長編11
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木菟と百々目鬼

ちょっと、そこのぼく。

…そう、あなたの事よ。ちょっとこちらへいらっしゃい。

何か悩みがあるようね、お姉さんが見てあげるから話してごらんなさい。

え、お代?ウフフ、そんなもの要らないわ。あなた可愛いからサービスよ。

…なるほど、「優等生」の鎖が苦しい?抜け出したい?

そんなの、簡単なことよ。

「優等生」がやらないようなことをやっちゃえばいいの。

…え、悪い事はしたくない?何よ、弱虫ね。それじゃ、出血大サービス。このお守りをあげる。

これがあれば道は開ける。本当よ。

じゃあ、私はそろそろ行くわ。愛しのダーリンが待ってるの。

それじゃ、さよなら。「『元』優等生」さん…。

その日、晴明はバイト先のコンビニでレジに立っていた。

時間は深夜2時、客もいない暇な時間だ。

(眠い…。)

欠伸をすると、先日胸に負った傷がずきりと疼いて思わず呻いた。

店内には自分一人。他の従業員は、休憩を取りに外に出ている。

あまりにも暇なので、彼は雑誌コーナーから漫画雑誌を一冊持ち込み、ぱらぱらとめくり始めた。

暫くすると、入口の戸が開いて少年が一人入ってきた。客だ。

「…いらっしゃいませー」

雑誌から目を離さず、彼は声をかけた。

少年はちらりと晴明に目を遣ってから、きょろきょろと辺りを見渡した。

菓子売り場に入った彼は、レジカウンターの晴明を気にしながら小さな菓子を幾つか手に握り、ズボンのポケットに滑り込ませた。

大きく息をついて、彼はそろそろと店の出入口に足を運んでいく。

「おい」

びくり、と肩を震わせ、少年は歩みを止めた。

「なーんか忘れてねぇ?ボクちゃん。」

彼が振り向いた先には、漫画雑誌を筒状に丸めて持った晴明が仁王立ちしていた。

「客は0、いるのはやる気のないサボりのバイト店員だけ…とか思ってたみたいだけど。ちゃーんと見てんだぜ、これでも。」

彼は少年に歩み寄り、その肩に丸めた雑誌をぽんと乗せた。

「今認めればオオゴトにはしないけど。どうする?」

「…!」

少年はポケットから手を引き抜き、晴明の胸を突き飛ばしてコンビニを飛び出していった。

「いってー…。もうやるんじゃねぇぞー。」

床に散らばった小さな飴やチョコレートを拾い集めながら、晴明は溜め息をついた。

胸がじくじくと痛む。傷口が開いちまう。

何も突き飛ばすことはないだろうなどと思いながら、彼は再び店番を始めた。

翌日、晴明は律子と共に六花を訪れていた。

「深夜のコンビニバイトってどうなの、実際?」

律子がミルクティーを飲みながら、晴明に尋ねた。

「ネットで拾う怪談とかだとよくあるシチュエーションだけど…。ぶっちゃけオバケ出るの?」

「バカだなー、出るわけねーだろ?」

ふっと軽く笑って、晴明は律子の額を指先でついとつついた。

「んなモン信じてるなんて、おめーもオコサマだな。」

律子は膨れっ面をした。

「えーっ、原稿用紙の妖怪信じて幽霊信じないとかありえなくない!?」

「ふん、俺はこの目で見たもんしか信じねぇんだよ。いるかいないか分からねぇ幽霊より、万引きの方が面倒だね。」

そんな彼らの様子をカウンター越しに見ていた美子は、くすりと笑って言った。

「あら、よく知りもしない呪いを本気で使ってたのはどこのどなただったかしら?」

途端に晴明の顔が赤くなった。

「お、女将!そんな昔の事…!」

「まあ、ほんの去年の事でしょ?」

晴明が何かぶつぶつ言いながら俯くのを見て、律子はにやりと笑った。

「ハルマキにもあったんだねー、そんなカワイイ時代が。」

「う、うるせぇ!ほっとけよ!」

熱いコーヒーを無理矢理口に流し込み、彼は立ち上がった。

「ごっそさん、美味かったよ女将。」

そして小銭を数枚カウンターに置くと、さっさと出ていってしまった。

「えっ?ちょっとハルマキ、待ってよぉ!」

律子は飲みかけのミルクティーを名残惜しそうに見てから、彼を追って店を飛び出した。

「あっ…。」

2つのティーカップと共に残された美子は、きっちり二人分払われた小銭を見て小さく溜め息をつき、微笑んだ。

「ちょっと、ハルマキぃ‼」

歩いていた晴明の腕に、律子が抱きついた。

「何で置いてくのよ、今日は1日一緒に買い物する約束でしょ?」

「追い付けるような速度で歩いててやったろ。あまりくっつくな、歩きにくいだろ…。」

晴明は律子の腕を払いのけ、無愛想に言った。

「何よ、ハルマキあたしの事嫌いなの?」

律子は唇を尖らせた。

「そうじゃねーって。前にも言ったろ、俺はお前の事好き嫌いで考えてねぇって…お?」

いきなり足を止めた晴明の背中に思いきりぶつかって、律子は顔を上げた。

「ちょっと、ハルマー」

「しっ、ちょい黙れ。」

律子の口を指先で押さえ、晴明は目の前のコンビニを指差した。

その先では一人の少年が、店に入ろうか悩んでいるような様子で佇んでいる。

「あいつ…。昨日バイト先のコンビニに万引きしに来た奴だ。」

「えっ?」

律子はその少年を見て、あっと声を上げた。

「あの人、うちの中学の生徒会長だよ。三年の百瀬先輩…。イケメンだし頭いいし運動神経いいしでモッテモテなんだよねー。」

ま、あたしに釣り合う男じゃないけど。

律子はそう言って笑った。

「ふうん…。それじゃ見間違いかな?」

百瀬は晴明と律子には気付いていないようで、辺りを確認すると素早くコンビニに入った。

「でも…。何だか匂うぜ、あいつ。」

「それじゃ、追っかけてみる?」

悪戯っぽく笑った律子の顔を見て、晴明もまたにやりと笑って彼女の髪を撫でた。

百瀬を追ってコンビニに入った二人は、上手く棚の陰に隠れて存在を悟られぬよう彼を尾行していた。

「お父さんの張り込みってこんな感じなのかな…。」

律子は気分が昂るのを圧し殺すような小声で呟いた。

「尾行って結構スリリングで面白いかも?」

おいおい、と晴明が溜め息をついた。

「本当はこんなことしたらまずいんだからな…。こんな遊び教えたなんてバレたら、あのジジィに何言われるかわかんねーなあ。この事は黙っとけよな。」

律子はおどけて敬礼をし、くすっと笑った。

暫く観察を続けていると、百瀬は文具売り場で足を止めた。小さな消しゴム2つとセロハンテープ、修正テープなどを手に取って、例のごとくズボンのポケットに滑り込ませていく。その手つきは慣れたもので、彼が万引きを何度も繰り返しているという事を表していた。

百瀬は短く息をつくと、店を出ようとした。

晴明はレジの店員を見たが、彼らは百瀬の行動に気づいた様子もなくつまらなそうな顔をして突っ立っていた。

冷めた店員だ。ヤル気あんのか。

自分の事は棚に上げ、給金を貰うためだけにその場にいるような店員らを睨み付けた彼はそっと百瀬の背後に回った。

「もーもーせークン。おひさー。」

声をかけられた彼はびくっと飛び上がり、そっと後ろを振り向いた。

さっと顔色を青ざめさせた彼の額を、晴明は指先でつんと突いた。

「後輩ちゃんから君の事は聞いたよ。もうやるなっつったじゃん。忘れちゃった?」

晴明はいつの間にか百瀬のポケットから彼が万引きしたものを抜き出しており、横に立っていた律子にそれらを元の位置に戻してくるよう促した。

黙って俯いた百瀬の肩をぽんと叩き、晴明は言った。

「さ、お兄さんとお話しよっか?どこかで飲み物でも飲みながら。」

「…!…離してくれっ、あなたに話すことなんてないっ!」

百瀬は晴明の手を振りほどき、足早にその場を立ち去った。

「あららー、随分な優等生サマだこと。」

晴明は暫くその後ろ姿を眺めていたが、ふと視線を感じて辺りを見回した。

「…。」

周りの客、店員がこちらを不審そうに睨んでいる。

晴明は明るく染めた自身の頭髪を撫で、溜め息をついた。

なるほど。事情を知らない奴から見たら、今のは完璧にカツアゲの現場に見えるだろう。

「ハルマキー、百瀬先輩は?」

アウェイな状況には全く気付かず、自分の隣にくっついた律子。

そんな彼女を見下ろして、晴明は呟いた。

「髪…。黒に染め直そうかな。」

「はあ?」

「…百瀬を追うぞ。少し離れて歩けよな。」

コンビニを出た晴明の背中を、律子は不思議そうに見つめていた。

百瀬は俯き加減で町を歩いていた。

面倒な奴に目をつけられた。学校の後輩にも見られた。

「…どうしよう」

彼は路地裏の道に入り、しゃがみこんだ。

頭を抱えていると、目の前に人が立つ気配がした。

顔を上げると、そこには薄紫のベールを被った女が立っていた。

「あなたは…。この間の占い師さん。」

女は微笑んだ。

「お久しぶりね、ぼく。」

「…あ、ああ、」

百瀬の目にみるみる涙が溜まる。

「オレはもう終わりです。現場を人に見られたんです。」

その様子を見て、女は怪訝そうな顔をした。

「…おかしいわね、あのお守りが効いてないのかしら?」

「お守り?」

百瀬は首から下げていたネックレスのようなものを外し、女に渡した。

女はそれをまじまじと見て、あっと声を上げた。

「ヒビが入ってる…。これじゃおまじないが漏れちゃうわ。」

渡した時は無傷だったのに、と、彼女は首を捻った。

「これはちょっとやそっとの衝撃では壊れないはず…。でも、大きすぎる『罪悪感』には弱いのよね。あなた、根が真面目過ぎたのよ。」

女はくすっと笑った。

「これはね、人の罪悪感を吸収して消すまじないの籠ったお守りなの。だから、あまり大きな罪悪感を一度に受けると壊れちゃう。」

「そんな…。オレ、どうなるんですか?」

そんなこと、と女は呟き、お守りのペンダントヘッドを指先で潰した。

「私が知った事じゃないわ。跳ね返った罪悪感で何が起こるかなんて、私にも分からないもの。」

壊れたペンダントを百瀬の首にかけ、女は去った。

残された彼は、身体を震わせながら立ち上がった。

「…見られてたんだ」

一番最初に万引きを犯したときも。

親の財布から札を抜いたときも。

街中で財布をすったときも。

どこからともなく声が聞こえる。

『見ていたぞ』

『お前が罪を犯すのを』

『しっかり、この目で…』

ひいっ、と、喉から小さく声が漏れる。

目の前の硝子窓、その中から無数の目がこちらを見つめていた。

「や、やめろ…!見るな…‼」

路地裏を飛び出した彼は、絶句した。

地面、店の壁、信号機。

町のあらゆるものに、無数の目がついている。

「オレを見るな…!そんな目で、オレを…!」

彼は再び走り始めた。

地面の目玉を踏み潰したのだろう、靴の裏を生々しい感触が伝わってくる。

気付けば、町を歩く人物みんながこちらを見ていた。

『ほら、あの人…。』

『この間、あそこのコンビニで…。』

『みんな見ていたのに』

「うわぁぁぁ‼」

彼は叫び、後ずさった。

「見るな…見るな…見るな…!」

『見てるよ』

はっとして、声の降ってきた空を見上げる。

空を覆い尽くすような大きな目玉が、自分を睨み付けていた。

「ひ…。」

凍りついていると、突然うなじに衝撃を受けて彼は意識を失った。

「それで、ここに連れてきた訳ですか。」

木菟が腕組みをして、玄関に横たわった百瀬を見下ろして言った。

「そうなんだよ、気絶でもさせないと連れてこられないくらい錯乱してて。」

危ないと思って、律子は先に帰したよ。

晴明はそう言って、首を傾げた。

「路地裏でこいつを見つけたとき、紫のベールの女と何か話してたんだよ。内容はよく聞こえなかったけど…。女がいなくなった後、そいつ急に怯えだして。見るな見るなって言いながら町を走り回るもんだから、追うのに苦労したぜ。全く、誰も見てなんかいなかったってのに、どうしたんだろうな?」

木菟はふうむと唸った。

「紫のベールの女…。どこかで聞いた気がします。」

その時、百瀬が目を開けた。

「お、目ぇ覚ましたか。」

晴明がその顔を覗き込むと、彼はひどく怯えた様子で立ち上がった。

「見るな…。見ないでくれ!」

「お前、落ち着け…。」

うわぁぁぁっ、と叫び声を上げ、百瀬は木菟の家の奥に逃げ込んだ。

入り込んだ部屋は経凛々の部屋。

据え付けられた三面鏡の鏡台の前で髪を梳いていた経凛々は、茫然と彼を見つめていた。

「…あ」

三面鏡に映った自分の姿を目にした百瀬の顔から、一切の表情が消えた。

そして無言で経凛々の持っていた柘植の櫛を奪い取り、その尖った持ち手を逆手に持った。

木菟と晴明が部屋に着く頃、百瀬は既に自分の腕に櫛を突き立てていた。

鏡だけを一直線に見つめながら、自分の身体を刺し続けていた。

「せ…先生…。こ、これは一体…。」

経凛々は卒倒する寸前のようだった。

「…て、てめぇ何してんだっ!」

服に血がつくのも構わず、晴明は百瀬を押し倒してその頬を打った。

「くそっ…。やめろよ、百瀬ぇーっ!」

しかし、百瀬は尚も自分の身体に櫛を突き立て続けた。

やがて全身に穴を穿つと、彼は微かに微笑んで呟いた。

「あと…2つ」

「何だと?」

次の瞬間、百瀬は目にも留まらぬ早さで自分の両目を突いた。

一瞬の静寂。

「…救急車」

我に返った晴明が叫んだ。

「救急車!早く!オッサン!」

晴明の腕の中で気を失っている百瀬は、微笑をたたえたままであった。

数日後、晴明と律子、木菟は百瀬の見舞いに来ていた。

彼はまだ意識を失ったままで、身体中に絆創膏のようなテープが貼られていた。

「お前は現場にいなくて良かったぜ、律子。」

晴明は溜め息混じりに言った。

「にしても…。全身のテープの真ん中に血の点があって、何か身体中に目があるみてぇだな。」

「やめてよ、ハルマキ…。」

すると、二人の会話を聞いていた木菟が不意に口を開いた。

「…百々目鬼という妖怪がいます。昔、あるすり師の女の身体中に目が浮かび上がり、百々目鬼になったといいます。誰かに見られているという罪悪感が、目という形で表れたものだと言いますが…。」

木菟はそこで大きな溜め息をついた。

「…彼は自らの身体に、罪悪感の『目』を見たのかもしれません。彼はその『目』を潰し、更には自らの目までそれらと混同して潰してしまった…。彼の中ではもう身体に目はついていない。しかし、周囲から見れば彼の姿はまるで百々目鬼のようです。」

皮肉なものですね、と、木菟は哀れむように眠ったままの百瀬を見た。

「いつの世でも、真に恐ろしいのは人間の心の闇ですね…。…おや?」

木菟は、ベッドの脇の棚に置いてある壊れたペンダントのようなものを手にとった。

「これは…。彼のものでしょうか、あまりこの年頃の少年がするような物には見えないのですが。」

「え?」

晴明は木菟の手の中を見た。

「あ、これ…。あの紫のベールの女が壊したやつじゃん。なあ、律子。」

律子も木菟の手の中を覗いて、頷いた。

「紫のベールの女…。どこかで聞いたと思っていたら、前に美子さんに変なまじない人形を売りつけたっていう占い師も確かそんな格好をしていたと聞きました。」

「え、マジ?」

でも占い師なんてみんなそんなもんかな、と唸る晴明の服の袖を、律子が引いた。

「ね、ハルマキ。一緒に旅行行った時会った若旦那さん、確か占い師の女がナントカって言ってなかった?」

「ああ、そういやそうだな。占い師ってのはどうもみんな胡散臭いな…。」

晴明が溜め息をつくと、木菟も頷いた。

「ええ、本当に…。」

晴明の手からペンダントをつまみ上げ、彼は憂いを含んだ眼差しでそれを見つめた。

たまに見せる猛禽のような目に、憐憫の情をエッセンスとして一滴加えたような眼差しだった。

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毎回、サラッと登場人物のみなさんを違和感なく登場させる所が上手いです。

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