中編5
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少女

ある晴れた日の帰り道、駅のホームで私は、

『彼女』に会った。

吸い込まれるような黒色をした髪を腰のあたりまで伸ばし、何やら難しそうな本を読みながら、電車を待っていた。

私は、彼女を一目見た瞬間に、 思わず見惚れてしまった。

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本を読む彼女と、それを遠くから眺める私。

そんな奇妙な位置関係が一月ほど続いた。

ある日、私は勇気を出して彼女に声をかけた。

「ねぇ」

彼女は少し驚いてこちらを振り向いたが、すぐに俯いてしまった。

「何の本読んでるの?」

「…心理学。」

目をこちらに向けたが、また伏せてしまった。

確かに、彼女が持っている本には、『心理学入門』と書かれていた。

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それから、私は毎日彼女に話しかけた。

そのうち、彼女のほうからも話しかけてくるようになった。

ある雨の降る日、彼女にこう質問された。

「…あなた、つかれてない?」

「え…」

図星だった。私は毎日父から暴力を受けていた。

母がいない今、父からの理不尽な攻撃の対象は私だった。

母は死んだ。父の暴力に耐えきれずに。自ら命を絶った。

父は反省しなかった。だから今、私が対象なのだ。

いっそ消えてしまえば、そう何度も思った。

でも何も解決しないとわかった。彼はそんな人だから。

私は彼女に正直に打ち明けた。

「やっぱり…そうだと思った。私も似たような感じだから。」

彼女の事実に驚きつつ、私はますます惹かれていった。

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そんなある日、クラスメイトからこんな話を聞いた。

「ねえねえユキ、知ってる?」

「何を?」

「あの子の噂。」

「何それ?」

「『あの子に関わった人は、みんないなくなる。』ていう話。あの子天涯孤独らしいよ〜」

「そ、そうなんだ…」

所詮、噂話。そう思っていた。

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父が死んだ。交通事故で。

正直、悲しくなかった。むしろ嬉しかった。

不意に、クラスメイトの言葉が浮かんだ。

『あの子に関わった人は、みんないなくなる。』

でも、あの人と彼女の関係性が見えなかった。

葬式は、たった一人の親戚で、私の通う学校の養護教諭でもある叔母が喪主を引き受けてくれた。

式後、家に彼女が来た。

その黒髪は闇夜に優るとも劣らないほど黒かった。

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「お父さん、亡くなったでしょ…」

「なんで知ってるの!?」

「いつも通学路ですれ違うから…今日見当たらなかったから…やっぱり、つかれてたのね…」

「どういうこと!?」

「ごめん…」

彼女はそう残して去っていった。

私の中では、彼女への疑念が渦巻いていた。

しかし、同時に強い憧れもあった。

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そんなある日、彼女が学校を休んだ。

私は、叔母に頼まれて、彼女の家を訪れた。

彼女の家のインターホンを鳴らした。

「…来ないで。」

「え…」

「来ないでって言ってるでしょ!! 私はもう…」

「でも…」

「…あなたがどうなっても知らないから。いいわ。」

「…うん」

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彼女の家は真っ暗だった。

そんな状況にあってもなお、彼女の黒髪は艶やかだった。

心なしか、少しシンナーの匂いがした。

「私はもうこの先長くないから…ゲホッゴホッ」

「大丈夫だよ、きっと…」

「…そう、ありがとう。」

だが、ここで私の意識は途切れた。

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「あれ…ここは?」

目を覚ますと、そこには見慣れない天井があった。

体を起こすと、病院だということが分かった。

「あ、気づきましたか。」

看護婦さんが教えてくれた。

彼女の家の前で倒れてたこと。

一週間ほど入院していること。

そろそろ退院できること。

しかし現実はそんなに甘くなかった。

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叔母が亡くなった。自殺だった。

友人の借金の肩代わりをしていたらしい。

学校の養護教諭レベルの給料では何年かかっても返せないような額だったそうだ。

人生に絶望したのだろうか?私には分からない。

これで私も天涯孤独になってしまった。

しかし、彼女と同じだと考えたらそんなに悲しくなかった。

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そんな矢先、私は絶望の淵に立たされていた。

「末期の肺がんです。あと三か月と持たないでしょう。」

医者がそう告げた。私の頭は混乱していた。

しかし、納得もしていた。

ああ、そうか、私も『消える』のか。

私は余生を謳歌することにした。

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痛い。

いたい。

イタい。

イタイ。

居たい?

shake

イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ!!

「っ…はあっ…はあっ…ぐっ…」

激痛と悪夢で目が覚めた。

彼女が私を殺そうとする夢。

あながち間違いじゃないのかもしれない。

余命宣告からもう二か月経っていた。

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彼女が病室を訪ねてきた。

私の意識は既に朦朧としていた。

「あ…たと…しは…もの…し…み…て…られ…ひき…て…きあ…」

もう私は長くない、そんなの誰が見たってわかる。

「い…で…れ…ま」

せめて最期くらい、彼女の声をちゃんと聴いてあげたかったなぁ…

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『本日、午後○時×分、□□県△△市で、市内の学校に通う10代の少女が電車に飛び込み死亡しました。警察は自殺として捜査する見込みです。また、この影響で、各線に遅れが出ている模様です。現場には、少女のものと思われる本とスプレー缶が…』

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「すみません、ユキさんと面会したいのですが…」

「分かりました、こちらへどうぞ。」

少女は病室にやってきた。

伝えるべきことを伝えるために。

「…あなたと私は似たもの同士、魅せて魅せられ、惹き寄せて惹き合って、」

「今まで、お憑かれさま。」

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「面会は済みましたか?」

「…はい」

「何の本読んでるんですか?」

「…心理学。」

彼女が抱えている本には、『呪いの正体~思い込みと言動~』と書かれていた。

なぜ彼女はいつも顔を伏せているのか。

それは、

悦びに歪んだ口元を見せないようにするためだった。

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少女は自分の家に帰ってきた。

ほのかにシンナーの匂いがする。

シュー。

少女は真っ白になってしまった髪をヘアースプレーで黒く染め上げた。

この世に存在する全ての黒よりも黒く。

そしてスプレーの空き缶と愛読書を持って家を出た。

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『まもなく、快速列車が通過します。黄色い線の内側に立って…』

少女は一歩づつ足を踏み出す。

「ちょっと、君!待ちなさい!!」

もう何も聞こえない。

ホームの縁を蹴る。体が宙に浮く。

踏切と電車が迫る音が聞こえる。

グチャ。

視界が真っ赤に染まる。

さっきまで体だったものが肉片に変わる。

それが冷たい土に落ちる。

遅れて視界が真っ黒になる。

それは、彼女が憧れ、生涯唯一の友達が惹かれた純黒だった。

彼女はその瞬間まで口元を悦びに歪めていた。

「ありがとう、ユキ。私も、憑かれていたのよ。」

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人を呪わば穴二つ。

『彼女』は、それを身を以て証明したのだった。

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