長編11
  • 表示切替
  • 使い方

白護病院

今回のお話は私が地元で就職した一年目の冬に起こった事件です。

その日、私は会社の取引先である高遠さんの事務所を訪れていました。

そこでの仕事の話が終わった後、私の高校時代の先輩でもある社長の息子さんと世間話をしていました。

nextpage

「先輩、絵梨花さんはもう産休に入ったんですか」

「ああ、本人はぎりぎりまで仕事を続けたそうだったけど、もうそろそろ生まれてもおかしくないからな」

先輩の奥さんの絵梨花さんは会社で事務員をしていたのですが、出産間近になったことで産休に入ってもらい、代わりの女性事務員さんを雇っていました。

新しい事務員さんは藍さんという名前で絵梨花さんの高校時代の同級生らしく、ちょうど職を探していたということでした。

そんな話で盛り上がっていたのですが、不意に先輩から今日変なことがあったんだと切り出されました。

nextpage

「おまえ、市内の病院なんだけど、白護病院って知ってるか?」

白護病院、市内の病院と言われましたが、そんな名前の病院は見聞きした覚えがありませんでした。

「今日、その病院の玄関照明が切れてるってことで、修理依頼が警備会社から来たんだけどさ」

「えっ、先輩のところって、照明関連の仕事もやってるんですか?」

「いや、やってない」

そう言うと、先輩は今日会った出来事を話し始めました。

nextpage

その日の朝、警備会社からファックスでの依頼通知と電話での連絡があり、事務員の藍さんが受けました。

内容は白護病院という施設の玄関照明が切れたので、交換してほしいということです。

しかし、おかしな依頼でした。

最初、電話を受けた藍さんがうちは照明関連の仕事はしていないので間違いではないかと説明したのですが、警備会社の担当者は社長に伝えてくれたらわかると言いました。

しかし、その時高遠社長は県外に出張中で不在でした。

そこで社長の息子である先輩に伺いが立てられました。

先輩はその病院の名前に覚えがありました。

以前、倉庫の奥の棚に白護病院用と書かれた段ボールを見かけ、中には箱の印刷が褪せるほど古い型の照明球と蛍光灯などが入っていました。

実はその日、先輩は朝からお腹の調子が悪く、仕事のやる気はかなり低めでした。

そのため、照明の修理とは言っても、切れた球を変えるだけなら素人でもできる簡単な仕事なので、さぼる意図も込めて自分が行ってくるよと返事しました。

nextpage

先輩は事務所を出て、警備会社から送られてきた報告書兼依頼書を見ながら車のナビに白護病院と打ち込みましたが、登録されている施設はありませんでした。

病院なのに登録されていないことに違和感はありましたが、しようがないので住所を直接打ち込んでナビに案内させました。

到着したのは山のふもとにある古い病院でした。

山のふもとという立地と周りをほとんど現在は使われていない共同住宅群に囲まれていたため、本当に近くまで来ないと施設の存在自体が全く分からない場所でした。

先輩は早速正面玄関に行って、病院の職員に挨拶しようとしたのですが、玄関には鍵がかかっていました。

また、施設の中に照明は灯っておらず、人の気配もしないので、廃病院だろうかと思いました。

一応、報告のあった玄関の照明を脚立で登って確認すると、夜に自動点灯するタイプのようで、確かに球が切れていました。

そこで持ってきた新品の球と交換し、手動スイッチで確認すると照明はきちんと付きました。

これで依頼された修理は完了なのですが、誰か責任者に確認のサインでもほしいなあと思っていると、朝から調子の悪いお腹が痛くなってきました。

nextpage

「くそっ、ここのトイレ貸してくれねえかな、誰もいないのかよ」

とぶつぶつ言いながらも、埒があかないので、もう帰ろうかなと車に戻ろうとしたとき、前触れなくガチャッと鍵の開く音がしました。

驚いて振り返ると、正面玄関のガラス戸に中に向かって進んでいく看護婦の後ろ姿が見えました。

「なんだ、職員いるじゃん」

ようやく話の出来そうな人を確認した先輩は鍵の開いた玄関から中に入りました。

病院の正面玄関と言っても、見るからに古い建物でロビーも狭くいくつかの長椅子が置いてあるだけでした。

「あれ、さっきの看護婦どこ行ったのかな?」

看護婦と思われる後姿を確認して、すぐに入ってきたのに中には誰も見当たりません。

ふとロビーの中を見回していると、少し普通ではないことに気がつきました。

「なんだよ、この椅子」

ロビーに置かれている椅子にはほこりがたまっていました。

屋外ならともかく屋内でこんなに汚れているのではもう長い間掃除などしていないようでした。

やっぱりここはもう廃病院なんだろうかと考えながら、ともかくも玄関ホールを通り過ぎて、職員を探します。

すると、廊下の途中にトイレがありました。

職員は見つかっていませんでしたが、お腹の具合も限界だったのでとりあえずトイレを使わせてもらうことにしました。

しかし、一応廃病院ではないかということも考えて、用を足す前にトイレの照明をつけて手洗い場の蛇口をひねってみます。

照明は灯り、蛇口からはちゃんと水が出ました。

どうやら、病院自体はもう営業していないかもしれませんが、施設としては電気も水道も生きているようでした。

そもそもそうでなければ玄関照明の修理なんかの依頼が入るわけありません、少し安心して一番手前の個室に入りました。

思ったとおりバリアフリーなど程遠い和式でしたが、もらすわけにもいかないのでそのまま使いました。

事が終わり、紙に手を伸ばしましたが、先輩の手は止まりました。

トイレットペーパーの上に土埃がたまっていたのです。

これにはさすがに違和感を覚えました。

病院として営業をやめているのなら、玄関ホールもほとんど掃除しないということもまあ分かるのですが、トイレも土埃がたまるほど誰も使っていないというのはどういうことだろう。

少々気味が悪くなりながらも土埃で汚れた部分を便器に捨てて、紙を使いトイレから出てきました。

あらためて職員を探さないと、と思い廊下の奥を見ると暗くて見づらいですが、突き当りに看護婦らしき影がゆらゆらと動いていました。

ああよかったと安心して呼びかけようとしたそのとき、先輩の携帯に着信がありました。

nextpage

見ると、社長である父親からです、迷いましたが先に携帯のほうに出ました。

「ああ親父、なんだよ?」

「おまえ、藍ちゃんに聞いたけど、白護病院の依頼が入ってお前が修理にあたってるって?」

「ああ、そうだよ、照明変えるだけの簡単な依頼だったし、もう仕事は終わったよ、今は職員の人に話しようと思って中に入ってるよ」

「あ? お前、中に入ってるのか! どうやって! 鍵がかかっていただろう」

温厚な父親にしては珍しく乱暴な口調です。

「なんだよ、確かに最初は鍵がかかってたけど、看護婦さんが開けてくれたんだよ、そのあとトイレも貸してもらって・・・」

そこまで言ったところで、父親が怒鳴りました。

「ばかやろう、なにしてるんだ、早くそこから出て帰って来い!」

先輩がほとんど聞いたこともないような激しい口調でした。

「いやでも、修理の報告だけでも・・・」

「そんなのいいから、早く帰ってこい!」

そこまで強く言われてしまうと仕方がないので、先輩は病院から出て、修理の報告もしないでそのまま事務所に戻ってきました。

nextpage

そこまで話をして、先輩は私にもう一度問いかけてきました。

「な、変な話だろ」

確かに不思議な雰囲気のする話でした。

そして、先輩の疑念は恐らくその白護病院とやらが正真正銘の廃病院でその見かけた看護婦さんも幽霊だったのではないかとでも言いたいように感じました。

しかし、私もちょうどそのとき自分の職場の教育係がいわゆる霊感のある人でそのような事例に慣れ始めていたのかも知れません。

自分の中で先輩の体験を少し考えてみました。

「先輩でもそれはたぶん幽霊とかの話ではないですよ」

「・・・なんでそんなことが言えるんだよ」

「だって、よく廃病院の怖い話とかは聞きますけど、そもそも病院で亡くなっているのはほとんど患者さんで看護婦さんは死んでいないでしょ、だからいくら廃病院だからって看護婦さんは幽霊ではないですよ」

「ああ、そう言われてみたら、そうだな」

私の話に高遠先輩も納得していました。

nextpage

我ながらいい推理だと思っていたそのときあわただしく事務所の入口が開いて、先輩の父親の高遠社長が入ってきました。

さらにその後ろから、見覚えのある女性、私の職場の教育係の黒川先輩でした。

入ってくるなり二人は高遠先輩の姿を確認すると、今すぐ出るぞと促します。

「え、なんだよ親父、今日は県外じゃなかったのかよ」

高遠先輩も私も突然入ってきた予想外の二人に驚きました。

「行くって、どこ行くんだよ」

「神社でお祓いだ」

「え、お祓い? なんだよそれ」

「あーもう、めんどくさいなあ」

一緒に入ってきた黒川先輩が忌々しそうにうなりました。

「本当に悪いね、黒川さん、でももうすぐ生まれる孫を父無し子にしたくないんだよ」

「ええ、わかってますけどね」

え、死ぬとか神社でお祓いとかなに言ってるのこの人たち。

状況がまったく飲み込めず、物騒な単語に呆然として立ち尽くしていると、黒川先輩は私の姿も確認して

「あんたもいたの? ついでだからあんたも来なさい」

求められて当然断れる雰囲気ではなかったので、先輩たちと社長の車に同乗しました。

黒川さんが運転し、社長が助手席で発進しました。

「ちょっと本当に何なんだよ、やっぱりあの病院がなんかあるのかよ」

走行中、高遠先輩が父親に問い詰めました。

「・・・社長、この話が他に広がってしまうことは避けたいですから、ちゃんと説明しましょう、そのために話を聞いたと思われるこいつも連れてきたんですから」

高遠社長は躊躇しているようでしたが、諦めたように白護病院について話し始めました。

その内容はまとめると次のようなことでした。

白護病院というのは当事者にだけわかるように名づけられた符丁で本当の名前は別にあったということ。

あそこは元々精神病などの社会的な隔離症状の患者のための病院だったこと。

しかし、そこでは患者に対する職員からの暴行や虐待が噂されていたこと。

そのうちに看護婦の自殺など変死事件が多発するようになったこと。

そして、施設自体も古かったこともあり、職員の犯罪をうやむやにする意味もかねて取り壊しが決まったこと。

「取り壊し・・・ですか? 今もあるじゃないですか?」

「そこからが問題なのよ」

社長に代わって、黒川さんが話し始めました。

「職員が大勢変死したって言ったでしょ」

「はい」

「ああいう精神病院の患者っていうのはもちろん精神を病んで入院する人がほとんどなんだけど、中には悪いものに憑かれている患者もいるわけよ」

今まで黒川先輩と見てきた霊障を考えると、確かにそういう患者も精神病として入院しているかもしれないと感じました。

「命がいくつあっても足りないから確認なんかしないけど、多分いたんでしょうね、大当たりのやばい奴が」

投げやりな感じで彼女は言葉を吐き出しました。

「でも、取り壊しが決まってたんでしょう」

私はもう一度高遠社長に確認しました。

「そうだよ、そしてそういう物件の取り壊しも専門にやってる業者が実際に着手したんだ」

「専門の業者ですか?」

「聞いたことないかな、そういう心霊的な問題のあるところを壊そうとすると重機が壊れたり、けが人が出たり、いろいろとトラブルが起きるって話、だから割高の報酬でそういう物件も霊的な知識を持って取り扱う業者はいるんだ」

なるほど世の中にはどんな分野でも専門家がいるものだなあと感心したのですが、

「そこの社長とは知り合いだったんだけど、あの病院の解体に着手したあと、連絡があってね」

高遠社長はある夜の電話のやり取りを話してくれました。

nextpage

かなり夜の遅い時間での突然の電話に高遠社長は長年の経験で何か嫌な予感はしたそうです。

電話に出ると知り合いの解体業者の社長は白護病院のことについて一方的に話し始めました。

「・・・うちは商売だからもう諦めているが、世の中には触れてはいけないものというのはあって・・・あの病院はそういう場所だ」

その社長は続けて言いました。

「あの看護婦たちは殺された後もあそこに縛られてあの世に行くこともできない。せめて私は殺されることになっても魂だけは解放されたい」

彼は自分に何があってもいいように会社の事業の準備を整え、あの病院に関わった従業員にも金としばらくの暇を与えたと話しました。

高遠社長は何があったのか何度も問いかけましたが、返答はありません。

「なあ、話したぞ、もうあそこには何もしない、しないよ、だからもうやめてくれよ・・・」

何者かに拝み倒すような必死の言葉。

「おい、そっちに誰かいるのか」

高遠社長は叫びましたが、やはり反応はありません。

しかし、電話が切れる直前、解体業者の社長とは別の何かが電話口で声を出しました。

「チカヅカセルナ」

澱んだ声でしたが、若い女の子の声でした。

『近づかせるな』確かにそう聞こえました。

今までの経緯から総合すれば、誰もあの病院には近づかせるなという意味だと思われました。

電話が切れた後、高遠社長は何度もかけ直しましたが、二度と繋がりませんでした。

この電話の後、高遠社長は父親が議員であることも利用して、行政側と協議をしてあの病院の情報を集め、肝試しの若者などがむやみに近づかないよう管理してもらうようにしました。

もちろんその管理には高遠さんも一部携わっていて、廃墟に見えないように外観維持をする仕事が来ているということでした。

自分もあの近づかせるなといった声の主と関係してしまった。

それならばその要求通りに動かなければ、自分も自分の関係者にも何が起こるかわからないという思いからでした。

今回、その施設に導き入れられた息子に火急の事態を感じて、うちの会社のいわゆる霊感のある黒川先輩に見てもらい、馴染みの神社にお祓いに行くようにしたということでした。

nextpage

「それで・・・結局その解体業者の人たちはどうなったんですか?」

私は当然気になったことを尋ねました。

「・・・知らない」

無感情に黒川さんは答えました。

「ああ、ごめんね、私もあのあとその社長とは会えてないんだよ」

困ったように微笑みながら高遠社長は答えましたが、どうなったのか知らないわけはありませんでした。

今自分の息子が同じ事態にはまっているかもしれないので、心配させないためにも察してほしいということはさすがの私にもわかりました。

nextpage

その後、神社に行きましたが、特に何も憑いてはいないということでした。

そのため、そのときはそれで一応解散ということになりました。

それから、様子は見ていましたが何かあったという知らせは入ってきませんでした。

私も心配でしたので、後日高遠さんのところを訪問した時に先輩に状況を尋ねてみましたが、特にこれといった霊障のようなものは起こっていないということでした。

nextpage

「多分、あのときはカッコいい作業員さんが腹痛で困っていたから、トイレを貸してくれたんだよ」

彼は軽く笑いながら言いました。

「そんなものですかね」

私はこの人本当に楽観的だなと感じながら、不審げに答えました。

nextpage

「もう、いいじゃないか、そういうことで

・・・もうすぐ娘が生まれるんだよ」

よく見ると、明るい口調でしゃべってはいましたが、目は全く笑っていません。

それを見て、私もそれ以降その病院に関する話は出さないようにしました。

Normal
閲覧数コメント怖い
1,6424
21
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意