長編11
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ぱたん、と、落ちた…

私の父には、1人、兄がおりました。

同じ集落に住んでおり、

5人兄弟(父から見て、姉2人、兄、父、妹)

が居てますが、他の姉妹は他府県に住んで居ました。

子供の私から見ても、2人はとても仲のいい兄弟で、

飲みに行くのも、遊びに行くのも、一緒でした。

叔父は、土木関係の仕事をしていたので、

父がその現場を手伝いに行ったりもしていました。

お酒が好きで、歌が上手く、

あまり、喋ったりする人ではありませんが、

運動会に応援に来てくれてビデオを撮ってくれたり、

私が釣りについて行ったり、山についていったりすると、何も言わずにサッと手をつないで歩いてくれる、

優しい叔父でした…。

私が小学校4年の時、叔父は入院をしました…。

肝臓ガンの末期でした。

みるみると、黄疸が酷くなり、元々痩せてはいましたが、細く細くなって、

土木のお仕事でついていた筋肉も無くなり、

『ヒョロヒョロになって来たよぉ。』と、

困ったなと言った表情で、笑っていました。

叔父には、病名は伏せられていて、

肝臓がお酒で弱って来てるから、治療すれば治ると、

そう、叔父には伝えられていました…。

私は父に連れられ、ほぼ毎日、叔父の病室にお見舞いに行き、、その度に、

折り鶴を渡していました。羽の所に、

『元気になる様に』

『また、釣りに行こうね』

『リンゴ狩りに連れていってね』

『おじちゃんの歌が聞きたいです』

『ご飯が食べれる様に』

…などと、書いて持って行き、

叔父はそれを受け取ると、

『ありがとう。これでまた一つ、よくなるね。』と、

千羽鶴を作る様に、糸を通して、枕元に吊るしてくれていました。

私は叔父に、学校の事、友達と遊んだ時の面白かったこと、釣りにいった時の事などを話し、

父も、その話に参加して、

叔父も、ハハハと、声を上げながらその話を聞いてくれていました。

痩せているのに、あまり食事の量が多くない叔父に、

『また明日来るからね、ご飯、食べてね?』が、

私の、

『兄貴、少しでもいいから、食えよ?

力、出せよ?』が、

父の、

帰り際の口癖になりました。

日に日に病状は悪化し、叔父はベッドから体を起こすことが困難になってきました。

私と父は毎日、たまに母も一緒に、欠かさずお見舞いに行きました。

叔父は、私が渡す折り鶴を毎日毎日、糸で吊るし、

『色んなツルがいて、綺麗。これ見て、元気が出るよ。』と、

体と共に細くなってしまった声で、

ハハハと笑いながら、私の頭を撫でてくれました。

ある日の夕方、

叔父の病院に行くため、家で準備をしていると、電話がかかってきました。

電話に出たのは、ばぁちゃんでした。

『あら、⚪️⚪️か、どうしたの?』

どうやら、叔父からの電話の様です。

うんうんと、話を聞いていましたが、

『何も心配しなくていいから、うんうん、大丈夫だよ。』と、

何度も何度も、繰り返します。

そのうち、ばぁちゃんは、

『バカ言ってないで!そんな事、言う暇あったら、ちゃんと飯食って、力出して、帰っておいで!』と、

怒り出しました。

見兼ねた父が、変われとばぁちゃんに言い、

電話を取った父は、

『兄貴、今日は調子が良いのか?珍しいな、部屋から歩いてきたのか? 何処から電話かけてるの?』と、

聞きました。

叔父も何かを話している様で、

父もまた、うんうんと相槌を打っています。

ばぁちゃんを見ると、

目に、いっぱい涙を浮かべていました。

そして、スッと立ち上がると、裏庭の方に行ってしまいました。

父は、電話に向かって、

『今から兄貴のとこに、行くから。

部屋に戻って待ってて?

体が弱ってるから、急に動くと良くないから、

看護婦さん呼んで、部屋に戻っておきな?』と、

なだめる様に言い、

『じゃあ、そっち向かうから、電話、切るからね。

俺達、そっち向かうし、オカンも買い物行ったから、誰も家にいないから、

電話しても誰も出ないからね、早くベッドに横になるんだよ?』と言って、電話を切りました。

そしてすぐに、叔父の入院する病棟の直通ダイヤルに掛け直し、

叔父が、看護師さんの目を盗んで、一階まで降り、公衆電話からかけて来た事を伝え、

すぐに迎えに行ってくれと、

様子がおかしいと、

…伝えていました。

私は、裏庭に行き、うずくまって、目にタオルを当てているばぁちゃんに、

『ばぁちゃん!一緒に行こう!』と、言いました。

あんなに体が弱ってるのに、おじちゃん、歩いて公衆電話からかけて来た!

おじちゃん、話したいことがあるんだよ!と。

はっ!と、ばぁちゃんは顔を上げ、

私を見ると、私の手を取り、家の中に駆け上がり、

私の手を握ったまま、支度をし出しました。

父が、

行くぞ!と私を呼んだ時、

『私も連れて行って!』とばぁちゃんがいい、

父も、

『…行こう!』と答えました。

向かいながら、車の中で私たち3人は、

誰も話しませんでした。

きっと、おじちゃんと話せるのは、

今日が最後になると、

私達は、そう直感していました。

病院に着き、

私とばあちゃんは手をつないで、父はその前を急ぎ足で、

叔父の部屋の前に来た時、

ズダッ…、ズダッ…、と、重たい音が、中から聞こえて来ました。

私だけで無く、父もばあちゃんも、固まりました。

叔父が…、部屋の中で…、

歩いていることがわかったからです…。

その音は、ウロウロ、歩き回っている様子で、こちらに向かって来たかと思えば、部屋の奥にまた歩いて行き、

まるで、手負いのトラなどが、辺りに気を張り、

落ち着きなくウロウロする、それを連想させました。

父が、ドアノブに置いた手に力を入れて、

扉を開いた先に居た叔父は…、

口から、吐血した時に出たであろう、血の塊の様なものを垂らし、

そのせいで、着ている寝間着は血だらけ。

床も、血が滴る所を、足をひきづり歩いているので、血を擦り付けた様な状態…。

細く小さくなった体から伸びる手足は、枯れ枝の様で、

なのに、目だけが、

ギラギラで…、

扉の前で連想した、虎、そのものでした…。

父は、

『兄貴❗️』と叫び、叔父を支え、ベッドに寝かせました。

ばあちゃんは、タオルを絞って、床を黙って拭き始めます。

私は、ただ、見てるだけでしたが、

ばあちゃんが、叔父に見えない位置から、私に向かって、

クイクイッとあごを使い、指で小さく、指図をしました。

こっそり部屋から出て、看護師さんを呼んでこい…、

そう言う意味だとわかった私は、

叔父の方を見たまま、廊下に出て、

出た瞬間、走り出しました。

ナースステーションの看護師さんに、

『おじちゃんが、口から血を吐いて、歩いてる!来てください!』と伝えて、また走って病室に戻ります。

さっき、父に寝かされていたはずなのに、叔父は、上半身だけ起こした状態で、

父の肩を掴んで、

『本当の事を言え!俺、もう、ダメなんだろ?

本当の事を言え!』と叫び続けていました。

そして、グフグフッと音を立て、また、血の塊を吐きました。そして、その状態で、うつむいて、肩で息をしていました。

私は、慌てて、洗面器を叔父に渡そうとすると、ばあちゃんが引き止め、行くなと顔を振りました。

父は、ロッカーからタオルを取り出し、血の付いた顔や寝間着を拭きながら、落ち着いたフリをして、

『大きい声出したり、急に動くから、体がビックリしただけだよ。大丈夫、兄貴。』と、叔父をなだめていましたが

叔父は、

フッと目だけを上げて、

父に…、

『…人間の体が、ビックリしたくらいで、

こんな事になるか…。

お前…、バカか?』と、

そう言った後、

弱々しく…、ピシャッと父の頭を叩き、

そのまま、不自然に、

何かに後ろ髪を引っ張られる様な格好で、バターッとベッドに倒れこみました。

そして、目が、白黒し、ガタガタ震え出したのです。

看護師さんやお医者さんが来たのは、その辺りだと思います。

離れてくださいと言われ、私達の方に追いやられた父は、

泣いていました。

ばあちゃんが、父の背中を撫でて、

私達は、お医者さんが叔父に色々な医療処置をしてくれているのを、見守っていましたが、あまりにも部屋の中が慌ただしく、私達は一旦、部屋を出て、面会室で待つことになりました。

私は、カバンの中に入れていた折り紙でツルを折って待ちました。

ばあちゃんは目をつむったまま、父の背中をずっと撫でて、

父は、下を向いて、拳を握りしめていましたが、もう泣いてはいませんでした。

どれくらいの時間が経ったのか、窓の外がすっかり夜になった頃、

お医者さんと看護師さんが、面会室にいらっしゃり、

『…手は尽くしましたが。

残された時間は、本当に僅かです。

お別れをしてください。

申し訳ありません。』と、おっしゃいました。

私は、嫌だ!と叫び、

叔父の部屋へ走って行きました。

部屋に飛び込むと、叔父は…、

弱々しいモニター音のする部屋の中で、

先ほどの事が全く嘘かの様に、

横になって、うっすら目を開けていました。

『おじちゃん!』

と、声を掛けると、

目だけをこちらに向け、

『あー、来てくれたのか?

どうも、ありがとうございます。』

と、言いました。

『おじちゃん、痛くない?しんどくない?』と聞くと、

『今はもう、

なぁーにも、痛くないし、しんどくないし、怖くないよ…。』

と言い、ハハハと弱く笑いました。

遅れて部屋に来た父とばあちゃんは、

私の反対側に回り、

ばあちゃんが

『どーした?

少しは、落ち着いたか?』

と言い、

叔父は、

『うん、悪かったね、心配かけて…。

ごめんね、母ちゃん。』

と答えました。

父は、

『兄貴…。』

としか言いませんでしたが、

叔父は父に、

『悪かったなぁ、迷惑かけて…。

心配かけて、悪かったなぁ。

もう、何も心配しなくていいから。

ありがとうなぁ、

いやもう、すっかり、

ぱたんと、落ちたもんだから、

そりゃぁもう、すっかり楽になって…。

ありがとうございました。』と、

言いました。

父とばあちゃんは、懸命に堪えていましたが、

私は、おじちゃん!おじちゃん!と何度も何度も呼び、泣いていました。

叔父はそんな私に、

『聞こえてるよ、聞こえてるよ。

はい、はい。

ありがとうなぁ、ありがとうなぁ。

また、遊ぼう。

また、今度。』と、返事をしてくれました。

父も何かを語りかけ、叔父はそれにもちゃんと返事をしていた様に思います。

ばあちゃんは、

何も言わず、

先ほど、父の背中を撫でていた様に、

今度は、叔父の足をずっと、撫でていました。

叔父は、意識がなくなるまでずっと、

『ぱたんと落ちたので、

もう痛くない。』

『ぱたんと落ちたので、

怖くない。』

『ぱたんと落ちたので、

大丈夫。』と言い続け、

最後は父や私が、

『おじちゃん!おじちゃん!』

『兄貴!わかるか?わかるか?!』と

叫ぶ中…、

『わかってる…、わかってる…、』と

つぶやきながら、

永眠しました。

そこからの事は、あまりよく覚えておらず、

どうやって家に帰って来たのか

それからどうしたか、

お通夜のことも、お葬式のことも、

記憶は薄く…、

私は叔父が亡くなってからの何日かを、ずっと泣いて暮らしていたと思います。

お葬式から何日か経って、父母とばあちゃんは、叔父の住んでいた家を整理に行きました。

入院してた時の荷物も、カバンにごっそり入れたままで置きっ放しにしてあり、

それを整理していた母が、

何のラベルも貼られていない、中途半端な所で巻き取りが終わっているテープを見つけました。

そのテープには、

まだ、入院し始めの頃からの、

いわば、叔父の肉声の日記が記録されていました。

早く元気になって、また、仕事して、みんなに心配かけた分、恩返ししないと…、

病院と言うのは、仕事なんかより辛いものだ…

毎日、弟が姪を連れて来てくれる、元気が湧く…、

早く、元気になって、また遊びに行きたい…、

酒は好きだけど、もう禁酒しようと思う、出来るかな〜、

いや、心配かけてはいけないから、絶対、禁酒しよう…

その様な事が吹きこまれていました。

大好きな歌を歌ってる日もありました。

しかし、病状が悪化してきた頃を境に…、

いつになったら、出られるのか?

皆で嘘をついてるのでは?

ごろっと重たい何かが、最近ずっと、ウロウロしてる。

皆で嘘をついて、こんな所に閉じ込めて!

こんな、わけのわからない、変な重たい所に閉じ込めて、…、

と言う、聞くのが辛い内容になってきて…、

最後はひたすら…、

どうしたもんだ、どうしたもんだ、

…と、

ひたすら自問自答している言葉が入っていました。

それを全て聞き終わった時、

叔父が亡くなってから、初めて、

ばあちゃんが

大声を上げて、泣きました。

わんわん泣いて、かわいそうに、かわいそうに、と言い、

よく頑張った!偉かった!

怖かったろうに!辛かったろうに!

そう言って、叔父の名を呼び、泣き続けていました。

私は、初め、叔父は私達を恨んでいたのかと、思ったのですが、

日が経つ毎に、年月が経つごとに、

最後に叔父の言ってた…、

ぱたんと落ちたので、怖くない…

ぱたんと落ちたので、痛くない…

ぱたんと落ちたので、大丈夫…と言う言葉を思い出し、

叔父は、本当の事を言わない私達に怒っていたかもしれないが、

最後には、それすら赦し、死の恐怖と向き合い、今がある私達には、到底、思いもよらない気持ちの中で、

それをなぎ払ったのではないかと思うのです。

ぱたんと落ちた、

…と言うのは、そう言うことだったのではないか。

大丈夫、痛くない、怖くない、心配するな、そう言ってくれた叔父の顔を思い浮かべる度に、思うのです。

私が毎日、お見舞いに行ってたことも、もしかしたら叔父には変なプレッシャーだったかもしれない。

元気になるよと言う言葉を聞く度、

疑心暗鬼になっていたのかもしれない。

日に日に体は辛くなり、気持ちは落ち込み、1人で過ごす病院での時間が、終わり無く容赦無いものに感じてイラついていたのかもしれない。

それでも…、

最後の最後で、父に掴みかかった上で、

1番信頼する、弟が、

男が…、

『大丈夫…』と言うなら、

それでもって、いいじゃないかと…。

そう思った時、叔父の中で、

パタンと何かが落ちて、

叔父は、優しく、私達に労わりの気持ちを残して、去って行ったんじゃないかと思うのです。

人の命がどれほど大切で、どれほど尊いものか、

人はどれほど脆く、しかしどれほど強く優しいものかを

月並みかもしれませんが、

叔父は、まさに全身全霊で教えてくれました。

最後の時に、どんな風に幕を閉じるのか…、

叔父の様な、強さと優しさを、

私も、少しでも持ってその時を迎えられる様な人間になっていたいなと、

叔父を偲ぶ度に、改めなおすのです…。

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がぶままさん、怖いとコメント有難うございます。

叔父は、私の第二の父…のような存在でした。
優しく、正義感に溢れ、強い人でした。

全てを認め、全てを許し、
『また、会おう』と
約束してくれた叔父を、誇りに思います。

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幸加さん、コメントありがとうございます。

叔父が私達に残してくれたものが、他の方にも伝わったのだと、とても嬉しく思います。

私が出来たことなど、してもらったことのほんの微々たる事にしか当たらないと思いますが、
ここでいただいたコメントに、
無力さを感じていた、小学校四年生の頃の私が救われました。

ありがとうございます。

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マコさん、コメントありがとうございます。

私にも、妹がおりますが、

比べ物にならないほどの、仲良し兄弟でした。

叔父に、本当の事を言えなかった父が、
1番、叔父の病を信じられなかったのでは無いかと思います。
絶対治ると、父は、本当に叔父がなくなるまで、信じていたんだと思います。

その気持ちすらも、叔父は、汲み取ってくれたのでは無いかなと、

叔父は、優しい人だったからと、改めて思います。

私の、自慢の叔父です。

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にゃにゃみさん

人の 死 とは辛いものですよね。叔父さんは にゃにゃみさんが来てくれて、とても嬉しい気持ちで一杯になっていたでしょうね。

兄弟だから、本当の事を言えないのに対して
事実を話して欲しい気持ちもわかる。

その中には言葉では言い表せない「無償の愛」が有ります。仏様と成った叔父さんは全て分かってから旅立たれたようですね。せめてもの救いです。

現代社会、死との学びの場が極端に少なくなって、思いも寄らない事がおこります。

自分が「生」を受けた事に対し感謝し、旅立つ方へも感謝の気持ちを持って 生きて行きたいですね!長くなり、申し訳有りません!

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