水木しげるさんが亡くなったのをしのぶ。

短編2
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水木しげるさんが亡くなったのをしのぶ。

私が水木しげるさんにお会いしたのは、1978年(昭和53年)でした。

丁度、大学の講義に着ており、その講義を受ける人は500人ぐらいで、

講堂が埋め尽くされてました。

戦争の始まりから苦労して、左腕は無くしそれでも、

げげげの鬼太郎や昔から伝わる妖怪やお化けを描き続けて

紹介してました。

それとは裏腹に戦争の悲惨さを自分の左腕を失うに至った話が印象的でした。

同じ大学を中退したとの事で、私の少しは簸たし身を覚えました。

一番は、私が書いたお化けの話を読んでくれた事でした。

やはり、お婆さんの話でしたが本当に親身になり考えておりました。

大学では油絵を専攻してましたが、全然関係の無い私にもお声をかけてくれて

専攻を変えようかなと考えた事もありました。

結局、親の意思もあり私も水木先生とおなじ中退の道を選びましたが

今は全然違う職業につき,タイで生活しております。

私の書き始めた話も、水木先生にお願いして漫画にしてもらう事が夢でした。

本当に今思うと惜しい人がまた一人お亡くなりになったなーと思うと

胸が痛いです。

これから私も、水木先生のような怪談を心がけて書いてゆきたいと思います。

絵の世界に挫折しましたが、文の世界でこれから水木先生に近づいて行きたいと

思います。

皆さんも、ひとつや二つは日本の妖怪や水木しげる先生の作品がきっかけで

書かれている方も少なくないと思いますので

一緒に御冥福を祈りましょう。

Concrete
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ゲゲゲもいいですが、墓場鬼太郎の弱っちくて狡くて強かなキャラも大好きでした。どちらも昭和の空気が溢れてたな・・・遠い目

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僕も追悼作載せようとしてたんですけど、先を越されちゃいましたね(^_^;)
僕は水木しげるさんの出身地、鳥取県在住の人間なのでイベントなどで良く見かけたり、話しかけたりしてもらったことは山ほどあります(ToT)
息子の頭を撫でて頂いたことも…
一番印象に残ってるのは、
「戦争は、腹がすくからよくないよ。」
って言葉です。
激動の戦時下を生きた人の深い言葉だなぁってとても印象に残ってます…
本当に心から御冥福をお祈りします。
ありがとうございます。そしてお疲れ様でした。

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ゲゲゲの鬼太郎は、何度も再放送されましたね。
その時代ごとに画面(えづら)は違いましたが、あれほど長く愛された名作は無いと思います。
私も河童やだいだらぼっち、百目などを題材に書いたことがあります。
インタビューで、私は妖怪に描かされているんだと言った言葉が印象的でした。
ご冥福をお祈りいたします。

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同感です。
実は海外の光道さんは、まだご存知ないかと思って、教えてあげようかなと思っておりましたら、もうご存知だったのですね。
それにしても、水木先生にお会いして、作品まで読んで貰う機会に恵まれたとは、羨ましい限りです。
小生も、水木作品は漫画もテレビも含めて、リアルタイム世代で、万感胸に迫る物がありますが、ここではコメントしきれませんので、只々ご冥福をお祈りするのみであります。
合掌

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