中編7
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【セブンスワンダー】蟲

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ある夏の日の夕方、俺と先輩――俺の所属する文芸部の部長――は、話をしながら一緒に下校していた。

途中のコンビニで、俺はガリガリ君を、部長は缶のアイスコーヒーを買って、それぞれ涼を取っていた。

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それにしても暑い。

西日はジリジリと、半袖の制服から伸びた腕とアスファルトの路面を焼き、俺の身体から水分を搾り取ろうとしていた。

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夏は苦手だ。暑いから。

かといって、冬の寒さが好きなわけでもない。

春は花粉症で涙と鼻水が止まらず、秋は朝晩の気温が下がってきた頃に必ずと言っていいほど風邪をひく。

日本の四季の中で、俺が得意な季節はひとつもない。

まあ、中でも夏の暑さは特に苦手だった。

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しかし、そんな俺とは対照的に、隣を歩く部長は涼しい顔をしていた。

今は長い髪をまとめて、ポニーテールにしていた。

歩くたびに黒い尻尾が小さく揺れる。

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「部長、なんか全然暑そうじゃないですね。暑いの、得意なんですか?」

俺が尋ねると、部長はハンカチを巻いた缶コーヒーを口から離して、こちらを向いた。

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「ううん。私も暑いのは苦手だよ?でも今はちっとも暑くないの。むしろ、寒気がするくらい」

「夏風邪じゃないですか?熱とかあるんじゃ……」

俺の問いに、部長は小さく笑って首を振る。

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「昨日ねぇ、夜中に隣町まで散歩に行ったの。

先月、自殺があった雑居ビル。

潰れたパチンコ屋のオーナーが、店舗のあったそのビルで首をくくったんだって。

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ううん、その時は何も視えなかったよ?何も聞こえなかった。

怪しい人影も、うめき声も、足場の台が倒れる音も、縄がきしむ音も、なにもなかったんだけど――」

ちらりと背後を振り返る。

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「連れて来ちゃったのかな?

『憑いてきた』の方が正しいかも。

でも、背中にべったりじゃなくて、一定の距離を空けて、後ろをずっと付いてくるの。――とってもシャイな人なのね。

おかげで昨日からずっと背筋が寒くって。ほら、見て。鳥肌」

部長はすらりとした白い腕を、俺に見せてきた。

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俺は背後を振り返る。

夕焼けに染まった、住宅街の通り。

通行人は俺たちの他にない。

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しかし、気が付く。

塀の影に沈んだ電柱の陰から、白い手が覗いていた。

あの後ろに誰かいる。

普通なら、ストーカーや不審者を疑ったかもしれない。

でも、あれは――

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「ねぇ?変な位置でしょう?

3メートルくらいだよね、あの手の位置。

あんな、足場もなにもないところに手だけ視えてるって、やっぱり普通じゃないよねぇ」

――おかしぃ。

そういって、口元に手を添えて、くすぐったそうに部長は笑う。

いつものように。

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大きな池のある公園に差し掛かったところで、俺たちは池のほとりのベンチに腰を下ろした。

公園内の木々からは、夕方だというのに、まだ騒がしいミンミンゼミの鳴声が響いている。

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夕日に輝く水面には、近くに水鳥の群れ、遠くにカップルの乗った何艘かの手漕ぎボートが見える。

池の向こうには、建設中の巨大なマンションが見えた。

まだ骨組みだけのその建物の横には、これも巨大なクレーンが鉄骨などの建築資材を上層へと運んでいた。

――コーン、コーン……

杭を打ち込む間延びした音が響いてくる。

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結局、背後の追跡者はそのままだ。必要以上に距離を詰めてはこない。

その存在に気が付いたことで、俺もその冷却効果の恩恵に与っている。

背筋がゾクゾクする。あまり身体に良さそうな涼しさではない。

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俺たちはしばらく下らない話をしていたが、唐突に部長が「あ……」と小さく声を上げた。

その視線は横に座った俺ではなく、池の方に向いている。

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「どうしたんです?」と俺が尋ねると、「気づかない?」と部長は指差した。

その先をたどると、先ほどから見えている建設中のマンションが見えた。

自然な光景だ。どこにもおかしなところはない。

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だが次の瞬間、世界から音が消えた。

そして、フィルムのコマが飛んだように、全く別の光景が突然俺の視界に飛び込んきた。

骨組みだけの高層マンション。

その側面に――

sound:18

巨大な蟲が取りついていた。

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shake

「なっ――!?」

俺は思わず息を飲んだ。

巨大だ。

デカすぎる。

二十階建てくらいの高層マンションの、その壁面をほぼ覆い隠すほどの巨体。

焦げたキャラメルのような色、背を丸めたフォルム。

俺が持っている昆虫の知識では、あれは――

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浜辺に打ち寄せる波のように、世界に音が戻ってくる。

木々から降り注ぐ、夕立のような騒がしい鳴声。

――ミーン、ミンミンミン……

――ミーン、ミンミンミンミンミン……

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「……蝉、の幼虫?」

そうだね、と部長は小さく頷いた。

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「さっきからずっと視界に入っていたのに、気が付かなかったねぇ。

たまたま『ピント』が合ったのか、それとも、たった今生まれたものなのかもしれないね――」

『生まれる』っていう言い方がいいのかどうか、わからないけど。部長は言った。

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「あれは一体、なんなんですか?」

呆然としながら、俺は問いかける。部長が大げさにため息をつく。

「あのねぇ……、私がなんでも知ってるわけないでしょう?

私だってあんな大きなモノ初めて視たし、あれがなんなのかなんてわからないよ。

ただ――」

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不吉な感じがするね、と部長はつぶやいた。

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その日以来、俺たちは帰り道にそのビルを観察することにした。

日々、ビルの建築は進み、その進捗に合わせるかのように、幼虫も変化していった。

具体的には、はじめ、その丸まった背中に亀裂が入った。

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その亀裂は縦に大きく広がっていき、やがて、中からミルクのように白い身体をした中身が現れた。

その様子は、俺たちのよく知る蝉の脱皮、そのものだった。

ただし、その大きさが桁外れだということと、俺たち以外誰もその存在に気が付いていない、ということを除いては。

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蝉は何日もかけてゆっくり殻から這いだし、やがて抜け殻の背に取りついたまま、縮れた羽を伸ばし始めた。

真っ白なその姿は、まるで妖精のように美しかった。

姿がすっかり成虫のそれになった蝉の身体は、やがて徐々に色づきはじめ、いよいよ飛び立つ日が近づいているようだった。

俺たちが初めてそれを見つけてから、二ヶ月が過ぎていた。

マンションも完成を迎え、多くの入居者が新たにこの街にやって来ていた。

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ある日のことだった。

教室で午後の授業を受けている時だった。

shake

――ドォーーーーン……ズズズ……

揺れとともに、どこか遠くから小さな地鳴りが聞こえてきた。

教室内は騒然となった。

数学の教師は、生徒たちに静まるように言ってから自習を指示し、「状況を確認してくる」と言って教室を出て行った。

教師の姿が見えなくなるやいなや、クラスメイトたちはザワザワと騒ぎ出した。

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窓辺に寄って外を眺める者、携帯を取り出して情報を集める者、まったく関係ない世間話をし出す者。

俺はそんなクラスメイトたちをしり目に、机につっぷして昼寝を試みていた。

近頃ようやく、例の追跡者の姿が見えなくなったのだ。成仏してくれたのだろうか。

なんとなく気になっていたせいで、夜の眠りがずっと浅かった。おかげで寝不足だ。部長は安眠していたらしいが。

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しかし教師は俺が眠りにつく前に、息を切らしながら教室に戻ってきた。

そして、皆に告げた。

「先日建ったばかりの高層マンションな、あれが倒壊したらしい――」

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公園の、池のほとりのベンチで、俺と部長は倒壊したマンションの残骸を眺めていた。

そこに、あの巨大な蝉の姿はなかった。

「今回の倒壊で、マンションの入居者が大勢亡くなったらしいねぇ……」

部長が沈痛な表情でつぶやく。

まだ、瓦礫の下に多くの行方不明者がいるそうだ。犠牲者の数はさらに増えるだろう。

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「……部長、結局あれは、あの蝉はなんだったんでしょうか?」

俺は疑問を口にする。

「俺たちにしか視えなかったあの蝉が、今回のこの事件を引き起こしたんでしょうか。

それなら、あれはそういう災厄をもたらす、化物みたいな存在だったんでしょうか」

自分で口にしながら、俺はその言葉に腑に落ちないものを抱えていた。

あの蝉は、確かに部長が以前言ったように不吉な感じもしたのだが、同時に物悲しく、そして美しいとも感じていたからだった。

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「私が思うに、あれは今回の倒壊で亡くなった人たちの魂、その集合体みたいなものだったんじゃないかな」

部長はベンチから立ち上がりながら言った。

「そんな……。あの蝉は建築中からずっといたんですよ?

事故が起こったのは今日で――それじゃ因果があべこべだ」

そういうこともあるってことじゃない?部長は池の方を向いたまま応える。

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「ビルの倒壊が起こったとき、私、教室で地鳴りと一緒に聞いたんだ。蝉の声。

すごく悲しそうで、辛そうで、でもきれいな声だった。

あれはきっと、そういうモノだったんだよ」

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背後の木々から、ヒグラシの合唱が聞こえている。

夏が、過ぎ去ろうとしていた。

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mami様、その一致は怖いですね…。

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全く関係ないけど、お噺を読んで思い出した話を一つ…

ある航空事故で亡くなった人達の運勢を見たら、全員が『事故』等の言葉を含んでいたとか…
乗務員を含め、全員。
その飛行機に一人でも、『事故』の運勢的な言葉を含んでない方が乗っていたら、その航空事故はなかったかも…
というお話しです。
私は、それを聞いたとき
“事故に向かって行ったのではないか…”
と思ったんですよ。
今回のお噺…正にそれを思い出しました。

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