【夏風ノイズ】夏の喧騒、三分前に(第一話)

長編14
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【夏風ノイズ】夏の喧騒、三分前に(第一話)

何年前のことだったか・・・

ふとしたときに思い出すそれは、希に小さな雫となり、瞼の下から溢れ落ちる。

「私は、バケモノなんだよ。」

妹のひなは、特別な能力を持っていた。

自分自身に怯える彼女に、俺は否定と慰めの意を込めて語りかける。

「大丈夫!怖くない、俺がいるから。」

ひなは赤い目を擦り、涙を拭った。

俺はその後も、あれやこれやと慰めの言葉をかけ続けたが、自分でもおかしくなるほど口下手で、途中からさっぱり訳のわからないことばかり話していた。

そんな俺を見て、ひなは自然と笑顔になった。

いつも、そうだった。

そして、その楽しい日々が、いつまでも続いてほしい。そう願っていた。それが、当たり前だと思っていた。

不意に、騒々しさが耳に戻る。

また、三年前に亡くした妹のことを考えていた。なぜ、またこの記憶が蘇ってしまったのだろう。

夏の喧騒から、三分前を思い出してみようとした。

結果、何も思い出せなかった。いつもそんな調子だ。寧ろ、その方が楽かもしれない。

七月下旬、高校二年の夏休み、街の中を行き交う人々の雑踏に交じり、バスターミナルを目指す。青く澄んだ空、日照りの中、コンクリートが揺らぐ道の向こう側を見ると、何処か、別の世界に繋がっているような錯覚を覚える。

バスターミナルに着くと、バスは既に停留していた。俺はそれに乗り込み、整理券を取って一人分の席に座った。

バスは直ぐにエンジンをかけ、駅を後にした。

乗客は、少なかった。

俺のほかに、買い物帰りの女子が二人と、おばあさんが一人だけだった。

バスは、走り続けた。

途中のバス停で乗る人も居らず、軈て、二人の女子は降車し、乗客は俺も含めて二人だけになった。

段々と、俺の降りるバス停が近付いてくる。

俺は降車ボタンを押し、バスが停まると同時に立ち上がった。

料金と整理券を料金箱に入れながら、まだバスに残っているおばあさんは何処へ行くのだろうと、余計なことを考えてみる。

バスを降りると、街中とはまた違う騒々しさが耳に入ってくる。

蝉時雨。

俺の名前、雨宮しぐるの[しぐる]は、冬に降る雨から取ったのではなく、真夏の蝉時雨から取ったらしい。どうでもいい話だ。

そんな、真夏の喧騒が降り注ぐ炎天直下の道を歩き、家を目指す。

「ただいま。」

玄関の戸を開き、口からは、自然と一言のあいさつがこぼれた。

「おかえりなさ~い。わぁ、汗びっしょり!た、体調とか大丈夫ですか?あっ、タオルタオル・・・」

汗だくで帰宅した俺を出迎え、突然慌てだした、水色の長髪が特徴的な少女。彼女の名は露(つゆ)、二年前に、俺の親父がうちに養女として引き取った。つまり、俺の義妹というわけだ。

今は十三歳で、市内の中学校に通っている。ひなが生きていれば、同じ歳だった。

「大丈夫だよ、外が暑すぎただけ。」

「そうでしたか、お疲れ様でした!あ、これどうぞ。」

露はそう言って、汗拭きタオルを差し出した。

「ああ、ありがとう。」

俺はそれを受け取り、顔と首を拭いた。

「あ、そうだ。旦那様、先ほど長坂さんからお電話がありましたよ。あとで、折り返しの電話が欲しいそうです。」

「そうか、わかった。ありがとう。」

長坂さんは、うちとは祖父の代からの知り合いで、神主をしている人だ。

俺も、幼い頃からお世話になっており、親しい人物ではあるが、まだ謎なところも多く、良い噂も、悪い噂もある人だ。無論、俺は長坂さんを信用しているのだが。

彼は、よく俺に仕事の手伝いをさせる。かつて、その業界では名が知れ渡っていた祓い屋の男、その孫であり、わずかながら霊能力のようなものを持っている俺に、神職やお祓いをやらせたいのだろうか。

おそらく、今回も仕事の手伝いか何かだろう。

ちなみに、露が俺のことを旦那様と呼ぶのは、初めて出会った時に俺がちょっとやらかしたのだが、その話はまた今度にしよう。

俺は台所へ行き、水分補給をすると、受話器を取り、長坂さんがいるであろう社務所の電話番号を入力し始めた。

あの人はケータイを持っていないので、現代社会においては連絡が面倒だ。

ツーコールで、長坂さんは電話に出た。

「もしもし。」

「あー、もしもし。しぐるです。さっきの件で。」

「おお、そうそう、いやーちょっとお前にバイトを頼もうと思ったんだがな。やっぱり、無かったことにしてくれんか?」

案の定、用件はお祓いのバイトについてだったが、どうやら関わらなくてもいいらしい。

「そうですか、構いませんよ。」

「すまんなぁ、また何かあったら頼む。」

「いえ、ではまた。」

そういって、俺は受話器を置いた。

正直、休みたかったので、丁度よかった。

「何でしたか?」

露が、訊きながら近づいてきた。

「お祓いのバイトのことだったけど、無しになった。ダルいから丁度よかったよ。」

「ですね、ゆっくり休んでくださいね。」

「ああ、ありがとう。」

俺は自室へ行き、ベッドに入った。疲れたので、少し休みたい。

夏休みだというのに、ここのところ忙しい。それは、現実的なことも、現実とは、少し離れた怪異的なこともだ。さっきも、用事があって駅の方まで出掛けていたのだが、暑すぎてかなり体力を奪われた。

イヤホンを耳に当て、好きなアーティストの曲を詰め込んだ再生リストを再生する。

・・・

変な夢を見た。

早朝、無人駅のホームに俺一人。暫く突っ立っていると、始発の電車が近づいてきた。

俺がそれに乗り込むと、電車は出発した。その電車は、途中で止まることはなく、気付けば終点の駅が近づいていた。

俺はその駅で降りると、何となく歩き始めた。

海辺の街だった。そこは知らない場所だったが、何故だか見覚えがあるような気がした。

見ると、砂浜には一人の少女が立っていた。知っている。俺はその少女を知っていた。だが、思い出せないのだ。知っているはずなのに、俺の、身近な人間のはずなのに・・・。

そこで目が覚めた。

いや、正確には起こされた。

「旦那様、晩御飯ですよ~。」

露だった。どうやら、夕飯の時間まで寝てしまっていたらしい。

直ぐには起こせない身体が、言うことをきくまでベッドで待機する。やっと起こせた身体で、いい匂いのする居間へ向かった。

居間に入ると、露が笑顔で「どうぞ」と言った。

「悪い、ちょっと遅くなっちゃったな。」

「いえいえ、さぁ、食べましょう。」

食卓には、露の作った和食が並べられている。美味しそうだ。

「いただきます。」

そう言うと、俺たちはそれらを箸でつかみ、口に入れ、咀嚼して飲み込んだ。

「お味はいかがですか?」

露が俺に訊ねた。

「美味しいよ、すごく。」

俺の言葉に、露は満足げな表情を浮かべた。

実に、ごくありふれた食卓の風景が広がっていた。

やがて食べ終え、「ごちそうさまでした」と言い、俺は自室に戻った。

静かな夜だった。

入浴まで済ませた俺と露は、縁側に座り、星空を眺めていた。蚊取線香の香りが、良い感じに分散されて心地よい。

「月が、きれいですね。」

「うん。」

月は満月では無かったが、とても美しく、夜空に浮かんでいた。

「あのお星さま、何だか可愛いです。」

露がそう呟き、一等星を指さした。何座だか、わからない。

「そうか?」

「はい。なんか、かわいいです。」

かわいいかどうか、よくわからないが、綺麗だ。

本当に、静かな夜だ。

虫の声が響く。心が癒される。何だか、ウトウトしてきた。

「俺、寝るよ。」

そう言って、俺は立ち上がった。

「おやすみなさい、旦那様。」

「うん、おやすみ。」

一日が、終わろうとしていた。何でもない、平凡な一日が。そう、俺たちにとってごく当たり前の日常は、今日で終わろうとしていたのだった。

朝日、なのだろうか。眩しくて目を覚ました。

時計を見る。

「十時半・・・」

時刻を口に出してみる。

どうやら、寝すぎてしまったようだ。疲れていたので仕方ないのかもしれない。

暫くベッドでぼんやりしていると、起きれそうな気がしてきたので、ゆっくりと身体を起き上がらせた。

居間へ行くと、露が漫画を読んでいた。少女漫画好きの露は、空き時間はだいたい漫画を読んでいる。毎日家事ばかりさせてしまっているが、女の子らしい趣味を持ってくれて、なんだか嬉しい。

「あ、旦那様。ごはん食べますか?」

「うん、もうちょっとしたらな。朝食と昼食は一緒でいいよ。午後からちょっと出掛けるからさ。」

「わかりました~。それでは、食べるとき言ってくださいね。すぐに準備するので!」

露はそう言って、また漫画を読み始めた。

いつもありがとう・・・そう言いたいけれど、なんだか照れくさい。素直に気持ちを伝えることは、実に難しい。

俺は自室に戻り、本棚から一冊の本を手に取ると、カウチに腰かけて、そのしおりが挟まれているページを開いた。最近はまっているホラー小説だ。

我ながら自分はおかしい人間だと思う。霊感が強いせいで、今まで散々な目に会ってきたくせに、オカルトの類が好きなのだ。勿論、怖いものは怖いし、嫌いなものは嫌いだ。だが、その恐怖や嫌悪などという心理的感覚が働く度、得体の知れない気持ち悪さと共に、それとはまた別の感情が沸いてくるのだ。俺の異常性癖ともいえるそれは、抑えようのない好奇心から生まれてくるものなのだろうか。

 時間が過ぎた。

かなり読み進めてしまった。時計を見ると、昼の十二時半を回っていた。本を閉じ、居間へ向かう。

「露、メシの用意してもらって良いか?」

そう言いながら居間に入ると、露がすでに昼食の準備をしていた。

「あ、もうすぐ出来ますよ。」

露はそう言いながら、パスタの盛られた皿をテーブルに置いた。よくわかったものだ。

「流石だな。」

素直にそう思った。

「旦那様のお食事の時間なんてだいたいわかりますよ。」

露はにっこりと笑い、そう言った。

 テーブルに並べられた昼食を食べ終えると、自室へ戻り、外出の準備をした。喫茶店へ行くのだ。最近いろいろあって疲れているので、少しのんびりとしたい。もちろん、家でも休めるのだが、たまには喫茶店のまったりとした雰囲気もいいだろう。

「いってきます。」

「いってらっしゃいませ。」

家を出ると、イヤホンで音楽を聴きながら、晴天の下を歩き始める。今日も暑い。干からびてしまいそうだ。

そんなことを考えていると、不意に、何かの視線を感じた。

ゾクリ・・・

イヤホンを外し、後ろを見たが、誰の姿も無い。またなのか・・・最近疲れていると言ったが、その半分くらいの理由がこれなのだ。「怪異」霊感が強いせいでいろいろな目にあっているが、ここ二週間で二日に一回は怪異に遭遇している。異常なのだ。いくらなんでも多すぎて、流石に病みそうだ。もういい気にしない。俺は喫茶店に行くんだ。何がなんでも!

・・・気付けば、喫茶店の前に立っていた。無事にたどり着けたみたいだ。入口のドアを開け、顔馴染みのマスターとあいさつを交わす。

「お、いらっしゃい。」

「どうも。」

いつもの席が空いていたので、そこに着いた。アイスコーヒーを注文し、先に出されたお冷を飲んだ。アイスコーヒーが来たので、カップに口を付ける。冷たくて美味しい。至福のひと時だ。

ガラン・・・

「いらっしゃいませ。」

ドアが開き、マスターの声が聞こえた。誰かお客さんが来たのだろう。後ろを向いて座っている俺には見えない。

足音は俺に近付いてくる。なんだ?

「あの~。」

声を掛けられた。女子の声だ。

「はい?」

疑問形で返事をする。見ると、俺と同じ歳くらいの少女が立っていた。

「あなた、雨宮しぐる?」

全くその通りだが、なぜ俺を知っているのか。

「そ、そうだけど。」

「やっぱり!あたし、城崎鈴那ってゆーの。よろしくね!」

何の前触れもなく、声を掛けてきた鈴那という少女。右目が長い髪で隠れており、一見は暗い印象だが、口調は明るい。どこかで会ったことあるような気もするが、他人の空似か、或いは勘違いだろう。

午後の優雅な一人の時間を邪魔されて不機嫌になった俺は、少々不愛想な態度を取ってしまった。

「それで、俺に何の用だよ。」

「あなたのね、その、超が付くほど中途半端な霊力のこと、ずっと前から気になっていたのよ。」

出会って早々、なんだこいつはと思った。確かに、俺には祓い屋だった祖父譲りの霊力がある。あるのだが・・・

「超が付くほど中途半端ってところ要らないだろ。事実だけどさ・・・。」

そう、力が弱いのだ。しかし、なぜそんな俺に目を付けていたのだろうか。まさか・・・

「あたしはね、あなたのこと、何でも知ってるのよ。好物は揚げ出し豆腐、あなたがロリコンだってことも知ってる。」

「ちょっと待て、俺はロリコンじゃない。それに何でも知ってるってなんだよ。ストーカーか。」

変な誤解を招くかもわからないので、一応否定しておく。

「そ、そうよ~!あなたのストーカー!」

「開き直った・・・。」

思わず声に出してしまった。ちなみに、この城崎鈴那という少女だが、俺と同級生で、しかも隣のクラスの生徒らしい。たしかに、それなら見覚えがあってもおかしくない。

そんなやり取りをした後、漸く本題へと移るらしく、向かいの席に腰かけた城崎は、真面目な表情になった。

「さて、もう察してるかもだけど、あたしはお祓いとかする人なのよ。それでね、あなたにお祓いを手伝ってほしいんだけど・・・いいかな?」

と、小声で話す城崎。やはり、こういう話は周りに聞かれてはまずいのだろうか。

「お祓いを手伝ってほしいって、なんで俺なんかに?」

お祓いの手伝いや、お祓い紛いのことはしたことがある。だが、霊能力があるかというと曖昧で、そもそもこの世界で「幽霊」というものの位置づけは極めて低く、その存在すら、あるかないかで、心霊研究家や学者たちの間で賛否両論が繰り広げれれている。そんなものを退治するなんて、突飛な話だ。

「兎に角ね、あなたに手伝ってほしいのよ!お願い!」

両手を合わせ、上目遣いで懇願する城崎の姿に、少しドキリとする。変わり者だが、容姿は普通にかわいい。

「わ、わかった。別にいいけど、お祓いなんて出来るかどうかわからないぞ?」

「やったー!ありがと!!それじゃ、今からいくわよ!」

今からって、実に、実に唐突だ。それでも俺は承諾し、これから行くことになった。

「悪い、行く前に、家帰って荷物とかの準備していいか?」

「もちろん!あたしも着いてく~。」

別にいいだろう。そう思った。城崎が着いてくることも、自ら怪異に目を向けることも、その時はそれで、それでいい。寧ろ、それがいいのだ。確証なんてものは一つもないが、楽しいから。だいたいそんな気分だ。

夕方が近い。飛行機雲が見える。荷物の準備をし終わった俺は、城崎と共に例の場所へ向かっていた。俺が部屋で準備をしている間、城崎は露から色んなことを聞いたらしく、俺のことを散々馬鹿にしてきた。露に旦那様と呼ばせていることも。ちなみにその理由だが、露がはじめて家にきた時、「住まわせていただくので何でもします」と言ったので、俺が調子に乗って、「俺のことを旦那様と呼べ」と言ったのだ。それがいまでも続いている。そういうことだ。

「まったく悪趣味ね~。」

「ほっといてくれ。」

「ねぇ、ところでさ、お風呂がどうしたの?」

「っ・・・何でもない。」

一緒に風呂入ったなんて死んでも言えない。

そんなくだらない会話をしている間に、目的地へ着いてしまった。そこは、駅前の通りに聳え立つ、四階建てのビルだった。元は不動産会社だったらしいが、三年前に倒産し、古くなった建物だけが、今でも残っているのだそうだ。

「それでね、今回の依頼だけど、ここの不動産会社が倒産してから一年後ぐらいに、変な噂がたったらしいのよ。噂の種類は様々で一貫性は無いけれど、それを聞きつけたおバカたちが、肝試しのつもりでビルに入ったらしくてね。」

「何人だ?」

「三人だったような気がする。」

城崎は続けた。

「それでそいつら、そのまま行方不明になったらしいの。だから、ここの管理人に頼まれたのよ。早いとこ噂の元凶となっている怪異を解決してほしいって。」

「なるほど。」

行方不明。その言葉を聞いて、少し身震いした。

「じゃあ、行くわよ。」

そうして俺たちは、ビルの中へと入っていった。

 ビル内は蒸し暑かった。まずは一階を探索してみたが、これといって怪しいものは無かった。その後、二階と三階も見てまわったが、特に変わった点は見当たらなかった。最後は四階だ。階段を上る。四階に着くと、不自然な点に気付いた。

「うそ・・・」

城崎が恐ろしげに呟いた。

もう一階分の階段があったのだ。最初に見たとき、このビルは四階までだった。しかし四階には、更に次の階へと続く階段が存在していた。

「ここ、進むのか?」

そう言った俺の声は、震えていただろう。恐怖と好奇心が混ざり合う。怪異とリンクした瞬間だ。

「行こう。」

城崎が言った。

存在しないはずの階段を上る。上まで行くと、恐ろしい光景が広がっていた。

五階と表現するべきなのだろうか。そこは、血塗れだった。床も、壁にも血飛沫が飛び散り、赤黒く染まっている。

「なぁ城崎、大丈夫なのかこれ。」

「立ち悪い。逃げる。」

城崎はそう言って、元来た階段を下りようと、後ろを向いた。俺もそれに続けて後ろを向く。

・・・無い。階段が無い。

先ほどまでそこに存在していた四階へと続く階段は、薄汚れた壁に変わっていた。

「閉じ込められた・・・」

咄嗟にそう思った。

「うそ、やばい。マジやばい。」

城崎も動揺を隠せないようだ。

「・・・ぅ」

不意に、何かが聞こえた。

「うぶばあぁぁぁ・・・」

今度ははっきりと聞こえた。その方向に目をやると、そこには灰色の汚れた着物を着て、下半身を引き摺りながら両腕だけでこちらへノソノソと向かってくる首の無い化け物がいた。

「ひっ・・・なんなんだよあれ。」

「し、しーらない!」

城崎はお手上げのようで、ついさっきまで階段があったところにある壁を、何とも言い難い表情で眺めている。

「や、やばいだろ。どうするんだよ!」

化け物との距離は、段々と狭まっていく。どうすればいい・・・?

俺は、俺は・・・

「俺がなんとかする。」

目の前には悪質な妖気を放つ化け物がいる。俺はそいつに両手を向け、意識を集中させた。すると、俺の周りにオーブのようなものが浮かび上がった。

「失せろ!」

俺は化け物に向かってオーブを放った。

・・・

気が付くと、化け物は消え、階段も姿を現していた。

俺はただ、ずっと同じ場所に突っ立っていた。隣には城崎がいる。

「やったのか?」

俺は城崎に問いかけた。

「うん、しぐるくんが。」

城崎が言った。

「俺が、やったんだ・・・はぁ、帰ろうか。」

「うん、帰ろ!」

外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。さっきまでの現実離れした光景とは打って変わり、いつも通りの街を行き交う人々の雑踏が、眼中に広がっていた。そこで、俺は改めて、怪異が日常と隣接していることを実感した。

「見て。」

城崎は、道行く人々を眺めながら言った。

「何も知らない人たちは、いつも通りに生活をしている。こんなにも、こんなにも近くに、怪異は存在しているのに。」

城崎は続けた。

「死霊も、怨念も、妖怪も、感じることすら出来ない人間の前では、虚無でしかないのよ。」

そう呟いた彼女の横顔は、どこか悲しそうで、そして少し、皮肉めいていた。

「ねぇ、今日はありがと。お疲れ様。また、こんなこと手伝ってくれたりする?」

俺が返答すべき答えは、一つだけだった。

「もちろん。」

怪異とは、目を開いて見る価値のあるものだ。少なくとも、俺はそう思う。守るべきものがあるから、そのために。関係の無いようで、関係のある、そんな理由をつけてみた。

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