

数本の鉄柵に貫かれた死体からは、大量の血液が流れて

流れて…

流れて、いない?

✳︎✳︎の死体の下には、確かに✳︎✳︎から流れ出たと思わしき血液がある。

だが、明らかに、その量は、少なかった。

全身を貫かれた筈なのに、✳︎✳︎から流れた血は、明らかに少ないのだ!

キィィィン!

俺の脳裏に、鋭い痛みが奔る。

『 』

脳内に直接、声が流れてくる。

『 き 、 げ 、 か… 』

何を言っているんだ?

俺は周囲を見渡す。

人通りのない、薄暗いビル裏に、何かが、いた。

それは、液体だった。紅い血溜まりだった。

それは、✳︎✳︎から流れ出た、

血液、

だった。

血液が、次第に泡立ち、盛り上がる。

真紅色のスライムの如くうねり、何かの形を作っていく。

紅の液体に、目玉が出来た。灰色の瞳。

その瞳が、俺を見ている。見つめている。

あの視線で。

その紅い塊が、俺の脳に語りかけてきたのだろうか?

それは、

その真紅の塊は、

人の形を造っていった。

それは、

紅い人型だった。

だが、小さい。妙に小さい。小学生より小さい。

人型ではあるが、明らかに、人間とは異なる姿をしている。

頭だけが、異常に肥大化している。

手足が異常に細い。

それでいて、指は細く長い。

その指の長さも、腕程もある。

下腹がポッコリと突き出ている。

だが、人の形との最大の差異は、やはりその頭部だ。

頭身の半分を、頭部が占めていた。

巨大な脳味噌が透けて見える。

脳髄の紅く脈打つ姿が、ゼリー状に透けた頭部から伺える。

頭部には巨大な眼がある。

真紅の瞳孔が、

黒く煌めく瞳が、

感情の伴わない眼隣が、

顔面の大部分を占めている。

その姿に、俺は、見覚えがあった。

そう。思い出した。

いや。思い当たった。

『醜く変貌した何か』を始めて目にした時、俺は、過去、その姿を見たことがある気がしていた。

その姿は、

幼い頃に、テレビ番組で、

胡散臭い暴露本で、

様々はメディアで目にした姿だった。

それは、

グレイ。

エイリアン。

リトルグリーンマン。

様々な呼び名はあるが意味する所は、

唯一ただ一つ。

【宇宙人】

それが、俺の視界の先にいた。

✳︎✳︎の死体から抜け出た『真紅の【宇宙人】』は、俺に言った。

『きみ 原 …怪 … か』

そう言って、『真紅の宇宙人』は再び身体をドロリとした液状に変化させ、排水溝にぬるりと消えていった…。

俺は確信した。

人間になりすましていた『何か』の正体を。

それは、あの、血の色をした…『真紅の宇宙人』だったのを!

奴らが、人間に成りすまして、

違う。

あれは、寄生だ!

奴ら『何か』は、血液のような液体となって、人間に寄生しているのだ!

そうやって、社会に紛れ込んでいるのだ!

自分とは別の意識を持った液体が、まるで寄生虫のように、血液として身体中を流れている。

その寄生血液は、

自分の腕を、足を、脊髄を、神経を、内臓を、心臓を、脳味噌を、…身体中の隅々まで…。

ウ ウプ……オエェ…。

その想像に、その不快さに、俺はその場で激しく嘔吐した。

その日の夜。

俺は疲れた頭を抱えながら、夜道を一人歩いていた。

俺の頭は混乱の極みだった。

✳︎✳︎…いや、かつて✳︎✳︎だったモノの死。

✳︎✳︎に寄生していた『真紅の宇宙人』。

そして、

✳︎✳︎を吹っ飛ばした時に聞こえた、俺の中の何か。

力無く歩く俺が、路地裏に差し掛かった時だった。

「世界の真実は、見えましたか?」

聞き覚えのある声が聞こえた。

俺は声のした方向をバッと振り向く。

そこには、俺の目の前には、あの占い師がいた。

俺は、占い師に向かって声を荒だげ問い詰めた!

「あれはなんなんだ!!」と。

占い師は答える。

「あれは『我らの敵』です。」

敵?

あの…、宇宙人の様な姿をした『何か』が、敵?

「そうです、あれは、世界の支配を目論む、『敵』です。」

世界? 支配?

この占い師の言葉は、出会ったその日から、全く意味が解らない。

だが、俺の疑問など意に介すことなく、占い師は言葉を続ける。

「貴方は選ばれし者です。

貴方は、『我らの敵』と闘う運命にあります。

その力の片鱗を、既に貴方は感じた事でしょう。

貴方は戦わねばなりません。

貴方に更なる力を授けましょう。

それは『我らが神』の力。

そう、貴方は『我らが神』に選ばれた、特別な存在。我らの救世主なのです。』

そう言って、占い師は俺に再び多面体の黒水晶を翳す。

見たくない!

あの黒水晶を目にした時から、全てが変わったのだ!

俺はその黒く輝き始める黒水晶から、目を背ける。

だが無駄だった。

(見るんだ)

俺の中に巣食うモノの声が語り掛ける。

その声に俺は既に逆らえない。

黒く煌めく光に包まれた。

俺の心の底で、『名状し難い怪物』が蠢いたのが解る。

黒い煌めきが消えた時。

占い師は、俺の前から再び、消え失せた。

✳︎✳︎の死と、占い師との再会から、数日経過した。

俺は、『何か』から、

いや、『真紅の宇宙人』から身を隠し、自宅に篭っていた。

近所のコンビニで食料を買い込む以外は、俺は自宅から外に出ていなかった。

誰にも会いたくない。外の誰かに関わりたくない。

だが、そんな俺の心情とは別に、俺の心底に宿る『怪物』は、変化を求めた。

真夜中、ふと目を覚ました時だ。

気付いたら、俺は自宅の狭い庭にいた。

両の腕を高々と、真っ黒な夜空に向かって挙げている。

その姿はまるで、自分をアンテナにして夜空の誰かと交信しているようだった。

何の為に?

記憶に無い。

時計を見れば、先程に時間を確認した時から、五時間が経過していた。

五時間分の記憶が飛んでいる。

もう何度も、こんな事を繰り返している。

会社から電話が掛かってきた。

長々と欠勤を欠勤をしているのだ。当然だろう。

電話口の向こう側で、俺を気遣う上司の言葉が聞こえる。

"大丈夫かね? いつから出社できそうかね?"

聞きなれた声の筈なのに、今日の上司の声は、どこか違っていた。

電話だからか?

いや、違う。

もしかしたら、この上司も既に、奴らに成り代わっているのだろうか?

だったら、長々と電話をするのは危険かもしれない!

俺は上司の優しげな声を遮るように、返事を返す。

「下賎な神を語る仮初めの者の尖兵よ。貴様らに語る言葉など我の中には微塵も存在しない。貴様ら如き新参者が星の理を得ようなど無駄な事。我ら真なる神こそが偉大なる大地の支配者なり。」

そう言って俺は、電話を切る。

電話を切る寸前、"君は何を言っているんだね?"と言う上司の声が聞こえた。

今、俺は何を言っていた?

今のは、俺が喋ったのか?

解らない。それすら既に、覚えていない。

だが、解っている事もある。

ナニカガオレヲシハイスル…

それだけは、確実だった。

夢を見た。

闇に潜む、怪物の夢だった。

その怪物の姿を、俺は見た事があった。深淵の闇の如き暗き暗黒の口腔。黒くうねる体躯。無数の巨眼が鈍く光る。醜く蠢く無数の触手。

それは、『名状し難い怪物』。その怪物が、闇の底にある罅を破り、その汚らわく滑り輝く体躯が躍り出る。

…。

ハッ!!

…眼が覚めた。

夢、だったのか…。

未だ夢から覚めぬ鈍い四肢の感覚が身体を支配している。

その四肢の重みが、現実感を俺に与える。

…深く黒い穴の底で蠢く塊。

それが、俺の中から這い出ようとしていた…。

夢で、良かった。

チクリ…

その時。俺は胸に痛みを覚えた。

虫にでも刺されたか?

俺はシャツを捲りあげ、胸元に眼を向ける。

瘤があった。胸の真ん中に、大きく歪で真っ黒な、瘤があった。

なんだこれ? いつできたんだ?

ボコリ

俺の10㎝程の眼前で、黒い瘤が盛り上がる。

ボコ…ボコ…

瘤が脈打つ。生き物のように蠢く。

生き物?

瘤の中に生き物?

何かが俺の中に巣食っている?

それが今まさに、俺の胸を突き破ろうとしている?

う、うわぁぁぁぁぁ

恐怖。不快。寒気。様々な負の感情が俺を包み、叫び声を挙げる。

だが声は出ない。言葉にならない。声帯すらも支配されている。

ブチョン。

血と肉の弾ける不快な音が文字通り胸貫く。

捲れ上がった瘤の穴から、何かか覗き見えた。

それは、無数の触手を持った赤黒く濡れる塊だった。

蠢く塊が、俺の胸の穴から這い出ようとしている! 塊が、俺を見た。胸の穴から血塗れの半身を出して、陸に上がった魚のようにビチビチと蠢きながら、蛸のような烏賊のような長細く丸みを帯びた頭を擡げ、俺を見上げる。顔と思わしき場所には暗く深い穴が開き、幼子の様な歯がほんの僅かに生え揃っていた。

チィュミミィミミィミミンンンン この世の生物とは思えぬ鳴き声が、穴から聞こえた。

ハッ!

俺は眼を覚ました。

寝床に体を預けながら、俺は恐る恐る周囲を見渡す。

化け物は、いない。

…夢、だったんだよな?

俺は服の上から胸に触れ、シャツを捲りあげる。

穴は開いていない。

俺は安堵する。

夢だったんだ…。

だが、胸に触れる指先に違和感を感じた時、安堵は再び恐怖に変わった。

胸の真ん中に、小さな小さな、瘤がある。

今まで、そう、確かに昨日はこんな瘤はなかった。

では、この瘤は、なんだ?

チィュミミィミミィミミンンンン

俺の中に巣食う化け物が、鳴き声を挙げながら、小さく蠢いた。

そんな気がした。

二日後。

俺は鏡に胸の瘤を映す。

瘤の大きさは変わらない。

だが、夢に出てきた怪物の姿を俺は片時も忘れることが出来ず、脳裏に焼きついている。

俺は不安で仕方なかった。

不安どころではない。それは恐怖だった。

【俺が『俺じゃない物』に変貌していく】

もしかしたら俺は、あの『真紅の宇宙人』に寄生された人間のように、知らず知らず自分という存在から別の物に変貌してしまうのではないか?

自分が自分ではなくなり、あの『怪物』に変貌していくのかもしれない。

それが俺の抱える不安と恐怖の正体だった。

その不安と恐怖に、俺は押しつぶされそうだった。

そして、不安と恐怖に覚える日々も、俺の精神力も、すでに限界に達していた。

俺は、自分の指先をカッターで切り裂いた。

切り裂かれた指先から、トロリとした血液が溢れる。

…普通の血液だった。

『真紅の宇宙人』でなはい。

安堵と同時に、疑問は大きくなる。

『醜く変貌した何か』の正体は、血液の姿で人に寄生する『深紅の宇宙人』の姿をした何者かだった。

だが、俺の体の中にいる『怪物』は…、夢で見た、触手の怪物の持つイメージは、『深紅の宇宙人』の姿からは、かけ離れている。

とても同じモノだとは思えない。

…俺は、俺を脅かすのモノの正体を見極めねばならない。

それを知らねば、この不安と恐怖からの解放など、ありえない。

『真紅の宇宙人』の正体。

奴らは何者で、何がしたいのか?

俺の身体に巣食う『怪物』の正体。

きっかけは、あの占い師だ。

占い師は言っていた。

あの『真紅の宇宙人』は、『我らの敵』だと。

『世界を支配しようとする敵』だと言っていた。

そして、俺には、その『敵』と戦う力がある、と。

俺の中の『怪物』が、その力なのか?

俺の中にいる『怪物』の力があれば、『真紅の宇宙人』の支配に対抗できるのか?

意を決した俺は、自分の体に巣食う『怪物』が何なのかを知るために、近くの総合病院に診察の予約を入れた。

俺が住んでいる街では最大の規模を誇る総合病院。

一ヶ月ほど前に風邪を患い受診した病院でもあった。

一月ぶりに病院を訪れた俺は、

その病院の変化に、驚愕した。

俺には『真紅の宇宙人』に寄生された人間が解る。

寄生された人間は、頭部を肥大させた『何か』になる。

脅威ではあるが、それは既に驚く程の事ではない。

俺が驚いたのは、

病院の建物の近くにいるほぼ全ての人間が、その『醜く変貌した何か』になっていたことだった。

出入りしている患者も、待合室に座る人間も、その殆ど全てが、『何か』となっていた。

だが、驚愕はそれだけでは終わらなかった。

俺が病院の中に足を踏み入れた時だ。

更なる驚きが、恐怖があった。

白衣を着た医師。

ピンクのユニフォームに身を包んだ看護師。

スーツの事務員。

全ての病院関係者が、

誰一人例外なく、残らず『何か』となっていた。

巨大化した頭。そんな表現すら生温い。

手足は、更にあり得ないほど細く長く変形し、指先すらも人のサイズを超越している。

頭はブヨブヨとした巨大な紅いゼリーの塊に包まれ、人の顔の痕跡すら溶けている。

病院関係者の姿は、まさに、人間大の、エイリアンと化していた。

俺には、その恐ろしい光景が、変貌が、ハッキリと見えた。

その変貌した院内の光景を見て、俺は気付く。

更なる変貌を遂げた病院関係者。

周囲を取り巻く『醜く変貌した何か』となった人間。

そうなんだ。

この病院は、

既に、

奴らの拠点となっていたのだ!

驚愕する俺の視界に、待合室のポスターが目に留まる。

それは、先日、風邪をひいた時、この病院で目にしたポスターだった。

俺の背筋に、冷たい汗が落ちた。

胸の奥が、冷える。血の気が引く。

まさか。

まさかまさか、まさか。

診察を受ける事なく、俺は病院を飛び出した。

俺の頭に、ある一つの答えが浮かんだ。

だが、その答えを受け入れるには、まだ事実が足りなかった。

確認せねばならなかった。

俺は急ぎ、街中の別の病院に向かった。

街の反対側に位置する国立の大学病院。

患者の数では街の総合病院には及ばないが、設備も医師も整っているし、地域に密着した病院である。

その病院は✳︎✳︎が骨折して手術の為に入院した場所でもあった。

そして、その大学病院も、

既に奴らの支配下にあった。

病院関係者は残らず変貌し、病院の近隣にいる住民の殆どが『何か』となっていた。

そのまま、俺は街中の病院を駆け回る。

そして、

全ての病院が、奴ら『真紅の宇宙人』の巣窟となっていることを知った。

各地の病院で、目にしたトラックがあった。

【国際血液センター】

トラックの看板には、そう記されている。

『健康第一! 身体に異常を感じたら即病院へ!』

『日本の病院配置数は世界最高水準です!』

病院は、血液を扱う。輸血をする。

そして、奴らは、血液に姿を変えて、人間に寄生する。

俺は、✳︎✳︎を殺した『真紅の宇宙人』に、

世界を支配しようとする奴らに、抗う術を求めた。

だが、なんてことはない。

考えるまでもない。

世界はすでに、『真紅の宇宙人』に支配されている。

医療を支配すること。

医療に力を入れない社会など、国など、あり得ない。それは人の社会の根幹と共に常にある。

つまり、医療を支配することは、世界の支配したのも同然なのだ。

そんな巨大な『敵』に、俺が敵う筈など、ない。

…俺の希望は潰えた。

打ちひしがれた俺は、コンクリートの地面に向かって力無く膝を付く。

突然、聞き覚えのある声が聞こえた。

「あれら我らの敵。貴方の敵。貴方は戦わねばなりません。今昔の神々の戦い。その先陣となる勇者。それが貴方なのです。」

フードを目深に被るその人物…それは、例の占い師だった。

一度目は、俺に奇妙な水晶体を見せ、

二度目には、俺を救世主と呼び、

そして今、三度目の今再び、占い師が俺の目前に現れた。

ざらつくアスファルトに掌と膝を付いて這い蹲りながら、俺は占い師に向かって叫ぶ。

「一体俺に何をした! あれは…、あの宇宙人もどきは、なんなんだ!!

俺の中にいる『怪物』はなんなんだ!

もう、わけのわからねえ御託はたくさんだ!!

いい加減はっきり答え答えやがれ!!!!!!!」

と激しく問い詰める。

「解りました、全てをお答えいたしましょう。」

興奮する俺とは対照的に、占い師はまるで動じることはなく、たんたんと、悠々と、時の激情に駆られながら、言葉を紡ぐ。

「貴方の中に宿る存在は、我らの神です。

太古の昔、かつては灰色の彼らと呼ばれた神々は、遥か宇宙の深淵から混沌とした地球の大地に降り立ちました。

灰色の彼らは、海に融け、大地に取り込まれ、炎に身を窶し、風と同一化し、原始の生物と交わり、闇に混ざり、光となり、神となりました。

神は爬虫類の祖を滅ぼし、人類の祖となる猿を導き人を創り、眠りにつきました。

神の時代は終わり、人の時代が到来したのです。

それらも全て神のお導きなのです。

だが、我らの進化には限界がありました。

人は醜く争い、忌まわしい科学の力を持って大量虐殺兵器を生み出し、また科学で遺伝子を弄び、進化を歪に捻じ曲げ、愚かな行為を繰り返す。

そう、我らの進化は間違っていたのです。

そして、我々は再び、神を求め始めます。

人の心の中に、精神の世界に神を求めました。神を精神に宿し、人という愚かな存在を崇高な存在に進化させる術を求めたのです。

全ては悠久の古き神の力をもってして人に新たな進化を齎す為に。

そして我らは手に入れたのです。多くの崇高なる殉教者の命と犠牲と、尊い生贄を持ってして。

その類い稀なる研鑽の果てに、我々は手に入れたのです!

【夜に彷徨うもの】が応えてくれたのです!

神宿る輝く正八面体【輝くトラペゾヘゾロン】を、我らに与えたのです!

我々は、この【輝くトラペゾヘドロン】をもって、人の心に神を宿す者なのです。

それは【信仰】と呼ばれる尊い行い。

そう、我々は、【信仰】のもと一つとなり、神と同種の存在となったのです。

…。

ですが、予期せぬ変化が生じました。

忌々しくも新たな来訪者が、宇宙の深淵から地球に舞い降りたのです。

彼らは、我らの神を【旧神】と呼び蔑み、自らを【新たな神】と偽り、偽りの力…【科学】をもって、愚かな民衆を扇動しました。

奴らは【新たな神】は、【科学】で神を身に宿す術を提示したのです。

結果、我らは進化の手段を巡り、二分化され、対立しました。

蒙昧にも、【科学】が【信仰】に歯向かったのです。

…。

そして、人は、愚かでした。

我ら【旧神】を奉る【信仰】は、【科学】で支配を目論む【新たな神】どもに、蹂躙されたのです。

【新たな神】どもは、医療と呼ばれる呪いをもって、人の身に神を宿す仕組みを作りました。

その結果、我らはさらに追い詰められ、世界の隅に追いやられました。

ですが、我らの手には、まだこの【輝くトラペゾヘドロン】があります。

我々は探しました。

【旧神】は、太古の生物と交わり、そしてその旧神の残滓は、今も人の血脈の中で息づいています。

その血脈を色濃く継ぐ存在を探し続けました。

そして、貴方を見つけたのです。

貴方の血脈には、そして魂には、【夜を彷徨うもの】に連なる偉大な存在が宿っているのです。

そう、正に貴方は救世主なのです。神を継ぎ、【新たな神】による支配からの軛を切る使命を帯びた、特別な存在なのです!」

…。

…。

…。

占い師の長い話が、終わった。

『意味が解らない』

途方もないとか、話が大き過ぎるとか、そんなレベルではない。

『ふざけるな』

あまりの訳の解らなさに、怒りが湧いてくる。涙すら出る。

『俺を巻き込むな』

様々な思考が頭を過る。

暫しの後。

俺は、占い師に背を向けると、自宅に向かって歩き出す。

「あ、あの…」

占い師が俺の背に呼びかけてくる。

「救世主様?」

うるさいな。無視する。

「我らが神の為に、戦ってはくれないのですか?」

鬱陶しい懇願の声。

「嫌だ。」

即答する。

「何故ですか! 貴方は選ばれた特別な存在なんですよ!」

「うるさい!」

「後悔しますよ!」

占い師の言葉に、俺はついに切れた。

「うるさい! 意味不明な話ばかり繰り返しやがって! 旧神だ? 信仰だ? 救世主だ? そんなもの、俺には関係ない!! 俺を巻き込むな!! ふざけんな!!」

俺を溜まりに溜まった不満をぶち撒ける。

「…。」

押し黙る占い師。

再び歩き出す俺に、占い師のポツリと呟く一言が聞こえた。

「あなたもダメでしたか。」

…。

…?

その瞬間、占い師の手に抱かれた多面体が黒く輝き、

輝きの中から出現した数本の太く醜く蠢く触手が、俺の身体中を激しく打つ据えた。

地面に叩きつけられた時、グチャリと腑が潰れる感触を、俺は感じた。

遠くに救急車の音が聞こえる。

「大丈夫ですか! 意識はありますか? 安心してください! 病院に着きましたよ!」

嫌だ嫌だ。やめてくれ。

目を覚ました時。

俺はベッドに縛り付けられていた。

仮に縛られていなくても、臓腑の痛みで俺は身動ぎ一つできなかっただろう。

周囲に足音が聞こえる。

チクリ。

腕に新たな痛みを感じて、俺は少ない力を振り絞って自身の腕を覗き見る。

肘の内側に、針が刺されている。

針はチューブに繋がり、その先には、

輸血用のパックが、繋がっていた。

やめてくれ

俺は声を絞り出す。

だがその声は、誰にも聞こえない。

聞こえていても、誰も反応しないだろう。

真紅の宇宙人が、俺を取り囲んでいる。

巨大な瞳を、俺に向けている。

ヌルリと光沢する細い指先でチューブを弄っている。

「安心しなさい。輸血が終われば、君の身体は修復され、君は特別な存在になれるんだよ。」

嫌だ嫌だ。嫌だよう。

特別なんかに、なりたくない。

普通でいい、普通でいいから。

だからやめてくれ。

嫌だ嫌だ。

ああ、腕が冷たい。

…身体が冷たい。

ああ、何か、奴が、奴らが、体の中に入ってくる。

嫌だ嫌だ嫌だ。気持ち悪い。

やだやだやだやだ。

やだやだやだやだやだやだ…やめてくれ!

ああ、胸が、心臓が、冷たい、寒い、寒いよお。

…。

え?

あれ?

暖かい。胸が暖かい。

…なんで? なんだこれ?

暖かいよ。気持ちいいいよ。

…。

あああああああああ、ああああああああああああああああああああぁあああああああああああああああああ、あうああああああああああいあああああああつあああああああああああいああああああああ!!!!!!!!

熱い!!!

熱い!!!!!!

熱い熱い熱い!!!!

痛い!!!

痛いよおおおおおおおおぉおおおおおおおおおぉおおおっっっぉおおお!!!!

なんだこれ!! なんだこれ!!! なんななんだよこれ!!!!!!

嫌だ嫌だいやだいやだイヤダイヤダ嫌だ嫌だヤダヤダイヤダぁああああ…ああああぅぅぅぅ…あ。

バン!!

白衣に身を包んだ男性と、ピンクのナース服の女性が、

ベッドに縛り付けられたままで爆散した肉塊を前に、話をしている。

「先輩。こちらの男性が、輸血処置中に、なんというか…激しく身体中を揺らして、もがき苦しんだ後…、胸部から頭部にかけて、…弾け飛びました…。」

「ああ、この症状ね。たまにあるんだ。遺伝的な何かなんだろうけど、拒絶反応みたいなものだよ。大したことじゃない。」

「ああ、そうなんですね。良かった。」

「まあ、人間はいっぱいいるからね。一体ぐらい失っても、どうって事はないさ。」

「そうですよね。ええっと、確か、Enough to throw away wearing『掃いて捨てるほどいる』って言いますしね。」

「うん、そうだね。でね、なんか昔ね、M99S696星団の原始怪獣が地球の生物と交わったんだって。その遺伝子を持つ人間が、たまにいるんだよ。で、拒絶反応が出ちゃうわけ。」

「あ〜、あの星団の生物は、相変わらず野蛮ですね〜。」

「今でも、そいつら原始怪獣を崇める人間がいるらしくてね。俺達を草葉の陰から狙ってるらしいぞ〜。」

「きゃー、怖い! 私も夜道に気を付けますぅ!」

「ははは。君もかなり地球の言葉に慣れてきたんだね。」

「まあ、現地に慣れるのも仕事ですしね。」

「確か、地球の現地語で、そんな言葉があったよね。」

「はい。えっと、And follow the Township If you are in Australia『豪に入れば郷に従え』ですね。」

「ああ、そうそう、それそれ。その台詞がこの企画の売りなんだよね!

さて、南宇宙銀河系支部太陽系宇宙局の企画した『地球ウルルン滞在記』もいよいよ佳境だ。もうちょっと頑張ろうかな!」

「はい、先輩!」

夕焼け空の下。

人通りのない道を、一人の女性が歩いている。

「もしもし。」

女性に声をかけたのは、フードを被り小さな机に座る、老婆とも中年男性とも解らない人物。

机の上には、『占い』の看板と、黒く輝く多面体水晶。

驚く女性に、フードの占い師は告げる。

「貴女は、特別な存在です。貴女は、我らの敵と戦う力があるのです。さあ、共に立ち上がりましょう!」

誰かにとっての特別は、貴方にとっての特別だとは限らない。

蟻は、人の社会を理解できない。

人も、蟻の社会を理解できない。

けれど、支配は、できる。

できるのだ。

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