中編6
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【祝祭】積み上げる食卓

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注意:

この噺は、3月に2度目のアワードを受賞された、よもつひらさか先生に捧げます、アワード受賞作品「張り詰める食卓」のオマージュ、その続編になります。

興味のない方はスルーしてください(でも出来ることなら読んでください)。

では、こんな噺を。

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4月のある日、入院していた妻が帰ってきた。

妻は半年前に交通事故に遭い、以来意識不明で眠り続けていた。

そして、事故に遭ったとき、彼女は俺の子を身ごもっていた。

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出産は8月上旬だという。

俺の40歳の誕生日も同じころだ。

――4か月。

与えられた時間で、俺は精一杯の贖罪を、彼女の食卓に積み上げることにした。

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仕事に追われ、愛する妻を見てやれなかった罪を。

彼女の心に、孤独を棲まわせた罪を。

やがて終わりが来る、その時まで。

たとえ妻がもう、妻ではなかったとしても――。

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妻が事故に遭った前後、勤めていた大企業のゴタゴタに巻き込まれ仕事を辞めていた俺は、その後ツテを頼って別の会社に就職した。

仕事は軌道に乗り、一時どん底だった生活も落ち着きを取り戻した。

その間も妻は献身的に俺を支えてくれた。

俺も仕事にばかり気を取られず、妻のことを第一に考えることにしていた。

そして、お腹の中の子供のことを。

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赤ん坊はすくすく育っているように見えた。

妻のお腹は日に日に大きくなり、彼女は惜しみない愛の言葉をお腹の中の『彼』に与えた。

俺と妻は、休日になるとマタニティ用品を買いに出かけた。

俺は何を買っていいのかわからなかったので、あれもこれもと手当たり次第に買おうしたが、妻は「必要最低限のものでいいのよ」と笑った。

そして、「お父さんは慌てん坊でしゅね~」とお腹を撫でた。

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歩きやすい靴を買った。

お腹が大きくなり、足元の見えづらい妻と一緒に歩くとき、俺は常に気を張っていた。

体勢を崩してもすぐに支えられるよう、手をつないでいた。

妻はつないだ手をちらりと見て、ふふふと幸せそうに笑った。

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「あ、蹴ったわ」

リビングで子供用の小さな帽子を編んでいた妻が言った。

「どれどれ?」

料理をしていた俺はエプロンで手をぬぐいながら、かがんで妻の腹に耳を当てた。

「ね?」

「ん~、わかんないなあ」

情けない声を出す俺。

「もうすぐ会えるもんね~」

妻の優しい声が頭上から降ってきた。

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桜の花が散って若葉が芽吹き、梅雨が明けて、いつしか夏になった。

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7月30日、早朝。

今、俺は分娩室の前の薄暗い廊下にいた。

昨夜遅く、陣痛の激しくなった妻は、救急車でこの病院に運ばれた。妻が入院していた病院だ。

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俺も連れ添った。

分娩室に入る直前まで、妻の手を固く握っていた。

「大丈夫、行ってくるね。私、頑張るから」

妻は痛みに堪えながら微笑み、俺の手を離した。

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…………

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…………

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物音のしない廊下でソファに腰を降ろしながら、俺は何かに必死に祈っていた。

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分娩室の中の、妻と子供のこと。

本物ではあり得ない、妻と子供。

彼女たちは電脳ゾンビだ。

頭の中のICチップに妻の記憶だけを持つ、別の存在。身体は特別な溶融物質だと聞いている。万が一の際、証拠を残さないための。

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彼女は事故に遭った本物の妻に成り代わり、俺のもとにやって来た。政府の人口抑制の目的のため。

彼ら電脳ゾンビは40歳以上の人間を襲う。

俺の40歳の誕生日まであと一週間というタイミングの今日だった。

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電脳ゾンビに子供は産めまい。彼らの身体は偽物なのだから。それは初めから分かっていた。

しかし俺は、本物の妻と子供を幸せにできなかった罪を、代わりに電脳ゾンビの彼女たちを愛することで、そしていつかこの命を捧げることで、償おうと考えていた。

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彼女と暮らす日々。

彼女と子供を一番に考え、慈しんで暮らす時間。

彼女もそれに応えた。

愛と優しさをもって、俺に返した。

その言葉が、行為が、彼女の本心からのものか、ICチップに入力されたプログラムなのかは分からない。

しかし、俺は嬉しかった。同時に涙が溢れた。

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今日までの時間、それは幸せに満ちた地獄だった。

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俺は今、妻と子の無事を祈っている。

そんなことはあり得ないのに。少なくとも子供の命は助かるはずもないのに。

そして、彼らの無事を祈ることが、本物の妻と子供への裏切りだと分かっているのに。

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俺の心はバラバラに砕けて、俺の足元に散らばっていた。

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…………

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…………

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shake

「オギャアーー!」

分娩室から赤ん坊の泣き声が響き渡った。

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俺は弾かれたように立ち上がり、力まかせに分娩室の扉を開け放ち、中へと転がり込んだ。

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目の前には、泣きじゃくる赤ん坊を抱き抱え、ベッドに横たわる妻の姿があった。

医師や看護士の姿はなかった。

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「拓巳(たくみ)さん……」

妻が俺の名を呼ぶ。

彼女は汗にまみれた顔に、やりとげたという満足げな笑みを浮かべていた。

「お前……どうして……?」

聞きたいことが多すぎて、言葉が出てこなかった。

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「……ねえ、アナタ。小泉八雲の『雪女』って話、知ってる?」

唐突に妻は言った。

「え?あ、ああ……」

俺は頷いた。

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茂吉という老人と巳之吉という若者、ふたりの木こりが山へ入り、吹雪にあって小屋へと避難した。

夜中、巳之吉が目を覚ますと、白い着物の美しい女が小屋の中におり、茂吉を凍えさせ殺していた。

女は巳之吉を助ける代わりに、小屋でのことを誰にも言うなと釘を刺す。話せばお前を殺す、と。

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無事山を降りた巳之吉は約束を守り、やがて雪という名前の女と所帯を持ち、子を成す。

ある日のこと、ふとしたことから吹雪の晩のことを、雪に話す。あの夜の女はお前によく似ていた、と。

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女は正体を現し、自分があの夜の雪女であることを明かす。

けして言うなと言ったのに、子供がなければ殺していた。子供を不幸にしたならば、きっとアナタを殺すだろう。

そう言って雪女は巳之吉の前から姿を消した。

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「私って、その雪女みたい。名前もちょうど有紀だしね」

妻が笑う。

「気が付いていると思うけど、私は電脳ゾンビ。人間じゃないわ。

事故で亡くなった本物の有紀さんの、記憶と生態情報をスキャンして造られた、かりそめの命。

でもね――」

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有紀が赤ん坊の顔を覗き込む。

「この子は、一巳(かずみ)は電脳ゾンビじゃない。人間よ」

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どうしてって顔ね。当然か。

確かに事故に遭って母体は死んだわ。でも、お腹の命は生きていた。

電脳ゾンビの目的は少子高齢化による人口の過密を解消することでしょう?赤ん坊の命を消すのは本意に反するわ。

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そういった固い考えからなのか、医師のきまぐれかは分からないけれど、一巳の身体は電脳ゾンビである私の子宮に納められた。

子を成すことはできなくても、育てることはこの身体でもできたみたい。

だからね、この子はアナタと本物の有紀さんとの子供。

そして『私』が産んだ『私たち』の子なの。

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私は電脳ゾンビ。

でも、人の子を産むことができた。

私は電脳ゾンビ。

アナタが私の正体を口外すれば、私はプログラムに従ってアナタを殺さなければいけなかった。

――ね、雪女みたいでしょ?

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アナタはきっと気付いてた。

でも、有紀さんと子供への贖罪のため、偽物の私に惜しみない愛を与えてくれたわ。

嬉しかった。同時に哀しかった。

私はアナタを愛した有紀さんの記憶と、プログラムの間で揺らぎ、苦しんだ。

アナタと過ごし、一緒に積み上げた今日までの日々は、私にとって――

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「幸せに満ちた地獄だった」

妻の姿をした電脳ゾンビは、微笑み、涙を流した。

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「この子を抱いて、アナタ」

腕の中で眠る赤ん坊を差し出した。

俺はおっかなびっくり受けとる。

と、ボロリと、妻の腕が崩れた。

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「お前!」

「うん。電脳ゾンビが自らその正体を明かせば、プログラムによって身体は崩壊する。分かっていたの。

でも、私は40になったアナタを殺したくなかった。この子にはアナタが、人間の親が必要だもの」

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妻の身体はみるみるひび割れていった。俺は叫んだ。

「待て!待ってくれ!俺は一人では、君なしでは何も出来ない不甲斐ない人間なんだ!だから――」

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shake

「しっかりして!父親でしょ!」

妻は俺の目を見てきっぱりと言った。

そして微笑んだ。昔から知っている、有紀の笑顔だった。

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「アナタは立派な人よ。そして優しい人。アナタならきっと大丈夫。私が、『私たち』が愛したアナタなら。

そして――」

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『愛してくれて、ありがとう』

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妻の身体はもうどこにもなかった。

雪のように溶けて消えていた。

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腕の中で、生まれたばかりの赤ん坊が火がついたように泣き出した。

生まれたばかりの父親も、それに負けじと大声で泣いた。

Concrete
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ちょ、ちょちょちょちょ、超絶いいお噺でした!!!!綿貫先生、涙が止まらないので少し早いですが、深夜の営業を中断して酒飲んで寝ます!魔太郎です!ψ(`∇´)ψうう

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泣けてきちゃった(٭°̧̧̧ω°̧̧̧٭)
本当に素敵なお話をありがとうございます┏● 感動しました!

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