長編8
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ヒトリガ達の黙示録

霧がやけに濃い…

車で仕事場へ向かう途中で、ひどい渋滞に巻き込まれた。

根元に花が生けられた電柱の真横で停まる。

死亡事故があったのか…花の萎れ具合から見て、

それほど日は経っていないようだ。

毎朝、遅刻ギリギリでこの前をすっ飛ばして行くから気付きもしなかった。

駅前から続く坂道…上り終える手前で右へ折れる120R…

その僅か先、左から来る道と交わるT字路があるのだが、

混み具合から見て、そこが原因とはとても思えない。

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”更に数百メートル先にある国道で何かあった…”

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そう考えるのが妥当か。

道を変えるにしても、T字路まで出ないとなんともならない…

頑として動かない車列…

サイドは引かず、フットブレーキを踏みつけて待つことにする。

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”こんな市街地の中心にまで…”

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北関東の一地方都市と言えども、

駅前通りまで濃い霧が覆うなんて珍しい事だ。

生まれも育ちもずっと地元な俺でも、こんなことは今までの記憶にない。

視界は十メートルも無いだろう。

道路脇に並ぶ店先は、

墨絵の様に色彩を失っている。

ナビシート越しに何気なく向けた煙る視界の中に人影が立った。

件の電柱、生けられた花の前。

黒の短髪を立て、でかいフードが付いた黒いダウンのコートを着た男の後ろ姿…

疲れたように落ちた肩。

突然、現れたように思えたのだが、事故の関係者だろうか。

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速度抑制の段差舗装がなされて、今の若い奴等は知らないだろうが、

あの電柱で死亡事故がよく起きた。

人食い電柱…そう、俺たちは呼んでいた。

昔から、多くの街乗り…暴走族が若い命を散らしている。

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今では四輪なんぞ転がしているが、

俺も高校の時分は中古で買ったVFR400Rに乗っていた。

NC30ではなくNC24。

休日ともなれば山へ出掛け、九十九に折れるコーナーで膝を削りながら

峠をガンガン攻めまくっていた。

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その対極にいたのが、活動時間は主に深夜帯…

寝静まった街中を爆音鳴らして疾駆する街乗りの連中だ。

奴等の間で流行っていた度胸試し…

いや、そんな甘いもんじゃないな…

狂気に駆られたバイク二台で競い合うレースがあった。

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『ガンラン』もしかすると『ランガン』だったか…

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この坂を上りきり、T字路を直進して1kmほど行ったところに女子高がある。

その校門前押しボタン式信号の横断歩道をスタートラインに見立て、

城址南の直線道路を経て、駅前ロータリーにある横断歩道をゴールとした。

ルールは単純、銃口から撃ち出された弾丸が如く、

途中にある片側3車線の国道を皮切りに数箇所ある交差点の信号を全て無視し、

ゴールを目指してノンストップで駆け抜けるのみ。

そのクライマックスが坂上の交差点とこの下り120Rだ。

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コーナー手前の交差点が青ならいいが、

赤なら横合いから車が顔を出す可能性は深夜だろうとゼロではない。

対向車だってもちろん来る。

それでもハイスピードで120Rを抜けるなら、

度胸一発、事故るのを覚悟で一度、対向車線…アウト側へ車体を振り出し、

そこからインへ絞りに行かねば、ハイスピードでは曲がない。

死線を越えた先に存在する勝利のライン…

魂が凍りつくギリギリのブレーキング、

センターラインの滑りと僅かな段差まで使いこなし、

深く車体を傾け、闇を切り裂くコーナーリング…

余韻を残す立ち上がりから急激な加速でゴールラインを駆け抜ける。

道路脇から見守るギャラリーへ、最高のパフォーマンスで応える…

彼等…暴走族は

焼かれると知っても火中へ飛び込まずにはいられない蛾の如く、

狂ったように、このレースへ身を捧げていた。

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俺は一度だけ、

若気の至りで…そのレースをやった事がある。

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深夜、前方をヘッドライトが灯す、色彩を残した狭い視界…

命をベッドにした重みで凍てつく左手が、クラッチの繋ぎを甘くする。

右手がスロットルを開放することを拒否したように動かない。

なのに全身の細胞は狂喜し、魂が加速せよと繰り返し命じてくる。

脳内麻薬が恐怖を駆逐し、集中力が雑念を遮断した。

瞬間、思考が全身の制御を取り戻す。

車体がロケットにでもなったかの様に異常な加速を開始する。

横並びで飛び込む片側三車線の大路…信号は青、僥倖!

番の蝶が如く俺と奴は絡み合い、

きらきら輝く凍てついたアスファルトの上を駆け抜けていく。

前方で灯る赤信号…さらに加速。

互いに一歩も譲らない。

対向車はなし。

歩道を走る新聞配達のバイク…

僅かに途切れた集中力…

五本目の交差点を渡りきる寸前、

横道から出てきた車にケツを引っ掛けられた。

景色が横へ猛スピードでスライドしていく。

強い衝撃、

レッドアウトする程の強烈な痛み。

ガードレールと車体で足を挟まれた。

だが、転倒だけは免れている。

身体よりも奴との差が気になった。

まだ暴れる相棒を力ずくで押さえ込む。

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奇跡のような操作…神域へ到達したバランス感覚…

氷の粒が撒かれたように輝く路上…立て直しに成功した。

バイクは動く、俺も大丈夫だ。

まだ、走れる。

心配して待ってくれていたのか…

奴のテールランプを無我夢中で追いかけた。

最後の120R…コンマ数秒遅れで飛び込む…

外へ振ったが、奴の尻に頭を押さえられてラインが殺されている。

負けた…

確信したその時、絶対的優位に立った奴の挙動に異変が起きた。

インベタへ絞ろうとする俺のラインと交差する。

妖霊星(よれぼし)の如く、赤いテールランプが眼前を横滑りしていく。

音という音が消し飛んだ。

立ち上がり、スロットルを全開にする。

生きて渡ったゴールライン。

メットを投げ捨てた俺は、

バイクに跨ったまま、胃の中身をタンクの上へぶちまけた。

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自分がなんと馬鹿な事をしたのか、

何を代償に何を得ようとしていたのか…

友人の手を借りてバイクを降り、

駅舎の壁にもたれて座る。

ミネラルウォーターのペットボトルを渡されたが、

手足の力が抜けて動くことも侭ならない。

そこに達成感はなく空虚があった。

遠巻きにギャラリー達が俺を見ている。

あいつはどうなった…

あの瞬間まで、絶対的優位に立っていたあいつは…

救急車が呼ばれ、搬送された病院のベッドで、

俺は彼が、最後の最後で…バランスを崩してハイサイドを起こし

バイクと共に…

あの電柱へ磔となって死んだ事を知った。

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墓標(grave marker)とも呼ばれていた。

コーナーを曲がりきれなかった奴が行き着く場所…

骨砕き…肉挽き器…

仏壇、祭壇、卒塔婆…

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負けたくない…

ただ、それだけだった。

暴走族が付近で一番のお嬢様校前をスタート地点に選んだのは、

世間知らずの子女達から憧憬と畏怖の眼差しで見られたかったから…

伝説だ英雄だと持て囃される…

ただ、女子生徒の興味を惹きたかったからだ。

馬鹿な奴等だと軽蔑していたが、

彼女達から語られる暴走族の武勇伝が無視できないものになっていく。

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街乗りの外見だけで粋がってる奴等とは、

走りのレベルが違う事を、世間知らずのお嬢さん達に教えてやらねば…

ガードレールの外は切立った崖、

安全マージンのない死と隣り合わせで磨いた技術と速さ。

先の見えないブラインドコーナーへ飛び込む度胸と覚悟、

コースを理解し、攻略法を見つける洞察力…

全て俺達の方が勝っている…

口だけで大した事も出来ない奴等の正体を白日の下に曝してやろう。

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そんな対抗意識から、

暴走族と峠の走り屋による一発勝負の対抗戦が行われた。

結果は暴走族の敗北。

俺は生き残り、奴は死んだ。

レースを見ていた連中から伝わった話は途中で変質しだし、

事実とあまりにかけ離れた悪意の篭った内容となって広まった。

暴走族の面目は潰れ、

命懸けで走った彼の名誉も傷つけられた。

走り屋と暴走族の間に確執が生まれ…小競り合いまで起きた。

なるべくして再戦の話が持ち上がる。

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退院した俺はバイクを手放し、レースで盛り上がる連中とは距離を置いた。

暴走族の間で始まった度胸試しは、

退くに引けないプライドを懸けた走り屋との対抗戦の場へ移行する。

そして、このレースを因とした大事故が幾度も起きた。

関係の無い一般からも死傷者を出した。

夜の交通規制が入り、監視が強くなっても隠れてレースは続けられた。

スタートからゴールまでの路面に、

速度抑制を図る処理がなされるまで…

この電柱は幾人もの命を奪った。

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渋滞はまだ続いている。

思い出に浸っていたから気が付かなかった。

電柱の前に立つ人間が五人に増えている。

全員が電柱を見ていた。

上半身裸で…腹にさらしを巻いている古風な奴がいた。

デッキブラシみたいに金色の髪を立てたのもいる。

純白の特攻服…大昔の族が好んで着ていた纏姿の奴もいた。

おかしい…まだまだ…数が増えていく。

目の前で…たなびく霧が人の形を取っていくみたいに…

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花の生けられた電柱…

地面から1メートル50センチの位置…

そこには13人の名前が刻まれている筈だ。

正しくは黒の油性ペンでだが…

あの対抗戦で生きてゴールラインを駆け抜け、勝利を手にした男の名前…

電柱は折れて幾度か付け替えられているが…

その度に、何者かの手によって書き込まれた。

何度消されても、次の日には元通りとなっているらしい。

松葉杖をつき…友人に付き添われ、電柱に俺の名を見つけたあの日…

名前しか知らない…

死んだ好敵手へ捧げた花束…愛飲していた煙草の銘柄…

背に族の名がプリントされたB-3のフライトジャケット…

ファイアパターンのCBX400F…

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ああ、そうか…

彼等は…俺に背を向けて立つ男達は…全員…

ここで散った名も残らぬ…

あの電柱は勝者の物ではなかった…

プライドが高くて命知らず

刹那的に生きて

刹那の中で輝いて死んだ者達の黙示録…

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前の車が動き出した。

霧も薄れていっているみたいだ。

彼等へ向けて黙祷を捧げて後、

流れに乗せて俺は車を走らせる。

サイドミラーはまだ白く染まったままだ。

思い出した。

レース直前…気つけにやろうと…二人で飲んだバーボンの味。

ジャックダニエルのシングルバレル。

生死を賭けた一戦が始まるというのに、

ショットグラスの中味を一息で煽った彼は、

美味いと言って無邪気な笑顔をみせた。

フライトジャケットを着込んだ後姿…

憧憬と畏怖をもって俺はそれを見た。

男伊達…

乾したグラスを凍えたアスファルトへ叩きつけて割り砕く。

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何故、今まで忘れていた。

安穏な生活に埋もれ…あの天国のような時間を…

何事にも変え難い…光輝いた時間を…

今更…彼の死を悼むなど、

俺に許されることじゃない。

資格がない。

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会社へ着くなり

俺はトイレへ駆け込んで個室へ篭り、

少しだけ泣いた。

おわり

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