長編7
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磯の匂い…

私が葬儀会社で働いていた時のお話です。

お葬儀の依頼が出勤早々入り、

私は見積もり担当の男の子と一緒に、

そのお家に向かいました。

営業用の軽バンを男の子が運転してくれるので、私は助手席に乗り込みました。

夏になる前の、朝から蒸し暑い日でした。

暑がりだった男の子が、

『ちょっと、エアコン効かせますね。』

とエアコンのボタンを押しました。

ゴォ〜っとエアコンが動く音がし、

ムワッとした熱い空気が出て来ると同時に、

私は、おかしなことに気づきました。

『ねぇ、何でこんなに磯臭いの?』

エアコンから送られてくる風は、

とてもキツイ磯の香りが、車のエアコン独特の匂いと混じり、流れ込んでくるのです。

私には、漁師の叔父がいるのですが、

その叔父が出勤に愛用している軽トラと同じ様な匂いでした。

見積もり担当の男の子は、

『えっ?潮って、海の匂いってことですか?

します?そんな匂い…。

しますかね?わからないけど。』

と言います。

『鼻、詰まってんじゃないの?こんなにキツイのに、わからないの?

何だろ、何でエアコンから、こんな匂いがするんだろ。』

例えば、車で魚介類を毎日でも運んでいれば、車内についた匂いが、エアコンからするのもわかるのですが、

会社の、それも葬儀の際、荷物を運んだりするのに使われるこの車から、潮の香りとは…。

思い違いとは思えないほど、しっかり匂うのに、男の子はわからないですよと言うし、

まぁ、私達が移動や運搬に使うだけの車なのでいいかと、依頼を受けたお宅へと向かいました。

お宅に着き、軽バンから降りると、

ファア〜と、少し磯の香りが今までと違い、流れるように香ってきます。

変に思いながらも、

お家に上げてもらい、男の子は、お葬儀の見積もりのお話を、

その間に私は、亡くなられた方のお着替え、お化粧をさせてもらうのですが、

よく見ると、口元に少し血の乾いたものが付いていました。

口元を、濡れたガーゼで拭こうと、

ふっと顔を近づけた時、

ご遺体から、フワッと、磯の香りがしました。

車の中で匂った時のような、キツイ匂いとは違い、

海からの気持ちの良い風を受けた時にする磯の香りでした。

少し驚きましたが、

『あー、私か。さっきの車の匂いが、きっと服とか、鼻の中についてしまってるんだ。』

と解釈し、お支度に手を急がせました。

お支度が整い、私が道具を片付けていると、

どうやら見積もりの方も話がまとまった様で、

お通夜の時間までを一旦、会社に引き上げることにしました。

車に乗り込むと、

来た時より、高い位置にある太陽に熱せられた車は、蒸し風呂の様でした。

行きと同様、男の子が運転してくれると言うので、私はまた、助手席に乗り込みました。

『ちょっと、熱気、逃がしますね。』

そう言って窓を全開にしたまま、軽バンは走り出しました。

走り出すと、そのスピードと山間の涼しい影から、思いの外、早く熱気が出て行き、

私は男の子に、

『そろそろ、エアコンにすれば?』

と言いました。

男の子は、

『暑いですか?』

と聞いてきたので、

エアコンがあまり得意でない私は、

『私は、これでも充分だよ?』

と答えると、

『僕も、このままでいいです。』

と言い、窓を開けたままで走り続けました。

お通夜、葬儀の簡単な流れや、注意点を話しながら、帰っていたのですが、

帰りの道中、

少しおさまっていた磯の香りが、

また、どこからともなく漂ってきました。

『まただ。やっぱり、磯の匂いがするわ。

誰か、この車で海釣りでも行ったんじゃないノォ?』

私は、笑いながら男の子に言いました。

男の子は、何も答えず、すぐ近くにあったコンビニに車を停めました。

お昼ご飯でも買うのかな、と、思ったのですが、

その男の子は降りようとはせず、

少し神妙な表情をしています。

『どうしたの?暑さにやられた?

運転変わろうか?』

そう聞いた私に、

『あそこにいたんですって。』

と言いました。

何のことやらわからず、

『えっ?』と聞き直すと、

『今日のお宅の、亡くなられた奥さん…、

さっき、にゃにゃみさんが、磯の匂いがするって言った所にある〇〇病院の元師長さんなんですって。』

そう言われてみれば、

確かにその病院の前にかかる頃から、

磯の香りがしてきた様な気がします。

『そうなの?

でも、それがどうしたの?』

男の子は

『いや、偶然なだけかもしれないけど、

本当のことはわからないですけど…』

元々は、漁師町の出身の方なんだそうです。

彼は、何とも言えない顔で、そう言いました。

ご主人のお話では、

亡くなられた奥さんは、元々、漁師町で育った方で、看護学校卒業とほぼ同時に娘さんを妊娠するも、ご両親に分かってもらえず勘当され、ご主人と結婚して以来、地元に帰ることはなかったのだと言います。

ご両親は既に他界されていて、

兄弟姉妹はいないので、奥さん側の親族さんは誰1人、呼んでやれないと、旦那さんが言っていたと。

でも、亡くなる前に…

薬で朦朧とする中、

『帰りたい〜、帰りたい〜』

と、よく言っていたのだそうです。

ご夫婦で暮らす、自分たちの家に帰りたいと言ってるのかと、

ご主人や娘さん達は、

『良くなって、帰ろうね。』

と言ってたそうですが、

意識混濁が酷くなるにつれ、

『ごめんなさい。帰りたい。ごめんなさい。許して。』

と言うようになり、

ご主人は、

『あいつは、里のご両親に、謝りながら、許して欲しいと泣きながら、死んでいったんです。

生きてるうちに、あいつが嫌だと言っても、

例えば僕がお父さんに殴られたとしても、里に一緒に帰ってやるべきでした。

ここが家だからと、守る場所だからと言うあいつの言葉に、僕まで甘えてしまって、

本当に、かわいそうで、かわいそうで…。』

と俯いて、肩を震わせていたと言います。

男の子は、たくさん、頭に浮かんできたと言います。

帰りたい、潮の香りのする故郷。

帰りたくても、表しようのない意地があって足を向けられない土地。

帰る故郷が無いのなら、

自分の選んだ道で、自分の最愛の人と、

頑張っていこうって、生きてきたんじゃないかなと…。

でも、やっぱりさ、

帰る故郷がないとか、親に勘当されてるのって、

どんなに歳食ったって、親が死んでしまったって、

やっぱり、子供は子供だから、

最後に、正直な、素直な言葉が出たんじゃ無いかな…って、

俺は、匂いとか分からなかったし、亡くなって初めて、あの人を知ったけど、

にゃにゃみさんが、海の匂いがするっていうの聞いたり、ご主人の話を聞いたりして、

還れたら、良いなぁって、思うんです。

そう言うと、彼は、

クシャッと顔を崩し、顔を腕で隠しました。

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その夜のお通夜、

次の日のお葬式…、

ずっと、磯の香りがしていました。

ご住職が、名前の一文字『凪』を取って、

戒名を作ってくれていて、

ご主人が、何度も何度も、

『素敵だね。頑張ったものな、ありがとう。』

と、語りかけていらっしゃいました。

お葬儀が終了し、

初七日の辺り、私は仏花を持って、

お宅にお伺いしました。

薄く、まだ磯の香りが漂っていました。

ご主人にご挨拶をし、お仏前にもご挨拶をさせて頂いた時、

『失礼ですが…、

まだ、海の匂いがしますか?』

と聞いてきました。

えっ?と聞き返す私に、

『あの、若い男性の方に聞いたんですけど…、

ははは…、

でも、あなた、ここに来る前から、

そう、仰ってたと聞いたんですよ。』

と。

私は、

あー、そうですか、あー、

と、何と答えて良いのか分からず困っていると、

ご主人が、

『葬儀の後、妻が小さくなるのを待ってる時に、

あの担当さんが、

”奥様のお骨を、故郷のお父さんやお母さんのいらっしゃる場所に、少しでもお連れしてはいかがでしょうか”

と言って来たんですよ。

”誰も謝ることなんて、無いと思うんです。

お父さんもお母さんも、奥さんもご主人も…。

還って来た、嬉しい、

どちらも、それだけだと、思うんです。”

と…、

えらそうに、すみませんって頭下げながら、言ってくれたんです。

海の匂いがしてると、あなたが言ってることも、その時、聞きました。』

と仰り、そのまま、黙ってしまいました。

『私も、うまく言えないんですが…、

幸せだったと伝えに行くのはいかがですか?』

とだけ、私は言いました。

ご主人は、

そうですね、と力を抜いた笑顔になり、

『ありがとう。彼に、そうお伝えください。』

と仰いました。

四十九日の前の日、

また、お宅にお伺いしましたが、

もう、磯の香りは、すっかりなくなっていました…。

ご主人には、お会いできませんでしたが、

私は、

『奥さん…、故郷に連れて行ってもらったんだなぁ。』

と思いました。

お葬儀やさんに勤めている間、後にも先にも、不思議な出来事はこれっきりでしたが、

『人間』というものの原点を、振り返るような出来事でした。

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来道さん、怖いとコメントありがとうございます。

とても、愛情あふれるご夫婦だなと思いました。

奥様が、お亡くなりになる前に、
自分の気持ちを素直に口にされたのは、
きっと、ご主人なら分かってくれると思ったからだと思います。

私も、涙が止まりませんでした。

波だが止まらない

にゃんさん、怖いとコメントをありがとうございます。

ご主人は、奥様が亡くなられてお骨になってからのご訪問で、
とても辛いお立場だったかもしれませんが、
お話しした時のあの笑顔は、
必ず、連れて行ってくれるのだろうなと感じ、
奥様も、心安らかに眠ることが出来るなと、思ったのを覚えています。

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