ある怪奇小説作家の空想の場

中編3
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ある怪奇小説作家の空想の場

 その古き館は、ひとりで過ごすには異様に大き過ぎた。

 しかし彼は、夜には他の者を締め出し、館にひとり籠った。

 怪奇小説の執筆には静寂を要するというのが理由だった。

 しかし、この館の夜は、決して静かではなかった。

「だァァァァ・・・ごォォォォ・・・んゥゥゥゥ・・・」

 館をもし訪れる者があれば、この病的なうめき声を耳にしたであろう。

 この身の毛のよだつ声は、毎夜のごとく、長時間続くのであった。

 これを決して人に知られてはならないと、彼は確信していた。

 うめき声は、小部屋に籠った彼から発せられたものだった。

 この部屋こそ、彼のクーソーの場であると同時に、死闘の場であったのだ。

 今夜もまた、吐き気を催す臭いの奴らが襲ってきた。

 異音がとどろき、鼻がひん曲がるほど臭い。

 ああ、奴らに効く呪文でもあったら・・・。

 彼はもがいていた。

 未知の金属のような塊が内臓に居座り続ける一方、何とも名状し難い不快感が彼の神経を這いずり回っていた。

 奴らはまだ深淵にいる。 苦しい・・・。

 魔物が体の奥深くに取り憑き、魂を捕食しているようだ。

 彼は血管の破裂を招来するほどのいきみを何度も繰り返し、ついに忌まわしきものを無限の彼方へ追いやらんとした。

 しかし、それは彼の体内で異形の形態となってへばりつき、異世界に姿を現すのを拒んだのだ。

 早く、外へ出やがれ!

 心の叫びが、そのまま口に漏れ出るが、言葉の体をなさなかった。

「はア・ヨ・ぐ・・そとゥ・・・スゥゥゥゥ・・・」

 クソがぁ!

「く・そゥ・・ルゥゥゥゥ・・・」

 闇に潜むものを引きずり出そうと、彼は渾身の力を繰り出した。

 彼の血圧は恐るべきレベルに達し、驚くほどの汗が吹き出し、ドクドクと異音が耳に流れ込んだ。

 それは、この世ならぬ世界に誘われるようだった。

 あの世からの呼び声か! いや、違う。 壁の中をネズミが走り回っている音だ。 落ち着け。 焦ってはだめだ。

 落ち着こうとしても、苦痛により精神が肉体から遊離し、妄念の海を漂流した。

 怪奇小説家レ・ファニュは、毎夜夢の中で、自分が描いた怪物に苦しめられた。

 夢の最後は、いつも同じで、彼のいる屋敷が崩れてきた。

 ある晩、眠っていた彼は、心臓まひで死んだ。

 死に顔を見た主治医は、彼が崩れた屋敷の下敷きになったことを悟ったという。

 ああ、呪わしくも、怪奇小説家にふさわしい最期だ。

 それに比べ、俺は・・・脱糞しつつ、脳溢血で地獄へ落ちるのか。

 嘲笑を浴びるおぞましき未来を想像し、彼は慄然とし、我に返った。

 神よ! この邪悪なものを追い払ってください!

 かつてない最強の敵に対峙した彼は、古き神に救いを乞うた。

 そしてついに、神が宇宙的な強さに対抗する冒涜的な術を教示した。

 彼の手にある器官が、敵の潜む底知れぬ裂け目のなかに、ぶすりと差し込まれた。

 鋭い痛みと鈍い痛みが混沌となって彼を襲ったが、彼は構わず、狂気の山脈を掻き出した。

 黒き羊のごとく、すべて彼の下に溜まるまで掻き出し続けた。 

 鮮血にまみれた漆黒の汚物。 激しい呼吸を繰り返しつつ、彼は小説に思いを巡らした。

「戦いには犠牲がつきもの。 犠牲には血がつきもの。 はア、このフレーズはどこかにあったような気がする。」

 今宵の戦いは終わった。 しかし、この先も戦いは起こるだろう。

 だからこそ、ネタが尽きることはない。

 トイレから出た彼は、書斎で執筆を始めたが、途中で手を止め、指の臭いを嗅いだ。

 よく洗ったものの、あのようなことを繰り返せば、臭いが染みついてしまうだろう。

 後世まで臭い作家と言われたら ・・・ 何という恐怖だ!

 彼は身震いし、執筆を再開した。 恐怖は、原稿に焼き付けて、忘れるのだ。

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