中編5
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キューピッド(3)

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「これが…そうなのかね?」

私はその小さな生き物が入った小瓶を覗き込みつつ言った。

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小指ほどの大きさの、半透明の身体。

身体の横に、小さな羽のような薄い腕。

身体の中心にはイクラの卵のような、オレンジ色の塊。

クリオネに似た姿のその生き物は、小瓶の中の狭い空間を、まるで水の中のように頼りなげにふわふわと漂っている。

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「はい、総理。

それが我々人類のみならず、全ての生き物に寄生し『恋愛』という感情を司る生物、『キューピッド』です。」

目の前に座った男、禿頭の官房長官は静かな口調で応えた。

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「これが……こんな小さな生き物が我々の感情を、それも『愛』という最も崇高な感情を支配するというのかね?」

信じられなかった。それと同時に怒りにも似た感情が湧いてきた。

自分を含めたすべての生き物を、そのプライドを侮辱された気分になったのだ。

それは、この禿げ頭の背後に立っている「専門家」を名乗る人物から寄生生物の生態を長々と説明されても、まだ収まりがつかない感情だった。

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「ご説明申し上げた通り、この『キューピッド』の存在が明らかになったのは、つい先日です。生徒の殺傷事件が起こった都内の高校、そこで囁かれていた奇妙な生物の噂。それを専門機関に独自に調査させた結果、このほど正体を掴むに至ったのです。

すでに該当地区には箝口令(かんこうれい)を敷き、関係者にはしかるべき措置を行いました。これ以上、情報が外に漏れることはありません」

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しかるべき措置……か。

目の前の男は、眉一つ動かさずに今のような言葉を口にする。

腹黒い老人たちの傀儡として総理という地位に就いたばかりの自分とは、経験も考えも違うのだろう。恐ろしい。

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「しかし……。この生物は一体どこからやってきたのだろうな。

どこかの国の新種の生物兵器なのだろうか。それにしては騒ぎになったのが都内の一高校とは……釈然とせんな」

私はぼんやりと思ったことを口にした。

あまりに自分の常識から外れていて、論理的な考えが浮かばない。

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「すでに研究機関がラットによる実験を行いました。

初めはこの生物の卵を宿主が経口摂取することで寄生するものと予想されていましたが、それだけでなく、宿主の体内で増殖し成熟した『キューピッド』たちは、宿主の身体を離れて積極的に他の生物に寄生していくことが判明したました。

加えて、宿主がなんらかの原因で生命活動を停止すると、この生物は宿主の体内に溶け込み、やがて完全に同化して消滅します。つまり、なんの痕跡も残らないのです」

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「……よく、今回その存在が明らかになったものだ」

「それはまさに偶然です。日下(くさか)真理という少女の『血液』が、この生物の寄生を阻害する特殊な因子を持っていたのです。彼女のおかげで、見えざる天使は隠れ蓑を失い我々の前に姿を現した」

官房長官は詩的な言葉をよどんだ目をしながら淡々と語る。

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「日下真理からは実験のため、全身の血液を一滴残らず提供していただきました。

彼女の血液から因子を抽出して作成した薬剤を、我々は便宜的に『true(トゥルー)』と名付けました。

『天使』が与える偽りの愛を挫くもの、『真理』の薬というわけです」

一人の少女をミイラにしておいて、何を酔ったような台詞を。しかし私は口を挟めない。

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「総理は先ほどおっしゃいましたね?この生物はどこから来た。新種の兵器か、と。

しかし申し上げた通り、この生物は爆発的に増殖し、死ねば痕跡を残さない。この『true』を除いては存在を明らかにできなかったのです。

つまり――」

禿頭の老人は私を蔑むように見つめた。

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「この寄生生物は、ずっと存在していたかもしれないのです。――はるか昔から」

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好きとか嫌いとか、最初に言いだしたのは誰なのでしょうな。

知恵の実をかじったアダムとイヴの時代か、初めて二足歩行をした猿がいた時代か――。

いずれ我々人類の繁栄の礎となっているのは、いつの時代も男女の「愛」です。

「愛」こそが原初。「愛」こそが至高。

 

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しかしその「愛」というモノの認識を、根底から覆しかねないのがこの生物の存在なのです。

我々も、我々の親も、親の親も、そのまた先祖も。この「キューピッド」の手の中で踊らされていたのかもしれない。

いや、やはりそうではなく、我々の先祖は「キューピッド」の干渉を受けることなく、彼らの心のままに愛を紡いできたのかもしれない。

それは、もはや確認のしようがないのです。

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しかし今、我々の手には「true」がある。

これを使えば見分けられる。

「キューピッド」の寄生が解かれ、愛の終わりとともに真実を知る恋人たちがいるかもしれない。

はなから「キューピッド」が存在していないことが分かり、自分たちの愛の独立、その歓喜を勝ち取る夫婦がいるかもしれない。

「true」を使おうと恋人から言われたことで、深く傷つき自ら恋を終わらせる少女がいるかもしれない。

「true」を使うことを相手が拒み続け、不審に苦しみ続ける老人がいるかもしれない。

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はじめのうちこそ、「キューピッド」は国内の統治と海外との折衝の為に有用な道具となるやも、と思ったりもしました。

しかし、これはそんな小さな問題ではなかった。

「キューピッド」と「true」の存在は、「愛」の上に成り立つ人類の歴史を揺るがす引き金になりかねません。

これは我々が偶々この時代、この地位にいたことで、知り得た事実なのです。

誰にも漏らしてはいけません。

誰にも。

誰にも。

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それから、わずかに数か月後。

誰がどこから漏らしたか、「キューピッド」の存在は世界の人々の知るところとなった。

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国という国の政治が揺らいだ。

世界中の宗教という宗教が軋(きし)んだ。

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「true」を使って「キューピッド」を駆逐しろという動きが起こった。

「キューピッド」こそが「愛」を持って世界を導くものだという声も湧いた。

世界中が愛に笑い、愛に泣き、愛に叫び、愛に震え、愛に抱きしめ合い、愛に殺し合った。

そして――。

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銃弾の雨が降る戦地。

ほんの数か月前まで、平和な街だったその場所で。

ふたりの男女が向き合って立っていた。

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「なあ、こんな時になんなんだけどな……」

「うん。私もこんな時になんなんだけど……」

彼らは示し合わせたようにクスクスと笑う。

「俺はお前が」「私は貴方が」

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「「好きだった」」

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渇いた銃声が響き渡った。

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