長編10
  • 表示切替
  • 使い方

先生の仕事

今回のお話は「ゆめちゃん」のお話と同じく秋頃の出来事だったと思います。

その日、私は職場の教育係の黒川先輩について、取引先を訪問していました。

そして、「ゆめちゃん」のお話でも出てきた馴染みの取引先の高遠さんのところを訪れた時のことです。

nextpage

打ち合わせを終え、帰ろうとしていると事務員の絵梨花さんが近づいてきて、お茶でも飲んでいきませんかと勧めてくれました。

黒川さんは声をかけられてから、腕時計をチラっと見て残念そうに答えました。

nextpage

「ありがとう、でも次に行くところもあるから、今回は遠慮しておくわ」

「・・・そうですか、残念です」

「そのかわりまた今度一緒にご飯でも食べに行きましょう、ね」

落ち込んだ表情をした絵梨花さんはその言葉を聞いてまた明るくなりました。

「はい、楽しみにしています」

その仲良さげな様子を私は横で見ていました。

「絵梨花さんは本当に黒川さんにベタ惚れですね」

以前、自身が関わる心霊事件をいわゆる霊感のある黒川さんに解決してもらってから、彼女はずっと黒川さんにべったりでした。

nextpage

「ふふ、ファンなんですよ」

「だから、そんな言い方されるとむずがゆいわよ」

照れたような仕草をしながら、あらためて帰ろうとしていると、入口から高そうなスーツを着た体格のいい老紳士が入ってきました。

その老紳士は事務所に居る黒川さんの姿を確認すると満面の笑みを浮かべて近づいてきました。

nextpage

「おお、黒川さん久しぶりやね、元気にしてるか」

黒川さんもその近づいてきた老紳士に挨拶をしました。

「はい、お久しぶりです、先生」

私も黒川さんにつられてお辞儀をしました。

「今日はちょっと息子に用事があってな、話はできないけど、黒川さんはゆっくりしていってよ」

そういうと黒川さんに先生と呼ばれた老紳士は事務所の奥に入って行きました。

「黒川さん、今の方は誰ですか?」

この事務所の関係者に間違いはなさそうですし、どこかで見たような気もしていたのですが詳しくは思い出せなかったので黒川さんに尋ねました。

「ここの社長の高遠さんのお父さん、先代の社長さんなんだけど、今は息子に社長職を譲って地元の議員さんをしているの・・・あんた自分の地元の議員さんの顔ぐらい覚えておきなさいよ」

「い、いや議員さんなんてほとんど興味を持ったこともありませんし、というかやけに親しそうでしたけど、どういう関係なんですか」

そう尋ねると、彼女はどう説明しようかと考えているようでした。

nextpage

「・・・一年前ぐらい前だったかな? ここの社長の紹介で交通事故の多い小学校の通学路のことで相談を受けてね、その時からの付き合いよ」

なんだかとても興味深い話でしたが、機会があればまた話してあげるというので、その時はそれ以上聞きませんでした。

「でも、親子で議員と社長ではややこしいですね」

「・・・一応私は高遠先生と呼ぶことでここの社長とは区別してるけど、あんたはもっと意識しなさい」

nextpage

「・・・あの瑞季さん」

不意に絵梨花さんが黒川さんに話しかけました。

「ん、なに?」

「今、おじいちゃんの後ろの方に変な感じがしませんでしたか? 瑞季さんも微妙にお祖父ちゃんの後ろの方を見てましたよね」

絵梨花さんにとっては自分の旦那さんの祖父にあたるので、おじいちゃんです。

そういわれてみれば、地元の議員さんというよりも絵梨花さんの結婚式で見ていたような気がしました。

私は絵梨花さんの言っていることの意味が全くわかりませんでしたが、黒川さんはニンマリ笑いました。

nextpage

「ああ、えっちゃんも悪念の霧を感じたんだ、ゆめちゃんのこともあって、そういうことに鋭敏になってるのかな」

悪念の霧、今度こそ全く意味のわからない単語が出てきました。

「え、なんですか悪念の霧って、なんだかワクワクするフレーズです」

絵梨花さんの反応を見て、しまったという表情を黒川さんは浮かべました。

「いや、さっきのは忘れて、つい言葉が出ちゃっただけだから」

「ええ、なんでですか教えてくださいよ」

しつこく絵梨花さんが食い下がるので、黒川さんは諦めて説明してくれました。

絵梨花さんと黒川さんが感じたのは他人の嫉妬や恨みの念の集合体で、生霊のように個人だけのものではなく、意識的、無意識的合わせて発生したものだそうです。

黒川さんは政治家や芸能人なんかに付いているのをよく見るらしいのですが、その形象は黒いもやのようなものが集まっているように見え、それを見た時に頭に悪念の霧というフレーズが浮かんだということでした。

「浮かんだ?」

「まあ、嫉妬や怨念の染み出してきた悪い念の集まり・・・なんて後付けで理屈は付けられるわけだけど、たまにあるのよ、ぽんと単語が出てくることが」

黒川さん曰くそういう感じで出てきた単語は後から考えてちょっと恥ずかしいような表現でもそのまま使っているそうです。

「じゃあ、私がおじいちゃんの後ろから感じたのは悪い念の集まりっていうことですか」

「そうね、今はちょっと大きくなっているみたいだけど、あんまり気にすることないわよ」

「え、どうしてですか?」

「普通の人ならともかく高遠先生はいわゆる人間力が強いから、ちょっとやそっとの悪い念では全然影響を受けないわよ」

黒川さんが詳しく解説してくれましたが、今まで数々の修羅場をくぐり抜けてきたせいか、高遠先生はいわゆる持っている気の力が強くて、少々の悪念は寄せ付けないそうです。

「どうしても政治家や芸能人はいろんな人の念が集まりやすいからね」

「じゃあ、大体のそういう人たちはみんないわゆる人間力が強いんですか?」

「う~ん、テレビとか見てたら、神仏的な守護が強い人もいるわね、特に宗教色の強い人は」

宗教色と聞いて、そこはなんだか変な話になりそうでしたので、それ以上は突っ込みませんでした。

nextpage

事件が起こったのはそれから一週間後の夕方でした。

もうすぐ職場の終業時間という時に黒川さんの携帯電話に着信がありました。

彼女が電話に出ると看護師をしている妹の美弥さんからのようでした。

彼女は美弥さんからの話を聞いて顔色を変えていました。

電話を終えて私が尋ねると、先日話しをした議員の高遠先生が交通事故を起こして、救急で搬送されたということでした。

最初、私は妹の美弥さんから救急搬送された患者が自分の姉の知り合いということで気をきかせて知らせてくれたのかなと思ったのですが、違いました。

美弥さんもいわゆる霊感があるのですが、姉の知り合いの患者にとんでもないものが憑いてきているという連絡でした。

連絡を受け、上司に事情を説明してから、黒川さんと私は高遠さんの搬送された病院へ向かいました。

病院について携帯に連絡すると、美弥さんがロビーまで降りてきてくれました。

nextpage

「もお、お姉ちゃんびっくりしたわよ、あんなヤバイの私じゃ追い払えないよ」

以前喫茶店で会ったときは通勤用の普段着でしたが、今回は当然白いナース服姿でした。

細身で小柄な体型の可愛いナース姿はまさしく白衣の天使という表現がぴったりと不謹慎ながら感じてしまいました。

姉の瑞季さんは対照的に黒のスーツでしたので、黒衣の・・・そこまで考えて、怒ったときはちびりそうになるぐらい怖いですが悪魔ではないなと思い、考えるのをやめました。

nextpage

高遠さんの病室に案内されたのですが、その途中で美弥さんは詳しい話をしてくれました。

その日、午前中に美弥さんが病院の廊下を歩いていると、前方から搬送ストレッチャーが動かされてきて彼女の横を通っていったのですが、そのとき廊下の奥から吹き上がるように黒く染まった霧が現れました。

そして、その黒い霧の中からちぎれた泥の塊のようなものがぼたぼたと廊下に落ちて重なっていき、背広を着た男性が形作られ、ストレッチャーの後をゆっくりと追い始めたのでした。

美弥さんはその男性を強い怨念を持った何かとは感じましたが、現実にそこにいる人間ではもちろんありませんでした。

彼女はあわててそのストレッチャーの後を追いました。

ナースステーションで調べてみると、軽い処置の後入院のため個室に入るようでしたので、先回りしてとりあえず病室に簡易的な結界を張りました。

そして、その怨念の男性が部屋に入ってくることは抑えたのですが、入院患者の名前を見て姉の知り合いであることに気づいたということでした。

nextpage

私達は高遠先生の病室の前に着きました。

ほとんど何も霊的なものは見えない私でしたが、その病室の周りだけなにか雰囲気が違うことはわかりました。

廊下の照明が壊れているわけでもないのに、その個室の周りだけ妙に暗い感じがするのです。

「部屋の壁に向かって・・・いるわね」

瑞季さんが呟きました。彼女には背広の男性が病室の壁に向かって立っている姿が見えるそようでした。

男性がいるであろう横を通って、私達は病室に入りました。

中では頭に包帯を巻いた高遠先生がベッドに座っていました。

nextpage

「おお、黒川さん、どうしたんだ、見舞いに来てくれたのか」

突然の来訪でしたが、高遠さんは快く迎えてくれます。

「ああ、災難だったよ、息子は帰ったばっかりで、今は私一人だよ」

事故の状況を尋ねると、息子さんの高遠社長が運転する車に載っていた時に、突然車が滑るようにスリップして、ガードレールにぶつかったということでした。

運転していた社長も左腕に怪我をしたのですが、検査と処置が終わると、仕事があるからということで事務所に戻り、高遠先生は頭を打っていたので、とりあえず一日入院するということでした。

「一人でよかったです、ちょっとお話したいことが」

黒川さんの様子を見て、高遠さんは察したようでした。

「・・・何か変なのが憑いてきているのかな?」

「・・・はい、たまたまこの病院で看護師をしている妹が機転を利かせて病室に結界を張ってくれているので、病室までは入ってきていませんが」

「生きている奴かな?」

「ええ、生霊ですね、ただしもうこれは念の力が強すぎて呪いに近いです、なにか特別なことをしているのかもしれません。そしてこれは全くの想定外だったのですが、先生の周りの他の悪念も取り込んで力が増幅されています」

nextpage

そこまで話して特に動じている様子のない高遠さんを見て瑞季さんが確認しました。

「先生も気づいていたのですか?」

「うん、何か来ているとは思っていたよ、息子の怪我した左腕に掴まれたみたいな傷ができていたからね」

左手に怪我をした高遠社長は手首付近に赤い手形の痣がついていたそうです。

そうして左手を何者かに掴まれたから事故を起こしたようでした。

高遠さんは表情をほとんど変えずに瑞季さんに尋ねました。

「顔はわかるかな?」

「はい、年は五十代ぐらいで、眼鏡をかけて髪はオールバック、右頬の所に並んでほくろが二つあります・・・思い当たる人はいますか?」

「・・・ああ、わかるよ、知ってる奴だ」

高遠さんはそれを聞いて納得した様子でした。

「・・・それで先生、この生霊は本人に返しますか?」

生霊を本人に返す、瑞季さんから飛び出してきたのは、私には全く想像の出来ない言葉でした。

しかし、高遠さんはその言葉に慣れた様子で反応していました。

「黒川さんにお願いすればできるのかな?」

「そうですね、ちょっと時間はかかると思いますが、先生さえよろしければ」

瑞季さんは生霊返しの概要を説明しようとします。

しかし、高遠さんがそれを制止しました。

nextpage

「黒川さんはさっき奴の生霊を呪いといったが、その呪いを本人に返すとどうなるのかな?」

高遠さんの問いかけに瑞季さんは少し考えます。

「・・・そうですね、周りの悪念も一緒に乗っかっていますから、悪くすると精神がおかしくなるか、身体を壊すか」

「・・・人を呪わば穴二つか」

高遠さんは私でも知っている有名なことわざを口にしました。

「そうです、この男は先生を呪った時点で自分の墓穴をまず掘っているんです」

そこまで話を聞いて、高遠さんは少し考えていましたが、すぐに口を開きました。

nextpage

「うん、黒川さん、今回のことは私に任せてもらえるかな、生霊の力は本人の恨みが解消されたら弱まるんだろう」

「え、ええ、それは、そうですが・・・」

「黒川さんの気持ちはよくわかっているよ、でも、これは私が蒔いた種でもあるんだ。政治の仕事だからね、皆にいい思いをさせることはできないし」

そして高遠さんはばつが悪そうに続けました。

nextpage

「それが仕事とはいえ・・・悪いこともしているんだよ」

そう微笑むと高遠さんはお見舞いのお礼を言って、もう帰るように促しました。

そこまで言われて帰らないわけにもいかないので、帰ることにしましたが黒川さんは何かあったらまた連絡をくれるようお願いをし、高遠さんは了解しました。

私たちが病室から出て行くとき、高遠さんは携帯電話を取り出して早速どこかに連絡しているようでした。

nextpage

帰りの車の中、私は黒川さんに先ほどのことを話しかけました。

「びっくりしました、いきなり悪いこともしているって告白されて、すごく誠実そうな方なのに」

私の感想を聞いた黒川さんは特に表情を変えずに外の景色を眺めていました。

nextpage

「そりゃ、私にもよくわからないけどいろいろあるんでしょう」

確かに政治の世界のことなんて、地元の議員の顔も知らない私がとやかく言う事でもないのかもしれませんでした。

nextpage

「まあ、でも、悪いことをしているとしても、それを認識してやっている分だけ、先生は大事なことを分かっているわよね」

「・・・? どういうことですか?」

nextpage

「だって、悪いことをやっていてもそれを悪いとも思わないとか、自分は選ばれたものだから何をやっても許されるって考えている政治家の方がよっぽどタチが悪い気がしない?」

笑いながら話す彼女の言う政治家像を思い浮かべて、私は寒い気持ちになりました。

その後、生霊の送り主との交渉がうまくいったのかどうかはわかりませんが、高遠先生は何事もなく無事退院しました。

Normal
閲覧数コメント怖い
1,2946
15
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ

ロビン様、コメントと怖いありがとうございます。
白衣の天使、妹さんのお話は萌え要素が満点なので妹さん視点のお話も一本書きたいのですが、時系列がまだそこまで行っていないのですよね。
アナザーエピソード扱いで先に書いてみようなあ。

表示
ネタバレ注意

龍田様
はわわ、ながら読みしたくないなんて、そのうれしい言葉で一週間はハッピーにすごせます。
後で気が付いたのですが、何気に今までのエピソードで最長でした、それなのにじっくり読んでいただいてありがとうございます。
この先生はさすがしっかりしていますね、修羅場慣れしているのだと思います。
しかし、お正月後のことなのですが、うちの会社のある顧客の家で「あの先生、今年は新年の挨拶回り来ないけど、次の選挙は出ないのかしら」という何気ない世間話を聞いた時があったのですが、支持者のその言葉に政治家の世界は恐ろしい世界だなあと感じたものでした。

表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意