長編9
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嫉妬姫

 1

降りはじめの雪を少女は憎らしく思う。

高い露台より見下ろす城下に、人がいなくなるのがたまらないのだ。

いたとしても皆襟をしめ、視線を落とし歩き行くだけで、

自分を仰ぎ見る目や、たたえる声のないことが我慢ならない。

陶器のごときに血を通わせた肌も、長くなびき闇色に艶めく髪も、

夜に産まれ月の祝福で成された美貌さえも、すべては自らの為のものでは

ないのに――少女はそう考えているからだ。

わが身を眼にした者たちが、めいめいに神のみわざを想うべく自分はいる。

それを気づかせることが王女の使命なのだと信じている。それなのに――

(ああ、なんて忌々しいのかしら)

ぎりりと見すえる空より西風が鳴る。両側に離れおかれた松明が赤く燃えさかる。

それは暖を取るものというより、自室前に白雪など積もらせないための処置だ。

”白”は彼女の最も嫌いな色だった。

ふと、遠く魔女が棲むといわれる森の横を、二頭立ての馬車が走るのが見えた。

やがてその車輪の音がこちらに近づき、城門を越えて停車すると、

「あら、あなたカタリナが……」

「おお、姫よ、今帰ってきたぞ」

隣国の会合から戻った王と王妃が、車中より共に降り立って手を振る。

その仲むつまじい様子を眼にとらえるや、カタリナは気づかぬ素振りで

ぷいと自室へひきこんだ。

部屋には夜合樹で編まれた鳥カゴが置かれ、蒼羽の珍しい小鳥が入っている。

今年の秋の演奏祭で、彼女はフィドル(弦楽器)を披露したが、その音色に感銘を

うけたという太った婦人より贈られたもので、

「この鳥は願いをかなえる力を持っているのです」とその扱いかたを耳打ちされた。

たしかに、この名もわからぬ鳥は姫の心を多少なぐさめた。

今日のような日も、この小さな者だけはその眼を主に向け、無邪気に囀ってみせる。

姫はカゴへ手を入れ、するりと鳥をつかみ出した。

菫色の瞳でそれを見つめる姫の脳裏に、しかし浮かんでいるのは王妃の姿だった。

(なぜ、どうしてあのような者が……!)

小鳥は蛇にまかれた獲物さながら、十四の娘の白い指に羽ごと絡めとられ、

逃れようと鋭く鳴いてもがき続ける。

 2

王妃の来るその日まで、カタリナは自らを神の御使いと信じて疑わなかった。

実の母は彼女が五つの時分に病で亡くなっている。

父王は悲しみのあまり十年もの間独り身でいたが、ようやく後妻を迎えたのが半年前。

新たな王妃は大変美しく、また聡明であり、近頃では国政の相談までされる程になっている。

しかも早いうちからその慈悲深さが国中の評判となったのは、嫁ぐと共に国民に暖かい上着

を配り、またその全てには王妃の自らの手による赤い釣り鐘草の刺繍がなされていたからだ

(カタリナだけは手渡されたドレスをその場で暖炉へ投げ込んだが)。

王妃の慈しみと優しさは当然娘にも惜しみなく注がれている。

しかしそのことが、カタリナには尚のこと気に入らなかった。

突然現れては、父の愛と国民からの崇拝をかすめ取り、そして何より、

美しさで自分を上回る事実こそ許しがたかった。

(皆があの女のことを良いようにいう……今じゃ誰もがあの女の言いなり……

でも、そのうちきっとよくないことが起きるに決まっている。皆の眼を覚まさせるには

このわたしが何とかするしかないんだわ――)

力の込められた手の内で既に小鳥は動かなくなっていた。

クチバシから肉色のものを長く吐き、無惨となった姿を姫はつまらなそうに見つめる。

そうして再び露台の方へ行くと、死骸を盛る炎へと放り込んだ。

暮れの薄闇にパッと火の粉が舞い黒煙が立ちのぼる。

カタリナはしばらく見上げていたが、やがて息をつき部屋へと戻った。

戸が閉められると、露台の柵の向こうに、青白い子供の顔がぬっと現れた。

 3

翌日、教会の朝の鐘よりも早く、城内には絶叫が響いた。

いつものように係りの侍女が、姫の身を清めるべく湯を部屋へ持ち込んだところ、

室内は凄惨の有様と化していたのだ。

女には当初、姫が妙な格好でベッドに横たわっていると見えた。

暗いなかで窮屈そうに頭を立て、寝ながらこちらを向いているように思えたが、

近づくと、枕に生首の置かれた状態であることがわかった。

腰を抜かした女は泣き叫んで衛兵を呼ぶ。

人が駆けつけてあらためると、部屋にはそこらじゅうに血が飛び散り、

まるで獣に噛み千切られたような痕で、腕、脚、体が痛ましく断たれ転がっていた。

血に塗れた髪の貼りつく頭は手紙をくわえており、文面は、

『僭越ながら一筆。妃殿下を拙宅へお招きいたしたく存じます。

必要であれば従者お一人を連れ、金貨千枚を持たせお越しください。

お見えにならない場合、次は姫様のお首が置かれることになります。

                       森の卑しき者より』

憐れな首をよく拭いて見ると、髪色や歳は近いが別人、侍女のひとりであるのがわかる。

姫の姿はやはりどこにもなく、魔女にさらわれたという報せを聴くや、

「ああなんてこと!」王妃は叫び顔を覆った。しかし毅然とすると、すぐに

ソリを用意し金貨を乗せるように言った。その横で王は首を振り、

「そんな危険な真似がさせられようか。事は慎重に進めなくてはならない。

姫は必ず救い出してくるから、おまえはここで信じて待っていなさい」

そう言って行かせようとしない。

だが、城中の騒ぎのなか、賢い王妃は侍従室より服をとって身にまとい、頭巾で

髪を隠し、炭で顔を汚して姿を変える。

そして自室から、ひと目で金貨千枚分の価値と知れる五つの宝石を袋につめると、

密かに城を抜け出してしまった。

 4

肥えた体を揺り椅子に預け、ギッギッと軋ませている女がいた。

それは誰もが知りながら、目にはせず口にも出さない、霧けぶる森の家に棲む者。

演奏祭の日、カタリナに鳥を贈った魔女であり、姫の奏じた音色よりその心を占める

暗闇を見抜いた者だった。

正面の黒檀の机には魔法の鏡が置かれている。暗い室内でその鏡面だけが光り輝き、

王妃の姿が映しだされていた。

格子のように並び立つ木々のなかを、王妃は大分くたびれた様子で足をひきずっている。

一人で出歩く事すら慣れていないように、白樺のえだを杖にフラフラとさまようさまに、

「はッ! 森へ入ってまっすぐ真ん中を目指せばたどりつくものを、この女ときたら

裏っかわにいっちまってるよ! あんたの母上さまも、いわれてるほど賢かぁないねえ」

朝から様子を眺めている魔女は、腹をゆさぶり大いに嘲笑った。

やがて沼の生臭さ漂う家へたどり着くと、王妃は戸を開けて宝石を取りだす。

「ごらんください。金貨の代わりに同じ価値だけの宝石をご用意しました。

これを差し上げますから、どうかカタリナを返してください!」

「むろん、そいつもいただくが、他にも頼まれてるものがあってねえ……」

奥の暗がりから魔女が姿を見せる。

王妃がハッとすると、魔女の足元には子供の顔があった。

うつぶせに這っているように見えたが、その身体は黒羽の平たい虫の形をしていて、

節足をギザギザと蠢かしている。しかも一体ではなく、影のなかから大小無数に

現れては、鋭い歯の笑顔をむきだし、王妃へ一斉に飛びかかった。

「ヒヒッ、あんたの命さ」

瞬く間、王妃の体は黒く覆われて見えなくなってしまう。

使い魔らの噛み音が夥しく鳴りひびくのを、魔女は心地よさげに聴く。

そしてほくそ笑むと、王妃の手よりこぼれ落ちた宝石を拾おうと屈みこんだ。

と、その手がガシリとつかまれる。

紫の光が室内にほとばしった。

眼前の使い魔らが蒼く燃えあがり、断末魔を残し灰と化していく。

「――カタリナはどこかしら?」

人面虫の骸をのけ、太い手首を固く捕えたまま、王妃が平然とたたずんでいる。

魔女は「ヒッ」と声をあげ、あわてて自らも炎の魔法をかけようとしたが、

王妃がなにごとかつぶやくと、火はむなしく失せてしまった。

「無駄よ。私の呪文以外を禁じるよう、魔法の円にいま力を注いだから。

この中ではあなたは無力」

「な、なにをっ、魔法陣など一体どこに……!」

うろたえる視線が魔法の鏡をとらえた。そこで先程まで映し見ていた、足を地に

ひきずる王妃の姿を思い浮かべると、魔女は眼を見開き、

「――ま、迷ったふりをして線を描いたね! アタシに気づかれず、この一帯を

囲うほど大きな魔法陣の線を!」

「もういいわ……消えなさい」

王妃は空いた方の手を相手の額に当てる。

魔女の体は頭頂から徐々に石へと変わっていき、やがて爪先まで動かなくなると

粉々に砕けてしまった。

その残骸から、煙のようなものが立ちのぼったが、見逃されず宝石袋が被せられる。

王妃の髪が縫い込まれた袋の魔力で、魔女の魂は逃れることができない。

再び呪文が唱えられ、袋ごとその魂は燃やし尽くされてしまった。

 5

「カタリナ、もう大丈夫よ。どこなの、返事をしてちょうだい」

硫黄の臭いが立ち込めるなか、呼びかけると奥の戸がギィと開き、姫が姿を現した。

青ざめた顔をして、今の出来事を一部始終見ていたようだが、それでも、

「おかあさま、わたしおそろしかった――」

王妃のもとへと駆け寄っていく。

そして広げられた腕へと跳び込むや、袖に隠していた短剣を王妃の胸へ突き立てた。

「滅びなさい――魔女」

「あら……」

姫は刃をえぐるようにしてから抜き、その体を押しのけた。

ドッと壁に背をぶつけた王妃は、胸を朱に染め、床に散った魔女を見ながら、

「ああ、そう……そちらの方の雇い主はカタリナ……あなただったってわけね……」

「ええそうよ、死になさい! まさかあなたがこんな恐ろしい人だったなんて!

――でもこれでもうお父さまや民からの愛も、賞賛も、そしてこの国で一番の美貌も、

すべてまたわたしだけのものになるんだわ!」

勝ち誇る姫を、王妃は唇から血泡を吹き、見つめながら言う。

「カタリナひとつ教えて……あなたの部屋であの罪のない娘を殺し……

あんなふうにしたのは誰の考えなの? そこの魔女? それとも……」

「フン、そこに転がってる女は、単に金貨がほしいだけのくだらないおバカさんだわ。

火への供物で使い魔を呼ぶ手立てをわたしに含んで、人知れずあなたを始末したい

わたしの願いに乗じて企てを持ち込んだだけ。でもあんまり雑でつまらない内容

だったから、わたしがふさわしく色付けてあげたの。あの子を呼んで悪魔にバラバラ

にさせてね。ねえ、おかげで舞台がずっと真に迫ったものになったでしょう?

あなたが慌てふためく様をわたしはずっと見ていたのよ!」

カタリナは満足げに微笑む。

と、王妃が突然、壁からはじかれたようにその笑みに迫った。

そして、ものすごい力で姫を抱きしめると、

「ねえカタリナ……あなたが暖炉へ捨てた上着のことおぼえているかしら……

あれに縫われた刺繍は私の血染めの髪によるもの……上着に袖通せば誰もが私を

愛するようになる呪いを込めておいたのに、あなただけがかからなかった……」

姫は逃れようと必死にもがくが、腕は解かれない。

「ゆっくり、確実にこの国を手に入れるつもりだったのに、おそろしいカタリナ……

いい機会だからここで死んでもらうつもりだったけど……私の負けね。――でも。

あなたのその邪悪な才能、嫉妬にまみれた魂、とっても魅力的だわ」

血ぬれた唇が姫の口を塞ぐ。

カタリナは王妃を突き飛ばしたが、身の内を焼かれるような感覚に襲われ、

苦悶の叫びでのたうちまわる。まるで全身の血が火に変じたようだった。

王妃も崩れ落ちながら、黒檀の机へすがり、そこにある魔法の鏡をつかんで

自らを映した。

そして最後の呪文を唱じると、死にゆく体を捨て、鏡へ魂を移し替えてしまった。

「わたしに……何を……したの……」

姫はわななく肩を押さえながら立ち上がった。

火の痛みはおさまったが、今は黒く大きな激流のような、抗いがいようのない

衝動が頭の中で渦巻いている。その怒涛は彼女にとって甘美の滾りとも感じられた。

姫の問いに『鏡』そのものとなった王妃が応じる。

「ほんの少しよ、ほんのちょっぴり魔法をかけて、あなたの欲望を糧に変えただけ。

冷たい心の土に嫉妬と倨傲の根がのびて張り、やがてそびえる黒い幹こそが魔力となるの。

あなたはきっとおそろしい魔女になれる。私があなたの願いをかなえるすべての魔法を

教えてあげる。望めばもっと大きな国だって手に入れられるし、どんな問いにもこの『鏡』

が答えてあげるわ。……ねえ、まずは何を知りたい? やはり最初はこれかしら? あなた

の心を最も占めるもの、あなたが自身にかけた最大の呪い。――この国で一番美しい人は

だれかしらって? そう、それは間違いなくあなた自身よ、カタリナ、未来の女王さま!」

Concrete
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