長編9
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血と妹 真「兄と妹」

もしあの時、私が違う選択をしていたら、運命はどう変わったでしょう。

あの子は幸せになれたのかな?

あの人は悲しまないですんだのかな?

そんなことを考えながら、私は冷たい水の底に沈んでいく。

私は後悔している。

もう何もかも遅いと知りながら。

でも…

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music:7

sound:34

ある雨の日のことだった。

私は、迷い込んだ家の庭で寒さに震えていた。

「どうしたの?ぬれちゃうよ?」

家族と思っていた人達に捨てられ、雨を避ける術さえ知らない私に、その子は傘を差し出した。

「………」

私は怯えていた。

そんな表情を読み取ったのか、彼女は私に笑いかけた。

「だいじょうぶ、こわくないよ?」

「………」

「愛華!何やってるの!早く入りなさい!!」

家から顔を真っ赤にした女の人が出てきた。

「うん…」

女の子の表情は、一瞬真っ暗になった。

「ごめんね、あめがやむまでそこにかくれてて」

指差す先は軒下。私なら入れそうだ。

でも、優しくするふりをして、後から酷いことをされるかもしれない。

あの下に入ったら、もう戻れないのかもしれない。

「愛華!早くしなさい!」

「はい…」

彼女の怯えた顔は、私と同じものを感じさせた。

「ほら、いって」

私は女の子に言われるがまま、軒下に潜り込んだ。

「愛華!」

私は軒下で寒さと恐怖に震えた。

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sound:34

翌日

あの女の子…愛華ちゃんって言ったっけ?が軒下を覗き込んできた。

「リーンちゃん?」

愛華ちゃんは私を見てそう言った。

「??」

「リンリンなるからリンちゃん」

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彼女は私を…いえ、私の首輪を指差した。

「ねぇリンちゃん、おなかへってない?」

もう3日も何も口にしていない。お腹が減ったどころの話ではない。

「はい、どうぞ」

小皿に入ったミルクを差し出された。

大きな瞳は、私が喜んで舐めるのを期待しているようだった。

しかし私は人が怖い。

優しくされるのが怖い。

昨日はついつい甘えてしまったけれど、いつか後悔させられる日が来るんだ。

でも…空腹が限界にきている。

「おなかいっぱいなの?」

残念そうに小皿を下げようとする手を、私は両前足で掴んだ。

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それから愛華ちゃんは毎日私にミルクを運んでくれた。

私は恐る恐る舌でミルクを口へ運んだ。

でもある日…

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「どういうつもりなの?臭いがついたらどうすんのよ!」

私にミルクを与えていることが、愛華ちゃんのお母さんにバレてしまった。

「ごめんなさい」

「すぐそれじゃない!何かしたらすぐ謝って許してもらおうとする!」

愛華ちゃんのお母さんは、私の目の前で愛華ちゃんをぶった。

「いい?これからはよく考えて発言しなさい!どんな事を言っていいのか、どんな事を言ってはいけないのか!」

「わたしは…」

「ほら!口答えしていいの?考えなさいって言ったでしょ!」

もう、滅茶苦茶だ。それでも愛華ちゃんは強い力に従うしかない

「…わたしは、リンちゃんが…かわいそうだったから…」

子どもなりに言葉を選んでいるのだろう、愛華ちゃんの発言に不自然な間ができた。

「あんたはさぁ、この家がダニだらけになってもいいわけ?」

「…だめ」

「じゃあすぐ捨てて来なさいよ!」

再び平手が愛華ちゃんの頬に直撃する。

「…おかあさん…やめて」

「捨てるって言うまでやめない!」

「…リンちゃん…こまってるから…」

「何のために考えてんのよ!そんな馬鹿な答えを言うためじゃないでしょ!」

私は見ていることしかできない。

恐らく、私が自分から出て行っても、この人はやめないと思った。

あくまで愛華ちゃんに捨てさせようとしている。

「おい、何やってんだ!」

男の人が駆け寄って来た。

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その夜、男の人と愛華ちゃんのお母さんが言い争う声が家の中から聞こえた。

一晩中ずっと。

取り残された愛華ちゃんは、私を抱いて泣いていた。

私は愛華ちゃんが寝付くまで、赤く腫れた彼女の頬を舐めていた。

彼女は私を守ってくれたのに、私は彼女を守ってあげられない。

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翌朝、私は愛華ちゃんの泣き声で目が覚めた。

「やーだ!リンちゃんもいっしょがいい!」

「だめだ愛華!」

「リンちゃん!リンちゃん!」

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「さあ、早く車に乗って!」

「いや!おとうさん、はなして!」

男の人は、嫌がる愛華ちゃんを抱えて車に押し込んだ。

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あっ…

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また、ひとりぼっちだ…

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数年後

私は愛華ちゃんの元いた家を出て、独りで暮らしていた。

なんとか自分で食事を得られるようにはなった。

でも、心に空いた穴は塞がることがなかった。

だから時々、あの家の前まで行ってボーッと眺める。

新たな暮らしを初めた愛華ちゃんが、幸せであることを祈って。

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「あら?」

「っ!!」

あの人が、ドアを開けた。

あの頃よりずいぶんと痩せこけ、死人のようになった彼女。

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「いいもの、見つけた」

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wallpaper:110

sound:11

昔の夢を見ていた気がする。

滝壺に落ちたはずの私は、何故か滝の前に座っていた。

たしかに飛び込んだはずだったのに。

体は全く濡れていないし、何より命がある。

神様が私にもう一度チャンスをくれた、そう感じた。

主はもうじきこの町にやってくるでしょう。

もう、あの人達には止められないでしょう。

だったら私が…

私は犯した罪の責任をとります。

短い間だったけれど

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sound:34

ありがとう。

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「だめだアイカ、リスクが高すぎる。他の方法を考えよう」

「…ありがとうございます兄さん、でも大丈夫ですよ。お母さんとお話するだけですから」

「いや、それはもうお前の…」

「私のお母さんです!」

「俺は愛華を心配して言ってるんだ」

「…んに…かるんですか?」

「え?」

「他人に何がわかるんですか!!」

愛華は目に涙を浮かべながら俺を一喝した。

「………」

俺の妹、愛華は俺に対して敬語を使う。

理由は、血の繋がりのない他人であるから。

“他人”そんなことはわかっていた。

今まで俺が必死に守ってきた妹も、今まで俺のことを慕ってくれていた妹も、血の繋がりの前では全て幻影だった。

「愛華…」

俺達は偽りの家族だった。

俺には、他人の家族の問題に首を突っ込む資格は無いのかもしれない。

「…心配しないでください。ただの親子喧嘩ですから」

そう言って、無理に笑ってみせた。

まったく、震えてちゃ説得力無いっての。

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wallpaper:157

「愛華ちゃん、本当にいいのね?」

「…はい」

「たぶん、もうすぐここにやってくるわよ」

「…はい」

愛華は見た目よりずっと強い子だ。

俺が過保護にしすぎたんだ。

「愛華…ごめんな…」

すぐそこにいる愛華を、今は遠い星の彼方に感じる。

彼女は、俺の所有物ではない。

music:7

雨が降り出したようだ。

祖父母は外にいるが、玄関先に傘は置いてある。濡れる心配はないだろう。

sound:9

雷まで鳴りだした。

これは早く事を済ませた方がいいな。

それにしても不吉だ。

いかにもホラー映画のようなシチュエーションだ。

sound:29

「…あいか…あいか」

女の声が聞こえた。

この声は聞き覚えがある。

「来たわ!」

数ヶ月前に山の中で聞いた、あの声だ。

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「…あいか…あいか」

「…お母さん!」

家の中だ。もう家の中にいる。

玄関ではない。もうすぐそこだ。

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「あいかぁ!」

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ついに姿を現した。

黒い髪の女だ。

年齢は40代くらい。

とてつもない殺気をまとっている。ただ、それ以外は普通の女だ。

恐らく、この姿そのものが、彼女の本体なのだろう。そう直感した。

自分を呪いの本体にしたというのか?

「…お母さん、もうやめましょう?」

「殺す」

一歩一歩、俺達に恐怖を与えるようにゆっくり向かってくる。

「殺す」

「…ねぇ、お母さん!」

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「殺してやる」

聞く耳を持っていない。

やっぱり指を咥えて見ているなんてできない。

俺はあの時と同じように、愛華の隣に立った。

何か、この子の為にしてやりたい。

「………」

愛華が俺の袖を引き、首を横に振った。

あくまで1人でやる気だ。

「わかったよ…」

俺は歯を食いしばって後ろに下がった。

「殺す」

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「…お母さん。お母さんが私をどう思っていても、私は…」

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shake

sound:34

「っ!!」

彼女は、首筋に噛みついた。

噴き出した血が、アーモンド型の目を、少し高い鼻を、淡い桜色の唇を、そして

“黒く艶やかな”長い髪を染めた。

「よかっ…た…間に合って…」

「…えっ?」

彼女が噛みついたのは愛華ではなく、瓜二つの少女だった。

「「鈴音ちゃん(リンちゃん)!」」

間一髪のところで部屋に入って来た鈴音ちゃんが、愛華を押しのけ、身代わりになった。

「愛華ちゃん…お母さんを、助けて…あげて?」

最期の力を振り絞って出した言葉は、2人にしかわからない絆だった。

それを言い終わると、満足げな表情で畳に倒れた。

「…うん」

目蓋を閉じた彼女は、もう少女の姿はしておらず、黒の毛並みをした猫となっていた。

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「殺した。私が殺した」

無機質な声は、愛華を奮い立たせた。

shake

パン!

愛華の平手が、彼女の頬に直撃した。

「どうしてこんなことをするの?答えてよ!」

「あ…ああ…あ…」

「私にお父さんを盗られたから?それとも、私が嫌いだから?!」

「ああ…あああ…」

「私は、お母さんを嫌いだなんて思ったこと、一度もないの!」

「あい…か…」

「お母さん、大好きだよ!」

music:5

wallpaper:149

「愛華…」

ようやく彼女は、はっきりと娘の名を呼んだ。

「ごめんなさい…」

彼女は泣いていた。

「欲しかったの。頑張った、ご褒美が。あの人は、心のない言葉しかくれなかったから。」

「…それがお父さんの罪。…たくさんの人を巻き込んだのが、お母さんの罪。…そして、今までお母さんを悲しませていたのが、私の罪」

愛華は、今まで伝えられなかった言葉を、より近くから伝えるために彼女を抱きしめた。

もう彼女から殺気は感じられない。

「お母さん、産んでくれて…ありがとう」

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music:4

wallpaper:1573

それからの数日、愛華の行動は早かった。

なんと、母親の所に戻ると言い出したのだ。

今は話し相手が必要ということだろう。

俺は俺で氷室さんの弟子になることになった。あの人は、俺の力を分散させただけで消してはいなかったのだ。

まったく、仏のような顔をしてえげつないことをする。

そんなバタバタした日々が続き、あっという間に愛華がこの町を去る日が来た。

実はあの時言われた“他人”という言葉がずっと頭から離れなかった。

愛華にあれからずっと、「あの」とか「すいません」としか話しかけられていない。

愛華がこの家を離れれば、本当に何の関わりもない他人になってしまう。

悲しいが、それが愛華の本当の幸せならば…

「…あの、ちょっといいですか?」

また「あの」か…

「どうしたの?」

「…今まで、お世話になりました」

「あ、うん。こちらこそ」

やっぱり、よそよそしいな…

「…あの、すいません」

「え?」

「…これ、あっちでも大切にしますね」

愛華は俺がプレゼントした狐のブローチを強く握った。

「そう、気に入ってもらえたなら良かった」

最後がこんな社交辞令か…まあ、そっちの方が諦め易い。

「…あの、最後に」

「まだあるのか?」

「………また、来てもいいですか?」

彼女が発したのは、あまりに予想外の言葉だった。

「ふっ…あははははは!」

俺は柄にもなく大声で笑ってしまった。

同時に、深く安堵した。

「当たり前だろ?ここはお前の家だ」

「っ!!はい!」

この時愛華が見せたのが、今までで一番の笑顔だった。

「じゃあ、いってらっしゃい」

「はい!…いってきます、“兄さん”」

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wallpaper:1797

愛華は、夏休みや冬休みの度に例外なく帰って来た。

そして、母親や新しい学校のことを嬉しそうに話す。

愛華が来ると、あの時2人で作った鈴音ちゃん…いや、リンちゃんのお墓から、嬉しそうな鈴の音が聞こえるような気がした。

そして、また今年の夏も。

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「…ただいま、兄さん」

「…ねぇ、友達ができたの」

「…凛ちゃんっていって、このブローチ可愛いっていってくれたの」

「…それから、…それから…」

帰省した俺の妹、愛華は俺に対して敬語を使わない。

理由は、離れていても家族だから。

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りこ様、ありがとうございます。
猫は古来より霊力があると言われておりますから、いずれりこ様に恩返ししてくれるかもしれません。

ちなみに私は、幼い頃近所にいた野良猫に色々いたずらされて、今でも猫が少し怖いです。

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にゃにゃみ様、ありがとうございます。
娘さんの教育に悪影響を及ぼしかねない描写が多々あったことをお詫び申し上げますw

mami様、ありがとうございます。
気に入っていただけたなら幸いです。

本当に良かったです。
兄妹の繋がりすらも戻せないまま終わっちゃうのかと、悲しかったのですが、
親子の繋がりも、再び手に入れた愛華ちゃんに強さを感じました。
娘と一緒に、楽しませていただきました。
ありがとう。

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裂久夜様、ありがとうございます。
私もこちらの結末でなければ納得いきません。

こちらの終わり方が好きです。