長編11
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三浦異界忌憚ー冷酷ー

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ある日俺の前に、謎の男が現れた。

母ははその男の事をこう呼んだ。

「お父さん」と。

俺には父親というものがいない。

別に、死別とか悲しいものではない。普通に離婚だ。

物心ついたころから、父親の代わりに働きに出ている母親のサポートをしている祖母に面倒を見てもらっていた。

どうやら父親とうちの家族には何かしらの隔たりがあるらしく、母はあまり父親の話をしたがらなかった。

一度だけ再婚の話が出たが、俺が猛反対したためにその話は無しになった。家の中に、他人を入れたくなかったのだ。

それからは再婚の話も出ず、平穏に暮らしていたのだが、ある朝起きて居間へ行くと、彼は当然のような顔をして家族の輪の中にいたのだった。

「涼仁、おはよう。」

かけられた声に応えることもできず、俺はその場に立ち尽くしてしまった。

「…どうした、そんな怖い顔をして。寝ぼけてでもいるのか?」

銀縁眼鏡の奥で薄く笑った目は、俺に何となく冷たい印象を与えた。

どことなく棒読みな口調は、この状況の不自然さを際立たせた。

新聞を広げた祖父も、その隣に座る祖母もいつも通りなのに。

そこに、食事を運んできた母がとどめのように言ったのだった。

「涼仁どうしたの?お父さんの事睨んだりして。」

「お父さん…だって⁉︎」

これが俺の父親だというのか。

「今更何を言っているんだ。お前が赤ん坊の頃から一緒だっただろう。」

そう言って、彼はぎこちなく口角を上げた。

赤ん坊の頃から?冗談だろう。

第一、年齢が若すぎる。

もし俺の父親なら、母が40前半だからそのくらいのはずなのに、この男は30才ほどに見える。

しかも、アルバムにあった写真の父親とは似ても似つかない。

眼鏡こそかけてはいるものの、アルバムにあった顔は本当にどこにでもいる男だった。

しかし、今目の前にいる男は…。

なんと言ったらいいか、普通とはかけ離れた印象を受ける。

切れ長の目元はどこか冷酷そうな光を帯びており、こちらを見られると何だか睨まれているような気になる。顔立ちは整っているが、表情が豊かでない。

つまりは、全体的に不自然なのだ。

「そうだ、涼仁。お父さんも夏休みだから、久々に川釣りにでも行かないか。」

母が「お父さん」と認識する男が、薄っすらとした笑みを浮かべて言った。

「あら、いいわねぇ。そうなさいよ。涼仁もたまには、お父さんと二人で男同士の付き合いってものを楽しんで来なさいよ。」

母は俺の前に焼き魚を置いて、楽しげに笑った。

…いやいや、待ってくれ。

「おかしいと思わないのかよ、母さん。」

母はきょとんとした顔をした。

「え、何が?」

「だ、だって!うちには父さんなんていないだろ?」

居間が静まり返った。

「あんた、何言ってるの?」

母が首を傾げて言った。

「あんたが生まれた時からずーっといたじゃない。大丈夫?熱でもあるの?」

返す言葉もなかった。

俺は2、3度かぶりを振って、後ずさった。

「おかしいのは母さん達の方だろ?俺に父親なんかいない!」

俺はそのまま、いつもの和室へと逃げ込んだ。

座布団の上に腰を下ろし、溜息をつく。

「どういうことだ…。」

今一度、あの男の顔を思い浮かべる。

「…あれ」

その顔に、どこか見覚えのあるような面影を感じて、俺は首を傾げた。

その時、部屋の戸がノックされた。

「涼仁、いるのか。」

あの男の声だ。

「お父さんと二人で川釣り、行きたくないのか。」

妙に芝居がかった、嫌な声だった。

「うるさい、放っておいてくれ!」

「急にどうしたんだ。」

こっちにしてみれば、向こうの方が急だ。

「折角の休みなんだ、たまにはいいじゃないか。」

「…。」

家の中にも俺の味方がいないのなら、いっその事彼と一緒に行って無理にでも正体を聞き出すべきではないか。俺はそう思った。

「ああ…、分かった。分かったよ。たまには外に出る。今準備をするから待っててくれ。」

「そうかそうか。分かった。」

男の気配がやっと戸の前から離れていった。

俺は服を着替え、部屋を出た。

ズボンのポケットに忍ばせたナイフを握りしめて。

「アウトドアも楽しいだろう。」

「…。」

「…あ、ほら。鮎の稚魚だぞ。見えるか?」

「…。」

「にしても全然釣れないな…。」

「…。」

はあ、と、男が溜息をついた。

「涼仁。機嫌がよくないようだが、一体何がそんなに気に食わないんだ。」

「…おっさん誰だよ。」

「何言ってるんだ。お父さんだろ。」

「いいや、違うね。俺に父親なんかいない。」

「何だ、ムキになって…。」

男はしばらく釣り糸を垂らしていたが、全く釣れないのに飽きたのかタモを持ち出して川へ入った。

「…どこに行く」

「ん?あんまり釣れないから、タモで直接掬ってやろうと思って。」

「バカじゃないのか?川魚がタモで掬えるほどトロい訳ないだろ。」

「あ、取れたぞ!」

「何⁉︎」

急いでタモの中を覗くと、体長3センチほどのドジョウが2匹跳ねていた。

「こんなちっこいドジョウが食えるか!」

「うちで飼えばいいだろ。それにちっこいのはお前も同じだろ。」

「うるさいな、黙れ!」

「本当に口の悪い奴だな。」

全く誰に似たんだか、と呟き、男はドジョウ取りを再開した。

「…ったく。ドジョウなんてとってどうする気だよ。」

俺はちっとも沈まない浮きをしばらく見つめていたが、だんだん飽き始めた。

…そうだ、本題。

「おい、おっさん。」

「お父さん、だろ。」

「…。お前、本当は何者なんだよ。」

「だから、お前の父親だ。」

「違うだろ。」

俺は釣竿を置いて、男に近付いた。

「俺は騙されないぜ。母さんはお前のマスクにコロッといっちまったようだが、俺はそうはいかない。」

俺はポケットからナイフを取り出した。

「涼仁、一体何を…。」

男はたじろいだ。

「俺には分かる。お前の発するその冷酷な雰囲気‼︎」

ナイフの刃を出し、男に向ける。

「一体何者だ、お前は‼︎」

「何度も言っているだろう、私は…。」

「しらばっくれるのも大概にしやがれ‼︎」

俺はナイフを振り下ろした。

「…ちっ」

瞬間、銀縁眼鏡の奥の目が光を失ったのが見えた。

上がる水飛沫の中に、僅かな手応え。

「やったか⁉︎」

が、ナイフの先に人影はない。

代わりに、小さな魚の頭がナイフの面に張り付いていた。

「ドジョウ…か?」

その時、背後からぞっとするような空気を感じた。

振り返ると、ずぶ濡れになった男が立っていた。

「フフ…。ドジョウを取っておいて良かった。」

男は濡れ髪を掻き上げ、オールバックに固めると眼鏡を外した。

「しかしドジョウには可哀想な事をしました。」

男は片手に頭のないドジョウを摘んでいた。

「…まあ、ドジョウに生まれたのが運の尽きですね。」

男は首のないドジョウを川に放り捨て、こちらを睨んだ。

「…中々いい度胸をしているではないですか、私にナイフを向けるとは。」

「野郎…!」

おっと、と男は少し身を引いた。

「あなた、私が何者か知ってやっているんですか?」

「知るか!知らないからやってるんだ!」

男はいやらしく笑うと、大袈裟な身振りで呆れたように溜息をついた。

「私を殺すのもいいですが、話を聞いてからでも損はないと思いますけど?」

「どういう事だおっさん!」

「お兄さんと呼びなさい。」

彼は先程俺の父親のフリをしていた時とはまるで別人であるかのような態度で俺に詰め寄った。

「大体、よく分からないものは殺して解決、という野蛮な考えは余りに愚か、ナンセンスですよ。自分の事ながら全く情けない。だから木製の男しか友達がいないんです。」

「何だと…?」

自分の事?こいつ、なぜ人形屋の事を知っている?

俺は男の顔をまじまじと見た。

「…もしかして」

男は髪を撫でた。

「お分かりになったようですね。」

そうですよ、と、さも当たり前のように男は言った。

「私は異次元のあなたです。中々いい男になっていて嬉しいでしょう。」

「…嘘だ」

「嘘なんかじゃありませんよ。あ、これなんて伊達眼鏡ですから。変装用です。」

男は狼狽する俺を、可笑しそうに見ていた。

「証拠にあなたしか知らない事を言いましょうか?…夏祭りが嫌い、理由は幼い頃に目撃した祭りの日の殺人事件のため。人間不信の理由も同じ。優しかったお兄さんが人を殺すのを見てしまったから。そしてその殺人事件の犯人も…。」

「やめろ、黙れ!」

俺は男の言葉を掻き消すように叫んだ。

「証拠になりましたか?」

男がニヤニヤしながら尋ねてくる。

畜生、あの目は確信に満ちている。

「…早く大人になりたくなったんじゃないですか?こーんないい男になれるんですからねぇ。女なんて黙ってりゃ寄ってきますよ?ちょいと猫被って大人しい優男演じてりゃ簡単ですよ。お陰で人騙すなんてお手の物です。生活には苦労しませんよ、何せ女の方から進んで貢いできますから。涼仁様、貢がせてください…、って。いやはや、愉快なことこの上ありませんよ!」

「…このクズ野郎」

「そのクズ野郎に育つのはどこのどいつでしょうね。」

自分がこんな大人になるのかと思うと、悔しくて仕方なかった。

「畜生…。お前、そんな事言うために俺の所に来たのかよ?」

「え?ああ、違いますよ。もっとちゃんとした、別の目的があって来たんですよ。」

未来の俺は、ポケットから俺のものと同じナイフを取り出した。

「最近、少々欲が出てきましてね。この夢のような時間をもっと長く過ごしたくなったんです。それで別の次元の子供時代の私とすり替わって、今度は学生時代から女に貢がせようと思いましてね。」

「馬鹿な。俺を殺したって、そんな事できるはずないだろう。」

「嫌ですね、異次元の技術をなめてはいけませんよ。整形手術で、姿だけ若返るなんて簡単です。」

「だったら自分の次元でやったらいいだろう?」

「これでも結婚詐欺師として名が知れてしまいましたから…。ここならまだ私を知る人はいない。都合がいいんです。」

「…冗談じゃない!」

俺は踵を返し、その場から逃げ出した。

警察へ行こう。

そうすれば、こいつの異次元から来たなんて言い分聞き入れられないだろうし、上手くいけば病院送りにできる。

「逃げても無駄です、待ちなさい!」

水飛沫を上げて、奴が追ってくる。

顔には今まで見せなかったような笑顔、それも残忍で冷酷な笑顔が張り付いている。

「待てと言われて素直に待つ訳ないだろう、バーカ‼︎」

頭に血が上って転んだりすれば、いい時間稼ぎになるのに。

「昔の私とはいえ…。生意気ですね。…面白い!」

やばい、別の方向にヒートアップしてしまったようだ。

「皮肉なものですねぇ!私は今まで追われることはあっても決して自分から追うことなんかなかったのに、今は自分自身を必死で追っているとは!」

獲物を弄ぶ狐のように、異次元の俺はいかにも愉しげに俺を追ってくる。

「さぁ!あなたも私なら、素直に止まりなさい!」

「俺は…、俺はお前じゃなァいっ‼︎」

声が裏返る。気管が痛い。

あと少し。あと少しでよく知った道だ。

少し希望が見えたその時、肩に乗る手の感触。

振り向くと、ナイフを逆手に持って笑う異次元の俺が立っていた。

「くそっ、離せ!」

「離しませんよ、私は欲しい物は何をしてでも手に入れますからねぇ?」

ナイフの切っ先が、俺に向けられる。

「私が手に入れられない物など、あってはならないのです!」

シュッという風切り音と共に、思わず顔を庇った右腕に走る痛み。

「ほほう…。顔だけは守る、と。」

彼は狐のような顔に意地悪い笑みを浮かべた。

その時、彼の笑顔が凍りついた。

そのまま右腕を首筋にやる。

見ると、押さえた指の隙間から血が溢れ出している。

異次元の俺の後ろに人影が見えた。

「…!」

それは、彫刻刀を逆手に持った人形屋だった。

「…僕の店のお得意様に何をしてるんだ。」

怒りを含んだ声で、異次元の俺を詰る。

「大丈夫かい、涼仁君。」

「はい…。」

異次元の俺の手の力が緩んだのを見て、俺はその場を離れた。

「全く…。彫刻刀は人を傷つける道具じゃないんだ。物に命を吹き込む道具なんだよ。」

人形屋は血塗れの彫刻刀をタオルで拭い、懐に仕舞った。

「ぐ…、き、貴様ァ、私に向かってそんな態度をとっておいてタダで済むと…!」

異次元の俺は必死で止血をしながら人形屋を睨んだ。

が、人形屋は涼しい顔をしている。

「僕の友達に手を出したお前が悪い。涼仁君を殺してなくて良かったね、もし殺してたら僕もお前を殺してたよ。」

「木製のくせに生意気な!人工物は私のような人間がいるからこそ存在できているようなものでしょうに。」

「僕は別にお前がいなくてもいい。僕に必要だったのはお父さんと涼仁君だけだよ。」

異次元の俺は、そんな彼を馬鹿にしたように鼻で笑った。

「私はその涼仁ですよ。別次元のね。」

が、人形屋は狼狽えもしなかった。

「お前のような出来損ないは、もはや涼仁君とは全くの別人だ。」

ちょっと買い被りすぎだとは思ったが、人形屋の言葉に安心させられた。

「涼仁君、行こう。こんな奴相手にすることないよ。」

「え、ああ…。」

人形屋が俺の手を引いた。硬く、冷たい手だった。

「…ま、待て!」

異次元の俺の声が、後ろから聞こえた。

「…人形屋さん、」

「気にしないの。無視して。」

小声で、しかし強く言われ、俺は黙った。

「…助かりました」

「本当、腕の怪我だけで済んで良かったよ。」

人形屋の店で、俺は夕飯をご馳走になっていた。

「助けてもらった上に、夕飯までご馳走になっちゃって。すみません。」

「いいのいいの。普段ご飯食べる時なんか1人だから、誰か居てくれた方が嬉しいよ。」

人形屋手製のカレーは、中々美味しかった。

「でも…、不安なんです。」

「何が?」

俺は異次元の俺の姿を思い返した。

「異次元の俺は…。賢しい狐みたいな大人でした。…嫌です、あんな人間になるのは。」

「うーん…。でもすごい二枚目だったじゃない?プレイボーイ。いいじゃん。」

「そういう事じゃなくて!」

分かってる、と人形屋は舌を出して笑った。

「確かに性格は酷かったけど…。でも、あれは飽くまで異次元の君だよ。君が大人になってああなるとは限らないし。」

「でも…。はっきり言って自信がありません。」

実際、俺はこれまでに何人かの命を奪っている。ばれてないからいいってもんでもない。

「何だか最近家族も変だし…。俺も気がおかしくなりそうです。」

「家族も?」

俺は頷いた。

「最近、色々とおかしいんですよ。変な事ばかり。人形屋さんだって、普通はありえない事が起きてるんですよ。」

「うん。まあ、確かにそうかも。」

人形屋は微笑んだ。

「もしかしたら、そういうのも異次元的な事と繋がりがあるのかもね。」

「そうなんでしょうか?」

「可能性はあるよ。まあ、家が本当に駄目になったらうちに来なよ。部屋ならあるし、歓迎するけど。」

「…ありがとうございます。」

俺は席をたった。

「じゃあ、気をつけて帰りなよ。多分、あの狐顏まだ生きてるから。」

「はい。ありがとうございます。」

店を出て、俺は帰路についた。

家に帰ると、家族に心配した様子で出迎えられた。

父親を名乗る異次元の俺については何も知らないようで、頭の怪我を疑われたためそれ以上追求するのはやめた。

和室に入り、座布団に寝転がる。

できればもう関わりたくない。

あの、汚らわしい俺の鏡とは。

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裂久夜様、コメントありがとうございます。
本当、彼には丁度いい薬です。これで少しは懲りたでしょう。
少しはいい道を進んで欲しいものですね。

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