長編17
  • 表示切替
  • 使い方

青床の呪い

「瑞季さん、青床って名前の場所聞いたことありませんか?」

私が地元の企業に就職してもうすぐ初めての年末という時期に起こった事件でした。

その日、教育係の黒川先輩と高遠さんという取引先を訪れた時のことです。

不意に事務員の絵梨花さんが黒川先輩に話しかけてきました。

「何? セイショウ?」

黒川さんは彼女の質問の意味がわからないようでした。

「えっと、あおにゆか、という漢字をあてて、音読みでセイショウと読むんですけど・・・」

「場所の名前? う~ん聞いたことないわね」

nextpage

「多分、心霊スポットの地名だと思うんですが・・・」

心霊スポットと聞いて、黒川先輩は当惑したような表情を浮かべました。

しばらく考えた後、黒川先輩は答えました。

「・・・ごめん、やっぱりわかんないわ、どうしてそんなこと聞くの、えっちゃん?」

「・・・すいません、変なこと聞いてしまいました、忘れてください、瑞季さん」

絵梨花さんは笑ってごまかしていました。

私の教育係の黒川先輩は世間でいうところのいわゆる霊感のある女性でした。

絵梨花さんの旦那は今来ている取引先の社長の息子で、その彼は私の高校時代の先輩でもありました。

そのつながりもあって、高遠さんに関係する事案だけに限っても、私達は様々な心霊案件に関わってきていました。

そういう事情から絵梨花さんは黒川先輩に尋ねたのだとは思いました。

私も黒川さんもなぜ彼女が心霊スポットのことなんか聞いてきたのか確認しましたが、彼女は謝ってはぐらかすばかりで本当のところはわかりませんでした。

nextpage

separator

始まりは私が高校三年のとき、今の会社への就職が決まったころの話です。

その日、私が夕方に高校から帰ると仕事を終えて先に帰っていた父が洗面所で吐いていました。

nextpage

「お父さん、具合悪いの?」

私が尋ねると、父はよく分からないと答え、調子が悪いので夕食は食べずに先に寝ると言いました。

心配して二階の寝室へと向かう父を見つめていましたが、不意にその奥の階段に視線を移すと中程に誰かが立っていました。

廊下の天井に隠れて足しか見えませんでしたが、女性の足でした。

最初母かと思ったのですが、母は帰ったときに玄関横のリビングで夕食を作っているのを見かけていました。

しかし、問題はそんなことではなく、その足は普通の人間の足とは違い青黒い色をしていました。

驚いて目を凝らして見ようとしたところに父親の後姿が重なりその足は見えなくなりました。

慌てて階段のところに向かい確認しましたが、階段には父親以外に誰もいません。

「お父さん、そこに今誰かいなかった?」

「・・・誰もいないぞ、なに言ってるんだ、絵梨花?」

「え、あれ、気のせいかなあ」

その時はおかしいとは思いながらも、見間違いと結論付けました。

そして、私は父のいた洗面所に入りました。

「もうお父さん、ちゃんと流さないと匂いが残るでしょ」

父は吐いているのにほとんど水を流している様子がなかったので、私は水を流そうとしました。

しかし、洗面台からは吐いたときの特有な匂いがしません。

代わりに海に行ったときのような潮の香りがしました。

nextpage

次の日曜日の朝、起きてくるとまた父親が洗面所で吐いていました。

「お父さん、まだ具合悪いの?」

私は不安になり、病院に行ったほうがいいのではないかと尋ねました。

しかし、吐き終わった父は呆然とした表情で私を見つめました。

「ああ、でも今日はこれからお前のお母さんに会いにセイショウへ行かないといけないんだ」

そう言うと、父は私の横を通り抜けて、玄関から出て行こうとします。

「え、お母さん台所にいるんじゃないの?」

私の言葉にも反応する様子はなく、父は車で外に出て行きました。

台所に行くと母親が朝食の準備をしていました。

私は父の言動の意味が分からず、思わず立ち尽くしていたのですが、父が横切るとき父の腕が私の体に触れていて、その部分がじっとりと濡れていることに気がつきました。

「え、なにこれ?」

匂いを嗅いでみると、汗のような感じもしましたが、やはり昨日洗面所で感じた海の潮のような匂いがしました。

動揺しながらも廊下に戻ってみると、父が歩いたと思われるところがしっとりと濡れていました。

そこからも同じ匂い、朝会ったときはそこまで注意深く見ていませんでしたが、服や廊下が濡れるということは、父は出て行くときに甚だしく体や衣服が濡れていたということです。

しかもよく見ると廊下にできた水の足跡は父のものだけではなくもう一人分、合わせて二人分あるように見えました。

それも足の大きさから見てもう一人の足跡は女性のものに思えました。

私は嫌な予感がして、台所の母に父のことを話しましたが、母も訳が分からないようでした。

そして、その日から父が車ごと失踪しました。

nextpage

父の失踪後、私は母を問い詰めました。

特にあの時父が最後に言った「お前のお母さん」と「セイショウ」という言葉について母は何か知っていると思ったからです。

すると母は知っても何も得することはないと前置きしたうえで渋々次のようなことを話してくれました。

まず、私が自分の本当の娘ではなく、父親の不倫相手の子供ということでした。

それだけでも衝撃過ぎる事実でしたが、そんなものはまだほんの入り口でした。

その不倫相手の女性、つまり私の本当の母親は私を生んだ後、父に認知をしてもらいそのまま育てていたらしいのですが、別の男性と結婚することになり、その男性が別の男の娘は要らないと言ったようでした。

そこで私を父に引き取らせようと激しい衝突になり、結局その影響で私の本当の母の婚約は破談となりました。

その結果、もともと執着心の強い人だったらしいのですが、私の本当の母は父のことを相当恨んでいたようでした。

さすがに婚約の破談には父も責任を感じていました。

また彼女の執拗な憎しみの矛先が娘に向かうことも恐れ、一旦赤ん坊だった私を預かり、今後の対応を何度も彼女と話し合ったそうです。

しかし、あるとき彼女は失踪しました。

そして、父に失踪前に出したと思われる一通の手紙が届きました。

そこにはたった一文だけ「青床で待っています」とだけ書かれていました。

父は「あおどこ」と読んだようなのですが、どこかの地名か、いずれにしても意味の分からない手紙でした。

失踪の責任を問われて、父は彼女の親族から相当責められたのですが、最後は私を引き取って、慰謝料の支払いとその後一切の縁を切ることとで話がついたそうです。

そこまでの話と今回の父の失踪前の出来事を総合すると、父は「青床」、つまり「セイショウ」と読む場所にいる私の本当の母に会いに行ったということのようでした。

nextpage

青床、私には一連の出来事からその言葉は海の底を指すのではないかと感じていました。

そうなると私の本当の母は父を恨みながら、海の中にあるいは車ごと身を投じ、父もそれを追ったということでしょうか。

いや、この状況には彼女に連れて行かれたという方が合っていると思われました。

一応警察にこのことを話はしましたが、あまりに漠然とした話で当然まともに取り合ってはもらえませんでした。

nextpage

父の失踪から三年後、私は今の夫である会社の同僚と結婚し、その後すぐに娘が生まれました。

そして、昨日のことです。

私の周りで奇妙なことが起こりました。

最初は夫と食事中にテーブルの下に落としたものを夫が拾おうとして下に屈んだときです。

夫が慌ててテーブルの下から立ち上がり、私の後ろに青黒い女の足が見えたと叫ぶのです。

そのあと、私は急に気持ちが悪くなり洗面所で吐きました。

胃液の味はせず、塩水の味でした。

すぐに失踪した両親のことが思い出されました。

怖くなった私は心配する夫に両親の失踪のことを話しました。

夫は明日にでも近くの神社に行って御祓いをしようと提案してくれ、私もそれに同意しました。

しかし、その夜私は夜中に起きだして

「・・・青床にいるお父さんとお母さんに会いに行かないと」

と言って家を出て行こうとしたそうです。

両親の失踪のことを聞いていた夫が必死で私を止めたようでした。

夫に頬を張り倒されたとき、私は我に返りました。

なぜ母が今になって私を連れて行こうとしているのか本当のところは分かりません。

しかし、私も人の親になってぼんやりと感じたのですが、私の母は未来永劫続く呪いを残したのではないでしょうか。

つまり、海の底に引きずり込むのは次の世代が十分に育ってからということです。

父のときは娘の私が就職したとき、私の場合は結婚して娘が生まれたとき。

そうなると私の夫の場合は娘が十分大きくなったとき、娘は結婚して次の子供が生まれたときでしょうか。

母は永久に私達を呪い続けるためにその場所を選んだのでしょう。

誰にも邪魔されない暗い海の底を・・・

nextpage

separator

現場に向かう車の中で私は今聞いている絵梨花さんの呪い話を頭の中で整理していました。

その日、すでに夜中の十二時を過ぎて寝ていたところにいきなり枕元に置いていた携帯が鳴りました。

寝ぼけながら出てみると、高校時代の先輩の高遠さんからでした。

夜中のこんな時間に何事かと思い詳しく聞くと、奥さんの絵梨花さんが入水自殺したであろう母親から呪いをかけられて、海に引き込まれようとしているという話でした。

話が要領を得なかったので、最初病院や警察に連絡した方がいいのではと思ったのですが、呪いというフレーズが出てきて少し状況を理解しました。

その経験から今回の件に一番頼りになりそうな黒川さんは呼んだのか聞くと、呼んだということなので私もすぐに着替えて先輩の家に向けて出発し、運転しながら携帯電話で状況の詳細を聞いて、今に至ります。

先輩の家に着くと、状況は話からさらに悪化し、絵梨花さんの身体から塩水が染み出して、じっとりと濡れる段階に来ていました。

意識はすでに朦朧としているようでした。

遅れて黒川さんも到着して、少しの間絵梨花さんの容体を見ていましたが、ここでは埒が開かないという判断になりました。

そのため、私達は黒川さんの車で神社に向かうことにしました。

呪いに狙われることを恐れて、絵梨花さんの生まれたばかりの娘さんも連れていきました。

助手席に座っていた私は運転している黒川さんに絵梨花さんの話に出てきた「青床」についてあらためて聞いてみました。

「・・・私も実は気になって、えっちゃんが言ってた青床の話を調べてみたのよ」

彼女は前を向いたまま話を続けます。

「そうしたら青床という符丁の行政管理心霊スポットの情報が出てきたわ」

行政管理心霊スポット、以前今回と同じく高遠さんが関わっていた案件で住民の安全のため、あえて行政がその管理を担当している廃病院がありましたが、それと同じ類のものと思われました。

「元は自殺か心中かで何台もの車が沈んでいる港だったみたいなんだけど、釣り人やカップルの乗った車が黒い影に取り囲まれて海に引きずり込まれそうになったということで今は工場群のある港なのに夜は封鎖されているはずよ」

「・・・それって、絵梨花さんの件もそうですけど、沈んだ車を警察が引き上げることで解決するんじゃないですか?」

「そんなに簡単じゃないのよ、うかつに手を出すと霊障の危険にさらされることになるし・・・」

確かに引き上げの業者や警察関係者に二次被害の恐れは十分に考えられます。

「車を引き上げるにしたってよっぽど事件性と身元が確定していないと引き上げ費用の請求すらできないし、動くに動けないところもあるのよ」

確かに不条理とも思えましたが、日本中の港にどれだけの車が沈んでいるかと思うと、いちいち対処してしまうと莫大な費用がかかるという一面もあるのでしょう。

nextpage

「けど、そういう状況を見るとえっちゃんのお母さんはよっぽど呪いに精通していたのか、それとも呪いのプロが関わっていたのかと感じるわね」

「どういうことですか」

「まず青床港のことをどこで知ったのかも気になるし、こちらからはほぼ手が出せない代わりに、呪う側からは心霊スポットの引きずり込む力を呪いに上乗せすることができるわ」

確かに以前の病院の案件もそうでしたが、基本的に行政管理心霊スポットの情報は外部に漏れないように保守されているはずです。

また、忌み地の障りを自分の復讐に利用しようと考える、確かに一般人には考えも及ばないことに思われました。

「・・・そう考えると、ちょっと素人っぽくないやり口よ」

そうこうするうちに車は神社に続く山道に入りました。

本来は神社から少し下ったところに駐車できる広場があるのですが、黒川さんは境内に上る石段の手前まで強引に車を進めて止まりました。

高遠先輩が娘さんを抱き、私と黒川さんが絵梨花さんを両脇からから支えて車から降りました。

体を密着させると絵梨花さんの体から染み出る塩水を服が吸って肌にまとわりつきます。

山の中腹にある神社への石段を登ろうとしますが、冬の北風が吹いて体温が著しく奪われました。

夜中だったので、周りを眺め渡しても黒い森が見えるだけで、他の参拝客などの気配は全くありませんでした。

絵梨花さんを支えながら慎重に登り始めましたが、私はすぐに立ち止まりました。

私達の後ろから付いてくる湿った足音が聞こえたのです。

すぐに横の黒川さんの方を見ました。

彼女は私の言いたいことは当然わかったうえで

「もちろん、憑いて来てるわよ、そして当然とんでもないレベルの悪霊よ」

と吐き捨てました。

その言葉を受けて、私はゆっくりと後ろを振り返りました。

nextpage

くしゃくしゃの笑顔でした。

明かりはほとんどなかったのに妙にはっきりと見えます。

娘の絵梨花さんとよく似たつくりの顔の女性でしたが、何がそんなにうれしいのだろうと思うほどの気味の悪い笑顔でした。

また、こちらははっきりとは認識できないのですが、女性の後ろに何十人もの影が重なり広がっているように見えました。

上から見たその光景はまるで石段の下に夜の海が波打ち、その中に女性が立っているようでした。

「黒川さん、僕にも見えます、それも大勢・・・」

「全く、大人数で押し寄せてきちゃって」

「・・・それになぜか気持ち悪いほど嬉しそうで」

「そりゃ、楽しくて震えてるでしょう、この時のために沈んでいたんだから、ゲームでプレイヤーがライフ無限の状態で敵をいたぶっているような気分でしょうよ」

しかし、彼女は後ろについてくるだけで私達に直接何か危害を加えようとはしてきませんでした。

「・・・襲ってきませんね」

「・・・あくまで呪いの標的はえっちゃんだけというのもあるでしょうけど、余裕で遊ばれてるのかもね」

「こちらは神社に入ろうとしているのに余裕ですか?」

「向こうからすれば時間は無限にあるわけだしね」

その言葉はここでのお祓いがうまくいかなければ、絵梨花さんは間違いなく呪い殺されるという意味に聞こえました。

やがて、私たちはもうすぐ石段を登り切るところまで来ました。

その時、石段両側の森の木々が風もないのに細かく震えだしました。

まるで神社を囲む森全体が唸っているようです。

「・・・やっぱりだめか」

黒川さんは静かに言葉を発しました。

「・・・な、何が起こってるんですか?」

「ここの神様から私たちが神域に入らないように強く警告されているわ」

神様からの警告、全く穏やかではない事態でした。

「ど、どうして、僕達が?」

「どうしてもなにも、これだけの禍々しいものを持ち込むことは許さないということよ」

「そ、それじゃあ、絵梨花さんをお祓いすることができないじゃないですか、もうすぐそこなんですから強引に入ることはできないんですか?」

「そんなことしたら先に私達の方に神の障りが降りかかるわね」

神の障り、それは私自身の浅い霊経験で考えても、どれほど危険か容易にわかるものでした。

驚きで動けないでいると、私たちの願いを断ち切るかのように神社の境内の方から前に進むことができない見えない圧力がさらに体中にかかり始めました。

nextpage

「・・・瑞季さん、もう、私を放してください」

不意に絵梨花さんから言葉が漏れました。

「・・・このままだと瑞季さんたちまで巻き込まれてしまいます」

絵梨花さんは自分のせいで周りにまで致命的な危害が及ぶのを恐れているようでした。

「・・・娘と旦那をよろしくお願いしま・・・むぐっ」

言いかけていた言葉を瑞季さんが強引に口をふさいで止めました。

「ふうぅ、あんた前からちょっと気になってたんだけど・・・」

呆れたように瑞季さんは絵梨花さんの顔を覗き込みます。

「まさか、不倫の末に生まれた子供だからって、自分が生まれてはいけなかったとか考えたりしてないでしょうね」

その問いかけに絵梨花さんははっと顔を上げて瑞季さんを見つめます。

「あの女の世界はもう時間の止まった死者の世界よ、えっちゃんの世界は生きている人間の世界でしょう」

壊れた人形のように石段にひざまづいた絵梨花さんに瑞季さんが覆うように重なりました。

「私が解放してあげる、あの女の呪縛から、だから生きるの、ここで死んだら何のために生まれてきたかわからないじゃない」

瑞季さんがこんな心配そうな顔をするのを私は初めて見ました。

その気遣うような表情を見た絵梨花さんはこんな時だというのに嬉しくて仕方がないようでした。

絵梨花さんの目から溢れる涙がさらに量を増していきます。

しかし、二人の動きに呼応して、後ろからの重い空気が震えたかと思うと迫ってきた影が絵梨花さんの肩の高さあたりまでまとわりついてきました。

気がついたときには絵梨花さんを支えていた私の腕もその影に飲み込まれていました。

まるでムカデなどの毒虫が腕に噛み付いているような痺れる激痛に襲われ、私は弱々しい悲鳴を上げてしまいました。

nextpage

「モウスグヒトツニナル」

絵梨花さんの右肩からあの女の青黒い頭が浮かび上がってきてにんまり笑いました。

もう駄目だと思ったその時、私たちの前に人影が現れました。

nextpage

「全く・・・こんな夜中に酷い迷惑ですよ」

そこに立っていたのは白い着物をまとった女性でした。

「真央姉、さすが、間に合ったの?」

その姿を確認した瑞季さんは待ちわびたような歓喜の声を上げていました。

巫女装束ではない着物だったのですぐにはわかりませんでしたが、この神社に住んでいる女性のようでした。

「本当に・・・大きな貸しですよ」

やれやれといった感じで真央姉と呼ばれた女性は右手を絵梨花さんの胸に置きました。

nextpage

「・・・清浄なる力よ、極めて穢れしものを断ち切る光となれ」

彼女の言葉に応えるように、彼女の手のひらから金色の輝きが広がっていきます。

光は絵梨花さんにまとわりつく影を引きはがして、肩から出ていた頭ごと後方に吹き飛ばしました。

その動きにすかさず反応して、瑞季さんは離れた女の顔に手をかざしました。

nextpage

「穢れしこの世ならざる悪霊よ、我が力に依りて在るべき死の世界へ」

瑞季さんの言葉が紡がれると、女はすさまじい暴れ方で吠えだしました。

瞳孔は開き、黒い体液が顔中から流れ落ちます。

暴れながらも絵梨花さんの方を向いて必死に何かに抵抗しているようでした。

しかし、女の体は砕けながら夜の闇に少しずつ溶けていきます。

やがて女の姿が完全に消滅すると、私たちがいる石段の上に夜の静寂が戻ってきました。

あれほどひしめいていた影もどこにもありません。

「な、なにをしたんですか?」

「えっちゃんと母親の親子の縁を切った」

「え、縁? どういうことですか?」

「元々あの女は青床港に縛られている地縛霊なのに、えっちゃんの前に現れていたのは親子の血の縁につけこんでいたのよ」

縁の力、確かに呪いの力によって一族に災禍が及ぶという話や悪縁を断ち切る縁切りの神社の話は少し聞いたことがあります。

親族の間に血縁の影響を利用して呪いを広げる、普段ほとんど意識していない血縁というものを意識させられました。

「だから、逆にその悪縁を切らないと呪いを撥ね退けることはできないと思ったのよ」

「それでこの神社に来たんですか?」

「真央姉にここに来る前に準備してもらうよう電話でお願いしたの、間に合うかどうかは賭けだったけど」

詳しく聞くと、一口に悪縁を切ると言ってもその個人ごとに全く術法が違うらしく、黒川さんはまず絵梨花さんの画像を携帯で真央さんに送り、縁切りのための霊視をしてもらっていたということのようです。

真央姉という女性、先日神社に訪れた時も会っていましたが、黒川さんの口ぶりからただの馴染みの神社の娘さんという関係以上のものが感じられました。

「あの人はこの神社の巫女さんですよね、どういう関係なんですか」

「う~ん、一応師匠かな?」

師匠ということは黒川さんにいわゆる霊感的なものに対する教えを施した人物ということでしょうか。

なんで疑問形なんだろうとは思いましたが、黒川さんは説明より先に絵梨花さんを神社の中に入れるよう促したので、私はそれに従いました。

nextpage

絵梨花さんは体を洗い、着替えを貸してもらって、神社の中の応接スペースに全員が集まりました。

「最初に申し上げますが、一応縁切りは成功しましたが、根本的な解決にはなっていません」

真央さんはいきなり強い口調で話を始めました。

説明によると、今回は呪いが影響する親子の縁を切って、元の青床港に地縛霊となっている母親の霊を戻しただけで、何かの拍子でまた呪いの影響がつながる可能性もあるということでした。

「じゃあ、どうすれば」

「少しずつでも供養していくしかありません、手法はお教えしますので」

少しずつ供養、その言葉を聴いて絵梨花さんが口を開きました。

「でも、供養できるんでしょうか、あれだけの怨念を持つ母を・・・」

「当然、簡単にはいきません。もしかすると鎮魂はあなたの娘の代まで続くかもしれませんが、先祖からの因縁というものはいつか子孫に回ってくる・・・そういうものなんです」

その話を聞いて、眠っている娘さんを抱いていた高遠先輩も覚悟しているようでした。

「大丈夫だよ、絵梨花、こうなってしまったことはもう変えられないじゃないか、俺もしっかりお前を助けていくから」

その言葉を聞いた真央さんは少し微笑んで話を続けました。

「縁というものは親子などの血縁だけでなく、家族や親友の縁というものもあります、あなたはいい縁に恵まれましたね」

「・・・はい」

旦那さんと真央さんの言葉を聞いて、絵梨花さんは感情がこらえきれなくなっているようでした。

「あの、失礼かもしれないんですが・・・」

私は場の雰囲気を壊してしまう懸念もありましたが、どうしても確認しておきたいことがあって口を挟みました。

「なんでしょう?」

「黒川さんの師匠でもあるあなたの力だったら、あの悪霊をもっとどうにかできないんでしょうか」

やはりかなり空気を読まない質問だったようで、黒川さんは露骨に不快な表情をしました。

「師匠・・・ですか」

しかし、真央さんは軽く笑みを浮かべて私の質問に返答しました。

「・・・単純ないわゆる霊力というもので考えるなら、私より瑞季の方が強いんですよ」

「えっ? そうなんですか?」

「もちろん知識や先ほどの縁切りのような複雑な術は私の方が長けていますが・・・

いい機会だからちゃんと修行する、瑞季?」

真央さんは瑞季さんに問いかけます。

「私は今の生活と仕事を続けたいから遠慮しておくわ、この世界は良いほうにも悪いほうにも先に終わりがないから・・・」

向けられた誘いを黒川さんは軽くはぐらかしました。

nextpage

私自身も縁を持ち始めているこの世界で進んだ先に何があるのか。

おそらく呪いの世界に耽溺したであろう絵梨花さんの母親は凄惨な悪霊に成り果て、その生涯を終わらせました。

今の生活と仕事を続けたい、私はまだ瑞季さんの言葉に込められた意味を本当に理解してはいませんでした。

Normal
閲覧数コメント怖い
2,00810
28
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ

ピノ様、いつもご感想ありがとうございます。
これでエピソード1から続いて来た絵梨花さんがらみのお話は一区切りとなります。
ピノ様から毎回いただいたコメントに大いに励まされてきました。

神様が拒む悪霊・・・よくお寺なんかにお祓いに行ったときにうちでは対処できませんと言われる事案の最大レベルの拒絶でしょうか、本当に恐ろしいですね。

表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意

みゆり様、いつも楽しんで読んでいますと言われると本当にうれしいんです、ありがとうございます。

そして、生意気なことを言ってしまうかもしれませんが、続けて読んでいただいているみゆりさんのような人には奥が深いと感じていただきたいし、初めて読んだ方でも楽しめる内容にしたいなあと考えています。

続きも頑張らせていただきますので、よろしくお願いしますね。

黒川さんシリーズ
いつも楽しんで読んでます
なんか奥が深いですね
続き待ってます

norty様、今回のお話のみならず、いままでの私の作品も読んでいただいて本当に感激です。
また、予想を上回る展開と言っていただいて嬉しいです。
いかんせん筆が遅く、仕事と家事の終わった寝る前の少しの時間で書いているためぼちぼちの投稿数で進んでいますが、norty様をはじめとした皆様のご感想をいただけることでこれからも頑張っていけます、ありがとうございました。

表示
ネタバレ注意

はじめまして いつも とても楽しみにしてます 今回も 予想を上回るすごい展開 面白く読ませて頂きました ありがとう‼︎

表示
ネタバレ注意