中編7
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菜の花の川

「和弘、和弘、居るのかい?」

「ああ、兄ちゃん、ここに居るよ。」

ゴホリと痰が絡んだ咳を一つすると、耕作は隣の部屋の和弘の気配を感じて安心した。

「和弘、学校は楽しかったかい。」

布団から半身を起こした状態で、耕作は和弘に微笑む。

「うん、楽しいよ。」

「友達は、できたのかい。」

「うん、できたよ。」

「そうかい、それは良かった。」

縁側には、ポカポカと春の日差しが差し込んでいた。

耕作の家のすぐ側には、川が流れている。

きっと、あの川原には菜の花が咲いていることだろう。

「俺は、お国の役に立てない厄介者だ。」

耕作はひとつ溜息をついた。

「兄ちゃんは厄介者なんかじゃないよ。早く体をなおして、元気になってね。」

「ありがとう。和弘は優しいなあ。」

耕作は、和弘の頭を撫でた。

 耕作は、徴兵検査を受けた際に、肺を患ったことを理由に入営不適と判断された。

近所の幼馴染達が、徴兵される中、自分だけが取り残されたような疎外感に耕作は耐えていた。

お国のために役に立てない申し訳なさと、徴兵され、散り行く幼馴染達への申し訳なさとで、家でのうのうと生きている自分を恥じていたのだ。母親も、さぞ肩身の狭いことだろう。

自分の無力感。せめて、和弘の面倒だけでも、自分がという思いでいっぱいだった。

 母は、畑仕事や家事に忙しい。父親は数年前に病死した。

和弘には、軽度の発達障害がある。普通に話はできるが、突然どこか遠くへ出かけていってしまったり、落ち着いて、机について座っていることができない。常に、落ち着きなく動いており、たまに奇声を発したりするのだ。

忙しい母親に代わって、耕作は和弘の世話をすることで、自分の生きる意味を見出していたのだ。

「和弘、母ちゃんが居ない時に、一人で出かけたらダメだぞ。」

耕作はそう言うと、和弘がうんと答えた。

耕作は安心すると、体を布団に横たえて、目を閉じた。

早く、病気を治さねば。俺も、病気を治して、お国のために働きたい。

そして、願わくば、生きて帰り、母と和弘を守って暮らしたい。

 耕作が目を覚ますと、もうお日様は、真上に昇っていた。

そろそろ、和弘に飯を食わせなくては。

そう思うが、体が言うことをきかない。

やれやれ、いつになったら俺の体は治るのか。

「兄ちゃん、ご飯だよ。」

和弘が、台所から声を掛けて来た。

そうか、今日は日曜日か。

長らく、家に居ると、曜日の感覚もよくわからなくなる。

母が、お昼ご飯の支度をしてくれていた。

「いただきます。」

耕作は、戦地の友のことを考えると、こうして生きて飯を食っていることを申し訳なく思う。

耕作の頬を自然と涙が伝う。

「どうしたの?泣いたりして。」

母がたずねる。

「戦地の友のことを思うと、俺は申し訳なくて。」

母が、溜息をつき、俺に答える。

「泣いても仕方がないじゃない。さあ、お食べなさい。早く元気にならないとね。」

母は優しく微笑んだ。

 ご飯を食べている和弘を見て、耕作はふと、違和感を感じた。

右手で箸を持って食べている。和弘は、左利きではなかったか?

耕作は、しげしげと和弘の顔を見た。そういえば、あの落ち着きの無い和弘が、きちんと食卓について、ご飯を食べている。和弘なら、ご飯を食べている途中でも、放棄して立ち回り、母親にきちんと座りなさいと、何度となく注意されるはずだ。

 和弘はこんな、茶色い髪の色をしていただろうか?和弘は、まだ十歳のはずである。ところが、目の前にいる和弘は、どうみても、十四、五歳にしか見えない。

「お前は、誰な?和弘ではないではないか。」

その言葉に、食卓は一気に凍りついた。

 耕作は、箸を置くと、玄関に駆け出していた。今まで、歩くことすらままならなかった足が、勝手に動いたのだ。

あれは和弘ではない。俺は、和弘を助けに行かなくてはならなかったのだ。どうしてこんな大切なことを、今まで忘れていたのだろう。

 後ろから慌てて、茶色い髪の和弘の真似をしていた少年が追いかけてきた。

「じいちゃん、待って!」

俺はじいちゃんなどではない。こいつは何を言ってるんだ。

 耕作は、家のすぐ前にある、川原へと走った。

「和弘、今助ける。助けるからな!」

そう言うと、耕作は川の中へざぶざぶと入って行った。もう三月というのに、川の水は冷たい。

耕作はかまわず、川の水をすくい、和弘の体へと水をかける。すくってはかけ、すくってはかけ。

和弘を包む炎を消そうと、懸命に水をかけるが、一向に和弘を包む火は消えない。

「おとうさん、やめてください!」

 母が何故か、おとうさんと呼び、耕作を羽交い絞めにした。

「母ちゃん、和弘は生きとる!死んでなんか、おらん。ほら、見て!火なんかかけてしもうて。和弘は、火の中から熱いって起きあがっとるが!はよう、水かけんと死んでしまう!」

「おとうさん、和弘さんは、空襲で死んでしまったのよ!もう、何十年も前に死んでるの!」

「嘘を言うなよ!和弘が死んだなんて嘘だ!俺が目を離した隙に、和弘が出てしもうて、爆弾で死んでしもうたって言うて!和弘の死体を、皆の死体と一緒に焼くって言うて!油と火をかけられた!でも、和弘は生きとったんよ、母ちゃん!だって、俺、炎の中で起き上がるの、見たんよ!だから、今なら助かるかも!」

耕作は、そう叫んで、ざぶざぶと水を手ですくうと、川原にかけ続けた。

 後ろから、男が耕作の体を、強い力で羽交い絞めにした。

「父さん、帰ろう?な?家へ帰ろう。もう戦争は終わってるんよ。和弘さんはもうおらんのよ。」

「離せ!俺は、和弘を助ける!」

暴れる耕作を、その男と、先ほどの少年が押さえつけ、両脇を抱えられた。

「和弘!和弘!かずひろーーーーー!」

「ねえ、あなた。もう限界よ。おとうさんを施設に預けましょう?」

家族が真剣な顔で、相談している横で、耕作は濡れた寝巻きを着替えさせられて寝息を立てている。

「ああ、もう家族で介護するのには限界があるな。」

そう答えたのは、紛れもない、耕作の息子である。

「自分の孫のこともわからなくなってるんですもの。ある日、和也のことを、和弘って呼びはじめた時にはびっくりしたわ。」

 和也は心配そうに、耕作の寝顔を見ていた。

和也は、おじいちゃん子で、耕作のことが大好きだった。

最初は、しっかり者の祖父が呆け始めた時には驚いたが、もう随分と長い間、和也は和弘の役をこなしていた。

右利きだったのを、わざわざ左利きの練習をしたりして、和弘に成り切っていたのだが、つい昔の習慣で、右で箸を持ってしまい、和也は自分を責めていた。

「おじいちゃんを、施設に預けてしまうの?」

和也は、涙目で母親を見た。

「もう、限界なのよ、和也。」

「俺が、もっと頑張って和弘に成り切ってたらよかった。」

涙ぐむ和也の頭を父親が撫でた。

「お前は十分頑張ったよ。お前の優しさは、じいちゃんを十分幸せにできたと思う。」

 和也は、まだ祖父が呆けて居ない頃に、よく祖父の死んだ弟の話を聞かされた。

祖父は、戦時中、肺を患い、徴兵不適合と判断され、戦地に赴くことはなかった。祖父には、発達障害のある弟がおり、祖父がちょっと目を離したすきに、外へ出て行方不明になってしまい、空襲に遭い、爆弾で死んでしまったということだった。当時は、空襲で出る遺体の処理が間に合わず、疫病を防ぐために、やむなく、川原で死体に油をかけて焼いたそうだ。

 祖父は自分を責めていた。母が留守の間、自分がちょっと目を離したすきに、弟が家を出てしまったことに気付かなかったことを悔いていた。油をかけられ、焼かれる弟の死体を断腸の思いで見つめていた時に、弟の体が炎の中で起き上がったそうだ。それを見て、祖父は弟がまだ生きていると思い、炎に飛び込もうとしたそうだ。川の水をかけ、必死で弟を助けようとしたのだ。

 遺体を焼くと、人間はごくまれに、皮が縮んで、起き上がってしまうことがあるそうだ。それを祖父は、弟の和弘が生きていると、勘違いしたのだ。

 きっと祖父は、和弘さんに生きていて欲しかったのだ。だから、和也は、ずっと和弘を演じ続けた。祖父の苦しみが少しでも癒されるように。しかし、和也は和弘にはなれなかった。

 耕作は、施設に預けられると、一年も経たずに亡くなってしまった。死に際に和也が見舞いに行くと、やはり和弘、和弘と呼んで泣いた。

そして、最後に、和也の頭を撫でながら

「ありがとうね、和也。」

と言い残して死んだ。

和也は、一生分の涙を使い果たすかと思うほど泣いた。

今日は、耕作の命日である。

和也は、耕作の墓に花を手向けるとともに、川原にも花を手向けた。

「じいちゃん、和弘さんとはもう会えたかい?」

川原には、黄色い菜の花が咲いている。

春はもう近い。

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先生!感動しました!( ᵌ ㅊ ᵌ )

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