中編4
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小説家の昔話

僕の家は、片親だった。

昼間は不在の母に代わって、曾祖母と祖母、祖父が面倒を見てくれた。

よくある家庭の形だった。僕もそれが普通だと思っていたし、幸せだった。

7歳のとき、僕は初めて祖母に父のことを訊ねた。

祖母はちょっと顔をしかめてから、僕に囁いた。

「あんたはまだ分からなくていいんだよ」

その時の祖母の顔が少し怖くて、僕は家を飛び出した。

いつも虫取りをする土手に行って、僕は地面に腰を下ろした。

暮れなずむ街の景色を、どれだけ眺めていただろう。

いつの間にか、隣に女の子が座っていた。

僕より歳上の、綺麗な女の子だった。

「お姉ちゃん、誰?」

「あたしが誰でも、ボウヤには関係ないでしょ。」

「どうしてここにいるの?」

「ボウヤがあたしを呼んだの、覚えてないの?」

高飛車な物言いだったけれど、不思議と安心したのを記憶している。

「退屈なんだ」

僕がそう言うと、彼女は面白い話を沢山してくれた。

恋のおまじないの話や、狐を飼う男の話。奇妙な話ばかりだったのに、すっかり夢中になって聞いていた。気がつけばすっかり日が暮れている。

「そろそろ帰りなさいね」

彼女は僕の頭を撫でて言った。

「家族が心配するわ。あたしはこれからいつもここにいるから、恋しくなったらいらっしゃい。」

僕は礼を言って、家に帰った。

家に帰ってからは、何も言わずに長時間の外出をしていたことをこってりしぼられた。

しかし、僕は懲りなかった。

それからも隙をみては家を抜け出して、彼女のところに遊びに行った。

彼女は色々な事を教えてくれたけれど、不思議なことに名前だけは教えてくれなかった。

「…それじゃ、僕も教えない。」

意地悪のつもりでそう言うと、彼女は笑って言った。

「ボウヤの名前なんて、最初から知ってるわよ。今更教えてもらうようなものじゃないわ。」

証拠はなかったけど、彼女は嘘をついていない。何故かそう確信していた。

10歳の夏休み、僕は夏風邪をひいて床の間に横になっていた。

当然外出は禁止されたけど、僕はどうしても彼女に会いたかった。だから布団を抜け出して、寝巻きのまま土手へ走った。

彼女はいつものようにそこにいたけど、フラフラの僕を見ると顔をしかめた。

「身体を壊したなら、しっかり寝ていないと駄目でしょう?」

きつめに言ってから、彼女はふっと表情を優しくして僕を抱き締めた。

「風邪が治ったら、また遊んであげるから。早く治して、またいらっしゃい。」

頬の火照りは熱のせいではなかった。

柔らかい身体に初めて触れて、これが初恋なのだと感じた。

それから数日、風邪もすっかり治り、早速彼女のところへ行った。

彼女はいつもと変わらずそこにいた。

「おかえり。心配したのよ。」

僕は久しぶりに面白い話を聞いて、退屈しない時間を過ごした。

退屈は嫌い。僕は、面白い事が好き。

「何やってるの?」

不意に声をかけられて、僕は我に返った。

見ると、祖母がこちらを向いて立っていた。

「もう5時過ぎだよ、そんなところに一人で座ってどうしたの?」

「一人?馬鹿な、僕は…。」

隣を見ると、そこにいたはずの彼女は居なかった。

「おかしい、確かにさっきまであの人が…。」

僕がそうこぼすと、祖母は困ったような顔をした。

「変なこと言ってないで、帰るよ。」

「はい…。」

つくつくぼうしの声が聞こえる。

その晩、彼女が夢枕に立った。

「僕は君を好いているようです。」

夢の中であるためか、素直に自分の気持ちを吐露できた。

「僕のような子供が言うのも可笑しく聞こえるかもしれませんが…。『初恋』という概念が本当にあるならば、こんな風だと思います。」

それを聞いた彼女は、溜め息をついた。

「もう会いに来たら駄目よ」

悲しそうな顔をして、そう言った。

「あなたはもう、私といるには大人になりすぎてしまったのよ。もしあの場所に来ても、あたしはいない…。いえ、見えないわ。」

僕は、彼女に最後の我儘を言った。

「あとひとつ、話を聞かせてください。そうしたら、僕は君を諦めましょう。」

彼女は頷き、一編の物語を語った。

これまでで一番興味深い話だったと、僕は記憶している。

物語を語り終えた彼女は言った。

「これからあなたは沢山の『物語』に出会うわ。デジャ・ビュを感じる時もあるかもしれない。でも、退屈な人生を送らせないことはあたしが約束する。」

彼女の声が遠退く。

「人の世の巡り合わせを楽しむことよ。」

その輪郭は薄紫色にぼやけて、僕の目の前から、記憶からも消えていった。

「…先生?先生ったら!」

私を、見知った顔が呆れたふうに見ている。

「今日は美子さんのお店に行くんでしょう?早く身支度済ませないと駄目じゃないですか。」

どうやらぼうっとしてしまっていたらしい。

私は目を擦り、可愛い同居人に向かって微笑んだ。

「すみません。すこし、昔を思い出していました。」

「昔?」

怪訝そうな顔をして首を傾げる彼の髪を、そっと撫でる。

「まあ、歩きながら話しましょう。長くなりますから。」

退屈は嫌い。

私は、奇妙な縁に恋をする。

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