長編9
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箱庭

わたしがまだ小学生だった頃のある時期に、母が古い友人から相談があると連絡を受けました。その方は旅館の女将さんで母とは20年以上も付き合いがあり、お互いに少しも飾らずに本音で付き合える仲でした。

いつもなら月に一度電話で話し、会うのは連休のある時期などを見計らって…という具合のようでしたが、このときは様子が違いました。突然の電話にも関わらず、すぐに来てほしいと頼まれます。

場所が少し遠かったことと私の面倒を見なきゃいけないことで、何とか都合を合わせられないかと母は言いましたが、どうしてもすぐに来てほしいと譲りませんでした。

とても深刻な様子だったので、母は事情を話して私を父と祖父母に任せ、女将さんの旅館へ行くことにしました。日帰りではかなりキツい距離だったので、一泊させてもらうことにもなりました。

最寄り駅に着くと、女将さんが出迎えてくれました。電話で感じたように、何かただならぬ様子でした。挨拶もそこそこに、女将さんは母を車に乗せて走りだしました。車内では何も話さず、終始無言のままでした。

ある程度走ったところで、女将さんは車を停めました。旅館近くの山に続く道で、そこから旅館も見えました。どうしたん?と母が聞くと

「助けてくれるか…?無理強いはしたくないねん。自分で決めてほしいんや。巻き込まれたない思うなら帰ってええわ。交通費も出すし。ほんまにあかんかもしれんから。ごめんな。こんなん言うてごめんな。」と言って突然泣きだしてしまったそうです。

その様子と言葉の内容から、何か事件でも起きたのかと母は思い、自分の意志で助けると答えました。友人は友人。困っているなら手を差し伸べる。自然な思いでした。

女将さんは何度も母の意志を確認したようですが、母は答えを変えませんでした。それを受け取った女将さんはようやく涙を抑え、ついてきて、と歩きだし山へと入っていきました。母も黙ってそれについていきました。

数十分ほど山道を歩いたところで、女将さんが足を止め、前を指差しました。母がその先を見つめると

視線の先には大きな岩がありました。苔だらけの大きな岩が。あれがどうかしたん?と母が尋ねると

女将さんは震えた声で「岩のまん中…よう見てみて。何か見えへん…?」と言います。

岩からは少し離れていましたが、目を凝らせば細部も見える位置でした。

母はじっと目を凝らし、岩を見つめました。岩のまん中?…穴?穴が空いてる?

その岩のまん中には、拳大ほどの穴が空いていました。

その穴は赤く見えました。何か赤いものが置いてあるのか…?何だろう?

よく目を凝らしてわかりました。

鳥居でした。拳大の穴におさまる小さな赤い鳥居が、その穴の中に置かれていました。さらに、鳥居の下にも何かが置かれているように見えました。

鳥居までは見えるな〜、下においてあるん何や?よう見えん、と母が聞いてみました。

蜂や、女王蜂や。女将さんはそう答えました。

蜂?そう聞いて改めてよく見てみると、確かに蜂というか何やら虫が横たわっているようには見えました。何やねん?と母は近づいていこうとしました。すると

あかん!!見つかってしまう!!と、女将さんが母の腕を掴み慌てて引っ張りました。母がほんの少し足を前に出しただけでです。何や!?と驚く母に構わず、女将さんは母の体を押さえ付けていました。

「あかん。戻るで。部屋用意しとるし。話はそれからや。」女将さんに言われてその場は引き返すことになり、再び車を走らせ旅館へと向かいました。

車へ乗り込んだときから、おかしなことが起こりました。

ブゥゥン…ブゥゥン

なぁ…さっきから…

しっ!黙っといて!!

ブゥゥン…ブゥゥン

いやな、さっきからハエが…

ハエちゃう!あれや!あれが追ってきてるんや!!

二人が車に乗り込んだときから、ブゥゥンブゥゥンという音が車内で聞こえていました。虫が飛んでる時などに聞こえるような音ですが、ずっと耳元を飛び回ってるかのようにしつこくハッキリと聞こえていたそうです。もちろん、車内で虫が飛び回っていたわけではなかったようです。

あれって何や?さっきの岩のハエか?

蜂や!女王蜂や!

あれ死んでんねやろ?どこにおんねん?

話は後や!窓あけたらあかんで!

駅からの道中とは一変して車内は騒然となりました。女将さんの言葉は何一つ意味がわからなかったですが、とりあえず母は大人しく従い、旅館まで窓をあけずにじっとしていました。

どう聞いても中から聞こえているのに、窓をあけるなと言われたのがとても不思議に思えました。旅館に着くまで、その音はずっと聞こえ続けていたそうです。

旅館に着くと音はピタッと止みました。女将さんはそれを確認してから車をおり、母を用意していた部屋へと案内しました。

母に用意されていた部屋は、本当なら綺麗な景色が見渡せるいい部屋なのに、外が見えないように新聞紙で隠されていました。もう夕方だったため、より薄暗く感じられました。

…何やこれ?ここ泊まるん?

あんたのためなんや!我慢して!

意味わからんわ!何やねん?

母が怒るのも無理なかったかもしれないですが、女将さんは慣れた様子で母を説得しました。母がぶつぶつ文句を言いながらも怒りを鎮めると、女将さんは一度部屋を出ていき、何かを持って戻ってきました。

これ見てみ…と女将さんが母に見せたのは、箱庭でした。それは山の内部を詳細に表したようなもので、母がよく見てみると、その中にはさっき見たあの岩と思われるものもありました。よう出来てるな…と母が観察していると、札がかけられているのに気付きました。

女王の箱庭/二体目/(数字の羅列)/(山の持ち主の実印)

札にはこう記されてあったそうです。母が説明を求めると、女将さんが言いました。

「これな、うちの旅館が昔からあの山の持ち主さんから預かっとったもんらしいねん。持ち上げて、箱の裏見てみ。」母が言われたとおりに箱を持ち上げ裏を見てみると、日付と人の名前、名前の後には年齢と思われる数字、その後ろには〇×△のいずれか。この四つの事柄がいくつも書き込まれていました。

昭和何年何月何日…*****…38…×

平成何年何月何日…*****…41…〇

といった具合です。幸いと言っていいのかはわかりませんが、母と女将さんが知っている方などの名前はなかったようです。

「これな、たまたま物置で見つけたんやけどな、うちはこんなん今まで見たことないし、こんなんある言うのも聞いたことないねん。ほいで何やろ思て、これ見てあの山の中行ってみたわけや。そんであれ見つけた!気持ち悪いわぁ思てすぐ帰ったんやけどな、そんときもやっぱりさっきの音がしてん!」女将さんは少し興奮気味に話していました。

ここまではまだ、ふーん…という感じだったらしい母ですが、女将さんが続けて話した内容に驚愕しました。

「帰ってきてからなんか気になってな、ちょっと調べてみたんよ。そこに書いてある人の名前、ほんまにおる人なんかなぁて。全員はわからんかってんけど、わかった人がおるんよ!その人、そこに書いてある年に***県で行方不明になっとる!!」と言うのです。

そんなバカな…と母は思いましたが、女将さんが景色を隠している新聞紙を指差し、その新聞紙を見た母はゾッとしました。

その何枚もの新聞紙の一枚、確かに行方不明を伝える記事に書かれている名前と、箱庭の裏に書かれているある一人の方の名前が一致していました。日付も年齢も同じでした。

「何かおかしない?偶然にしても出来すぎやんか。日付も名前も一緒とか…ほんま気持ち悪いわ…それであんたに相談したかったんや。こんなん誰も信じひんし、へたに話したらあかん話かもしれんから… 」と女将さんは言い、そのまま黙ってしまいました。

そんなはずない…という思いもあるものの、不安でしかたがない。でももし何か繋がりがあるのなら、話してしまえば友の身も危険にさらされるかもしれない…

女将さんが母の意志を何度も確認したのは、そんな思いからでした。

女将さんの気持ちを汲み取り、母は別のことについて質問しました。見つかってしまう、追ってきてる、というのは何だったのか。

女将さんは母の顔を見ず「あれ見に行った後からな、蜂がな、ちらちらと見えるようになった気がするねん。何か、蜂がおる。いっつも見えるんや。気づいたらそこに立ってて。蜂がな、いっつも」俯いたままでそう言いました。少し話し方が不安定なようにも思えました。

立っている、という表現がよくのみこめませんでしたが、母はあえて何も聞きませんでした。

聞かなくとも、言わんとしていることは容易に想像できました。

外も暗くなってきた頃に二人は話を止め、母は客人として過ごしました。温泉や食事を楽しみ、女将さんとの思い出話に時間を費やしました。楽しんでいたのは本音ですが、二人ともとにかく気を紛らわそうという気持ちだったようです。

ずいぶんと話し込んだところで、そろそろ寝ようということになりました。女将さんはゆっくり休みや、と言って部屋を出ていきました。

電気を消して布団に入り、母はすぐに眠りにつきました。

ブゥゥン…カチカチカチ…ブゥゥン…

…カチカチ…ブゥゥン…カチカチカチ…

ふと何かが聞こえてきました。遠いようで近い、静かなようでうるさいくらいにハッキリと。

飛び回るような音に紛れ、カチカチと何かを鳴らすような音。

何や…?と目を覚まし部屋を見渡してみると、母は思いっきりビクッとしました。

いつのまに、そしていつからいたのか、女将さんが部屋の片隅で座り込んでいました。虚ろな目で宙を見つめ、何かを目で追っていました。

何してんねん!?びっくりしたわ!!母が大きな声を出しながら近付き、手を伸ばすと

「おる…やっぱり蜂がおる!うちを見てる!うちも攫われるんか!?行方不明になってまうんか!?嫌や嫌や!!」女将さんはかなり取り乱した様子で暴れ出しました。鳴り続ける音だけに反応し、まるで目の前の母が見えないようでした。

「蜂おらん!蜂おらんよ!おるんはうちや!あんたのツレや!」母は必死で女将さんに呼びかけ、何とか正気を取り戻させようとしました。

かなりの時間それが続き、母も女将さんも心身共に疲弊しきっていました。

やがて、カチカチという音が遠ざかったかと思うと、急にしんとなりました。

そのまま

徐々に目線が合ってきた女将さんの顔を見て、

何とも言えない表情で自分を見つめる母の顔を見て、

互いに気がゆるんだのか、二人はふふっと小さく笑い合いました。

怖くなかったとかではなく、あぁ良かった…と自然に笑みがこぼれたようでした。

そうして何事もなかったかのように、その夜はまた昔話で朝まで過ごしていたそうです。

この状況でそれでも深く追求しようとしなかったのは、互いに互いを思ってのことでした。

結局、翌日からは二人の身に何かが起こることはありませんでした。

ただその後、女将さんは幻覚や幻聴に悩まされ、一時期とても苦しい日々を過ごしたそうです。仕事どころかまともに生活することも困難で、ほとんど口も聞かなくなったほどだったとか。原因や関連は断言できないので、母はこの話とは関係ないと言っていました。

旅館もたたんでしまい、女将さんは今では別の暮らしをしています。以前よりも住まいが近くなったことで、母との付き合いは昔のように頻繁になり、より仲を深めたようです。

母は鳥居の下のものを直接的には蜂と認識しておらず、あくまで事前に見ていた女将さんの言葉による認識でした。それが母には何も起きなかった理由かもしれません。女将さんが近づこうとした母を止めたのも、何となくそれに気づいてたのではないでしょうか。

今もなお、女将さんの前では蜂を連想させるような話は決してしないことになってます。

箱庭は、元の持ち主自身はだいぶ前に亡くなられていたみたいですが、その身内の方に返した…とのことです。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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