闇夜のフレグランス 【生乾き】

中編2
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闇夜のフレグランス 【生乾き】

 女は鼻がよかった。形ではない。

匂いに敏感だったのだ。目もかすみ、耳も遠くなっていたが鼻だけは衰えることはなかった。

 女は秋の長雨にうんざりしていた。軟骨のすり減った膝は痛み出すし、なんといっても洗濯物が何日たっても乾かない。

雑然とした居間の天井近くに張られたロープにはおびただしい枚数の洗濯物が掛かっていた。ベージュ色のズロース、毛玉だらけのセーターに、花柄だったはずのブラウスなどがみじめな姿でぶら下がっていた。

灰色の空は今日も細かい雨を降らしている。

室内は老人臭と生ゴミの匂いで澱んでいた。

 女はなにを思ったのかロープに掛かっていたベージュの下着を引き下ろすと、手にした消臭スプレーのトリガーを握り激しく噴霧した。

下着を鼻に当てたかと思うと

「なんじゃこれは」と大声で叫び放り投げた。

「テレビではいい匂いになると言ってたくせに全然ダメやんか。臭くてしょうもないやん。こんなもんこうて損したで」

 消臭スプレーを手にしたまま縁側の戸を開け、軒下に吊るしてある干物づくり用のネットを見た。

中には4匹の魚だったものが並べられていた。開きにしてあった。

女の好物で店で買うよりうまいと思っているようだ。

「これを火にあぶってな、焼酎をきゅーっとな。たまらんわ。でもこの雨で台無しや」ネットに顔を近づけた。

縁側に置いてある石は魚からでた油で黒々とひかり、雨をはじいていた。

 次に女が向かった先は、狭い庭の一角に置いてある小さなプレハブの物置小屋だった。

扉を開けると女はくんくんと鼻の穴をすぼめたり、広げたりした。

「ええ匂いになっとる」

そう言うと手に持った消臭スプレーで噴霧を始めた。

 それは物置の天井から吊り下げられた網でできたハンモックのなかでじっとしていた。

黒々としたものだった。女が左手で払うと「わーん」と音をたて飛び去ってしまった。

残ったそれはよく見ると、黒ではなく焦げ茶色だった。床に向かってじんわりと油のようなものが垂れている。女は消臭スプレーの中の液体をまんべんなくふりかけた。

あっという間に空になった。

「明日はあんたの年金の受取日や。こんな姿になってしもうてもあんたは私のために金をつくってくれておるんじゃねぇ。ありがとよ。

葬式だしてやれんでごめんのう」

顔だったらしい部位に指をあて女は言った。

「まだ生乾きやな」

女の白髪の頭上にハエが二匹とんでいた。

【了】

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末人様。
コメント、怖ポチをありがとうございます。
そう言っていただけるととても嬉しいです。末人様の作品も大好きです。ゆっくり味わって読ませていただこうと思っております。

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細部の表現が生々しく、気持ち悪くてゾッとするという私の理想とするような怖い話でした。

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