大長編61
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Re:Destinya @ in.Fortuna.ne.jp

綾子は、自分が嫌いだった。

怖がりで、臆病で。

人に自慢できることなんて、何も無い。

人より優れたことも無く、誰かと争うのも嫌だ。蹴落とすのも嫌だ。

仕事でも人付き合いでも、どんくさい・気がきかないと言われる。

いつも誰かと比べられ、そのたびに、自信を失う。

そして「他の人はできるのに」「どうして私にはできないの」と自身に問う。

幸せって、何だろう。

気持ちのいいこと?

心地よいこと?

充実していること?

人それぞれなのだろう。

だが、綾子には、自分の幸せの形が、わからない。

どうすれば幸せになれるのかもわからない。

なのに、人並みに幸せを求めてしまう。

「好き」の言葉を聞くと、必要とされていると思える。

自分に自信がもてる。

それが、今の綾子にとって、一番、幸せなことだった。

だと思っていた。

その反面、綾子は、恋愛を怖いと思っている。

人付き合いを怖いと思っている。

拒否されたらどうしよう

ふられたらどうしよう。

嫌われたら、どうしよう。

まるで世界が自分を必要としていない。

そう感じてしまう事が、ただ、ひたすら、怖い。

いつも、そんなことを考えてしまう。

和泉綾子。25歳。

25歳にもなって、何をつまらないことをいってるんだろう…、などとも思うが、そう感じてしまうのだから、仕方ない。

自分には、何もない。

どこにでもある、石ころ。

それは、先日に彼氏の…いや、今は元・彼氏の高田が放った言葉だった。

世の中の誰もが持っている携帯電話。

言葉や文章、メッセージを、目には見えない電波に乗せて運ぶ、魔法のアイテム。

一昔前は、抱えるほどの大きさだったが、今は手のひらに収まるほど、小さくなった。

手のひらサイズの小さな機械が、人から人に思いを伝える。

だが、携帯電話が伝えるのは、思いだけなのか。

♪♪♪♪♪♪…

綾子の携帯電話が鳴った。メールの着信音だ。

彼氏の高田と待ち合わせの時間に遅れてはいけないと、急いでいた綾子は、早足で歩きながら携帯電話を手に取る。発信先は…、見たことのないアドレスだった。

「誰からだろう…?」

受信したメールのメッセージを見てみると、

ーーーーーーーーーーーー

〈FortunaMail〉

あなたは、運命を変えられると思いますか。あなたは自分の運命に満足してますか。あなたは、幸せですか。あなたの運命、変えたいですか。

『Yes』『No』

ーーーーーーーーーーーー

メッセージの後には、返信用アドレスが一つ、提示してあった。

「また迷惑メールかぁ…。」

メールを消去しながら、綾子はぼやいた。

最近、綾子の彼氏…高田に携帯をいじられ、変なサイトにアクセスされてからというもの、迷惑メールが来るのが多くなった。

「そんな事より、急がなきゃ! 遅れちゃう!」

画面を消した綾子は、足早で、待ち合わせのファミレスを目指す。

季節は冬。

雪の降りそうな寒さであったが、これから高田に会えるという嬉しさで、綾子の心は温かかった。

それから二時間後。

高田がファミレスからいなくなり、30分程が過ぎた。

街中の、どこにでもあるファミレス。

店内は混みもせず、閑散ともしていない。そのファミレスで、綾子は、呆然とした表情のまま、一人席に座っていた。

…運命の神様って、いるのかな。

思考が回らないまま、綾子は考えた。

いつもは運命とか神様とか信じないけど、今日は神様がいる事を信じたかった。

そして、もし神様がいるのなら、その神様を怒りたくなった。恨みたくなった。

そんな空想をしながら、綾子は今日一日の出来事を思い出す。

一日の仕事が終わり、綾子はクタクタにくたびれていた。

作り笑いと偽りのおもてなし。雑多な事務処理。立ちっぱなしの作業。

心身共に、疲労は限界であった。

気怠い体を引きづり、制服から私服に着替え、会社の職員玄関から出た時。

そこにかかってきた一本の電話。

疲れていた綾子だが、渋々と携帯の画面に目を向ける。

だが、着信画面に表示された名前を見て、綾子の表情は明るくなる。

電話の相手は、付き合って半年の彼氏、高田純一。

最近は、高田が忙しいようで、なかなか合えなかった。何に忙しいか解らないけど、きっと仕事だと思っていた。

高田に合いたかったけれど、気を遣って、綾子から電話をすることはなかった。

会う時は、高田の都合のいい時に呼び出されていた。

夜中までつき合わされて、街中に一人置いていかれる事もあった。高田が欲しいと言った、高いアクセサリーを買わされることもあった。

誕生日の約束を忘れられる事もあった。

デートの費用を全部負担するなんて、いつもだった。綾子はそれでも幸せだった。大好きな高田に必要とされている感じがしたから。だから今日も、クタクタだったけど、それすらも気持ちいい気分で高田の呼び出しに付き合った。

だが。

「それ、本気で言ってるの?」

タバコの紫煙が漂う中、綾子は言った。

「ああ。本気だ。」

表情を変えず、高田ははっきりと言った。

「私のどこがいけないの? 悪いところがあるなら、いつもみたいに直すから!」

綾子は、背筋を曲げて小さく席に座ったまま、高田に聞いた。

「そういうところがウザいんだよ。」

言葉通り、ウンザリした顔で、高田は告げる。

ファミレスで綾子を待っていたのは、別れ話だった。

「一緒にいて、もっと楽しい奴だと思っていたんだけどよ。おまえ、つまんない。」

「そんな…」

絶句する綾子。その時、高田の携帯が鳴った。綾子の事を気にする素振りもなく、高田は携帯を取り出すと、席に貼ってある携帯マナーの貼り紙も無視し、着信に応じる。

チラリと着信画面の女性の顔が目に入る。綺麗な人だった。「はいよ。もしもし。お、レイコちゃん? あ、今行くよ。ん、ああ、たいした用事じゃないよ。いま、終わったところ。」

彼氏…、もう彼氏ではなくなった男は、携帯で喋りながら席を立った。

「お前みたいな、つまらない女はな、そこらへんにいくらでも転がっているんだよ。石ころみたいに。俺は石ころには興味無いんだ。」

石ころ…。私は石ころか。

「もう会うことも無いだろうな。じゃあな。」

綾子の気持ちなど意に介することなく、高田は綾子に背を向ける。

「…ねぇ。」

か細い声で、綾子は高田に向かって呟いた。

「あ、なんだ? 聞こえねえよ。」

「携帯電話…。」

「?」

高田が眉を顰める。

綾子は、席にはってある貼り紙を指差すと、

「席での携帯電話でのお喋り、禁止だよ。」

精一杯の声で、綾子は高田に注意をする。

綾子の言葉に、高田は。

「あー。もう一つ言い忘れた。」

「?」

「お前の、その糞真面目なところも、鬱陶しいんだよ。」

高田は綾子をファミレスに一人残して、行ってしまった。吸いかけのタバコとファミレスの明細書を残して。

綾子は呟く。

「タバコ、嫌いだったのに。ずっと我慢してたのに…。」

俯く綾子。

「私、ふられたんだ…。」

綾子は、高田と過ごした日々を思い返す。

…夜中に一人で置いていかれて、寒かったなぁ。怖かったなぁ…

…給料1ヵ月分の額のアクセサリー。そういえば、最近、付けてるの、見なかったなぁ…

…約束を忘れられて、レストランで三時間待ったなぁ…

過去を思い返しながら、呆然とする綾子。

その時、

♪♪♪♪♪♪…

綾子はの携帯電話が鳴る。メールの着信だ。

もしかして、高田から仲直りのメール?

綾子は急いで携帯を手に取る。

ーーーーーーーーーーーー

〈FortunaMail〉運命の神様を信じますか?…』

ーーーーーーーーーーーーー

画面に記されるメッセージ。

ファミレスに向かう途中で着信した迷惑メールだった。

綾子は、うんざりした気分で、メールを削除する。

もし、本当に運命の神様がいるのなら、文句の一つでも言いたい気持ちだ。

あの後、どうやって家に帰ったか、あまり覚えていない。

ただ、明日も仕事だなぁ…、早く帰って寝なきゃなぁ…、などと頭の片隅で考えながら、寒空の中、夜道を歩いていた、ような気がする。

次の日の朝、シャワーを浴びながら、昨夜のことを考える。

頭を洗うため、眼を閉じたら、昨夜の悲しさが思い出されてしまった。

シャワーを浴びながら、綾子は涙を流す。。

お湯がかかる中、涙が見られないように、綾子は両手で顔を覆う。

誰も見ていないシャワールームで、誰に気を使っているのか、自身にもわからないまま、綾子は涙を流した。

あんなに頑張ったのに。

あんなに我慢したのに。

今度こそ、幸せになれると思ったのに。

「…これが、私の運命なのかな。」

ふと、綾子は、昨日消去した、迷惑メールを思い出す。

『運命を変えてみませんか?』

綾子は、ぼそりと呟いた。

「運命って、変えれるのかな。」

恋は、楽しい。

辛い事も多いけど、それ以上に幸せな思いもたくさんできる。

身近に、自分を好きでいてくれる人がいること。

その人と一緒にいられること。

「好き」という言葉を聞くと、「必要」とされていると感じる。

他の誰でもない、「自分」を必要としてくれている、と感じる。

それが、綾子にとって、今一番、幸せと感じられること。

その時は、世界が輝いて見えた。

恋をしている間は、楽しい。

恋をしている間は、自分を必要としてくれる人と一緒にいられる。

「好き」と言われ、そう感じられる間は、綾子は安心だった。

「好き」な人、

「好き」でいてくれる人、

そして「好き」でいられる人がいなくなる事が怖い。

だから、「好き」な人がいなくならないように、綾子は、必死だった。

だが、結果、必死で繋ぎとめていたこの恋も、終わった。

「必要」とされていないと思わされる、不安な日々が、また始まるのだ。

…通勤電車の中、綾子は、唯一の友人とも言える相手である真鍋紀江に、今晩空いているか、メールする。

昨夜の出来事を聞いてもらうためだ。

即答でOKの返事が帰ってきた。

綾子はホッとしながら、感謝のメッセージを返信する。

その時、

♪♪♪♪♪♪…

返信と同時に、他のメールが受信する。

メールを開いてみると…

『〈FortunaMail〉

あなたの運命、このままでいいのですか。

あなたは、優しい人間です。

あなたは、他人の為に頑張れる、我慢のできる、素晴らしい人間です。

あなたは、幸せになるべき人間です。

でも、あなたは、今、幸せではありません。

あなたは今、そう思っています。

あなたは、それでいいのですか。

幸せになるべき人間が、幸せになれない。

そんな運命のままでいいのですか。

あなたの運命、変えたくありませんか。』

昨夜と文章が違うが、アドレスは昨夜のメールと同じだった。

「なにかの宗教かな…」

などと綾子は思いながら、不思議なものを感じ始めていた。

「昨日の夜ね…」

仕事帰り、友人の紀江と落ちあった綾子は、二駅前のファミリー居酒屋に入る。

派手にトッピングのされたサワーを飲みながら、綾子は昨日の高田との出来事を紀江に話す。

「なにそれ! とんでもないロクデナシだね! 許せない!」

紀江は大声で叫ぶ。

「ちょっと! 他の人もいるんだから、なんだから、大声出さないでよ。恥ずかしいよ。」

と、綾子は紀江に言うが、紀子は興奮しながら、

「まあ、綾子には悪いけど、あの高田っていう男からは、性根が腐っるんだね。もし、これからも付き合っていたら、綾子はもっと辛い思いをしたと思うよ。別れて正解だよ。」

と、高田をこき下ろしつつ、綾子を慰める。

紀江は、綾子の事を、本気で案じてくれている。

ちょっと感情表現が大げさだけど、綾子は規江のそのまっすぐな想いが、とても嬉しかった。

「しっかし、アタシたちの付き合いも、七年経つけど、つくづく、綾子は男運が無いね。」

紀江が言う。紀子とは、大学で知り合った。

社会人になってから、五年経った今でも、気軽に付き合えている大切な友人だ。

「綾子は可愛いのに、どうして男運がないんだろうね。珍しく男ができれば、ろくでもない奴だし。」

「紀江こそ、前の彼氏、どうしたの? 別れたとは聞いたけど。」

「相性が悪かったみたい。車バカだったから、アタシよりも車が大切みたいでさ。綺麗さっぱり、別れたよ。」

紀江は、いつも前向きだ。

「紀江は、男とさっぱりと別れることができて、いいね。私は、いつもドロドロだよ…」

綾子が嘆くと、紀江は、

「綾子は、そうやっていつも自分に自信が無いことを言っているから、いけないんだよ。あと、男に尽し過ぎ。だから彼氏がつけあがる。」

と、笑いながら言う。

綾子も負けずに

「紀江は、いつもハッキリ物事を言い過ぎるから、長続きしないんだね。」

と、紀江に負けずに言い返す。

「いやいや、最近のアタシは、神様が舞い降りたんじゃないかってほど幸運が続いてるんだ。だから、次は絶対、大丈夫!」

「その自信、どこからくるのよ…」

レストランに、2人の笑い声が響いた。

昨夜の、一人ぼっちどうしようもないくらい落ち込んでいた時のファミレスとは大違いだ。

厳しい言葉でも、笑って話せて笑って言える相手。

一緒にいれば、元気になれる相手。

だから紀江は大切な友人だ。

話の最中、携帯をいじりながら、ふと、紀江が呟く。

「ねえ、運命って、信じる?」

「え?」

「運命って、自分の力で、変えれるのかな。もしできるなら、アタシは、変えたい。」

綾子は、紀江の言葉に、その表情に、ドキリとした。

言葉の最中、紀江の目の色が、変わっているような気がしたからだ。

…運命…。

先程の不思議なメールのメッセージを思い出す。

「なーんてね。なに、子供っぽいこと、言っているんだろうね、アタシは。」

と、紀江は普段どおり、明るく言う。目の色も戻っている。

綾子は、さっきのことは気のせいだと思い、ホッとするのだった。

その時。

綾子は気づいていなかった。

紀江の携帯の画面には、綾子が最近目にしたものと同じ文字…〈FortunaMail〉という単語が写っていた事に。

綾子が社会人になってから、幾年が過ぎたか。

綾子はそう、会社の正面玄関前に立つ桜の木を見ながら思い返す。

会社した日、同期入社した人達と、玄関前の桜の木の下で記念写真を撮った。

それから、四回、玄関前の桜が咲く時期があった。

就職してから、社会人になってから、『大人』という種類の人間になってから、4年がたった。

冬が過ぎ、また再び桜が咲けば、ちょうど5年だ。

同期の幾人かは、他の会社に再就職したり、結婚して仕事辞めたりと、段々減っている。

「次はきっと私だよ」などと残った同期同士で軽口を言いながら、同期の減った寂しさを紛らわしている。

二十歳を過ぎ、大人になって5年近く経つが、たまに綾子考える。

「大人って何だろう」と。

仮に、大人になることが、年相応に老いることなら、自分はもう大人なんだろう。

仮に、大人になることが、どんな境遇にも挫けない強い心を持つことなら、私は大人じゃない。

仮に、大人になることが、子供の頃にできなかった事や夢を叶えることなら、夢が思い浮かばない私は、子供ですらないのかもしれない。

綾子が高田と別れてから、一ヶ月が過ぎた。

別れた直後は、情けなさとか遣る瀬無さとかで頭がいっぱいだったが、一ヶ月も過ぎれば、気にならなくなってきた、…と思う。

仕事の休憩中、社員食堂で一人お弁当に箸をつける綾子。

ふと、携帯を手に取り、高田と撮った写真を見る。

何度も消そうと思ったが、なかなか消去ボタンに指が伸びない。

まだ、未練があるのかもしれないなぁ、と自嘲する綾子。

そこに、数人の男性社員が社員食堂に入ってきた。

会議が終わったばかりのようで、食堂の机を数人で囲み、興奮した口調で会議の愚痴を言い合っている。

男達の会話に興味はなかったが、遠慮などとは無縁の男性集団の大声は、嫌でも綾子の耳に入ってくる。

「まったく。寺月の奴。なにかと言えば顧客満足顧客第一って。わかってるんだよ、そんな事は。若造に言われるまでもないんだよ。」

「そうですよね。やりたくてもできないから、苦労してる先輩の気持ちがまったくわかってないですよね。」

「だいたい、何事にもコストとか人員とか、考えなきゃいけない面倒臭い事がいっぱいあるんだよ。」

先輩にあたる男性社員が興奮して話をしている。

その先輩の言葉を受けて、取り巻きのような社員が同意の返事を返していた。

階級がある組織では、よくある光景なのだろう。だが、休憩室では静かにして欲しいものだ。

今話題になっているのは、寺月徹という男性社員のことである。

会社の中では、若手から中堅の間ぐらいに属する社員だ。

個人的な付き合いは無いが、真面目で物静かな人だった。

だが、仕事には熱心で、綾子の入社時や部署異動の際にはすごく丁寧に仕事を教えてくれたりと、後輩思いの人だった。

今、食堂では、その寺月徹への不満が口にされているのだ。

あまり、気持ちのいい話ではない。

綾子は、ほとんど空になっていた弁当箱を片付け、席を立つ支度をする。

「でも寺月さん…。」

寺月の名前を口にしたのは、集団の中では最も若い男性社員だった。「寺月さんが会議の中で喋ると、身が引き締まるんですよね。軌道修正をしてくれるっていうか、忘れていたことを思い出すっていうか…。」

「わ、わかってるよ。だから俺たちは、そんな事は理解した上でだな…。」

会話から察するに、寺月のほうが一枚上手なのかもしれない。そんな事を考えながら、綾子は席を立つ。

時は過ぎ、退社の時刻になった綾子は、帰り支度の為にデスクを片付ける。

だが、勤務終了間際であるにも関わらず、先輩である女性社員から指示の指示が来た。

明日では間に合わず、今日中に打ち込まなければならない資料作成の仕事であった。

先輩社員はその仕事を私に押し付けようとしているのだ。

「私はあなたと違って忙しいのよ。」

そう言って、先輩女性社員は、帰ってしまった。

本来なら、これは先輩の仕事なのに…。

不満がないわけじゃないが、逆らってもいい事はない。

渋々と綾子はパソコンに向かう。

他の社員が次々に退社する中で、綾子は黙々とデスクに向かって作業を続ける。

二時間後。作業は順調に終わった。

あとは作成した資料を上司のデスクに持って行くだけだ。

綾子は一度背筋を伸ばすと、立ち上がり、二階の部屋に向かった。

すっかり日は暮れ、夜の帳が降りている。

社員のデスクが並ぶ二階の大部屋の灯りはほとんど消され、部屋の大部分は暗くなっている。

綾子はわずかな明かりを頼りに、部屋の奥、上司のデスクを目指す。

と、闇の中、一際明るくライトが灯るデスクがあった。

誰かが残業をしているようだ。

綾子のように、先輩に仕事を押し付けらて居残りをしているのだろうか。

なんとなく興味が湧いて、綾子は、ただ一つ明かりが灯るデスクに近付いた。

そこには、一心不乱にパソコンに向かっている男性がいた。

綾子の知っている顔だ。

それは、昼間、男性社員たちが揶揄していた、寺月徹だった。

寺月は、綾子に気付かず、パソコンの画面を凝視している。誰もいないと思っているのだろう。

集中しているのを邪魔してはならない。

声をかけるのも申し訳なく思い、綾子はゆっくりと寺月のデスクから離れる。

だが、後ろに後ざする際に、床のゴミ箱を倒してしまった。

キーボードを叩く音以外は物音一つしていなかった部屋に、ゴミ箱が倒れる音が響く。

しまった、と思った綾子だがもう遅い。

プラスチックの円筒が転がる音に、さすがの寺月も気付き、顔を上げ、立ち竦む綾子のほうに視線を向ける。

しばらく綾子の姿に目を向けた後、寺月は口を開く。

「驚かせちゃったかな。ごめんね。」

穏やかな口調で、謝られた。

…それは私の台詞だろう。

…二人は退社のためにロッカールームに向かっていた。社内の灯りはほとんど消されてしまったので、二人は一緒に退社することにしたのだ。

「遅くまで働いているんだね、和泉さん。」

「い、いえ、偶然です。」

先輩に仕事を押し付けられたなんて、みっともなくて言えない。綾子は残業の理由を適当に誤魔化す。

「寺月さんこそ、遅くまで何をしていたんですか?」

「業務改善の為のプログラムを組んでいたんだ。」

寺月によると、今の社内での作業には無駄が多く、データ入力や資料作成に使用する手間が多くの時間を占めており、社員が顧客と関われる時がとれていない現状があり、その改善のためのプログラムを作っていたそうだ。

寺月の話は、昼間食堂で寺月の事を揶揄していた社員たちの話とリンクしている。

あの人達の不満を改善するために、居残っていたということか。

けど、その苦労など、当の男性社員たちが知ることはないだろう。

むしろ、自分の知らない所で他人が苦労し、その役得だけを得るようなものだ。

寺月は、それをわかっているのか?

真面目な、良い人…。

少し、イラっとする。

「寺月さん…。」

「なんだい?」

「お人好しって、言われませんか?」

「よく言われるよ。」

屈託無く即答してきた。辛さなど、微塵も感じさせることのない表情で。

寺月の返事を聞き、急に綾子は恥ずかしくなる。なんて事を聞いてしまったんだ…。

「ご、ごめんなさい!」

立ち止まり、頭を下げる綾子。

「な、なんで謝るのさ?」

綾子のイラつきに、全く気付いていない様子で寺月は答える。

謝ったあと、綾子は気付く。寺月を見て、自分がイラついた理由を。

…この人は、私と似ているのかもしれない。

…でも、まったく似ていない。

その事に、綾子はイラついたのだ。

ロッカールーム前で二人は別れ、着替えた後、再び落ちあった。

同期入社の社員が減ってから以降、社内の人間と一緒に退社するなんて久しぶりだ。

と、社員用玄関の前で、寺月は「あっ。」と声を上げる。

改善プログラムを作ることに夢中で、本来の自分の仕事をするのを忘れていたらしい。

ばつの悪そうな顔をしながら、社内に戻るという寺月。

今の2人には、これ以上一緒にいる理由は見当たらない。

結局綾子は先に帰ることになり、玄関に向かった。

「あの、和泉さん。」

ドアを開けようとしたところで、寺月に呼ばれて、綾子は振り返る。

「あの派手…じゃなくて、明るい感じの彼氏さん、元気? 仲良くやってる?」

寺月は一度、高田を見たことがあった。綾子が会社の飲み会の後、電車に乗るために駅に向かっていた時、偶然、同じ駅を目指す寺月の姿があった。

なんとなく連れそって二人が歩いているところで、(元)彼氏である高田に出会ったのだ。

間の悪いことに、高田は泥酔しており、綾子と一緒にいた寺月に絡んだのだ。

嫉妬深く疑り深い高田は、お前は誰だ!、と寺月を問い詰め、会社の先輩だと言っても信じず、説得に時間がかかった。

みっともなかったし、寺月にも悪いことしたと思っている。

綾子は、寺月の問いかけに、少し驚いた。

まさか、寺月から、そういう事を聞かれるとは思ってなかったので狼狽しながら、

「はい、まぁ、それなりに…」

と、しどろもどろに答えた。寺月は、

「そっか、それならいいんだ。変なこと聞いて、ごめんね。」

と言い、踵を返すと、社内通路の暗がりに歩み出す。

綾子は、

「実は!」

と寺月に向って叫ぶ。

足を止める寺月。

「先日、別れちゃったんです。」

と言った。

寺月は、驚いた表情をしながら、

「そうだったんだ…。大変だったね。実は、そんな気がしてたんだ。」

「…どうして解ったんですか?」

「いつも明るい和泉さんが、最近は元気がなかったからさ。」

綾子は、徹の言葉に驚いた。

そして、それ以上に、恥ずかしかった。

「す、すみません。仕事中だったのに…。」

という綾子に、寺月は、

「そんな時も、あるよ。」

と、優しく言う。

「俺は気が効かないからさ。無神経な聞き方をして、悪かったね。」

「いえ、そんなことありません…。」

「じゃあ、気をつけて帰ってね。お疲れ様!」

何気ない寺月の言葉が、今の綾子には、何より嬉しく感じた。

「ありがとうございます。気を付けて帰ります!」

と、寺月に向かって、精一杯明るく答えた。

寺月は、そんな綾子を見て、微笑みながら、

「じゃあ、また明日!」

と、後ろをむいて、今度こそ、通路の闇に消えて行った。

綾子も、玄関のドアを開けて、帰路についた。

外は寒かったが、綾子の心は、ちょっとだけ、温かかった。

…だが、そんな綾子の気持ちも、長くは続かず、他人の悪意によって砕かれた。

帰り道、駅前で、偶然、高田に会った。高田は女の人と一緒だ。

先日、高田が電話していたレイコという人物とは違う人のようだ。

高田は、綾子の事には気付いていないようだった。

綾子はふと考える。

私は、何個目の彼女だったんだろう…

見せつけるように身を寄せ合い歩き去る高田たちを見つめる綾子。

時間にすれば、数秒の事だったのだろう。

高田達が曲がる角に曲がる寸前、高田達は綾子のほうを見て、嫌らしい顔で笑う。

そして、隣の彼女と笑いながら、綾子の視界から消えていった。

「私に気付いてたんだ…。わざと、見せつけたんだ…」

綾子は、悔しくて、情けなくて、どうしようもなかった。

そして、その場で泣いてしまった。

さっきの徹の気遣いで得た温かさも、全部ぶち壊しだ。

路上であることも構わず、叫びだしたくなった。

今から高田を追って、殴りたい衝動に駆られた。

だが、そんなことをする度胸も強さも自分には無いことを、綾子はわかっている。

さらに悔しいことに、高田もそれをわかっている。わかっている上で、綾子をからかったのだ。

俯き、涙を隠しながら、綾子は歩く。

自分が嫌で仕方がない。

自分の心に素直になることもできない。

悔しいのに、相手に悔しさをぶつけることもできない。

私は、悪い事、なにもしてないのに。

なのに、運命は、残酷な出来事を私に強いる。

こんなに辛い思いをさせる。

それに対し、何もできない。それを受け入れることしかできない自分がいる。

そんな自分が嫌で仕方ない。

こんな辛い思いは、もう嫌だ。

こんな運命は、もう嫌だ。

私は、変わりたい。

運命を変えたい。

綾子は、そう強く願った。

♪♪♪♪♪♪…

その時、綾子の携帯が鳴る。

メールだ。

内容は…

ーーーーーーーーーー

〈FortunaMail〉

あなたの運命、このままでいいのですか…』

ーーーーーーーーーー

綾子は魅入られるように、メールのメッセージを見つめるのだった。

自宅に帰り、綾子は携帯を開く。

ーーーーーーーーーー

〈FortunaMail〉

あなたの運命、このままでいいのですか…

あなたは、運命を変えられると思いますか。

あなたは、自分の運命がこのままでいいと思っていますか。

あなたは、自分を変えたくありませんか。』

ーーーーーーーーーー

また、メッセージが変わっている。

まるで、私の心情を覗いているかのように。

そう思いながら、綾子は「運命を変える」「自分を変える」その言葉に目を奪われていた。

もしかしらた、悪質な架空請求サイトかもしれない…。アクセスして大丈夫かな?

一抹の不安を感じながらも、綾子はメールの最後に表示されている『Yes』をクリックする。

運命が変わることを、心から願いながら。

クリックの後。

画面が切り替わり、飾りっ気のない文字で新たなメッセージが表示された。

ーーーーーーーーーー

〈FortunaMail〉

人生は、選択肢の連続

運命は、その選択肢の中から、どんな選択を選ぶかで決まる

良い運命になるか、悪い運命を歩むか

全ては、あなたが選ぶ選択次第

日々の生活に何気なく存在する、運命を決める選択肢

あなたの運命を輝かしいものにする為の選択肢の答え、知りたくないですか?

知りたい方は、『YES』をクリックしてください。

なお、クリック以後は、定期的に同様のメールがあなたのアドレスに送信されます。同時に『効力』が発生し始めます』

ーーーーーーーーーー

綾子は、このメールに、…なんというか、得体は知れないが、不思議なオーラ…不思議な魔力を感じた。

クリックするだけで『効力』が発生する? そんなバカな。

このまま続ければ、もしかしたら、取り返しのつかない事になるかもしれない。

そんな不安を感じさせたが、だからこそ、やってみる価値があるのかもしれない。

『運命』という漠然としたものを変える、そのきっかけになるのなら、このメールにあるような得体のしれない魔力が必要になるのかもしれない

そう思い、綾子は不安と期待が入り混じる中、『YES』をクリックする。

一瞬、画面が深い漆黒に染まり、直後、新たな画面に切り替わった。

ーーーーーーーーーー

『今のあなたのポイントは50Pです

明日の朝、駅で困っている老人がいます

あなたは老人を…

① 手を貸す +5P

② 何もしない 0P

③ 困らせる -5P 』

ーーーーーーーーーー

内容は、これだけだった。

綾子は考える。

これは、占い? というより、ジンクス?

点数があるけど、この点数を高くするのが目的?

点数で運命が決まるっていうの?

点数が高くなるような選択をしていけばいいの?

もし私がこの通りにすれば、点数が変わる?

でも、誰が点数を付けるの?

誰がどうやってそれを判断するの?

ドキドキしたけど、結局ただのいたずらメール?

様々な思考の後、綾子は、期待を裏切られたような、また、同時に安心しながら、画面を消す。

「バカみたい…。」

冷静さを取り戻した綾子は、夕食の支度をするため携帯電話を手放す。

…その時、綾子は気付いていなかった。

消したはずの携帯電話の画面が、一瞬またたき、その画面に黒い影が過るのを。

ジリリリリリ…

目覚しの代わりに使っている、携帯電話のアラームが鳴る。

寒いなぁ、起きたくないなぁ。

温かい布団に包まれながら、綾子はベッドの上で身悶える。

数分間、ベッドの中で惰眠と布団の恩情を貪る。

いつもと同じ朝。

仕事に間に合うように起きなければならないから、この貪り行為もあと数分だ。

数分後、眠い目をこすりながら、綾子はベッドから起きだす。

綾子は、寝起きは悪いが、会社に遅刻したことはない。

アラームも、実際に起きなきゃいけない時間より30分前に設定している。

寝起きが悪いのは、折り込み済みだ。

一人暮らしを始めた時から、寝坊することを警戒していた。

シャワーを浴び、朝食を食べ、出社する。

いつもと変わらない朝。

綾子は、会社へは電車で出勤している。

勤めている会社は、郊外の駅近くにあり、電車で行ったほうが都合が良いのだ。

バスで駅まで向かい、そこから電車に乗り換える。

乗り換えする駅は、この時間はいつも込み合っている。

いわゆる通勤ラッシュというのだろう。

綾子は、学生の頃からこの駅は利用しているので、込み合いもどうってことはない。

会社に向かう電車の発車時刻まで、改札口のあたりでぼーっとしていた。

この時間に駅にいる人間は、ほとんどの人が、目的をもって行動しているのだろう。

忙しなく、

時間を気にして

今日の出来事を想像し、

仕事の成功に期待し、

失敗に不安になり、

学生はテストの点数を気にして、

自分の事を精一杯考えながら、動いているのだろう。

そこに、他人を気にする余地はない。

仮に、私が、今この瞬間、具合が悪くなって倒れても、誰も助けてくれないんじゃないか。

そんな不安を覚える。

発車時刻になり、電車に乗り、会社のある駅で降りる。

ここまでは,いつも通りの朝だった。

駅からロータリーのある広場に降りる階段で、綾子は、ふと足を止めた。

階段の途中で、おじいさんが座り込んでいた。

他の人は、急ぎ階段を降りていく。

郊外とはいえ、開発発展の真っただ中にあるこの土地には、他の会社もたくさんある。

先ほどの駅に比べればそうでもないが、確かに混んではいるし、足早に歩く人間がたくさんいることには変わりない。

綾子も、遅刻しないよう、足早に歩いていた。

最初、綾子は、おじいさんの座っている段を、素通りした。

だが、素通りして、二、三段下った後、綾子は足を止める。

さっき、改札口で頭をよぎった内容を思い出す。

…誰も気にしない。気にされない。

…だから、困っている人を放っておいていいのか?

一瞬の迷いの後、綾子は階段を戻る。

そしておじいさんに話しかける。

「どうしたんですか?」

おじいさんは、苦しそうな顔をして、ぼそぼそと答えた。

「あ、お嬢さん。実はですね、下の広場まで行ってタクシーを拾おうと思っていたんですが、持病の腰痛が出てきて…。階段の途中で動けなくなってしまったんですよ…。タクシーにさえ乗れれば、あとはなんとかなるんですが…」

綾子は、

「じゃあ、私が下までおじいさんを運んで、タクシーを呼びますね。」

と、腰痛に支障の無いように、おじいさんを抱える。

おじいさんは、

「すまないねえ…。若いお嬢さんに、こんなことさせて…」

「遠慮しないで下さい。」

タクシーを拾う事など、造作もない事だ。

とは思いつつ、集団の目のある中、見ず知らずのおじいさんに肩を貸す綾子を、周りがどう思っているのだろうかと考えると、とても恥ずかしかった。

綾子は、おじいさんを階段下まで運び、タクシーに乗せる。

途中、(なんでこんなことしているんだろう。私も急いでいるのに…)と思いつつ。

「ありがとう、お譲さん。本当に助かったよ。」

そういって、おじいさんは、去って行った。

綾子も、気恥ずかしさを感じながら、足早にその場から去る。

歩いている途中で、綾子は、昨夜のメールを思い出した。

『明日の朝、駅で困っている老人がいます

あなたは…

手を貸す +5P…』

…あのメールの通り、おじいさんが困っていたなあ…。

綾子は、なんとなく肌寒いものを感じながら、会社に向かった。

夕方。

特にトラブルもなく、仕事が終わった。平和な一日だった。

ロッカールームから出たところで、偶然、寺月に会った。

寺月は「お疲れ様」と、昨日と同様に、穏やかな笑顔で話しかけてくる。

綾子も「お疲れ様です。」と笑顔で答える。

「今日は、このまま帰れるんですか?」

「ああ。昨日は遅くまでかかっちゃたからね。今日は、早く切り上げることにしたんだ。」

「和泉さんは電車通勤だっけ? 駅まで歩くんだよね。よかったら、駅まで一緒に行こう。」

「いいですよ。暗くなってきたし、私もありがたいです。」

綾子と寺月は二人連れ添い、駅まで向かう。

駅までの歩き道、寺月は、ほとんど喋らなかった。

普段、あまり会話をする機会がないので、何を話せばいいのかわからず、二人無言なまま、駅に着いてしまった。

駅の構内で、

「和泉さん。」

寺月が綾子の名前を呼んだ。突然の呼び掛けに驚く綾子。

「あ! は、はい!」

「今朝、ここの階段で、おじいさんを助けてたね。」

「見てたんですか!」

「偶然、見掛けたんだ。」

寺月に見られていた事を知り、綾子は驚く。

「恥ずかしい! 人に言わないでくださいね。」

と綾子は顔を真っ赤にして寺月に言う。

「他の人には言わないけど…。そんなに恥ずかしがることかなあ。」

「だって、みんな、通り過ぎていくなかで、私だけ、あんなことをしてたんですよ。」

「…」

黙り込む寺月。

「人と違う事をすることって、そうして目立っちゃうのって、恥ずかしい事じゃないですか…」

綾子のその言葉に、寺月は真剣な眼差しで、

「困っている誰かを助けるのに、理由がいるのかな?」

と言った。

その眼差しを受け、綾子は一瞬、沈黙する。

「他の人がどうなのかは知らないけど、和泉さんがやったことは、立派なことだと思うよ。その優しさも、和泉さんらしさの一つだと思うよ。」

寺月のあまりに屈託のない言葉に、綾子は言葉を失う。

…この人は、本当に、真っ直ぐな人なんだ。綾子は思った。

そして、今の自分の行動を正しい事だと言ってくれたことを嬉しく思った。

「じゃあ、俺は、行くね。電車の時間になるから。」

と、寺月の言葉に、綾子は、慌てて返事を返す。

「あ、はい。お、お疲れ様でした。」

寺月は、綾子とは別の改札口に向かって歩き出す。

寺月に倣い、綾子も歩き出した。

…ふと、綾子は、振り返って、寺月の姿を確認する。

綾子の視線の先で、寺月も、同時に振り返っていた。

駅の改札口を挟み、視線が絡まる。

寺月は、一瞬驚いた顔をした後、照れ笑いながら、離れた綾子にも聞こえる声で、

「今度、一緒に、食事でも、どうかな?」

と言った。

寺月の言葉を聞いた綾子は両手を上げて丸マークを作る。

綾子の仕草を見た寺月は、今まで綾子が見た中で一番の笑顔を見せると、手を振りながら改札口の向こう側に消えて行った。

帰りの電車の中、綾子は考える。

寺月さんに、誘われた…。

好きだった人に裏切られた直後の綾子はいつもにも増して、人付き合いが怖かった。

また、裏切られたら、どうしよう。

もう、あんな目に合うのは嫌だ。

でも、寺月さんは、人を裏切るような人じゃなさそうだし…。

今まで私が出会ってきた男の人とは、まったく違うタイプの男の人。

あの、真剣な眼差しと、真っ直ぐな行動を思い出す。

寺月の優しい言葉を思い出す。

寺月がくれた温かさを思い出す。

自分を肯定してくれた事が嬉しかった。

綾子がそんな事を考えていた時。携帯電話がメールの着信を知らせる。

メールの内容を見て、綾子は唖然とした。

ーーーーーーーー

〈FortunaMail〉

今のあなたのポイントは55Pです

ーーーーーーーー

点数が増えている。

まさか、おじいさんを助けたから?

結果、寺月からの誘いがあった。

これが、運命が変わる、ということなの?

綾子は、混乱しながらも、自分の運命の変革に、驚きを隠せなかった。

夢を見た。

自分が子供だった頃の夢だった。

あの頃、私は、自分の無力に初めて泣いた。

母が、言う。

「お父さんと、お母さん、どっちと暮らしたい?」

父と母が、離婚を決めた。

そして、これから、どっちと暮らすか、私に聞いてきた。

答えられるわけないだろう!

幼心に、そう思った。

離婚の原因は、父にあった。

浮気し、借金を作り、家庭を蔑にし、家族を裏切った。

「お父さんは、病気なの。」

母は、私にそう言った。

真実は解らない。

父には、父の理由があったのだろう。

私の前では、父は、いつもの父だった。

だが、その頃の私には、母の言葉が全てだった。

家族がバラバラになるのは、嫌だった。

父と母と私。

その三人で過ごした、楽しい想い出。

バラバラになったら、二度と、その機会はやってこない。

私は子供だったが、それぐらいは理解していた。

もしかしたら、私が泣きつけば、父は、生活を改めるかもしれない。

私が父の頬を殴れば、父は考え直したかもしれない。

私が必死になって止めれば、離婚を防げたかもしれない。

でも、私は、何もしなかった。

何も、できなかった。

できる事があるはずだったのに、何もせずに、諦めた。

間違っていると思う事を、黙って見過ごした。

振り上げた意思を、想いを、拳を、振りおろせなかった。

自分の行う事で、自分や誰かが傷つく事が嫌だった。怖かった。

そして、私の家族はバラバラになった。

私が、家族をバラバラにしたんだ。

私が、頑張らなかったから、バラバラになっちゃったんだ。

そう思った。

私は、無力。それに泣いた。

悪い事をして親から怒られて泣くのではなく、

何もできなくて泣くことになろうとは、考えもしなかった。

私は、母と暮らすことになった。

母は、最初から、そのつもりだった。

離婚して、母は、仕事の為に、忙しくなった。

私の相手をする時間がなくなった。

留守番をすることが増えた。

一人でいる時間が増えた。

仕事から疲れて帰って来る母を待つために、外で遊ぶ事も少なくなった。

だが、母の苦労も知っていたから、我慢した。

母を困らせないように、素直に言う事を聞く、「いい子」になろうとした。

「綾子はいい子だね」

母はそう言って、私を褒めてくれる。

離婚を止められず、家族をバラバラにしてしまった事。

その後悔をずっと感じ続けていた私は、「いい子」の言葉を聞くたびに、救われた気がしていた。

母の役に立っている。

償いができている。

無力じゃない。

そう感じることができた。

あれから、十数年。

月日が経ち、

生活も変わり、

環境も変わり、

今は、母とは別れて暮らしている。

学校や社会で、たくさんの人に出会い、他人の考えを学んだ。

私も、変わったと思う。

あの頃よりは、ちょっと、大人になったと思う。

だが、その頃の影響は、今も心の奥底に、存在している。

人から「いい子」だと、「いい人」だと、「都合のいい奴」だと思われることが、そうして人に必要とされていると思う事が、自分を保つ術になっていた。

ある日。

綾子は、公園のベンチに座り、読書をしていた。

ここ最近は、ふさぎ込むことが多く、休日は家に閉じこもっている事がほとんどだったのだが、今日は久し振りに外に出た。

まだまだ肌寒い季節ではあったが、明るい日差しが目に眩しい。

ふと、携帯に目をやると、メールの着信があった事に気付く。

『〈FortunaMail〉』だった。

先日、駅でおじいさんの手助けをした。

それは、偶然にも送られてきたメールの通りの出来事であり、そしてまた偶然にもそのメッセージの…選択肢通りの行動をする事になった。

結果として、寺月との出会いがあった。

綾子はその時から、そのメールの『効力』を信じかけた。

だが、それはきっと偶然が重なっただけなのだろう。

メールが未来を予知できる筈がない。

そんな事、おいそれと信じれない。

そうも感じていた。

それから数日後の今日。

新たに、そして二度目の〈FortunaMail〉が着信した。

綾子はメールのメッセージを読む。

ーーーーーーーーー

今のあなたのポイントは55ポイントです。

公園に、迷子の子供がいます。

あなたは…

① 親を捜す+5P

② 立ち去る 0P

③ 虐める -5P 』

ーーーーーーーーー

と記してあった。

…私は今、公園にいる。これも偶然か?

周りを見渡すが、怪しい人間は誰もいない。

まさか、見られているのか?

綾子は、不気味なものを感じ、ベンチから立ち上がり、公園の出口に向かう。

だが、出口付近で、子供の泣き声に気付く。

小さな女の子が、ベンチに座り泣いていた。

直感で思う。迷子の子供だと。

綾子は、話しかけようか迷っだ。メールの通りに行動する事が不安だったからだ。

だから、綾子は、子供に関わる事無く通り過ぎようとした。

だが…。

だが。

それでいいのか?

迷う綾子の頭に、先日の寺月の言葉が思い浮かぶ。

『困っている誰かを助けるのに、理由がいるのかい』

それから数分後。

綾子は、子供を肩車し、親の行方を探していた。

30分程探し続け、やっと親を見つける。

子供の親からは大変に感謝されたが、綾子は慣れない肩車と捜索で疲れていて、それどころではなかった。

服も肩車のせいで、土まみれだ。

せっかくの休日に、何をやってるんだろう、と自問しながら、綾子は帰路に付く。

だが、不思議と悪い気分では、無かった。

迷子の子供を助けた次の日。

今夜は寺月との約束日である。

会社帰りに寺月と待ち合わせをして、駅から少し離れた、雰囲気のいいお店へ寄った。

寺月に連れられ、店の中に入る。

大きくはないが、明るく、清潔感があり、いい雰囲気のお店だ。

さっそく二人はビールを注文し、仕事の疲れを乾杯で癒す。

会話の中、会う約束をしながら互いの連絡先を知らない事に気付き、笑い合いながらアドレスを交換した。

名前と連絡先だけ記された、簡素なメール文であるが、寺月との始めてのメールである。

仕事の話から始まり、お互いの趣味の話や、最近見た映画や本の話など、他愛もない話題ばかりであったが、綾子は充実した思いを感じていた。

終電の時間が近付き、二人は店から出る。

駅前の改札口で別れる寸前。

綾子は寺月に、綺麗に包装された箱を渡される。

「プレゼントだよ」と。

「和泉さんが元気になるように」そうとも言っていた。

駅で寺月と別れ、電車の椅子に座りながら綾子は寺月に貰った箱を開ける。

中には、黒紫色のバレッタが入っていた。

綾子はそのバレッタを大切にする事を、心に誓った。

…その時、携帯電話に着信があった。

メールである。

メッセージは、

『今のあなたのポイントは、60ポイントです。』

そう表示されていた。

新たな〈FortunaMail〉が送られてきた。メッセージは、

ーーーーーーーーーー

『学生が募金箱を持っています。

あなたは…

① 一万円寄付する +15P

② 五千円寄付する 0P

③ 寄付しない -20P 』

ーーーーーーーーーー

今までは、5ポイントの増減だったのに、今回は数値が大きい。

だが、一万円の寄付か…。

ケチなわけではないが、一般市民である綾子にとって、一万円の寄付は大きい…。どうしよう…。

次の日、駅前に、ボランティアの学生達が並んで募金箱を抱えていた。

「恵まれない子供達の為に、募金をお願いします。」

寒空の中。道行く人に声を掛け続ける学生達。

だが、殆どの大人は見向きもせずに学生達の前を通り過ぎて行く。

綾子は、募金箱にお金を入れる為に、財布を開く。

と、そこで昨日の〈FortunaMail〉を思い出す。

…一万円かぁ。

さすがに大金。躊躇する綾子。

ここで一万円を失えば、しばらくは、ご飯にふりかけ生活になる。

…いや。もう一度、試してみよう。それに、15ポイントも得れるのだ。

意を決すると、学生の持つ募金箱に一万円を入れる。

大枚投入に、目を剥く学生。

そして、大きな声で「ありがとうございます」と連呼される。

正直、本心から募金したわけでは無いので、大変にばつが悪い。

綾子は、そそくさと、学生の前から姿を消すのだった。

初めての寺月との電話。受話器を持つ手も、声も、震えていた。

何度もメールをした。

何度も寺月のメッセージを読んだ。

声を聞く度に、

メッセージを読む度に、

言葉を交わす度に、

寺月との距離は近付く。

2回目の電話は留守電にメッセージが残っていた。

名前で呼び合おうって決めた。

今から会おうって言われた。急に誘われるなんて始めてで、すごくドきっとこれは、恋人達には普通の毎日なんだろう。

そんな毎日の中で二人の恋は育まれていく。

二人で遠くへ出かけようって約束した。

始めて手をつないで歩いた。

好きだったと言われた。

嬉しかった。

それから何度目かの夜を超えて。

幸せだった。

まるで全てが。

そう。まるで何もかもが、全てのことが、上手くいっているかのように思えた。

上手くいっている。幸せに近づいている。そう思っていた。

これも、〈FortunaMail〉のおかげ。

そう、思っていた。

ーーーーーーーー

〈FortunaMail〉

今のあなたのポイントは、100ポイントです。

ーーーーーーーー

100ポイントを得た綾子は、幸せを謳歌していた。

あれから何度も、〈FortunaMail〉は届いた。

そのたびに綾子は最大点数の選択を選び続けた。

昔の同級生にお金を貸した。

同僚のミスを隠蔽した。

メールの選択肢の通りに、人に親切にするだけで、幸せを得れるのだ。

事実、ポイントが上がるたびに、綾子の周囲に幸せが舞い降りる。

徹という大切な恋人ができた。

拾った宝クジで50万円が当たった。

会社で企画が通り成果を出せた。給料も上がった。

だが、ある日。

その幸せの運命の歯車は、狂い出した。

朝七時半。

綾子は急ぎ会社に向かっていた。少し寝坊してしまい、電車の時刻に遅れる可能性があったのだ。

綾子が道を早足で歩いていると、とある赤い車が斜めに傾き停まっているのが目に入る。

タイヤが溝に落ち、立ち往生しているのだ。

運転手と思われる初老の男性も、一人で車を持ち上げる事が出来ず、困っているようだった。

「そこのお姉さん。すまないんだが、手伝ってくれませんか?」

男性が丁寧な言葉で、綾子に助けを求める。

だが、綾子も急ぎの身の上で、しかも車を持ち上げるような術は持ち合わせていない。

「す、すいません。私じゃどうすることもできません…。」

そう綾子は男性に頭を下げ、足早にその場を去った。

自身の後頭部に、男性の恨みがましい視線を感じながら…。

なんとか電車の発車時刻に間に合い、吊革に掴まる綾子。

いつもの癖で、その場で携帯を取り出し、画面を確認する。

メールが着信していた。

〈FortunaMail〉だった。

綾子は急ぎメッセージを確認する。

ーーーーーーーーー

車が溝にはまりこみ、助けを求める男性がいます。

あなたは…

① 手を貸す +5P

② 見てるだけ 0P

③ 立ち去る -50P

ーーーーーーーーー

メッセージを見て、目を疑う綾子。

マイナス50ポイント?

今までこんな減値は無かった。

それに…。

メールの着信時間を見て、更に驚く。

着信時間は、七時二十分。綾子が早足で歩いていた時間だ。

急いでいたせいで、このメールに気づかなかったのだ。

そこに、更にメールが届く。

そのメッセージを見て、綾子は更に驚愕する。

ーーーーーーーーー

今のあなたのポイントは、50ポイントです。

先程、50ポイントのマイナスとなりました。

ーーーーーーーーー

結果的に、50ポイントのマイナスが生じた…。

綾子は背中に冷たい汗を感じた。

運命の選択肢を示すメール。

そのメールの冠する名称、フォルトナ。

呼び名を変えれば、フォルトゥナ(Fortuna, フォーチュナ)。

つまりはフォーチュン。

ローマ神話に伝えられる、運命の女神の名前である。タロットカードの「運命の輪」のモデルでもある。

その姿は、運命を操るための舵を携え、運命が定まらないことを象徴する不安定な球体に乗り、幸運の逃げやすさを象徴する羽根の生えた靴を履き、幸福が満ちることのないことを象徴する底の抜けた壺を持っている。

そう。運命とは、大変に不安定なものであり、ある種際限無い欲望の温床となるのである。

「和泉さん。3番に外線です。」

陰鬱な気持ちを抱えたまま、綾子は会社で業務に当たっていた。

外線? めずらしい。だが、嫌な予感がする。

そう思いながら、電話を取り次いでもらう。

綾子の嫌な予感は的中した。

電話先は、病院だった。「和泉綾子さんですね。先程、お母様が道で倒れている所を発見され、当病院に救急車で搬送されました。つきましては、至急、こちらにお越し頂きたいのですが…」

機会的に案件を伝える内容の電話。

電話を終わらせると、急ぎ綾子は、会社に早退を申し出る。

退社の支度をし、出口に向かう最中、女性先輩社員に呼び止められた。

「あんたの仕事、私が肩代わりするんだから、礼の品ぐらいよこしなさいよ。」

意地の悪い先輩の嫌味に、小声で返事を返し、急ぎ病院に向かう綾子。

「ぎっくり腰ですね。それに、過労もある。まあ、大した事はありません。少し入院すれば、すぐに良くなりますよ。」

急ぎ駆けつけた病院の診察室で、医師から母の診断結果を聞き、綾子は安堵の息を漏らす。

…良かった。

母に会い、安否を確かめ、入院に必要なものを病院に届ける。

綾子は、今夜は病院に泊まり付きそうと主張したが、気丈な母は、その申し出を断る。

押し問答の末、綾子は母を残し、病院から帰路につく。

…疲れた。

そこに、電話がかかってきた。

どこからだろうかと、携帯の着信を見ると、会社からだった。

電話に出ると、先程の女性先輩社員だった。

「あんたの分の仕事までできなかったわ。自分の分は自分でやってね。あ、明日の朝に必要になる資料だから、急いだ方がいいわよ。私は忙しいから、もう帰るわ。」

一方的にまくし立てて、電話は切れた。

…これから会社に戻れ、ということか…。

綾子は、疲労に加え暗澹な気持ちで、会社に向かうのだった。

次の日。女性先輩社員は、素知らぬ顔で綾子を無視している。

確かに、私の都合で仕事が増える事になったんだろうけど、こんな時はお互い様じゃないのかな…。

その日の夜、先輩の態度にイラつきを覚えた綾子は、紀江に電話をする。ぼやくためだ。

自宅のベッドに座り、電話口で、先輩への不満を言う綾子。

今までも、こうして二人は

お互いの悩み事を打ち明けあってきた。

今日も、そんな他愛も無い時間を過ごせるはずだったのだが…。

「で、その先輩がさ…。」

だが、綾子の言葉に、紀江は、

『へえ』『ふうん』『そうなんだ』と、まるで愛想がなく、全く興味がないようだった。

「ねえ、聞いてる?」

綾子は、紀江の上の空な態度を訝しみ、声を荒たげる。

『聞いてるよ…。』

そう言う紀江だが、やはりその声はどこか浮ついている。

「もう。どうしちゃったのよ、紀江。』

『…私ね、今は、綾子の話に付き合ってる余裕、無いのよ。」

電話口から聞こえる紀江の声は、暗かった。

「え、どういうこと?」

『だから、言葉に通り。』

「紀江、何があったの?」

『…ポイントがね…。』

ポイント? なんの?

『ポイントがね、無くなっちゃったの…』

「何? どういうこと? どうしたのよ?』

『うるさいうるさい! 幸せなあんたなんかには、わからないわよ!」

突然声を荒たげる紀江。

そして、ブツリと電話が切れる。

携帯電話を手にしながら紀江の豹変に綾子は唖然とする。

なんだが、酷くイラついているようだった。

だが、「うるさい」はないだろう。

そして、だんだんと怒りがこみ上げてくる。

「切らなくたって、いいじゃない。バカ。もう、知らない!!」

そう口に出して呟くと、綾子はベッドに横になった。

紀江と喧嘩?した次の日の朝。

仕事や母の入院で、疲れていた綾子は、休日だったため、ベッドの中で惰眠を貪る。

浅い眠りを繰り返す中、携帯のメール着信音が聞こえたような気がしたが、気のせいだろうと思い、目をつむる。

午前11時。

やっと綾子は目を覚ました。

時計代わりの携帯電話に目をやる。

…メールの着信履歴があった。

ギクリとする綾子。

急ぎ画面を表示する。

ーーーーーーーーー

今のあなたのポイントは50ポイントです。

自宅の前に、倒れている女性がいます。

あなたは…

① 救急車を呼ぶ+5P

② 人を呼ぶ 0P

③ 気付かなかった -20P 』

ーーーーーーーーーー

内容を見た綾子は、慌てて外に出る。

そこには、サイレンを鳴らして走り去る救急車と、数人の野次馬がいた。

…遅かった。

これは、まさか、「③気付かなかった」になるのか…。

恐る恐る、携帯を開き、メールの内容を再度確認する。

③のポイント増減は、…マイナス20ポイント!

という事は、私の今のポイントは…。

そこへ、送られてくるメールが一件。内容は…。

『今のあなたのポイントは、30ポイントです。』

綾子は驚愕する。

このままでは、ポイントが無くなる…。

ふと、昨夜の紀江の言葉を思い出す。

『ポイントが無くなっちゃったの』

まさか、紀江の言っていたポイントって…。

携帯電話を握りしめながら綾子は椅子に腰掛け、テレビを見ていた。

何をするでもなく、テレビも見ているというか、眺めているだけに等しい。

あえて言うなら、メールの着信を待っているのかもしれない。

何気無くテレビのリモコンを操作し、番組をザッピングする。

と、ニュース番組に目が止まる。

同じ市内で、家事があったらしい。

近くでの事件だったので、ニュースに耳を傾ける綾子だったが、ニュースの内容を知るにつれ、その表情は、戦慄に変わる。

家事があったのは、紀江が一人暮らしをしているアパートだったのだ!

急ぎ綾子は紀江に電話する。

呼び出し音が耳に鳴り響く。

お願い、早く出て!

必死に祈る綾子。

『…もしもし、綾子?』

良かった。出てくれた。

「紀江! 大丈夫!」

『心配してくれたんだ…。』

「当たり前でしょ! 友達なんだから!」

『…! ありがとう。昨夜は、ごめんね…。』

紀江の声は涙声になっている。

自然と、綾子の目にも涙が流れる。

「大丈夫なの?」

『まあ、命は助かった。怪我もないよ。ただね、今夜、泊まる所がないのよね…。』

紀江は、今晩は綾子の家に泊まる事になった。明日、一先ず実家に帰るそうだ。

夕飯を囲みながら、紀江は綾子に、昨日の事を改めて謝る。

家事の一件で、その事をすっかり忘れていた綾子は、「気にしてないよ」と返事を返す。

箸を動かす手を止め、紀江は、最近あった不可思議な出来事を語り始めた。

ある日、とある奇妙なメールが来た。そのメールは、得たポイントに応じて、運勢が変わるものだった。

もちろん紀江は信じず、最初はイタズラだろうと適当にやっていた。所が、本当にそのメールで、運勢が変わる事に程なく気付く。

このメールを使えば、幸せになれるかもしれない。

紀江は、高いポイントを得る為に躍起になった。

だが、じきに紀江は0点になった。その直後、家が火事になったのだ。命は助かったが、紀江の失ったものや感じた恐怖は大きい。

ポイント0点は、命を失う危険すらあるのだ。

…話を聞いているうちに、綾子は気付く。

私と同じだ、と。

だが、なぜ紀江は0点になったのだろう?

紀江は、話の最後に、付け加える。

「私、思ったんだ。」

「何に?」

「自分だけ幸せになる事を願うのって、他の人の不幸を願うのと、同じなんだって事にさ。」

綾子には、紀江の最後の言葉の意味が、わからなかった。

紀江は実家に帰った。

家事で失ったものは、幸い保険で補填できるらしい。

だが、流石に憔悴していた紀江は、口数も少なく、電車に乗って地元に戻っていった。

数日後。

〈FortunaMail〉が着信する。

その時、綾子は街中を歩いていた。

携帯電話は肌身離さず持ち歩き、着信した瞬間にすぐに内容が見れるようにしている。

ーーーーーーーーー

今のあなたのポイントは30ポイントです。

街中に、迷子の子供がいます。

あなたは…

① 無視する+5P

② 立ち去る 0P

③ 親を探す-5P 』

ーーーーーーーーー

簡単な内容だ。これなら楽に点数を得れる。微笑む綾子。

程なく、綾子は迷子の子供を発見する。

よし。

綾子は、子供に近付く。

その瞬間、違和感が頭に過った。

なんだろう?

綾子は、改めて、メールの文面を読み直す。

① 無視する+5P

② 立ち去る 0P

③ 親を探す-5P

…無視する事が、一番点数を得れるのか。

危ない危ない。

正しい選択肢を選ばず、子供を助けちゃうところだった。

綾子は、迷子の子供に関わる事なく、通り過ぎるのだった。

後ろに、必死に親を探す子供の泣き声を聞きながら…。

『今のあなたのポイントは35ポイントです。』

結果、ポイントは上がり、綾子の身にも周囲にも不幸な出来事は生じなかった。

綾子は再び確信する。

〈FortunaMail〉の言う通りにしていれば、間違いがない、のだと。

…綾子は、再び、メールの指示に徹した。

携帯電話から片時も目を離すことなく、着信を注意深く待った。

そして〈FortunaMail〉の内容を確認すると、すぐ様実行した。

『一日中、誰とも話すな。』

…実行した。

『先輩社員のミスを上司に報告しろ。』

…実行した。

『友人の電話に出るな』

…実行した。

…実行した。

…実行した。

…実行した。

だが、なかなかポイントは溜まらない。

なぜなら、

①電話に出ない 0ポイント

②電話に出る ➖5ポイント

といったように、今までの内容と違い、プラス値が無く、増減無しか、マイナスばかりで、プラスに結びつくような選択肢がなかなか出ないのだ。

だから、時々発生するプラスの選択肢には、必死で対応した。

結果、大きなプラスは無かったが、綾子自身は平穏無事に過ごせている。

ある時、道を歩いていると、後ろからクラクッションが鳴り、車が無理矢理侵入してきた。

危険を感じ、急ぎ車から遠のく綾子。

そこへ、工事中のビルから鉄骨が車にめがけて落ちてきた。

もし、車が来なければ、綾子が鉄鋼の下敷きになっていたかもしれない。

綾子は安堵する。これも〈フォルトナメール〉の恩恵だろうか。

車の運転手は怪我をしたが命に別条はないそうだ。

先日、会社の嫌な先輩女性社員が、突然会社を休んだ。

それきり、しばらく会社に来ていない。

同僚に聞くと、ミスを追求してきた上司と揉めて、心身を病み、鬱病と診断され、今は会社を休職しているそうだ。

徹からプレゼントされた黒紫のバレッタ。

お気に入りで、徹とのデートの時には必ず身につけてた。

だが、先日の〈フォルトナメール〉で、『お気に入りのバレッタを付けてはならない』と指示が来た。プラス5ポイントの選択肢だった。

それ以来、徹から貰ったバレッタを身につけるのをやめた。

今は、化粧箱の引き出しの中に転がっている。

今日は、久し振りに徹とのデートである。

徹の車でドライブに行ってきた。

だが、その帰り道。

高速道路で渋滞に巻き込まれ、車は遅々として進まない。事故でもあったのだろうか。

車中、二人は無言であった。

渋滞による苛つきもあるのだろうが、思えば、今日のデートの最中、二人とも口数が少なかった気がする。

原因は、わかっている。

〈FortunaMail〉の選択肢の結果、綾子は徹の電話に出ないことが何度かあった。徹からのメールを無視する事もあった。

デートのたびにいつも付けていたバレッタもしていない。

徹が困惑するのも、理解できる。

だけど、優しい徹なら、きっと笑って許してくれることだろう。

と、その時、綾子の携帯電話にメールが着信する。

〈FortunaMail〉だ。

綾子は、急ぎ内容を確認する。

一身に携帯電話を覗き込む綾子に、徹が話しかける。

「なあ、綾子。」

「なぁに?」

携帯の画面を凝視しながら、綾子は返事を返す。

「あのバレッタ。どうして最近付けてないんだい。」

綾子は、徹の方を見向きもせずに答える。

「うん。ちょっとね。どうでもいいじゃない。そんな事。」

綾子は、徹の質問を適当にはぐらかす。

「どうでもいい、か…。」

そう言って、徹は押し黙る。それ以上は追求してこなかった。

徹との会話が済んでも、綾子は携帯電話の画面から目を離す事はなかった。

なぜなら、先程着信した〈FortunaMail〉のメッセージには、

ーーーーーーーーーーーー

① 徹に冷たくしろ +5P

② 徹と目を合わせるな 0P

③ 徹に謝る -20P 』

ーーーーーーーーーーーー

だったからだ。

私は〈FortunaMail〉に従っている。間違ったことはしていない。

だが〈FortunaMail〉の指示通りにしているはずなのに、綾子の心の一部分は、困惑していた。

…なぜだろう。

〈FortunaMail〉の選択肢の通りにしていれば、私は幸せになれるはず。なのに、なんで胸が痛むの? なんでだ?

ふと綾子は、押し黙っている徹に、声をかけた。

「ねえ。運命って、信じる?」

「え?」

いきなりの質問に、当惑する徹。

「…〈FortunaMail〉って、知ってる?」

「フォル…なんだって?」

「ううん。いいの。なんでもない。」

それきり、綾子は黙る。

徹と綾子の二人がいる車中は、無言と困惑が包んでいた。

だが、綾子は、気付かなかった。

〈FortunaMail〉の名を出して以降、綾子が携帯を握りしめている姿を、徹は運転をしながら横目で何度もチラチラと眺めていた事を。

ーーーーーーーーー

〈FortunaMail〉

今のあなたのポイントは45ポイントです。

これからあなたに電話がかかってきます。その電話に、

① 出る 0P

② 出ない -20P 』

ーーーーーーーーー

つい先程着信した〈FortunaMail〉だ。

こんな選択肢、普通に①の『出る』に決まっているだろう。

そう考えて数分後。

綾子の携帯電話が鳴る。

携帯を握りしめていた綾子は、着信相手を見ることなく、通話ボタンを押した。

数分後。

綾子の気分は、最悪だった。

電話の相手は、元彼氏の高田だったのだ。

内容は、ダメ男の定番文句「また付き合ってくれ」だった。

高田の要件を聞いた直後、綾子はすぐに電話を切った。

だが、数秒後にまた着信。相手は高田。

高田は、綾子と付き合っていた頃の思い出を語る。

「満点の星空の下、デートしただろう。」

…それは、私が何時間も寒空の下待ちぼうけをしていた時のことだろうか?

「プレゼントしてくれたネックレス、片時も離すことなく身につけてるぜ。」

…一ヶ月分の給料で買ったアクセサリー。付けてるの見たこともない。

綾子は、高田に、寄りを戻す気は全くないことを告げ、電話を切る。

だが、なおも高田からの着信は続く。

うんざりした綾子は、高田の番号を着信拒否設定にする。

…最悪の気分である。

気分を変えたくて、徹に電話をかける。以前に『冷たくしろ』の指示があったが、もう大丈夫だろう。

「はい。もしもし。」

徹が電話に出る。

綾子は、八つ当たりの如く、今あったことを徹に話して聞かせる。

親身に相槌を打ちながら、綾子の話を聞く徹。

「もう。最悪の気分。あんな奴、この世からいなくなっちゃえばいいのに。」

その綾子の言葉に、徹が反応する。

「…綾子。今、君、何を言ったか、自分で解ってる?」

「え、だからあんな奴、いなくなっちゃえばいいって…。」

「冗談でも、今のは口にしない方がいいよ。」

徹の口調は真剣だった。

徹は、いつでも真面目だ。徹の言葉に、カチンとくる綾子。

「徹はいつもそうやって真面目ぶって。私の気持ちにもなってよ!」

口調の荒くなる綾子。

「いや、違うんだよ。ほら、この前、車の中で言ってたろ。フォルト…」

「うるさいうるさい!」

綾子は、徹の言葉を遮って、電話を切るのだった。

…そういえば、高田は、綾子の住所も知っている。

ここまでこられたら、どうしよう。電話を切った後で、徹に助けを求めづらくなってしまったことを、綾子は今更後悔するのだった。

徹との言い争いから、数日後。

会社の休憩室で、綾子は何気無くテレビを見ていた。

番組は、ちょうど正午のニュースに差し掛かる。

『本日未明。⚪︎⚪︎沿岸の崖下で、男性一名が倒れているのが発見されました。病院に運ばれた男性は、以前意識不明の重体ですが、生命に支障はないと入院先の医師は判断しています。男性は旅行中に崖から足を踏み外し、崖下に転落したものと思われますが、不審な点も多く、警察は事故と犯罪の両面から捜査を展開する予定です。男性の名前は、高田純一さん。30歳。無職…。』

ニュースの最後の方で流れた怪我人の名前を聞いて、綾子は仰天する。

…高田が、崖から転落し、意識不明の重体…。

綾子は、誰のも見られないように、口元を隠しながら、笑みをこぼす。

これで、つきまとわれるような事は、絶対にない。

綾子は安堵の表情を浮かべる。

と、そこへ、綾子は自分を見つめる視線に気付く。

離れた所に、徹がいた。

徹は、何を言うでもなく、綾子を見つめている。

…まさか、笑っていたのを見られていたのだろうか?

困惑する綾子。

徹が綾子に近付く。

そして、他の誰にも気付かれないように、綾子に囁く。

「今晩、付き合ってくれないか。」と。

会社帰り、徹と店に寄る。

二人が初めて食事をした店だ。

席に座り注文を済ませた後、徹は、開口一番、

「高田さんが事故にあった。それを見て、君はどう思った。」

いきなりの質問に驚く綾子。

だが、綾子は素っ気なく答える。

「安心した。良かったって思ったよ。」

「それは、本心から言っているのかい?」

大嫌いだった高田が大怪我したのだ。もしかしたら、これも〈FortunaMail〉の効果なのかもしれない。そうだ。私は間違ってない。〈FortunaMail〉が間違っているはずないじゃないか。

綾子はそう自分に言い聞かす。

「ええ。そうよ。」

臆することなくハッキリと答えた。

「そうか…。」

綾子の返事を聞いた徹は、眉を寄せ、顔を伏せ、困惑した表情をする。

…なぜ、徹が困るのだろうか。

「正直に言おう。俺は、今の君が、怖い。」

…これは、別れ話だろうか。だとしたら…。

いや、大丈夫。彼氏なんて、〈FortunaMail〉の効果で、すぐできる。

そう。運命は、運命の神様は、私の味方なんだ。

私は、このメールで、幸福な運命を、掴み取るんだ。

「なあ、綾子。」

言葉を選んでいるかのような話し方の徹。

「何よ。」

徹とは正反対に、綾子は毅然と答える。

「運命って、信じるかい?」

「え?」

「君が求めている運命って、どんなものなんだい?」

「…。」

綾子は、いきなりの話の展開に、困惑する。

「例えば、綾子の目の前に、三つの選択肢が並んでいるとする。そして、どれかを選べと、何者かが強要する。君は、その選択肢から、自分の望むものを選ぶとする。選択の結果が、君の選んだ未来であり、運命だ。」

「それのどこが悪いの。だれだって、自分に都合のいい選択をするはずじゃない。」

「もし、その何者かに並べられた三つの選択肢の全てが、君の望まないものだったら、どうする?」

「?」

「…その時は、自分が本当に望む、第四の選択肢を選ぶんだ。」

「…四つ目の選択。」

「誰かに用意された選択肢の未来が、全て幸福だとは限らない。選択肢に惑わされ、望まぬ答えを選び続けるうちに、人は変わってしまうんだ。自分の欲望のために、他人の不幸をなんとも思わない人間になってしまうんだ。」

「…。」…さい。

「そう。人生には何度も選択の機会がある。寧ろ、選択肢の連続だ。しかも揃って複雑。確実な解法なんて存在しない。それがとうぜんだ。誰も答えを示してくれなんかしない。けれども、人は必ず選ばなければならない。そうしなければ、先に進めない。それが自然だ。だから…」

「…。」…うるさい。

「だからこそ、俺は自分が選んだ選択肢を、信じたい。」

…うるさい。いまさら、どうしろっていうのよ。

「今、君の近くにいるのは、本当に、幸福をもたらす運命の女神なのか? 今の君は、自身が望む『自分』なのか?」

…あなたになんか、解らないわよ。

綾子の心に、ドス黒い感情が、クロイモノが芽生える。

思考の片隅では、このクロイモノは私が生み出したものなのか、と自問している。ワタシハマチガッテイタノカ、と自問している。

だが、感情が、その思考を、理性を、奪った。

「うるさいうるさいうるさい!!!!」

綾子は、大声で叫ぶ。店内の客が驚き、徹と綾子に視線を集中させる。

「徹なんか、大嫌い!!」

そう叫び、自身のクロイモノに吐き気を覚え、同時に、徹の顔を真っ直ぐに見ることができず、混乱した頭は瞳に涙を流させる。

どうすればいいのか、もうわからない。私は、おかしくなっている。心の軋みが、そう綾子自身に伝える。

…もう、これ以上、ここにはいられない。

綾子は、荷物とコートを掴むと、足早に店から出て行った。

店から出て行く寸前、綾子は、徹を振り返る。

視線が絡まる。

ほんの一瞬だけ。

一秒にも見たない間、見つめ合う2人。

そして、踵を返して綾子は店から出て行く綾子。

綾子が去った後、一瞬静まり返った店内。

だが、すぐにその雑然さを取り戻す。

店の客や店員は、「他愛ない痴話喧嘩だろう」と、一人席に残された徹に嘲笑の視線を送る。

だが、徹は、そんな店内の人間の様子など気にならない。

徹は、気がついていた。

綾子の最後の視線の正体に。メッセージに。

『私を助けて』

綾子の心は、そう叫んでいた。

徹から逃げ出し、一ヶ月が経過した。

冬の終わりが近づき、日差しにも温かみが感じられる。道に積もる雪も、あらかた溶けて消え去った。

だが、綾子の心には、今だに空虚な感情が澱を残し淀んでいる。

綾子の手元には、携帯電話が握られている。片時も離す事はない。

運命の女神からのメールを、今も常に心待ちにしている。

徹とは、あれから一度も会話をしていない。

社内で見かけることがあっても、心も感情も伴わない、形ばかりの挨拶を交わすのみ。

電話もない。それが、空虚な日々に拍車をかけていた。

社内の噂を聞けば、最近の徹は、以前のような前向きさはなく、疲労の表情を浮かべながら仕事をしていることが多くなったらしい。

紀江は火事の影響で今だ余裕はなく、ほとんど電話をすることもない。

徹と紀江。近しい二人と疎遠になり、一つ気付いたことがある。

孤独が辛いわけではない。どちらかというと、むしろ慣れている。

だが、徹と距離を置いて、ドス黒い感情を覚えて、綾子は気付いた。

徹の好意に甘えていたことに。

だから、徹に、一言謝りたい。

あの時、自分の中に抱いたドス黒い感情は、そうすれば消えるような気がする。

だが、勇気が出ない。嫌われたに決まっている。

そんな状況を挽回したい。では、どうすればいいのか。

そう思った綾子は、携帯電話の画面に目を向ける。

結局、今の綾子は〈FortunaMail〉に頼るしかないのだった。

綾子は今日、会社の外部研修で、何人かの同僚とともに、隣の市へ研修にきていた。

暖かくなったと持って天気予報を見れば、今夜は大雪らしい。

季節の変わり目の天候は、全く予想がつき辛い。

8時間に及ぶ研修が終わり、やっと解放され、綾子たちは帰路に着く。

研修会場であるビルから外に出ようとすると、雪がちらついていることに気付く。

不幸にも、天気予報は的中のようだ。

黒い雲から降り注ぐ雪の粒は、見る間にそのサイズを大きくし、建物を白く染め上げて行く。

ビルの玄関で立ち往生している綾子の隣で、同僚の男性が、電話をかけている。

会社の同僚にかけているらしい。

「え、そりゃ大変じゃないか?!」

綾子の隣で、電話中の男が、驚きの声を上げる。

「で、寺月さんは無事なのか?」

寺月さん…、徹のことを喋っているらしい。

「…じゃあ、重症じゃないか。…そう。入院か。」

気になる言葉が、綾子の耳に入る。

重症? 入院? 寺月?

徹の身に、なにかあったのか?

綾子は、隣の男性の携帯をひったくって、耳に当てる。

突然携帯を取り上げられた男は、「おい、なんだよ!」と驚ろく。

電話先の男は、電話の相手が綾子に変わったことに気づかず、会話を続けている。

「ま、寺月が入院すれば、俺の出世の可能性が増えるからな。まったく、他人の不幸で俺にツキが回ってきた…、」

綾子は、電話口の声を遮り、

「徹に何があったんですか?!」

と叫ぶ。

電話先の男は、声から察するに、以前休憩室で徹の文句を言っていた男性のようだ。

「な、なんだお前は?!」

「わ、私は…。」

一瞬言い淀むが、その直後、きっぱりと言い放つ。

「徹の恋人です。」

と。

電話口の男の話によれば、徹は、今日の午後、他会社への訪問の為に移動をしている最中、道を歩いるところを、車に撥ねられたらしい。

運転手によると、徹は、赤信号にも拘らずボーッとした様子で横断歩道を渡ろうとしていたそうだ。

まるで、何かに魅入られているかのように…。

市内の病院に搬送された徹は、今、生死の境を彷徨っておる。

綾子は、同僚の携帯電話を放り出すと、タクシーを捕まえる。

行き先は徹の運ばれた病院だ。

どうしよう。

どうしよう。

徹が死んじゃうかもしれない。

焦燥に駆られる綾子。

その焦燥は、イラつきを覚えさせ、先ほどの電話先の男の言葉を思い起こさせる。

『寺月がいなくなれば、出世できる』

なんと身勝手な発言だろうか。

自分の出世のために、他の人が死んでもいいのか。

自身の幸せの為に…。

その瞬間、綾子の心に、冷たいものが奔る。

綾子は思い出した。

〈FortunaMail〉で0点になった、紀江の言葉を。

『自分だけ幸せになる事を願うのって、他の人の不幸を願うのと、同じなんだって事にさ。』

まさか…。

綾子は、最近自身の周囲に起こったことを思い浮かべる。

紀江と喧嘩した次の日。紀江の家に火事が起きた。

高田の不幸を願った後。高田が崖から転落した。

鉄骨を避けれた。代わりに、車の持ち主が怪我をした。

嫌な先輩上司がいなくなった。おかげで私は仕事しやすくなった。

私が無視した迷子の子供。あの後、子供はどうなったのだろうか?

このメールがもたらす幸福とは…。

『誰かの不幸の上に成り立つ』ものなのか?

そこで綾子は気付く。

先日、思い出の店で、徹が私に伝えたかったのは、これだったのか。

…私は、徹と喧嘩した。

だから、徹は、事故にあったのか? まるで誰かに魅入られたかのように。

徹が今生死の境を彷徨っているのは、私のせいなのか?

幸せを感じさせてくれた徹。

バレッタをくれた徹。

震える声で電話をしてきた徹。

初めて手を繋いで、真っ赤になっていた徹。

あんなに冷たくしても、私の身を案じてくれていた徹。

ずっと好きだった。これからもずっと好きでいる。そういってくれた徹。

大切で、大好きな徹。

私のせいで、死んじゃう。

後悔と懺悔と悔恨と。そんな言葉では言い表せない程の感情が、綾子を包む。

タクシーの後部座席で、手を組み祈りながら涙を流す。

…お願い。死なないで!

その時、握りしめていた携帯電話に着信が入る。

…こんな時にも、自分は携帯電話を握りしめていたのか…。

綾子は自身の無意識の行動に侮蔑を感じる。

内容は、

ーーーーーーーーーーー

〈FortunaMail〉

今のあなたのポイントは45ポイントです。

今、あなたの運命を邪魔する寺月徹が死にかかってます。

あなたは…

① 見殺す+100P

② 最後を看取る +100P

③ 死ぬのを待つ +100P 』

ーーーーーーーーーーー

綾子は画面を見て、唖然とする。

なんだ、この選択肢は?

全てがプラス100ポイントだ。

そして、全ての選択肢が、…徹の死を指し示している!

画面に見入っていると、急にガクンとタクシーがブレーキを踏む。

驚き顔を上げる綾子。

「ど。どうしたんですか?」

タクシーの運転手は、頭をかきながら綾子に、大雪の影響で生じた渋滞に捕まり、これ以上進めない事を伝える。

…このまま待っていても、埒が明かない。

そう判断した綾子は、タクシーを降りた。

そこへ、再び〈FortunaMail〉が着信する。

示された選択肢は…、

① 見殺す+100P

② 最後を看取る +100P

③ 諦めろ +100P 』

メッセージが変わっている。

なんなんだ、これは。

携帯電話から目を離し、綾子は駆け出す。

目指すは近くの駅だ。

白く輝く息を切らせながら、綾子は駅に辿り着く。

凄まじい混雑だった。

なんでこんなに混んでるの?

綾子の疑問に応えるように、駅内にアナウンスが流れる。

『只今、大雪により全ての電車の運行を中止しております。復旧の目処は今の所未定です。』

なんということだ。電車もタクシーも使えないとは…。

そこへ、メールが着信する。

① 見殺せ+100P

② 無駄だ +100P

③ 諦めろ +100P 』

やめて…。

心の中でそう嘆く。

あと、残された移動手段は…。

走るしかない!

綾子は、そう判断すると同時に、駆け出す。

病院まで何キロあるんだろうか。走って行ける距離なのか。

そんな心に浮かん疑問に蓋をして、綾子は走った。進むしかないのだ。

雪の嵩は、見る間に増していく。

新雪に足を取られ、綾子は転倒する。

その拍子に、携帯電話が手から滑り落ち、目の前で画面が点灯する。

操作をしたわけではないのに、そこには選択肢が映し出されていた。

① ミゴロセ!+100P

② ムダダ!+100P

③ アキラメロ! +100P 』

…悔しさで、涙が零れる。

衝動的に携帯電話をを掴み、壁に叩きつけようとする。

だが、できなかった。携帯電話を握り締めると、再び綾子は駆け出す。

零れる涙は止まらない。

何よりも悔しいのは、この後に及んでも、携帯電話を、運命の女神の導きを手放すことのできない、己の脆弱な心にあった。

…。

ブーツはボロボロだ。

コートは雪に濡れ、ずっしり重い。

前髪は凍りつき、視界の邪魔をする。

それでも、綾子は走り続けた。

だが走っても走っても、病院にたどり着くことはなかった。

こんなに長い距離があるわけがない。

気がつけば、同じ道を走り続けているような感覚がする。

あの看板、さっきも見た気がする。

雪で視界が悪く、道路を走る車はライトの黄色い明かりしか認識できない。

歩いている人間は誰もいない。

ここはどこ。いつまで私は、走ればいいの。

まるで、誰かが、私の選択の妨害をしているかのようだ。

…。

綾子は、ついに立ち止まり、がくりと膝をつく。

もう、自分の息の白さや曇りすらも認識できない。

綾子の体に、白い降り積もる。

まるで、その希望そのものを覆い隠すかのように。

その時。

携帯電話が震える。

綾子は、かじかむ手で握り締めた携帯電話を覗く。

ーーーーーーーーー

〈FortunaMail〉

これはあなたを幸せに導くメールです。

このメールに従えば、あなたに幸福が舞い降ります。

あなたは、あなたの選択で、自分の幸せを掴み取るのです。

さぁ、選びなさい。そして、楽になりなさい。

① 諦める +100P

② 諦める +100P

③ 諦める +100P 』

ーーーーーーーーーー

私は、諦めるの?

何を?

嫌だ。

嫌だ。

でも、でも、どうすればいいの?

もう、諦めても、いいのかな…。

ーーーーーーーーーー

①諦めろ

②あきらめろ

③アキラメロ

ーーーーーーーーーーー

どれを選んでも、私の運命は、変わらない。

綾子は、まるで、取り憑かれたように、選択肢を選ぶ。

…。

その瞬間。

♪♪♪♪♪♪♪

不釣り合いな程の明るい音で、携帯電話が、新たなメールの着信を知らせた。

そう。まるで、綾子が選ぼうとする選択を防ぐかのように、その新たなメールは〈FortunaMail〉が示された画面を覆い隠す。

綾子は意識を取り戻した。

選択肢を選ぼうとする思考を、諦めの選択肢を選ぶ自分を、寸前で止めた。

綾子は、寒さで凍え、疲労で覆われそうな目を開き、新たなメールのメッセージを見つめる

『自分が望む四つ目の選択肢は、必ずある。諦めるな。』

いつかの思い出の店で、とても大切な人が、綾子を思って言ってくれた言葉が、そこにあった。

『昔、俺は自分の安心のためにだけで、他人に選択肢を預け、自分を、多くの人間を傷付けた。取り返しのつかないことをした。その時の事を今でも悔いている』

『自分の選択で、自分が不幸になるかもしれない。誰かを不幸にするかもしれない。けど、誰かに操られて他人を傷付けるような、傷付けても平気でいられるような人間には、なっちゃいけない。それはすごく不幸な事なんだ。』

『あのメールの魔力は、人を魅了する。かつての俺のように。だが、あのメールに潜むのは運命の女神じゃない。欲望の悪魔だ。」

『大切なのは、自分で選んで、自分で決める事。それが、自分らしくいられる唯一の選択肢なんだ。』

『僕はどうなっても構わない。だけど、君は、君だけは、選択を、自分が信じる選択を、諦めないで欲しい』

それは、送られてくるはずのないメッセージだった。

そして、そのメッセージの最後に一言付け加えてあった。

『僕はお人好しで、良い人でもないよ。ただね…』

『お人好しと言ってくれて、嬉しかった。ありがとう』

綾子は携帯電話を握り締めたまま、雪積もるアスファルトに膝をついていた。

道ゆく人が、綾子に目を向けながら、足早に歩いて行く。

普段の光景だ。

♪♪♪♪♪♪♪

聞き慣れた着信音。

綾子は、握り締めていた携帯電話を開く。

画面に映し出された文章は、

ーーーーーーーーーー

〈FortunaMail〉

これはあなたを幸せに導くメールです。

このメールに…、

ーーーーーーーーーー

綾子はメッセージを最後まで読むことなく、携帯電話を振り上げ、勢い良く地面に叩きつける!

画面に紅く罅が割れた。

醜く歪むディスプレイに蠢く影が写る。

綾子はそのまま、手にした携帯電話をもう一度地面に叩くように投げ付けた。

外装が割れ、中身が剥き出しになった携帯電話がその勢いで道路に転がる。

プラスチックの塊と化したソレからキュウと奇妙な鳴き声が聞こえた。その瞬間、走る車のタイヤがソレを踏み潰す。

人の欲望に取り憑くことでしか存在することのできないソレは、ついに、原型を留めない程、完全に破壊されたのだ。

うっすら開いた両の瞳に、優しい光が差し込む。

目を細めたまま、明かりの正体を探る。

…ただの蛍光灯だった。

だが、その光は、驚くほど優しく温かく、徹の目に差し込む。

夢を見ていた。

その夢の中で、世界で一番大切な女性が危険に晒されていた。

徹は、ありったけの声で、女性に叫んだ。手を伸ばした。

だが、手も声が届かない。

徹は願った。なんでもいい。どんな方法でもいい。

俺の意思が、想いが、メッセージが、その女性のもとに届くように、と。

…俺に声は、届いたのだろうか。

夢見心地な徹はであったが、ふと、自身に感じる温かみが、天井の蛍光灯の為ではないことに気付く。

右手が温かい。

夢の中で、大切な女性に向けて必死で…を伸ばしていた手だ。

誰かが、徹の手を握りしめている。

無意識のうちに、徹は手を握り返す。

ハッと、顔を上げる女性。

涙でグシャグシャで。笑ってるような、泣いているような、変な顔だった。

世界で一番大好きで、優しくてお人好しな、女性の顔だった。

徹は、女性に向かって声を出そうとする。

だが、うまく声が出てこない。

そんな徹に向かって、女性はそっと囁いた。

「大丈夫だよ、徹。届いたよ。」

と。

ねえ、先輩。聞いてくださいよ。

この前休職から復帰した先輩なんですけど、凄く意地が悪いんですよ。なんとかなりませんか?

え、あの人は実は気が小さいから放っておけ?

さすが先輩。言うことが違いますね。

ところで最近、困ってる事があるんですよ。ほら、このメール見てください。

『あなたの未来に幸運を…』なんて、いかにも嘘くさいですよね。

でも、なんだか説得力あるんですよね。引きつけられるというか、魔力かあるっていうか…。選択肢ってのもゲームみたいで格好いいし…。

先輩、どう思います?

やってみたほうがいいと思います?

え、自分で決めろって?

それはそうですけど…。

え、「私ならやらない」?

どうしてですか?

「未来は自分で決めるもの」?

そうか、そうですよね。そっちのほうが、かっこいいですよね。

よし。やらない。早速削除、と。

…どうしたんですか、先輩。にこにこして…。彼氏と上手くいってるからですか?

あ、ちょっと、待って下さいよ~。

そうそう。先輩、その黒紫色のバレッタ、すっごく素敵ですよ!

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大長編、久々読ませて頂きましたぞ。
最後はどうなるかと思いきや、いやはやお疲れ様でした。
しかし、長編で大変でしょうが少々誤字が多いのが残念ですな(-̀ω-́ ;)
前回のお話と合わせて楽しませて頂きましたぞ♪