16年10月怖話アワード受賞作品
中編5
  • 表示切替
  • 使い方

終末病棟

 メールの着信音が鳴った。

情けない音のくせに頭に響く。

パート勤務の休みの今日は、夫を会社に送り出したあとの二度寝を昼まで楽しむつもりでいた。スマホを枕元に置いていたことを後悔した。そのまま無視すればよいものを、変なときに律儀になる自分が嫌だった。

「母危篤。血圧下がった。すぐに来い」

画面に飛び踊る文字をぼーっと眺めた。

「母って、誰?」私の母親はすでに他界している。

送り主はサダオとあった。夫と3つ違いの疎遠になっている義兄だ。ありえないと思いつつ目をこすると固まった目やにがポロリと落ちた。

 お人よしで気の弱い夫とは正反対の長男だった。

兄弟は幼い頃から折り合いが悪く、いつも衝突していた。

義兄はサラリーマンとして収まることができず、会社を起こし、従業員も何人か集め社長と呼ばれていた。

しかし自営業は厳しく、度々資金繰りに困り、親兄弟にお金の無心をしていた。

そして裏切る。

私としては気の弱い夫を守るしかない。なぜなら私達の生活だっていっぱいいっぱいなのだから。

夫に保証人になってくれと言われた時も、断りきれずいた夫から電話をむしり取り、大声でどやしつけたのも私だった。

関係が決定的に壊れる出来ごとがあった。

10年前、義父の臨終を看取りもせず、口座が凍結される前にと複数の銀行から現金を下ろしまくり、自分の懐に入れ、うやむやにしてしまったのだ。

それを知ったのは、しばらく経ってからのことで、悲しみに打ちひしがれてばかりの夫には思いもよらないことだった。

私は縁を切ると決めた。

その後、残された義母はみるみる弱り、生きる希望もなく廃人のようになってしまった。

病院の手配など細々と世話をしてくれたのは義兄の嫁だったが、義兄はその嫁を捨て新しく若い女と暮らしていると風の便りで知ることとなる。軽蔑すべき人物。

そんな義兄からのメールだった。

 「そんなメール、俺のところには来てないよ」

それが夫の返事だった。

「とりあえず病院に行ってくる」

「たのむ」

Y市からS市まで直通で一時間ほど電車に揺られた。

十月も半ばだというのに電車の中は様々な服装の人間で溢れていた。コートを着た人、半袖の夏服を着た人。

人はそれぞれ違う。歩く道も違う。行き先も違う。

これから私は義母の死の床に赴く。車窓から見える見慣れない景色を目で追いながらふと思う。

休みでよかったとも。

「高橋さんなら、3階のナースステーションの向かいのお部屋です。そこの突き当たりの右にエレベーターがありますから」逞しい体つきをした女性職員が指示してくれた。激務に耐える体なのだろう。

そこは終末病棟だった。

男女4人の老人が横たわり、全員が機械の助けを借りて呼吸をしていた。死に至ることを回避するいかなる方法もなく、只々その瞬間を待っているだけの病棟。

よく見ないと男女の区別さえ難しい。食べ物を何ヶ月も受け付けない口腔はぽっかりと黒々として小さな洞窟のように開き、下顎だけの力でもって酸素を取り込んでいた。

見舞い人は私だけだった。

時折、オレンジ色の半袖Tシャツの職員が気の毒そうな笑みを浮かべながら点滴の具合やベッドの乱れを直しに来る。

花の水遣りにくる園芸に勤しむ人みたいだ。人は植物になって死ぬのだ。

ベッドヘッドに「高橋」というネームプレートがあった。

「お義母さん。来たよ。ごめんねもっと早くにくるべきだったね。ごめんね。悪い嫁でごめんね。」本心だった。涙が溢れた。

てっきり義兄が付き添いで病室にいると思っていたがいない。

今頃、義母の通帳と印鑑を手にして銀行を渡り歩いているはずだ。義父のときのことが蘇る。

酸素マスクに覆われた口元から小さな音がした。歯が全く無く、昔の面影は見事に無くなっていた。長かった白髪も短く刈り取られ、それが何故か悲しかった。

「ありがとね」確かにそう言った。枯れ枝のような指を握った。間もなく息を引き取った。

夫は間に合わず、霊安室での対面となった。

バタバタと手続きを済ませ、夫は母の遺体と共に自宅に戻る。これから始まる気の遠くなるような儀式の準備をしなければならない。夕闇が迫っていた。

それよりなにより、義兄との連絡が取れずにいた。

何度もメールを打ったり、電話をかけても繋がらず、返信も来ない。電源を切っているのだろう。やりかねないことだ。

腹が立ってきた。こうなればここからそれほど遠くない義兄の棲家に行き、連絡を取るしかないと判断し、教えられた住所までタクシーを飛ばした。住まいは変わっていないはずだ。

 粗末なアパートだった。

インターホンを押してもドアをノックしても反応がない。

ふと後ろに気配を感じ振り向く。初老の男だった。

「あの、高橋さんのご親戚の方でしょうか」

「そうですが」

「ここを管理するものですが、高橋さん、最近お見かけしないのです。郵便物も溜まってまして、保障会社に連絡をするところでした。ああ良かった。ご親戚の方がお見えで」

ニヤリと安堵の表情を見せる。

「そうなんですか。でも同居している人がいるんじゃないですか」

「いいえ。高橋さんはお一人住まいですよ」

「えっ!?」

「あ、でも病院からお母さんを引き取るとか言ってましたね」

変な風が胸の辺りに吹き込んできた。

それを察したかのように管理人は「鍵、開けますね」と言いながら転げるように鍵を取りに行った。

金属製の薄いドアを開けた途端だった。

この瞬間を待っていたとばかりに、もの凄い悪臭の風が私の顔を直撃したのだ。

玄関ドア正面に見える居間のドアに人影が浮かぶ。まさに浮かんでいた。床に足は着いていない。ぶら下がっていた。

管理人は歳に似合わない甲高い叫びをあげ、私は逆に息を飲み込んだ。

「けっ、けっ、警察呼んできます」と言いながら飛び出していった。

くさい。臭すぎる。無数のコバエが飛び回っている。

血が繋がっていないということは極限状態であっても冷たい心でいられる事に気づいた。

酒の空き瓶が何本も転がっていた。人間のものだとにわかに信じがたいほどに、首と舌が伸びきっていた。心臓が止まり死を迎えても、内蔵全てがすぐに活動をやめてしまうわけではないのだ。ぶら下がった物体からは様々な液体が流れ出ていた。死後かなりの時間が経っているのは素人目にも判った。

居間に隣接する部屋の襖を開けてみた。

薄汚れたひと組の布団が延べてあり、人が寝ているようであったが生きている気配はしなかった。

顔に白いハンカチのような布がかぶせてある。

そっと剥ぎ取り、見た。

長く伸ばした白髪のこびりついた白骨だった。

大きくあいた口腔に数本の歯が残っていた。

見覚えのある少し出っ歯気味の銀歯がのぞいている。

義母が熱心に信仰していた宗教で使用していた仏具が傍に並べられていた。

「お義母さん。お義母さんなの?」

私はヘナヘナと腰からその場に崩れ落ちた。

「じゃあ、連れて帰ったあの人……誰?」

 

【了】

Concrete 59189e6fb4d79119a63e92183ffb92aeb8f46031afd97d5db060811ce15c35e6
閲覧数コメント怖い
5,03830
51
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意

こよりさん、作品読ませていただきました!
謎が謎を呼ぶ、不思議で怖い話でした。
私も今作品を作ってますが、こよりさんのように引き寄せれる作品を作りたいです!
素晴らしい作品でした!

表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意

ラスト、そうきましたか。
甘い餡子(あんこ)だと思いきや、実は、ワサビ入りのお饅頭だった!!
といった感じでしょうか。
思わず、熱湯で口を漱ぎたくなるような最高いえ最恐のオチですね。
ともすれば、状況説明に終始してしまいそうなお話を、ここまで解りやすく簡潔に書ける こより様。
「失速」しないクォリティの高さに感服いたしました。

表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意
表示
ネタバレ注意