中編5
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加藤

「加藤さん、加藤文昭さん、3番のお部屋にお入り下さい…」

そろそろか。

俺は昨夜から疼く胸の痛みが気になり、近くの総合病院へと来ていた。

「斉藤さんほらここ。黒い陰が見えるの分かりますか?」

俺を担当してくれた白髪の加藤医師は、レントゲン写真の肺辺りを指でなぞった。

一週間後、再検査の為にもう一度病院を訪れ、精密検査をした。

加藤医師はお願いしていた通りに、俺に真実を伝えてくれた。

「悪性腫瘍?ウソでしょ?」

妻はパートから帰ると真っ先に俺の書斎へと飛び込んできて、その場で泣き崩れた。

「これ、つまらない物ですけどご主人様に…」

3件隣りの加藤さんの奥様が、どこで噂を聞きつけてきたのか、お見舞いと称して菓子折りを渡してきた。

「まだまだ働き盛りなのに大変ですね。早く元気になって下さいね!」

「はあ、有難う御座います」

余命半年と宣告された俺は、治療の道を選ばずに、残された時間の出来る限りを自宅で家族と過ごす事を選択している。

加藤さんは、薬の副作用と食欲不振でみるみると痩せこけていく俺の顔を舐め回す様に観察しながら、頭を下げて帰っていった。

その目は、まるで初めて出会う生物でも見るかの様に爛々と輝いていた。

恐らく、主婦仲間達との井戸端会議に添える話のネタを、その目に焼き付けて帰ったのだろう。

いや、それは考え過ぎか?

落ちた俺の、ただの被害妄想かもしれない。

二階の寝室から見える山に黄色が混じり始め、陽も短くなって来た頃、俺の食欲はほぼ皆無に等しくなっていた。

鏡を覗くと、見るも無残な骨と皮だけの目の落ち窪んだ窶れた男が映っている。

「おーい、民子。」

俺は妻を呼び、行きつけの蕎麦屋まで連れて行って貰った。

病院から処方された薬を飲めばまだ多少は口に入れられる。

人生最後の晩餐、俺は大好物の蕎麦を注文した。

余命宣告を受けてからもう4カ月が過ぎた。そろそろ自宅療養するにも限界がきている事は俺も感じている。

年の割に背筋の伸びた二代目店主が、俺たちの前に2人分の盆を並べた。

「実は私、明日から入院でしてね。最後に加藤さんとこの蕎麦を頂いておこうと思いましてな」

いつもはお喋り好きな店主が珍しく、何も言わずに、微笑みを浮かべたまま裏へと行ってしまった。

蕎麦はふた口と喉を通らなかった。

もう好きな物も食べられない事を思い知らされた時、俺は確実に忍び寄る死の恐怖を悟り、初めて妻の前で涙した。

身支度を整え、玄関口で二度と帰ってくる事のない我が家を見上げる。

まだ、後10年分の支払いが残ってはいるが、癌保険に入っていて本当に良かった。

愛犬のカットが抱っこをしろとせがみ、足に纏わり付いてきた。

それとも気配を感じて「行かないで」と言っているのだろうか?

妻が呼んだタクシーに乗り込み行き先を告げる。

ダッシュボードにあるネームプレートには加藤の文字が。

「すいません運転手さん、景色を少し楽しみたいのでゆっくりと走らせては頂けませんか?」

運転手の加藤さんは俺の顔をジッと見つめた後に、分かりましたと言った。

車はゆったりと見慣れた住宅地を抜けて、右手に大きな溜池がある中学校の前で止まった。

この角を左に曲がり、昨日寄った蕎麦屋を通り過ぎると10分程で病院に着く。

見ると、前方の道路脇で蕎麦屋の二代目である加藤さんが手を振っている。

俺も手を振り返そうと手動の窓を開けようとした時、突然の衝突音とブレーキ音が辺りに響いた。

放心する運転手を残したまま車を降りた俺たちが見たものは、後輪に身体を踏みつけられ、首があらぬ方向に捻り曲がった加藤さんの轢き死体だった。

奇しくも加藤さんはその後、俺が向かっていた総合病院で死亡が確認された。

翌日、加藤医師が慌てた様子で、看護師の加藤さんを連れて病室に飛び込んできた。

また加藤?

偶然だろうか?

「し、信じられない事が起こりましたよ斉藤さん!これは奇跡です!」

何事かと頭を捻る妻と俺の前で、加藤医師は言った。

「腫瘍が、腫瘍が跡形も無く綺麗さっぱりと消失しているのです!」

念の為、転移していないかその後何度も検査を繰り返してはみたのだが、不思議な事に黒い陰も異常も全く見つからなかった。

「明日で退院です。おめでとうございます」

加藤医師が俺の肩をポンと叩いた。

妻は看護師の加藤さんに何度も頭を下げ、お礼を言っている。

今夜はゆっくり眠るようにと、妻は溜まった家の用事を片付けると言って、帰ってしまった。

しかし俺は、明日退院出来るという嬉しさと高揚感からか中々寝付けずにいた。時計を見ると針は21時を指している。

冷蔵庫にはお茶しか無かった為、一階にある売店前の自動販売機に飲み物を買いに行く事にした。

「あんな目の前で人が死ぬ所を見るとはな。もしかすると蕎麦屋の加藤さんが俺の身代わりになってくれたのかな?」

そんな事を考えながら、薄暗い廊下を進むと、若い女性が前を歩いているのに気付いた。

患者さんではなさそうだが、面会時間はもう過ぎている。

その女性は階段手前の左手の病室へ、ノックもせずに入って行った。

女性が入った病室を通り過ぎる際、開いたままのドアの方へなんとなく目を向けた瞬間、中から「ひっ!!」という短い悲鳴を聞いた。

「亜利砂!!」

部屋の中を覗き込むと、先ほどの女性が果物ナイフのような光る刃物を持ち、刃先を一番奥のベッドの男性へと向けていた。

「ゆ、許してくれ!もう浮気はしないから!頼む!」

男性は顔を引きつらせて懇願しているが、女性は無表情で彼に近付いていく。

「占いって当たるよねー、昨日の星占いアタシ最悪だったの… やっぱその通りになったわ」

男性は怪我をしているのか、布団を頭から被りながら「来るな!」と叫んでいる。

「で、牡牛座のあなたの今日の運勢って知ってる?…最悪よ」

女性は男性の前まで来ると真っ白な顔をニタリと歪めて、刃先を下に向け、ナイフを両手に持ち替えた。

「シネ」

俺はすぐさま病室に飛び込み、女性を後ろから羽交い締めにした。

その瞬間、下腹部に焼ける様な衝撃を受け、呼吸が詰まり、俺は前のめりにうずくまってしまった。

「大丈夫ですか!!」

頭に包帯を巻いたベッドの男性が叫ぶ。

ネームプレートには加藤文昭と書いてある。

俺の腹を刺した女性は「お前が悪い、お前が悪い…」と繰り返しながら部屋を出て行った。

数分後、騒ぎを聞きつけ駆け込んできた医師と看護師の胸には、2人仲良く佐藤の文字が。

少し遅れて、加藤医師と看護師の加藤さんも駆けつけて来てくれた。

「加藤さん!大丈夫ですかー?!意識はありますかー?」

加藤文昭さん担当の佐藤医師と看護師の佐藤さんが、俺の事を加藤さんだと勘違いして耳元で叫んでいる。

いや、斉藤です。

「いかん!これは出血が酷い!すぐに寝台ベッドを加藤さん!」

加藤医師が看護師の加藤さんに支持する。

「はい!加藤先生!」

や、ややこしいわい…

薄れゆく意識の中、ベッドの上で震えている加藤文昭さんとは別に、もう一つのネットリとした視線を感じた。

視線を辿る。

「…加藤さん」

そこにはおり畳まれる様に丸まった蕎麦屋の加藤さんが、パイプベッドの下で小さく微笑んでいた。

【了】

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皆様、おはようございます!他人の作品に寄生しながら怖話を渡り歩く、ロビン魔太郎.comです。ψ(`∇´)ψげーへっへ

やはり深夜に勢いで書いたからか、読み返してみると矛盾点のオンパですね…ひひ…

しかも捻りが足りない…ラストにもう一捻り入れれば良かったと猛烈に後悔しております。お恥ずかしい…うう…

綿貫さんの優しさに感動しつつ、よもつ先生の「田中」を待ちましょう!ψ(`∇´)ψげヒャヒャ…

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ロビン様、本当に書いていただけるとは……。ありがとうございます!ややこしいけど!

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ロビンさん巧妙~!絶妙~!

※綿貫一さん作「佐藤」を先にお読みください。

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