俺と小さな包みと浴室の女

長編9
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俺と小さな包みと浴室の女

いつもと変わらない街並み、

改札口から吐き出される人の群れ。

高層建築物で切り取られた狭い空は相変わらずのネズミ色だ。

人が作り出した流れのひとつに乗って俺は仕事場へと向かう。

テッシュ配りが、幾人も毎度の如く、行く手に待ち受けている。

ガキの頃、親父がビデオテープに録画していた

ジャッキー・チェンのカンフー映画で、こんなシーンがあった。

タイトルは『木人拳』だった…『少林寺木人拳』だ。

面白くてテープが伸び切るまで繰り返し観たっけな。

ジャッキーチェン演じる一龍が少林寺を出る為、

修行の最終段階で木製のからくり人形群と戦うことになるあの場面…

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ティッシュ配り達の目が俺に向かう。

狙いをつけられたか…

俺は右足を半歩引き、両手を身体の脇へ力を抜いて垂らす自然体を取る。

遠山の目付…

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一番近いティッシュ配りに目標を絞りながらも、全員を視界内へ入れると、

激しく心を揺さぶり胸を熱くするイントロが始まる。

日本公開版のみに存在する『木人拳』の挿入歌『ミラクルガイ』だ。

脳内で謝花義哲の特徴あるハスキーボイスが歌詞を紡ぎ出せば、

俺は一般のサラリーマンから少林寺の技を極めた功夫の達人になりきってしまう。

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軽くステップを踏み、腰を落として構えを取ると、

その一挙手一投足に風を切るような『ボッ!バッ!ボッ!』という、

カンフー映画独特の効果音が入る。

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俺を包囲するように殺到してくるティッシュ配り達。

ティッシュを受け取ってしまったら、なんだか…

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「負けな気がしてきた!!」

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左右から差し出される手を、敢然と無視して突き進む。

声はもちろん石丸博也の吹き替え版だ。

強引に握らせようとする奴は手首を掴んで外へと受け流す。

滑るように…相手の呼吸を読み…動くより先に間を詰め…すり抜ける。

油の上を進む蛇八歩の技が如く…

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(急所を攻めてはいけません!)

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しかし、敵もさる者。

ただでは通してくれるわけがない。

十重二十重となって俺を囲みにかけようとしてくるティッシュ配り達。

その動きも俊敏さと苛烈さを増してくる。

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「強くなったな、おい小僧!」

「誰だ、お前は!?」

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老境に差し掛かったティッシュ配りのおっさんに、

一瞬の隙をついて足払いを掛けられ、たまらず俺はバランスを崩した。

爛々と目を輝かせ、ポケットティッシュを掴む奴等の手が、

ここぞとばかりに残像を纏わせ迫ってくる。

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このままでは負ける!!

してもいない辛く長く厳しい修行の日々が脳内に映像となって蘇った。

雨の日も、風の日も、雪の日も、灼熱の陽光降り注ぐ日も…

傷痕と共に身体へ刻み付けた功夫がまさに今、

思考を遥かに凌駕して俺に神速の動きを与えたのだ。

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紙一重で敵の攻撃を回避し、自分でも驚くほど見事に姿勢を立て直す。

さらに、一度は懐へねじ込まれたポケットティッシュを、

入れた本人の掌へと押し返す。

常人なら気づく間すら無かったろう。

達人であるなら、尾を引き戻される拳の航跡くらいは見えたであろう。

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深く踏み込み肘で正面に立つ奴の鳩尾を打ち、

背後に回り込んでさらに当身を放つ。

俺を囲んだティッシュ配りの一角が崩れて道が開けた。

いくら焦って追い縋ろうとも、もう間に合わぬ。

背後ではティッシュ配り達が悔し気な表情を浮かべているだろうな。

彼らに右手を挙げて悠然と去っていく俺。

映画ならジャーン!と銅鑼の音が鳴り、

画面に『終劇』の文字が現れた事だろう。

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しかし、

風に揺れるキャラメル色の長い髪…

ひとりの女性が、勝ち誇り肩で風を切りながら

会社へ向かう俺の正面に立ち塞がったのだ。

ティッシュ配りとは思えない。

白いワンピース、日本人離れした白い肌…髪以外、靴まで白い。

この真冬に何かの罰ゲームだろうか。

その白く輝く美貌が俺に向かって微笑みかけてきた。

呆気にとられた…

完全に動きを止めた一瞬で間合いを詰められ、

彼女の白い繊手が俺の掌と重なり…

何かを握らされた。

即座にてのひらを確認してみると、

ラッピングされ赤いリボンのついた包みがひとつ。

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どういう事かと彼女に問おうと顔を正面へ戻した時、

そこに白い美人の姿は無かった。

ティッシュ配りはいつも通りに道路の脇へ立ち、

何事もなかったかのように朝の通勤時間の風景があった。

彼女はどこへ行ってしまったのか…

俺の手に残された包みと、

訳の分からない敗北感が、

夢でも幻でも無かったことを、

告げていた。

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開け放たれたドア…

廊下の突き当りにある浴室から明かりが灯っている。

叩きつける水音…

完全に意識が覚醒した。

同居人などいない…住んでいるのは俺一人。

このアパートに移ってきて三年…

枕元で充電している携帯電話を手に取って、

時間を確認してみれば午前3時3分。

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帰宅したのは午前0時…湯船に浸かるのは面倒だとシャワーで済まし、

ウイスキーが入ったグラスと共にベッドへ潜り込んだのは

1時くらいだったか…

通勤時間に受けた敗北の屈辱になかなか寝つけなかったから…

熟睡して1時間も経っていないだろう。

シャワーを浴びた時に水を出し放しにしてしまったのだろうか。

いや、そんなはずはない。

この慢性的な不景気で収入は減り、水道代だって無駄にできない。

生活費には細心の注意をはらっている俺だ。

合いカギを渡している誰かが来て風呂に入っているが妥当だが…

付き合っている彼女か、

最近まで同居していた妹のユズキ…

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しかし、こんな深夜にやってきて挨拶抜きで入浴するとか…

彼女なら入浴は自宅で済ませてきて、静かに褥に入ってくるだろうし、

アホの妹なら「お兄ちゃん!」と、でかい声を張り上げ部屋に入ってきて、

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「あらゆる創造物は人間の内より生じる物。

 つまるところ、この世でもっとも愉快なモノとは風呂に他ならない。

 セ氏42℃の熱々の風呂こそが最高の娯楽となる」

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などと、どこかの愉悦神父みたいなセリフを吐き、

俺に入浴の支度を命じたことだろう。

だがしかし、

この時間まで動いている電車は無いから二人が来れる訳がない。

では、俺が蛇口を閉めるのを忘れたのか?

そこへ、水音に混じってかすかに女の歌声が聞こえてきた。

声が違う。

彼女でも妹でもない。

まさかの侵入者を確かめる為、俺はベッドから起き出し、

アホの妹が置いていった『ユズキ謹製釘バット』を右手に、

足音を殺して浴室へ向かった。

廊下から洗面所へそろそろと身を屈めて侵入、

洗濯機と洗面台の間を抜けて浴室のドアへ接近する。

浴室の明かりは点いている。

曇りガラス越しに人が中で動いていることを確認した。

侵入者のくせに無防備だな。

シャワー音に混じって女の声がまだ聞こえている。

ハミング…鼻歌かこれは!?

忍び込んだ家、それも家主在宅中に本気で風呂に入っているだと!?

大胆不敵にも程がある。ありすぎる。

ありすぎて孔明の罠かもしれんと深読みし、

誰何の声をあげることすらできなかった。

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あの女が口ずさんでいるのは『MyFavoriteThings』…

私のお気に入りか…ミュージカル『サウンドオブミュージック』だな…

ジョン・コルトレーンがカバーしたことでも有名…

某鉄道会社のCMでお馴染みだ。

聞けば衝動的に京都へ行きたくなる曲。

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「J●東海♪」

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そのフレーズまで言うんかい!?

それはともかく

家主に断りも入れず侵入して風呂へ入るヤツが悪い。

アホの妹ならこんな場面、こんなセリフを吐いた事だろう。

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「いくぞ侵入者、湯気の準備は充分か!?」

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俺は膝立ちになってドアノブに手をかけ、そっと開いた。

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「!!」

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立ち上る湯気…それに負けないくらい日本人離れした白い肌…

形良いふくらはぎ、艶めかしい白いふともも…

目の前に現れた見事な脚線…

ぷるぷると水蜜桃を思わせる尻…

水を吸って裸身に絡みつくキャラメル色の長い髪…

身体についた泡を掌で落としていく妖艶な仕草。

見知らぬ女性が湯浴みする姿に、俺は釘付けとなってしまう。

侵入者を確かめにきた筈が、

風呂を覗く変質者と化してしまった。

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シャワーの蛇口を閉め、髪を手で拭い水気を切る女。

露わとなった腋の下、その白さが際立つ。

中の女性がいきなり振り返った。

俺と彼女の視線が見事にぶつかり合う。

満足そうに笑みを浮かべていた顔が一瞬で掻き消え、

怪訝そうな表情へ変わった。

そして、

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shake

shake

shake

shake

「きぃぃいいいいいいやぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

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叫びやがった。

もの凄い悲鳴、絹を裂くような…では生やさしすぎる。

金切り声…いやいや…

超音波…それでも生ぬるい。

殺人音波…質量を伴う面制圧を目的とした音響兵器…

俺はドアの前から脱兎の如く、四つん這いで慌てて逃げ出し、

女の視界から逃れようと廊下へ飛び込んだ。

壁に背を預け、深呼吸をする。

女のあげた大音声に鼓膜の耐久力が限界を突破したか、

何も音を伝えてこない。

びっくりしたというか、今でも何が起きているのか訳がわからない。

壁からそっと顔を出し、侵入者がどうしているか確かめる。

風呂場の明かりが消えている。

だが、壁を透過できなければ中に奴はまだいる筈だ。

ここを押さえていれば、逃げることも儘なるまい。

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「あ!」

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あのキャラメル色の髪…どこかで見たと思えば

蘇える朝の光景、小さな包みを俺に手渡した女…

間違いない…と、思う。

顏も美しかったが、裸身もまた輝くように美しかった。

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「だが、胸が小さかったな」

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Aカップ確実だな…口に出した瞬間、俺の頬を強い圧力が叩いた。

いつの間に、浴室のドアが開け放たれている!?

そして、頭上が翳った。

洗面所の蛍光灯を何かが遮ったのだと気づいた時には遅かった。

キャラメル色の颶風が俺を襲い、

強い衝撃に俺は耐えられず横倒しになる。

柔らかで、心地よい重み…そして、俺が使っているボディソープの香り…

よく見えないが、仰向けになった俺の上に誰かが覆い被さっている。

極上の抱き心地に星三つを進呈したいところだが、

素人では到底出せない怖ろしい気配がそれを許さない。

浴室にいたあの女か!?

俺に伸し掛かっていた身体を引き剥がし、

幽鬼の如く上半身を起き上がらせていく姿。

やはり、あの女だった。

裸身にバスタオル一枚、

怖ろしく長いキャラメル色の髪を逆立て、

顔に憤怒の表情を貼り付かせている。

俺を見下ろすあの剣呑な眼差し、何かすごい剣幕で喋っているな。

まだ耳が満足に聞こえない。

女の右手が振り上がる。

shake

直後に激痛が顔面を襲い、気が遠のく。

shake

殴られたのだと理解し、

shake

家に無断で侵入した挙句、勝手に風呂へ入り、家主を殴る暴挙…

shake

怒りが沸いてきたが、

shake

抗う術も無く馬乗りで一方的に殴られ続け、俺は気を失った。

shake

shake

マウントポジションからの滅多打ちだ。

shake

shake

shake

shake

shake

打ち下ろす拳に体重が加算され、女の細腕でもダメージが脳にきた。

暗転する視界、薄れいく意識の中で

「小さくなんかないもん」という声を聞いた気がした。

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朝日が射し込み、俺が目を醒ました時には、

部屋の中に誰も残っていなかった。

釘バットが廊下に転がっている。

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「こいつを使われていたら、確実に死んでたな俺…」

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パンパンに腫れあがった顏で、

昨日の朝、路上で女から手渡された、

あの小さな包みを探したが、無くなっていた。

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おわり

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女の子の正体が妖怪の類でなければ、居直り強盗のようなふてぶてしさ・・・
お兄さんは妹のユズキちゃんの言動からももしかしてと思っていましたが、ド○ムの素養がありそうですね、ふふふ。
女の子の正体と包みの中身が気になります。
続編があるのでしたら楽しみにしています。