中編7
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祖父に追われる

俺の祖父は俺が小学6年生の時に癌で亡くなった。

共働きの両親の代わりにいつも遊んでくれた祖父。それを失った悲しみは深かった。

外づらの良い俺でも、その時ばかりは集まった親戚の目も気にせず泣き崩れた。

親戚一同さぞ驚いたことだろう。普段あまり人前に出ず、人見知りしていた本家の長男が、親戚の輪の中心で大声を上げる姿に。

その咆哮に近い嗚咽は、祖父が病院から戻って来たその日一日中続いた。

泣き疲れた俺はその晩夢を見た。祖父が生き返る夢だ。家族皆が笑っていた。

しかしその夢も、東の空が白み始めると共に儚く消えた。

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告別式は盛大だった。

祖父が生前趣味で撮り貯めた写真が斎場に飾られ、あたかも祖父の功績を賞賛する展覧会のようであった。

焼香に訪れた人々の数と、葬儀の最中に人々が流す涙の量で、祖父がどんなに愛されていたのか伺い知れた。

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月日は停止した祖父の時間を置き去りに、目まぐるしく移り変わっていった。

あっという間に四十九日を迎え、生前の大柄な姿からは想像もつかぬほど小さくまとまった祖父を葬る運びとなった。

今考えてみると、俺は薄情な孫だった気がする。

祖父の見舞いに行っても上手く言葉が見つからず、殆ど無言であった。

一時退院した時も、身体に管が繋がった弱々しい姿を見るのが辛く、あまり祖父母の部屋に顔を出さなかった。

本当に馬鹿なことをしたと思っている。

俺は謝罪と後悔の意味を込め、合掌した。

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俺はその夜、これまでの人生で一番恐ろしい体験をする事になる。

俺と祖父は山道を歩いていた。

よく俺と祖父は「たんけん」と銘打って裏山や近所の田んぼを散歩していた。

祖父は俺に道端に咲く花や、どこかでさえずる鳥の名前を教えてくれた。

そんな楽しい時間の中で、ふと我に返る瞬間があった。

(あれ?おかしい…だっておじいちゃんは…)

俺は全てを悟った。

(ああ、これは夢だ。)

夢はそれが夢とわかると途端に崩れ始める。

だんだんと現に引き戻される。

意識がはっきりしてくる。

身体に布団の感触が伝わってくる。

(嫌だ!目なんか覚ましたくない!)

例え夢であっても祖父と長く一緒にいたかった。

強く目を閉じ、なんとか意識を夢に集中させた。

そして、俺は二度寝に成功した。

しかし、目の前の光景は先ほどとは打って変わって、とても寂しい場所だった。

学校のような所で、数メートル先の廊下は全く見えない。

明かりは不安定に光る蛍光灯のみだ。

おまけに祖父の姿も見つからない。

俺は何もできずぼーっと立っていた。

すると、廊下の奥から何かが向かって来るのがわかった。

目を凝らしてよく見てみると、それは異形の者だった。

全身真っ黒の怪物が目だけを赤々と光らせて俺を見ている。

シルエットこそ人間であるが2メートル超えの長身で、やや猫背気味。ガリガリにやせ細っていて今にも腰から折れてしまいそうだった。

それが床を滑るようにこちらに向かって来る。

俺は言い知れぬ恐怖を感じ、それから逃げた。

music:6

誰かに助けを求めても、ここにいるのは俺だけ。信頼していた祖父も来てくれない。

無音の校舎内に俺の足音だけが響く。

走っても走っても廊下は終わらない。

かと言って奴から逃げきれるわけでもない。

奴の気配が迫って来ている。少しでもスピードを落とせばあの大きな手に捕まってしまいそうだ。

初めは気づかなかったが、どうも俺の足音以外にもう一つ音が聞こえる。

奴は微かに声を発している。

うぅぅぅぅぅぅぅ

地獄の底から聞こえてくるようなうめき声。

それがだんだんと大きくなっている。

奴が今どこまで迫っているのか、俺は確認するために後ろを振り返った。

そして、俺は見てしまった。

奴の姿が一瞬、祖父に変わるのを。

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music:4

そこで目が覚めた。

冬だというのにぐっしょりと寝汗をかいていた。

「はぁ…はぁ…」

あれは何だったのか。ただの夢と言ってしまえばそれまでだが、俺はそれだけとは思えなかった。

この夢のことは未だに家族にも話していない。

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それから約1年後、祖母が癌で亡くなった。

本当に急だった。

立て続けに祖父母を亡くした俺は、祖母の枕元で流す涙すら枯れていた。

祖母は私に大きな期待を寄せてくれていて、絵も、習字も、時には九九も幼い頃から教えてくれた。

祖母自身絵が得意でコンクールなどでは度々賞をとっていた。

そのため、祖母の葬儀でも祖父の時と同じように生前描いていた絵を斎場に飾らせてもらった。

祖母の描く絵は、いつも祖父が撮った写真だった。

みずみずしく生気にあふれたトマトを今でも覚えている。

祖父の撮った写真と、祖母の描いた絵。瓜二つの作品が2人の仲の良さを物語っている。

親戚の何人かは

「じいちゃん、寂しいからばあちゃんのこと呼んだんだな」

「仲良かったもんなぁ」

なんて言っていたが、俺はそうは思わなかった。

祖母は祖父のことを何かと気にかける人であったから、自分から祖父の世話をしに逝ったのではないかと俺は思う。

この頃にはあの恐ろしい夢のことなどすっかり忘れていた。

夢はただの夢と、やはりどこかでそう思っていたのかもしれない。

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悲しくて悲しくて仕方なかったが、試験を目前に控えた俺は、まだ袖が手の平を隠す学ランを着て中学へと向かった。

友人達は俺を気遣って、忌引きで休んでいた時のノートを見せてくれたり、積極的に話を聞いてくれた。

その中の1人が小学校から仲の良いKという女友達だ。

彼女は霊感が強く、オカルト好きな俺にあそこに男の子がいる、なんてことを教えてくれるような子だった。

何の根拠もなかったが、俺は嘘だなんて思っていなかった。

ふざけてキックやタックルをキメてくるような暴君ではあったが、今思えばいつも暗い俺を気遣ってくれていたんだと思う。

そんな彼女に何を期待したのか、俺は一つ質問してみた。

「あのさぁ…俺に新しいの憑いてたりしない?」

「いるよ」

Kはいつもと変わらぬ笑顔で言った。

俺は以前から、黒縁眼鏡のおっさんが憑いてるとKに言われていたため、新しいのと表現した。

「どんなの?」

「ぼやけてあんまはっきり見えないけど、優しそうなおばあさん」

それを聞いて俺は、俺を気遣って嘘を言っているのではないかと、初めて彼女の霊感を疑ってしまった。

だから、

「どんな格好?」

こう聞いた。

「背はお前より少し小さくて、花柄っぽい服着てて、…あと、パーマかけてる」

ここまで祖母の特徴と一致していた。生前花柄の服もよく着ていた。

「じゃあさぁ、俺とどっか似てる所ある?」

顔の作り自体はあまり似ていなかったが、一つだけ自他共に認める点があった。

「目だね。お前と同じ垂れ目してる」

やはり祖母だ。Kに祖母を会わせたことはない。だから嘘は言えないはずだ。

たまたま当たっただけか、全く別の誰かかもしれないが、俺はKを信じた。

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その晩、俺は昼間の出来事を思いだし、自然と涙が流れるのを感じていた。

嬉しさと、あともう一つ。

祖父がいなかったことへの絶望感からだ。

祖父はどこに行ってしまったのか。俺に呆れて見放してしまったのか。

俺の思考はどんどん悪い方へ巡る。

その時の頭には、成仏の二文字はなかった。

俺は祖父に何もしてあげられなかった。

祖父が俺に憑いていてくれないのも、当然と言えば当然だ。

いっそのことあの時、祖父が俺を睨んでいると言われた方がどれほど楽だったか。

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music:2

いつの間にか俺は、再びあの校舎に立っていた。

すぐにわかった。

またあいつが来ると。

暗闇の中から黒くて大きなあいつが、するりと現れた。

しかし今度は様子が違う。

ブツッと音を立てて姿が祖父に変わった。

ブツッと音を立てて怪物の姿に戻った。

またブツッと音を立てて祖父に変わった。

またまたブツッと音を立てて怪物に戻った。

これを繰り返しながら俺の方へ滑ってくる。

俺はまた逃げた。

music:6

後ろからブツッ…ブツッ…と奴の姿が切り替わる音が聞こえる。

俺は走りながら凄く後悔した。

どうして何もできなかったのだろう、と。

ブツッ…

そばにいて欲しかった。

ブツッ…

恨まれていてもそばにいて欲しかった。

ブツッ…

すぐ後ろにいるが祖父であるなら、捕まってみるのも悪くないと一瞬思ったが、すぐに考えを改めた。

wallpaper:1098

振り返ったその時、間近にあった獣のような恐ろしい目が、祖父のものであるはずがなかったから。

music:4

wallpaper:1

そこで目が覚めた。

二度も同じ夢を見てしまった。

また寝汗をぐっしょりかいていた。

そんな4年前の出来事。

あれからこれと言って変わったことは起きていない。

しかし、今でも思う。

次にあの夢を見た時、俺は逃げ切れるのだろうか。

祖父から。

いや、俺自身が作り出した後悔の化け物から。

何かのきっかけで俺が後悔に飲み込まれるのを、あいつは暗闇の中で今か今かと待ち望んでいる。

Concrete
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天狗風様、ありがとうございます。
実は昨夜も何か悪夢を見たような気がするのですが、全く覚えていないんですよね。

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