長編6
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盆の渡海

十年以上も昔の話だ。

会社の先輩であるAさん、俺と中学以来の友人Bの三人で、

盆休みに有給をプラスした十一日間の北海道旅行を敢行した。

むさ苦しい男三人で全日程のほとんどがキャンプ場で野営という貧乏旅行プランだが、

俺達は素晴らしい旅になるだろうと、胸を弾ませていた。

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フェリーで北海道へ向かう当日、天気予報通りに台風が来た。

それも、南房総に上陸してそのまま関東、東北を縦断して北海道へ向かう、

俺達が乗るフェリーの航路と重なる最悪ルートだ。

Aさんは買ったばかりのXR-BAJA、

俺とBは俺の運転するパジェロで雨風が強くなる中を港へ向かった。

未だ関東には上陸していない筈なのだが、なんて雨だ。

フロントガラスへ叩きつけられた雨粒をワイパーが忙しなく脇に掻き出し、

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路面に溜まった雨水を、

4M40型 直列4気筒SOHCターボディーゼルエンジンの恩恵を受けて、

ごつい四本のタイヤが撥ね飛ばしていく。

旅を中止するという選択肢はなかった。

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道路の全てが通行止めにならない限り…

フェリーが欠航にならない限り…

誰かが無理矢理にでも止めない限り…

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それでも俺達が足を止めることは絶対にないだろう。

前へ進むことしか考えてなかった。

分厚い雲の向こうで日が落ち辺りを闇が覆い始めれば、

雨風はどんどん勢いを増して、視界は悪くなる一方だ。

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こんな嵐の中を、本当にフェリーは出航できるのか…

欠航という言葉が現実味を帯びてきた。

いよいよ青森まで自走し、連絡船で渡海コースだろうか。

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混雑する市街地を抜けると、景色が一変する。

厚く垂れこめる暗雲の下、

明かりの落ちた倉庫と港湾関連施設が立ち並ぶその先に真っ黒い海が見えた。

そして、ターミナルの横に煌々と明かりを灯して出港準備を急ぐフェリーの姿がある。

欠航はない。

俺は自分が持つ悪運の強さに狂喜した。

握るハンドルが軽くなり、アクセルを踏む右足に力が入る。

隣でBがボソボソ呟きながら、にょろにょろと両手を上げ下げした。

彼なりの喜びを表現する…万歳三唱だったらしい。

港へ着くとフェリーが出ると信じて疑わなかった人間が乗る車で長蛇の列が出来ていた。

最後尾へパジェロを着けて、後は列が動き出すのを待つだけとなる。

Aさんは俺達と離れて別の…バイクが作る列へ向かった。

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エンジンは掛けたまま…俺は背凭れに身を預けて台風情報を流すラジオを聴いていた。

Bはフェリーの中で暇つぶしの為にと買っておいた井上靖を読み始める。

『おろしや国酔夢譚』…

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伊勢から江戸へ向かう途中、大黒屋光太夫ら17人を乗せた船「神昌丸」は嵐に遭い、

ロシア領のアムチトカ島まで流されてしまう。

過酷なシベリアの気候によって仲間を次々と失い、

帰国するために広大なロシアを横断してサンクトペテルブルクへ向かい、

女帝エカテリーナ2世と謁見…

最終的に光太夫は日本に帰れたが、幕府の鎖国政策の下で幽閉されてしまう話だ。

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「史実では幽閉と言われながらも比較的、自由な暮らしが出来てたらしいから…

 縁起が良いと言えば…まぁ、他人の読書趣味だ文句は言うまい…」

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フロントガラスの向こうでは異常な速さで流れていく黒雲を、港の明かりが照らしている。

時間が経つごとに雨はますます激しく、雨粒は大きさを増し、

車のボディがへこむのではないかと思うほどの音を立てて叩きつけてくる。

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巨大なフェリーとターミナル…

煌々と明かりを灯しているもののやけに心細く見えた。

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ラジオに耳を傾ける俺と、ルームランプの下で黙々と本を読むBは会話少なく、

ひたすらその時が来るのを待つ。

50分ほど経過して車列がやっと動きだした。

一般車両の搬入時間が来たのだ。

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のろのろと、車はフェリーへ向かって進んでいく。

ターミナル二階からフェリー間に架けられた乗船用の通路が見えた。

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そこを通って乗客たちが続々と列を途切れさせることなくフェリーへと乗り込んでいく。

車組よりも早く乗船出来るのか…その様を恨めし気に眺めた。

俺達だってもうすぐ自分の番が来て、フェリーへ乗り込むことが出来る。

そして、二十時間後は念願だった北の大地へ足跡を記すことが出来るのだ。

否が応にも、期待で胸が高まる。

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乗船を目の前にして、再び車列の歩みがストップした。

悪態をつこうとする俺の肌がいきなり粟立った。

絶対にかけっぱなしにしてたクーラーの所為ではない。

全身が瘧のように震えている。

寒い…凍えるほど寒い。

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目よりも身体が先に…異常を察知した。

そして、あれほど激しかった雨音が急に遠のく。

嵐が止んだのではなかった。

変わらず大粒の雨がフロントガラスを激しく叩いている。

突発的な難聴だろうか。

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歯がカチカチと音を立てて噛み鳴らされ、身体の震えは収まることを知らない。

瞬きを忘れていた眼球の表面が乾き始めていた。

喉もひりひりと痛みを覚えるほどの渇きを訴えている。

ついに、視覚が異常を捉えるようになった。

乗船用通路を渡る人の列に混じって変な奴らががいる。

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「な、なんだあれは!?」

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俺の横でBが声を震わせている。

異形…

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乗船用通路の天井に頭が付くのではないだろうか。

身体は人間サイズなのだが…頭部が不自然に巨大で赤ら顔の男がいた。

眼も鼻も口も規格外にでかい。

側頭部には捻じくれた山羊の角のようなものが生えている。

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一体だけではなかった。

黒い肌をした大兵肥満の牛頭、煌びやかな胴丸で身を固め直立歩行する蛙、

水干を纏った骸骨、大日本帝国陸軍の軍装を纏った大根としか思えないもの…

赤鬼、青鬼、天狗…

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異様な姿をしたモノ達が次から次へと現れてはフェリーへ乗り込んでいく。

乗船する客達は誰も隣を歩く異形に気づいていない。

shake

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『バンバンバン!』

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誰かが運転席側の窓を激しく叩いている。

ハンドルを握り絞め、俺は我を忘れて連絡通路を凝視していたようだ。

異様な光景に魅入られていた。

鳥肌はそのままだが、寒気と震えは和らいだ。

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運転席のガラス越し、バイクへ跨った見知らぬライダースーツ姿の男が見える。

ヘルメットのバイザーを開けてこちらへ向かって何かを叫んでいた。

かなり必死な様子を受けて、

俺は雨に濡れるのも構わずサイドウインドウを下げる。

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「あ、あれ!あれ見たか!?なんだあれは!?」

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ヘルメットの中で男の顔が恐怖に引き攣っているのが分かった。

彼も見ていたのだ。

連絡通路を群れで渡る異形の姿を…

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「わからん!だが、俺達もあれを見た!」

「船の中で何かイベントがあるとか俺は聞いてないぞ!?」

「いや!あれ作り物とか、そんなモノじゃない!」

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雨音に掻き消されないよう、ライダーへ向かって俺は大声を張り上げた。

Bも興奮気味に大声で今見た異形の姿を説明しようと叫んでいる。

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「毎年、盆のフェリーで海を渡っているのに…こんなことははじめてだ!」

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男は今年の渡航は諦めたと叫び、

バイクの向きを変えると逃げるようにして港を去っていった。

遠ざかっていく排気音…

しかし、彼が窓を叩いてくれたお陰で俺達は自我を取り戻せた。

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「俺達はどうする?」

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運転席側のサイドウインドウを閉め…濡れた顔を拭わずBに訊ねる。

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「ここまで来て…異形が怪異が怖いなんてのが理由で帰れるはずないだろ!?」

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お互い、恐怖と混乱から見事に立ち直ることが出来たようだ。

ならば北海道行きを止める人間はここにはいない。

見上げる連絡通路を渡る人間にまだ奴等は混じっていた。

まさしく百鬼夜行だな…

彼らには船で北へ向かわねばならない、何か理由や目的があるのだろうか。

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30分後、俺達は無事にフェリーへ乗り込むことができた。

大時化であるにも関わらず、大して揺れの感じない船内…

Aさんと合流して、俺達の居住スペースとなる二等船室へ向かう。

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「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」

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乗船通路から乗り込んだ無数の異形達、

あの百鬼夜行は今、どこに潜んでいるのだろうか…

出港して北海道に着く間、

俺とBは暇があると船内をうろつき、奴等…異形の姿を追ったのだが…

一体も見つけることはできなかった。

(了)

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