中編3
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彼杵(そのぎ)さん

彼杵さん

「誰でも心残りな事ってあるんですよ。

私もそれを持って行くんですかね?」

病床で彼杵さんがぽつりと言っていたこと、それが私の心に、疼きのように残っていて、やり切れない気分になる。

その数日後、彼杵さんは静かに息を引き取った。

穏やかな死に顔であった。

彼杵さんとは数年前に仕事場で知り合い、かなり気の合う友人となった。その心残りとはなにであったか、今となっては知る由もない。

私は本当 に友人であったのか?友たり得たのか?そう自問する。

自答…言葉が浮かばない。

彼杵さんと出会った頃には、既に彼は肝炎を悪化させていて、肝硬変の手前であったらしい。そして数年の間に、いよいよ体調が悪化して、職場で倒れ 、退職することとなった。

暫くは家で休養していたが、入院することになった。

懸念していた肝臓癌、徹底した医者嫌いの結果、

発見が遅れ、あちこちに転移した末期癌であった。

彼杵さんが入社してきた頃には、彼は離婚している。そのことは彼杵さん自身は言わなかったが、正月に元旦から初詣でに誘われたりして、家族の存在が感じられず、それとなく聞いてみると、はたしてそうであった。

私は彼杵さんが心残りと言っていたのは、この事だったと思っていた。

肝硬変、そして肝臓癌、病院を訪れる度に痩せ細り、変わり果てた姿を見るのは辛かった。

彼杵さんの告別式は誠に寂しいものであった。

お子さんが二人いて、そして別居、奥さんが親権者、霊前には奥さんは居ず、二人の子供、大学生のお姉さんと高校生の弟さん、喪主は弟さんが勤めていた。

鈍色の風景、鈍色の空から降ってくる雪、祭壇が設えられた集会場には、会葬者は僅かである。

指先がかじかむ寒さの中、焼香を済ませた私は出棺の時を待った。

あれやこれや、彼杵さんの事を考えていると、後ろからポンと肩を叩かれた。で振り返ると私の後ろにも横にも誰もいなかった。私は他の会葬者とは少し離れた所の塀際に立っていた。なんとなく私は、あゝ、彼杵さんか?と思った。

いよいよ出棺の時、急に雪が止み、雲間から日の光が一条、霊柩車に運び込まれる彼杵さんの柩の上を照らした。

そうか、彼杵さんは良い所に行くんだ。そう思ったとき、私の後ろから、声が響いた。

「冗談じゃない……」

「彼杵さん?」

「そうですよ、私ですよ。私ね、早期退職したんですよ。

そしたら女房の奴、待ってましたとばかりに離婚を迫りましてね。

子供と退職金一切合切持って行っちゃったんですよ。

でね、深夜勤する羽目になりましたよ。あいつ随分前から男まで作っちゃっていました。

だから、私ね、今から女房の家に住み着くんですよ。

息子が大学出て就職し、娘が無事結婚したら、女房と男は取り殺しますよ。

それまでは、大人しくしてますよ。気取られないようにね」

私が何か言おうとすると、

「これは内緒ですよ。もし、あんたが何か言ってお祓いされるようなことがあったらね」

私は生唾を飲み込んだ。

「あんた、死ぬよ」

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バッカ馬鹿しい!誰が言うもんか。外道三匹地獄に堕ちやがれ!

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心の澱みたいなもの吐き出しました

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