中編5
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大丈夫かな。

・・・・・・あれは、つい先日のことだ。

その日は昼間からじっとりと蒸し暑く、呼吸をしているだけでも汗が毛穴から吹き出すような、そんな真夏日のこと。夜になっても暑苦しさは消えず、網戸にしていても湿気を含んだ生暖かい風が吹き込んでくるだけで、まるで涼しくならない。

一昨日、部屋の空調が壊れてしまい、業者に電話したのだが。お盆休みに入ってしまうため、修理には伺えないとにべもなく断られてしまった。ベットの上で、何十回目か分からない寝返りを打つ。疲れているはずなのに、暑くて眠れない。苛立ちを覚えたが、どうすることも出来ない。小さく舌打ちし、タオルケットを蹴り上げた。

「もういい!私なんてどうなってもいいんだから!ついてこないでよ!」

網戸のほうから女の声がした。うっすら目を開けたが、起き上がるのも面倒だ。私はそのままベットに横たわっていた。女は甲高い声を張り上げて捲し立てる。

「タクは私のこと嫌いなんだ。へー、そうなんだ。分かった、分かりました。私はタクがいないと生きていけないけれど、タクは違うんだ。私がいなくても大丈夫なんだ。へー、そう。よーく分かりました。今までさんざん世話になってきた私のこと、そうやって見捨てるんだ」

女は卑屈な台詞を早口で喋っていた。痴話喧嘩の縺れ、だろうか。酔っぱらっているのか、或いは素面なのかは分からないが、それにしたって真夜中に騒ぐのは頂けない。近所迷惑なバカップルだなあ、と思いつつ。この痴話喧嘩の終焉に少しばかり興味が出てきたので、聞き耳を立てた。自分でも自覚しているが、趣味が悪いことこの上ない。

女はすぐ近くで誰かが聞き耳を立てているなんて想像もしていないのだろう。更に大きな声で捲し立てた。

「はっ、何言ってんの今更。あんたの借金、誰が返済してやったと思ってるの。そんな口を聞いていいと思ってるのねえ?何様のつもり?何ならお金返して貰うよ。今すぐこの場で耳揃えて返しなさいよ」

女の言い分から察するに、お金が絡んできているのだろう。男のほうが随分な借金をしていて、女が工面して肩代わりしてやったと、そういうことだろうか。それをいいことに、女は男を尻に敷いているのか、自分と別れないよう言いくるめているのか・・・・・・大まかな筋書きはそんなところだろう。普通というか、よくあるような内容に次第に興味を失っていく。

「分かる?私にはタクが必要なように、タクには私が必要なんだよ。タクに捨てられたら自殺するからね。これ、脅しじゃないよ。本当に死んじゃうよ。死ぬ前に友達や家族に一斉送信するからね。タクのせいで死ぬ羽目になりました、って。タクが私にしてきたことを洗いざらいぶちまけるからね。ほんとだよ。いいの?私が死んじゃってもいい?そしたら困るのはタクだよ」

女は脅迫めいたことを言い出した。こういうことを言い出す奴に限って、なかなか死なないんだよなあ。言ってみたがりなんだよなあ。女の幼稚さに、呆れて失笑が漏れた。

「ねー、聞いてるの?私の言うこと、ちゃんと聞いてるの?タク?」

女はだんだんと苛立ってきたのか、棘がある声。そういえば、さきほどから盗み聞きしているが、女の声しか聞こえないのは何故なのだろう。男の声は一切聞いていない。あれだけ大きな声で捲し立てられているのだから、反論するなり宥めるなりすればいいのに。ここは住宅街。アパートが多く隣接している。そんな場所で、夜中に大声を上げて喋り倒す連れがいれば、誰だって何とか黙らせようと躍起になるだろうに。そんな風に制止させようとする声すら聞こえないのだ。

いや、そもそも男は本当にいるのだろうか。女の自作自演な気がしてきた。酔っぱらっているのか、もしくは注目されたいのか、或いは変な薬でもやっていて幻覚を見ているのか____そのどれかだろう。全く、ハタ迷惑な。そう考えた私は、これ以上聞き耳を立てるのを止め、目を閉じた。

「・・・・・・えっ、ちょっと。な、何よその目。怖いんだけど」

女の声が震えている。明らかに声のトーンがさっきとは違った。

「ちょっと、何なの。もしかして怒ってるの?だ、だって本当のことじゃん。タクが借金したのがいけないんじゃん。私がのお陰で借金は返済出来たんでしょ。私、タクの恩人だよ?・・・・・・ねえ、その目止めてよ。怖いから、睨まないで。ね、落ち着いてよ」

「分かった。分かったから、睨まないで。こっち来ないでよ。ねえ、止めて!言い過ぎたなら謝るから。ごめんね、ごめんなさい。ほら、謝ったじゃん。ねえ・・・・・・来ないでよ、ねえ!」

「・・・キレたの?怖いから、止めて。こっち来ないで。近付かないでよ、ねえ!謝ってるじゃんか!怖いから、止めてよ。ねえ・・・・・・、怖い!来ないでよ!やだ!あっち行ってよ、やだ!止めて!」

雲行きが怪しくなってきた。女の声は震えていて、演技ではなさそうだ。このままだと女が危ないかもしれない。窓から外の様子を確かめたほうがいいのかもしれない。だけれど・・・・・・関わり合いになるのも、怖い。少し迷ったが、知らぬ存ぜぬを決め込んだ。女はいよいよ泣き声になっていた。

「止めてよ・・・・・・来ないで。その目、やだ。怖い・・・・・・来ないで。こっちに来ないで。来ないでよ_____あっ、」

車のエンジンが掛かる音に掻き消され、女の声は聞こえなくなった。やがて大きな轟音を残し、車が走り去る音がした。私は固く目を瞑り、体を縮こませた。いつの間にか背中の汗は冷汗に変わっていた。

そして今日。先日からのうだるような暑さは夜になっても抜けず、また寝苦しい夜が始まる。ベットの上で幾度目かになる寝返りを打ちながら、私はつい先日のことを思い出した。

あの女____あれからどうなったのだろう。深く考えないようにしていたが、こうして脳裏に思い浮かべてしまう。女の会話からして、男の車で連れ去られたのだろうか。その後、どうなったのだろう。口喧嘩くらいで済めばいいのだが、女の怯え方は尋常ではなかった気がする。

「・・・・・・大丈夫かな」

ぼそり、と独り言を呟く。

『大丈夫じゃないよ』

誰かが耳元で囁いた。

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ネタバレ注意

どうなるのかとハラハラしていましたが、ラストそう来ましたか!

僕の部屋の裏も飲み屋が沢山入った建物が多いので、夜中に下手くそな酔っ払いのカラオケや中国人同士の喧嘩が毎日の様に聞こえてきます。

こんな夏の夜には、たまに若者達の声に混ざって変な叫び声で目を覚ます時もありますが、気の所為だという事にしております…ひ…

hikaさん、コメントありがとうございます。

お久しぶりです。お元気でしたか。

毎日、うだるような暑さですね。私の住んでいる田舎町は、昼間は灼熱地獄のように暑い癖に、夜になると秋のように涼しくなるため、毛布を手放せません。毛布でも寒く感じる夜もあるため、夏風邪ならぬ普通の風邪を引きそうです。

知り合いの母親が熱中症になったそうで。冗談抜きに、あと少し発見が遅れたら死ぬところだったとか。室内にいても、熱中症は猛威を奮うのですね。次は我が身かもと思うと、冷たい麦茶を一気に煽る日々です。

お盆を過ぎれば涼しくなるとは言いますが。残暑が厳しい日本のこと。ゆめゆめ油断は出来ませんね。

どうぞご自愛下さいませ。

死んさん、コメントありがとうございます。

ローン肩代わりですか(笑)。そうですね、私も是非そうして頂きたいものだ。私は浪費癖があるので、それを肩代わりして頂けたら最高に嬉しいです。

浪費癖があるが故にクレジットカードは作りません。破産するのが目に浮かびます。

来道さん、コメントありがとうございます。

私も同感です。美人はいるだけで周囲の人間を幸せにしますが、それは血が通う生きた人間だからこそ、なのでしょう。

牡丹灯籠、でしたか。ある男が牡丹の灯籠を持って現れた若い女と恋仲になり、密会を続けますが、彼女は既に死んだ身。会う度に生気を吸い取られ、一時は女を拒絶するものの、結局は忘れられず、取り込まれてしまった哀れな男の話があります。

美人ならば幽霊でも赦せーーーますかね?

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いきてて、健康体で、美人なら耳元で囁かれてもいいですが、
そうでもなさそうだから、こわい(。´Д⊂)

ふたばさん、初めまして。コメントありがとうございます。

短編は長編よりも書きやすく、ギュッと恐怖心を煽る要素を凝縮出来るので、私自身も好きなジャンルです。

いつだったか、「ホラーとは最後が何より肝心である」という話を聞きまして。つまりオチですね。最後の最後で、オトす。恐怖を倍増させる。それがホラーの醍醐味であり、味である、と。なので、私は特にオチには力を入れております。

まだまだ力量不足であり、未熟者ではありますが。ホラーを愛する人間として、ホラーが各段と味わい深い夏を盛り上げる手助けが出来たら、と思います。

温かいお言葉、感謝致します。これからもどうぞ宜しくお願い致します。

mamiさん、コメントありがとうございます。

アイコン、変わりましたね。夏らしい、華やかな向日葵ーーー。向日葵はmamiさんのイメージを感じます。前回のアイコンもそうですが、今回も素敵ですね。

はるさんにも申しましたが、これは私の実体験です。私は霊感がまるでなく、心霊体験をしたことなどないのですが。今年の冬、あたりでしょうか。この作品と同じような体験をしました。脚色も含みますが、ほぼ実話です。

どこまでが実話で、どこが脚色であるかを推理しながら読んで頂けたら幸いです。

いつもありがとうございます。皆さんのコメントが、とても励みになります。

はるさん、コメントありがとうございます。

実はパソコンがお釈迦になりまして。スマホから返信しています。私は物を壊すのが得意でして(笑)。今、使っているパソコンも4台目なのですが、またまた調子をおかしくさせてしまいました。機械と相性がとことん宜しくないようです。

この話は、ネタバレさせてしまうと、私の体験談です。脚色している箇所もありますが、大半はまま体験談を載せてみました。人による怖い話ーーーヒトコワの要素を含ませています。

読者機能ですか!そのようなハイテクな機能があるとは。しかし、機械音痴の私は恐らくは使いこなせまい(笑)。機械に強くなりたい今日この頃。

毎日、暑いですね。お互い、熱中症にならぬよう、水分補給を心掛けましょうね。お気遣い、感謝致します。

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