中編6
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そして私の魂は1

彼女と初めて話をしたのは、四月の初めで、場所は放課後の教室だった。

彼女以外に誰も居ない教室で、彼女はじっと右手の人差し指を凝視していた。細い指を赤い線が伝っていた。

私は思わず目を伏せたのだ。見てはいけない物を見てしまったような気がして。

リストカットやアームカット、話題としてはよく聞く話であるが、実際に見たことは無かった。

指を傷付けるのなら、えーと、えーと・・・。

分からない。指は、英語で何と言うのだったのだろうか。

ぼんやりと考えながら、教室の入口で立ち尽くす。大きな音を立てて戸を開けてしまったので、前進も後退も出来なくなってしまっているからだ。

西日に照らされた教室は妙に黄色みがかっていた。全体的にぼやけてくすんで、古びた写真のようになって見える。其の中で、彼女の長い黒髪だけが、ハッキリとした色の自己主張をしていた。

あの子、なんて名前だっけ。確か海に関係したと思ってたんだけど。渚だっけ、いや、違うな。なんだっけ・・・・・・

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「ちょっと、ごめんなさい。」

「えっえっ、あっ。あ、あたし?」

彼女が唐突に口を開いたので、私は慌てて辺りを見回した。当然ながら誰も居ない。やっぱり私に話し掛けたらしい。

ずっとじろじろ見ていたからだろうか。どうしよう。見てないで止めるべきだったのだろうか。でも、私には関係無いし、あっちが勝手にしてたことだし・・・・・・

私が心の中で慌てていると、彼女はおっとりとした調子で尋ねてきた。

「ティッシュ、持ってる?」

「え?」

「持ってたら、貸してくれないかな。指を針で刺しちゃって。」

「・・・・・・うん。」

恐る恐る近付いてみると、彼女は左手に布を摘まんでいた。縫い物ををしていたのか。

視線の動きに気付いたのか、彼女が照れたように笑う。

「左手、離すと生地がずれちゃうから困ってたの。今が一番難しい所だから動けなくて、誰か来るのをずっと待ってたんだ。」

「え、あ、そ、そうだったんだ。」

鞄からティッシュを取り出して手渡そうとすると、彼女はチラリと自分の指を見て、伸ばしかけた手を引っ込めた。

「・・・どうしたの?」

「悪いんだけど、袋から出して貰えると嬉しいな。血が付いちゃうから。」

「あ、うん、ごめん。えっと、はい此れ。」

「ありがとう。」

血の滴る指先に、数枚取り出したティッシュを乗せる。白い繊維の網目に赤い水が染み込んで行くのが分かった。

片手だけでは、手の甲にまで流れた血を拭くことは出来ないだろう。

出血自体はもう止まっているらしかったので、筋を辿るように軽く拭ってからティッシュを丸める。

彼女が眉をハの字に落とした。

「あ、ごめん、こんなことさせちゃって。」

「気にしないで。これ、捨ててくるね。」

「其処までしなくていいよ。気持ち悪いでしょ?」

見上げて来る彼女を視線を返す。

普段なら、確かにそうだっただろう。けれど、其の時は不思議とそう思えなかった。

私は、否定も肯定もせず丸まったティッシュを手に取り、ごみ箱へと向かう。

ポイと手の上に乗せた其れを箱の中に落とし、ふと顔を上げると、電気のスイッチが目に入った。

「あ、そっか。電気付いてなかったんだ。」

改めて辺りを見ると、確かに夕陽が射し込んで明るいのだが、ほぼ真横からの日射しなので、影になっている部分も多かった。彼女の席も丁度手元の辺りが窓枠の影で暗くなっている。

此れでは指を怪我して当然だ。

「電気付けるよ。」

「うん。色々ありがとうね。」

カチリ

スイッチを押してから数秒間、頭上で光が点滅し、蛍光灯が付いた。

振り向くと、彼女は縫い物を再開していた。

歩み寄って手元を覗き込む。

ほぼ完成している水色のワンピース。然し、人間が着るにしては随分と小さい。

「人形に着せるの。」

「人形?って、えーと・・・」

名前を呼ぼうとしたのだが、そうだ、私は彼女の名前を知らないんだった。

彼女は少し笑った。

「なぎ。」

「なぎ?」

「名前、分からなかったんでしょ?話したことなかったもんね。なぎって言うの。赤羽なぎ。」

同じクラスなのに名前を知らなかったことを、詫びるべきかとも思ったけれど、其れも却って嫌味に聞こえるかも知れないと思い止まった。

散々考えた挙げ句、自分の名前を名乗る。

「・・・・・・あたしは、近藤未来。」

「うん。」

私の名前を知っているのか知らないのか、彼女が言うことはなかった。ただ、黙って首を縦に振る。

何だか気まずくなったので、慌ててさっきの続きを話す。

「・・・あの、その人形の服って、なぎ・・・ちゃんの?」

彼女は一瞬キョトンとした表情になり、軈て静かに笑った。

「違うよ。此れは、バザーに出すの。」

「バザー?」

「うん。」

「部活?ボランティアとか?」

「ううん。校外の・・・サークルみたいな。」

「此れなら皆欲しがるだろうね。凄い上手。」

「ありがとう。」

笑顔で返事をしながらも、規則正しく動く針。かなり慣れているらしかった。

長い黒髪は耳に掛けられ、サラサラと揺れている。蛍光灯の下の彼女は、さっきとはまた違った顔しているように見えた。

だから、私は思わずこう言ったのだ。

「もう少し、此処に居ていい?」

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彼女の名前は漢字で書くと《凪》で、風の止んだ穏やかな水面を意味する言葉らしい。透き通る水のように清らかな、波一つ無い水面のように穏やかな子に育つように、と願って付けられた名前なのだと彼女は教えてくれた。

「でも、全然そんな子にはなれなかった。」

少し寂しそうに笑い、彼女は歩道の端を歩く。彼女の声は、騒がしい雑踏の中でも、不思議とよく通った。

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人形のワンピースを縫い終えた後、彼女は私に『お礼をしたい』と言いだした。

特に凄いことをした訳でもないので断ったのだが、熱心に頼まれてズルズル引き摺られるように承諾してしまった。

そして、私達は今、其のお礼とやらの為に駅前のドーナツチェーン店へと向かっている。

さっきまで名前も知らなかった相手と、こうして二人で帰っているというのは、何だか妙な感じだった。

「・・・あたしは、そうは思わないけど。」

彼女の言葉を否定するのは何だか気が引けた。此れが他の友人ならば、もっと軽く笑い飛ばせた。もっと《そんなことない》と断言できた。

けれど、彼女に対しては出来なかった。理由は自分でも分からない。考えてやっと絞り出した声にさえ、直ぐに言い訳を付け足してしまった。

「喋ったこともないし、あたしがこんなこと言うのは変かも知れないけど。」

彼女はただ静かに笑った。

やっぱり、肯定も否定もしてくれない。

「ほら、お店見えてきたよ。」

指で示された先に、ドーナツチェーン店の看板が見えた。

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ドーナツが陳列された棚の前に立つと、彼女は年相応の女子に見えた。

じっと整列しているドーナツ達を見詰め、随分と真剣に悩んでいる様子だ。

「どれにする?」

「どれがいいかな。私、このお店初めてだから。」

「・・・メニューは何処の店舗でも同じだよ?」

「違うの。ドーナツ屋さんに入ること自体が、初めてなの。」

町に一軒は有るだろうドーナツチェーン店。決して珍しいものではない。

「あのチョコの掛かってるのにしよう。未来ちゃんは?」

なんとなく違和感を感じていた私は、ワンテンポ遅れて慌てて答えた。

「あ、じゃあ、エンゼルフレンチ。」

「うん。分かった。」

彼女が店員の前に向かう。差し出したトレーには、彼女が選んだドーナツに加えてエンゼルフレンチが乗せられていた。

「・・・え?あっ、私、自分で買うよ。」

「ううん。お礼なんだから。」

そう言って、さっさと紙幣を出して購入してしまう。

私はもごもごと口籠った。・・・が、直ぐに視界の端にある物を見付け、其れをトレーに置き、店員に差し出した。

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tiesさんへ
コメントありがとうございます。

明けましておめでとうございます。
此方こそ、返事が遅くなってしまい申し訳ございませんでした。

新しい話を書き終わりました。此の話の続きではなく、単独の短編なのですが、宜しければ、お付き合いください。

tiesさんも、どうぞお身体にお気を付けて、風邪など引かないようにしてくださいね。

mamiさんへ
コメントありがとうございます。

我ながら気色悪い文を書いてしまったと反省しております。恥ずかしいさで死にそうです。
後半はちゃんとホラーにします。するよう尽力します。出来るかどうかは別として・・・。

あ、兄もとい猿が出るのは別の話です。
いきなり話をぶつ切りにしてしまったので、分かりにくかったですよね。
一応書き終えましたので、宜しければ、お付き合いください。

ピノさんへ
コメントありがとうございます。

自分の妄想が具現化すると此処まで気味の悪いものが産まれるとは・・・・・・。改めて読み直して悶絶しています。
しかも此れだけでは全然ホラーじゃない!
ああああ・・・・・・。

新しい話は書き終えたので、また続きを書きます。宜しければ、お付き合いください。

娘さん、二月に受験が有るんですね。インフルエンザ、僕の町ではもう流行り出しました。
大切な時期です。そちらも、どうぞお身体にお気を付けて。

はるさんへ
コメントありがとうございます。

お返事が遅くなってしまい、申し訳御座いませんでした。センター試験のことを皆さんに言うのをすっかり忘れていました。

いきなり話を分断してしまって申し訳ございません。
丁度良く猿のエピソードが手に入ったので、そちらの方が新年らしくて良いかなと思ったんです。
此の話の続きは次の次に書きます。宜しければ、お付き合いください。

今更ながら…
明けましておめでとうございます☆
次作品も楽しみです( ´罒`*)✧"

体調崩しやすい時期ですので
ご自愛くださいଘ(੭ु*ˊ꒳​ˋ)੭ु*.°♡

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又々続きが気になる終わり方で…しかも何やら新しいお話も始まりそうですね。
この焦らされる感じが堪らなく快感になってしまいました。 ドMな婆ちゃんを嫌いにならないでくださいね(>_<)