眞紅鬼談 ~しんこうきだん~

長編26
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眞紅鬼談 ~しんこうきだん~

【第一部】

 今は昔。山奥から流れる川が蛇行しながら流れ込み、棚田や平地に広がる田畑を潤す、そんなとある山郷でのことである。

 ある小作人夫婦の間に、一人の娘が生まれた。両親は娘に千歳と名付け、大切に育てた。千歳は幼いころから無口で、年を重ねても碌に言葉を話さなかったが、それでも人の話す事は理解はしているらしい。両親の言いつけは良く守っていたし、村の子らとも仲が良かった。

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 ある日、千歳は村の子達と山の中腹にある小さな神社に向かった。その神社はとうに打ち捨てられていて、誰がいつ建てたのかも、御祭神すらも知る者はなかった。

 苔生した鳥居の他には、壁板の所々に隙間が空いた小さな祠くらいしかなかった。申し訳程度の境内も苔や草で覆われていて、子供の遊び場としては望ましいものではなかった。しかし遊ぶ場所も少ない村のことである。大人の目を盗み、村の有力者の子供が先導すると、皆我も我もと付き従った。

 子供たちは走り辛い境内の中で、目隠し鬼をして遊び始めた。鬼になったのはまだ年も幼い童だった。

「鬼さん、こちら」

子供達は盛んに声を上げ、手を鳴らしては際どい所で追跡を躱す。

幼さもあって他の子を掴まえることが出来ない様を千歳は見かねたらしい。彼女は少年のすぐ前で手を叩き、わざと捕まって鬼になった。

 千歳は目隠しをしたまま、手を叩く音を頼りに歩みを進めた。しかし、一緒に遊んでいた子らは首を傾げた。彼女は明らかに誰も居ない方向に向かって歩いている。その先には朽ちかけた祠があった。

「ちーちゃん、そこ危ないよ」

一緒に遊んでいた子供達が声を上げて止めようとしたが、彼女は歩みを止めなかった。そして何かに躓き、頭から倒れてしまった。

 その時、”ゴッ”という嫌な音が響いた。子供たちは真っ青になり、一斉に娘の元に駆け寄った。千歳は地面から突き出た岩に頭をぶつけたらしく、気を失っていた。

 少年らは頭から血を流す千歳を見て青ざめ、慌てて彼女を抱えて村に戻り、薬師の元に運んだ。薬師は難しい顔をして彼女の様態を調べていたが、傷口を洗って塗り薬を塗り、薬草を煎じて千歳に飲ませ寝かしつけた。

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 翌朝、千歳は何事もなかったように目を覚ました。だが村の者達には、娘の様子がその後少し変わったように見えた。無口なのは相変わらずだが、村の子らとは交わらず、どこか遠くを見ていることが多くなった。

娘が物ノ怪に憑かれていると噂が立ち始めたのは、その頃からだった。

 例えばある時、千歳に襲い掛かった山犬が彼女に指をさされた途端、ふらふらと自ら川に入って行き、そのまま溺れ死んだ。またある時は病に伏している老人の家を指したその日に、老人は亡くなってしまった。狂い咲きの桜の幹に、千歳が手を触れた途端花が全て散ってしまったこともあった。また近所の子が沢に遊びに行こうとしていた時、頑なに行かせまいとした。沢ではその日、突如鉄砲水が発生した。

 全てが偶然か、それとも神がかった力が働いていたのか。噂が噂を呼び、村の大人達は千歳を畏れ始めた。本人はそれに気づいているのかいないのか、相変わらず遠くの空を眺める毎日を送っていた。両親は日々の生活に追われながら、そんな娘を見守ることしかできなかった。

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 そして次の夏、旱魃が一帯を襲った。以後三年にわたる不作続きで、餓死者が相次いだ。

周辺の村々との寄合が持たれ、川の源流たる山の神に贄を捧げなくてはならないという結論に至った。

(この村から人柱を出せば、今後引水や隠田の場所取りにも有利に働く)

 そう考えた長者は、人柱を自分の村から出すことを確約した。長者が真っ先に考えたのは、千歳だった。皆が怖がるあの娘なら、両親を除いて強く反対する者はいまい。問題は、娘をどうやって人柱にするか……。

 長者は頭を悩ませた。何せ、物ノ怪に憑かれているだの、神通力を持つだのと噂される娘である。迂闊に手を出してはこちらの身が危ういかも知れぬ。やるなら、一瞬でかたをつける必要がある。寄合からの帰路、長者は一計を案じた。長者は翌日、村の有力者を集め、山神様への祈りを込めて祭りを行うことを提案した。こんな時に祭りなどする余裕はないという反発の声も上がったが、長者がその真意を説明すると皆押し黙り、反対する者はいなくなった。

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 そして、数日後の夜。山の麓の神社で、祭りが催された。老いも若きも集まって、長者の蓄えていた酒や、干物や雑炊が振る舞われた。村の若者達が境内の中心に火を起こし、その周囲で酒を飲み、楽を鳴らし、謡を歌った。宴もたけなわ、鬱屈した思いを吐き出すかのように酔いと興奮が高まった中で、長者が千歳を呼びつけた。長者は笑顔で彼女に赤い振袖を着せた。霞に松竹梅、桜や楓など、風雅な模様が贅沢に刺繍されている。

 千歳は無言だったが、少し驚いたように着せられた晴れ着を見下ろした。それは長者の娘が子供だった頃に作らせた、贅沢な一品だった。千歳の両親は突然の長者の行動を訝しんだものの、それがとても良く似合っていたので様子を見守ることにした。その次の瞬間。何かが、ヒュッと電光石火の如く彼女の元に飛翔した。白羽の矢であった。

 方角から見て、間違いなく社の影から射かけられたものだった。千歳は一言も発することなく突っ立っていたが、自らの喉を貫いた矢の先を不思議そうに見つめた。その小さな唇の間から大量の真っ赤な血がごぼり音を立て吹き出し、身を捩るようにふらりと倒れた。千歳はびくん、びくんと小さな体を震わせ、やがて動かなくなった。

 一部始終を見ていた両親が硬直から解けて悲鳴を上げ駆け寄ろうとしたが、若い者達に取り押さえられた。動揺が広がる前に、長者はすかさず大音声を張り上げた。

「白羽の矢じゃ!!娘は山神様に娶られたぞ!!」

 長者に言い含められていた有力者達がそれに続いてそうじゃ、そうじゃ、目出度いことじゃと大声を上げ、太鼓を叩いて騒ぎ立てた。

 そして娘は、あれよあれよという間に予め用意されていた棺桶に放り込まれ、山の奥に担ぎ出された。それがどこに埋められたのか、知る者は誰もが口を閉ざした。

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 果たして山神へ贄を捧げたお蔭なのか、程なくその一帯には大雨が降った。潤いを取り戻した山里は危機を脱した。長者は「贄の儀式」が成功したこともあって、その権威を更に盤石なものとした。

その後、例年山里の神社では、村に雨が降り注いだ日に祭りが行われるようになった。

 それから十年目の祭日。長者は、村の衆の呑めや歌えやの騒ぎを目を細めて眺めていた。豊かになって行く村を、増えていく村人達を満足気な顔で眺めていた。

 十年前のあの日、儂のしたことに間違いは無かった。儂の目に狂いはなかった。あれは山神様への贄として相応しい娘だったのだ。娘は山の奥深くにある、山神が棲むとされる杉の古木の根元に埋めた。そして山は蘇った。里が豊かになったことを、皆も喜んでくれているではないか。

 あの娘の親は二人とも毎年祭りにも来ず、儂との関わりを極力避けている。だが、儂とてあの二人の年貢を軽くしてやったり、何かと便宜は図っているのだ。全て帳尻は合っている。

 それにしても今夜の酒は格段に旨い。何故なら、孫の婚儀が決まったのだ。相手は隣村の長者の娘。

(これからも、儂らの一族は安泰じゃ……)

思わず口元に笑いが浮かぶ。その時──。

 “ウフフフフ”

 どこからか、聞き慣れぬ、女の笑い声が聞こえた。

 “アハハハハハハハ”

 祭りの喧噪の中でも、妙に耳に響く高い笑い声。この感じは何だ……。老獪な長者の背に、ぞわぞわと悪寒が走り始めた。長年に亘って村での地位を守り抜いてきた強かな老人は、人一倍勘が鋭かった。その勘が、正体不明の不吉を訴えている。長者は村人たちの間に素早く目を走らせた。

 ちらり、と見覚えのある赤い着物が見えたとき、ドクンと胸が高鳴った。忌まわしい何かが、この中に紛れている。何故、“あれ”がここにある?何故、あ奴がここにいる?目を凝らしてその赤い姿を捉えようとするが、次の瞬間にはそこにはいない。そして、別の場所で赤い袖が舞うのが見えるのだ。まるでひらひらと舞う蝶のように、晴れ着姿の少女は現れては消え、現れては消えた。

 長者が内心焦りを覚えながらも娘の姿を目で追いまわしている最中、村人たちの中には宴とは異なるざわめきが広がり始めていた。村の衆が次々に、顔を歪め、喉を掻きむしりながら吐血しては倒れていく。

 “アハハハハハハハハハハハハハ”

 娘に触れられた者達は皆例外なく苦悶の表情を浮かべ、血反吐を吐きながら踊り死んだ。それはかつて、千歳の殺害と“贄の儀式”に関わった者達であった。そして、婚儀を控えた孫までもが、激しく咳き込みながら白目を剥いて倒れ、動かなくなった。

 それらの出来事が、まるで墨絵を見ているかのように現実味を失くしていく。灰色の世界の中で、鮮やかな色彩が一つ。かつて彼が、直に娘に着せてやった赤い振袖──。

「怨みを……晴らしに来おったか……」

 震える声で呟いた長者の背後に、ふっ、と冷気が流れた。すぐ後ろにいる。すぐ後ろから、肩越しに儂の顔を……。冷たい息が吹きかけられた。身動きが出来なかった。

 “フフフフフフフ”

 鈴を転がすような愉快そうな笑声が、耳元に響く。赤い袖口からするりと伸びた白く細い腕が彼の首に絡まり、ゆっくりと喉を締め上げた。絞められた所から、ギリギリと音が鳴りそうな恐ろしい力だった。真綿で締めるように、娘は死ぬ寸前の苦しみをじわじわと長者に与え続けた。

 ようやくその苦しみから解放された時、彼は白目を剥いて血が入り混じった泡を口から噴き出していた。

屋敷に居た長者の一族もまた、その殆どが一様に「赤い着物の娘」という言葉を残し喀血して死んだ。

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 祭りの喧噪をよそに、娘を失った夫婦は小さな藁ぶきの小屋にいた。鋤や鍬の手入れをしたり、草鞋や小袖の修繕に勤しんでいる内に夜も更けてしまった。そろそろ寝ようとした頃、突然板戸を叩く音が聞こえた。

「こんな夜中に、どなたさんでごぜえますか?」

 尋ねても答えは無い。だが、戸の叩き方からして子供ではないかと察した男は板戸のつかえを外し、戸をがらがらと開いた。すると、戸口からは少し離れた場所―囲炉裏から漏れる光がどうにか届く辺り―に一人の少女が佇んでいた。暗くて顔は良く見えなかったが、短めに切り降ろした髪、やや丸顔の輪郭、そしてあの時の赤い着物・・・

「千歳……千歳なのか?」

 男は我を忘れて走り寄ったが、そこにはもはや少女の姿は跡形もなくなっていた。

「千歳……千歳!!」

小屋から、男の妻が顔を出した。事を察した妻も、男と共に娘の名を呼び始めた。その声は、空しく夜の村に響き渡った。

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 それから一、二年の間に、村人の半数がいなくなった。豪雨の際の濁流に巻き込まれたり、土砂崩れで生き埋めになったり、さらには山火事で死ぬ者もいた。

 それから数年経ち、村はようやく落ち着きを取り戻していた。かつての千歳の遊び仲間の子供たちは不思議な人影を見ることがあった。例えば子供らが遊んでいる時。気が付くと一人、綺麗な赤い着物の少女が紛れている。

また別の時には、子供に襲い掛かろうとした山犬が、赤い着物の少女が現れた途端に脱兎のごとく逃げ出したこともあった。また別の時には、川で溺れそうになった子供が岩の上に救い上げられた。話によると、引き上げられた時に赤い袖を見たのだという。

 かつての旧友たちは、それが千歳であると噂しあった。子供達も、見知らぬ少女をいつしか親しみを込めて「ちーちゃん」と呼ぶようになった。

「ちーちゃんに会うには、隠し鬼をするといいよ」

 いつしかそんな噂が、子供の間に広まっていた。隠し鬼をしながら、鬼役の子が「ちーちゃんどっちだ」というと、ちーちゃんが目の前で手を叩くのだそうである。それを捕まえると、ちーちゃんが鬼になる。

鬼になった千歳──ちーちゃんは、普段は目に見えない。だから、大抵はちーちゃんが居るかのように振る舞うだけだった。

 それでも時折、鬼になったちーちゃんが子供らの手を掴む時があるらしい。子供らによると、腕にほんのりと温かい感触が残るのだそうである。

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【第二部】

  とある奥深い山々。黄金色に輝かんばかりの銀杏、燃えさかる火の如く赤く染まった楓や欅けやき、鮮やかな紅色の檀まゆみ、そして常緑樹の織りなすその光景を目にした者は、どんな画匠の手にも描き切れぬ複雑精妙な美しさと迫るような息吹にしばし言葉を失うのが常であった。

 その山間を縦一列に進む四人の男達の姿があった。先頭はまだ十五、六くらいの少年である。いかにも農村出身のような垢抜けない風貌といでたちだが、四尺ほどの短槍を手にしている。

 後続は甲冑に身を包んだ侍たちであった。既に戦を終えた後らしい。手足に負った傷口を布で縛り、痛みを堪えながら歩みを進めている。敵兵を警戒しているのか、皆一様に無口であった。

 ふいに、先頭の少年が立ち止まった。何事かと顔を上げた侍達の目の前に、忽然と一軒の屋敷が姿を現していた。屋敷を囲む漆喰の塀は高さ八尺ほどもあり、その向こう側に屋敷の屋根が確認できる。そして、正面の門扉は固く閉ざされていた。

 後ろを歩いていた一人が少年に声を掛けた。

「おい、源作。何だこの屋敷は」

「へい、申し訳ねえですが……おらも初めて目にしますもんで……」

「ここらは庭のようなものだと申しておったではないか」

「へい……左様でごぜえます。しかし、こんな屋敷ちょっと前には……」

 源作と呼ばれた少年が首を傾げるのを見て、侍たちは思案顔になった。ここが敵の拠点という事はあるまいが、もし多数の敵が潜んでいたらあっという間に屍を晒すことになる。しかしそうでないのなら、ここで一晩過ごすのに躊躇う事などない。敵は無論のこと、熊や狼がいる山で野宿は避けるにこしたことは無い。手傷を負っていれば尚更だ。

 万一敵兵に囲まれるという事があるかも知れないが、ここは御領内でしかも今度のは勝ち戦だ。本隊からはぐれたとは言え、仲間もうろつくこの山で多数の敵に囲まれる可能性は低い。いざと言う時はここで籠城を決め込めばよいのだ。

 侍の一人、早良万太郎が屋敷の周囲を忍び足で巡り始めた。やがて一周して戻ってきた早良が皆に報告する。

「物音も人の話し声も聞こえませぬ。気によじ登って眺めれば何か見えるやも知れませぬが・・」

促された源作が近くの高木によじ登った。やがてするすると降りて来て不思議そうに言う。

「誰もいねえようです…ただ……」

「何だ」

「蝶が飛んでおりやした」

ハッ、と侍の一人が馬鹿にしたように声を上げた。

「蝶だと? それがどうしたというのだ」

「へい……このような季節に蝶など、聞いたこともございません。それが薄気味悪くて……」

「蝶が怖くて戦が出来るか」

別の一人が鼻で笑って源作の言葉を一蹴した。

「もうよい」

もう一人の侍、秋月左門が門の前で大声を上げる。

「頼もう!!」

 そう声を上げた途端、秋月が名乗りを上げるよりも先に、ゴゴゴゴと重い響きを立てながら扉が開いていった。皆固まったようにじっとして、扉の奥にいるはずの人物を確かめようと前方を凝視した。しかし、開ききった扉の向こうには屋敷の玄関口が見えるばかりである。

 扉を開けた筈の人物はどこへ消えたのか。そんな疑問を皆抱きつつ、彼らは吸い寄せられるように扉に近づいて行く。門を潜った時、越えてはならない領域に足を踏み入れたのだという直感が彼らを襲ったが、それを口にする者はいなかった。

 邸内は耳鳴りがしそうな程に静まり返っている。目の前には書院造風の武家屋敷。その玄関口まで四人は恐る恐る進んだ。玄関の板戸は開かれたままになっている。内部を覗くと、薄暗い廊下が続いていた。

「誰か!! 誰かいないか!!」

秋月が再び声を上げるが、返事は無かった。

だが、先ほどから男達は奥から炊きものや肴の香りが漂っていることに気が付いていた。

「飯の匂いがする。誰もおらぬなどありえぬ」

「かくなる上は踏み込んでみるか」

 年長の武士、川間兵吾に促され、源作が屋敷内の様子を探ることになった。源作は恐る恐る廊下を進んでいく。目の前は薄暗く、一歩足を進めるごとに奥で息を潜めている何かに近づいて行くような気がして仕方なかった。

 そして、廊下を進んだ左手の襖の隙間から明かりが漏れていることに気が付いた。食べ物の匂いもここから漂ってくるようだ。奇妙なことに、他に誰の声も気配もない。試しにもし、と声を掛けてみたが返答はない。そこで源作は意を決して襖に手をかけ、つつ、と開いてみた。

 襖の向こうには座敷が広がっている。座敷は十畳の広さがあり、縁側の向こうに庭を眺めることが出来た。その部屋の中央には、四人分の食事が用意されていた。四つの膳には肴と酒、大盛の白米が白い湯気を立てている。

 源作の報告を聞いた侍たちは、我先にと屋敷に入りこんでいった。その背後で、屋敷の門がいつの間にかに閉ざされていたことに何故か誰も注意を向けなかった。

 

 座敷に集まった男達は空腹も手伝ってか、早速その膳に手を付けた。源作も末席に座り箸をつけたが、その料理の美味さに思わず感嘆の声をあげて夢中でかき込んだ。酒が廻りはじめ、誰ともなく饒舌になり、がやがやと談笑しあう男達。この頃には皆、主人不在の館に無断で侵入しているという意識はすっかり薄れ、誰が出てこようと適当に説明をつけておけばよい、くらいにしか思っていなかった。

 そこで早良万太郎が立ち上がった。厠へ参る、と言い残して部屋を後にし、暗い廊下を進んで裏手に回る。厠の位置など元より知りはしないが、大体の当たりを付けてふらふらと移動した。

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§ 早良万太郎 §

 早良万太郎は、館の裏手に厠を見つけ、用を足してから来た道を戻る途中。障子戸で仕切られた部屋の前を通った時、そこから小さな明かりが漏れていることに気が付いた。障子に大きな人影が写っているのを見て、ぎょっとして立ち止まる。

(やはり屋敷の者がおったか。あるいは妖の類か……)

 腰の刀をいつでも抜けるように身構えつつ、腰を落として障子越しに声を掛ける。

「誰か」

 返事は無い。

「拙者、武蔵守○○公の配下、早良万太郎と申す。此度の戦で本隊よりはぐれてしまい申した。本陣へ戻る道すがら一宿一飯の儀にあずかりたいとこの屋敷にまかりこした次第……」

 やはり返答はない。代わりに歌声が聞こえて来た。子供の、それも少女の声だ。わらべ歌のようだが、随分と古く感じる。俺は障子の縁に手を掛け、一気に滑らせた。そこは六畳の小部屋であった。行灯の明かりの中で、赤い振袖の少女がお手玉をしている。

 万太郎は言葉を失っていた。これ程の屋敷だ。食べ物もあった。だから誰かがいなくてはおかしい。娘がいるという事は、親もいる筈だ。だが彼は何かに引っかかっていた。目の前の少女は何かが普通とは違う。やがて違和感の正体に気が付いた。少女が纏う振袖には霞に桜や楓が贅沢に刺繍されているのだが、それらの花弁や紅葉が布地の中でひらひらと舞い、乱れ散っているのである。目の錯覚などではない。

「け……化生の者か!!」

慄きを隠すこともできず、刀を抜き放つ。少女は俺をちらりと見て、すっと立ち上がった。全く恐れもなく真っ直ぐに万太郎を見上げるこの小娘に、彼の方が怖気づいていた。

「おのれ……化け物!!」

その怯えを押し隠すように、怒声を浴びせて少女に刀を振り下ろす。途端、行灯の明かりも消え、周囲が闇に戻る。目の前の少女は影も形も消え去り、振り下ろした刀には何の手応えも無い。その刀がかたかたと音を立てて小刻みに震えている。

(幾度もの合戦で名を上げた筈の自分が、何故かように怯えているのだ……)

 暫く呆然と佇んでいた万太郎は我に返ると、急ぎ仲間にこのことを伝えようと廊下を走った。元いた部屋に辿り着き、襖をからっと開く。そこには──

 亡き妻、芳野の姿があった。彼女は布団の中で身を起こしていた。

「芳野……芳野!!」

 声を掛けたが、芳野は反応しない。こちらの声は聞こえていないようだ。一体何が起こったのだ。自分は山中の屋敷にいた筈だ。何故我が屋敷に居る? しかも亡き妻が存命中の頃に……?

 その部屋に別の女が入ってきた。芳野の妹、美野だ。美野が芳野の側に薬と湯呑を載せた盆を置き、二人で何か笑いあっている。美野は体の弱い芳野の世話をよく焼いていた。夫である自分が戦で家を空ける度に面倒を見ていてくれていたのだ。この光景はその当時のものだろう。その美野も既にこの世にはいない。何者かに斬殺されたのだ。

 美野は芳野に紙に包んだ薬を手渡している。それを口に運び、湯呑で飲み干した芳野が途端に苦し気に呻き始めた。

「さようなら、姉上」

ほくそ笑む美野を見て、全て悟った芳野が怨みがましい目で睨みつけ美濃に取り縋ろうとするが、美野はすっと後ろに下がる。やがて息絶えた芳野をそのままに、美野は姿を消した。

 この後の事は知っている。医者を呼びに行ったのだ。医者の話だと、薬がもはや効かぬほどに病が進んでいたということだった。だが今見たことを合わせて思うに、医者もぐるだったのだ。その後の美野は芳野の後を継ぐように我が妻となった。その甲斐甲斐しいまでの世話焼きぶりには周囲も妬く程であったのに、その実、こんなことが……。

 美野が縫物をしている。俺の着物を仕立てているようだ。

「美野」

俺の声にびくりとして振り返る美野。

「旦那様……お早いお戻りで……」

突然現れた万太郎に驚いたのだろう。あるいは俺の殺気に気が付いたのかも知れない。硬直し、目を丸くしたままそれ以上言葉を続けられずにいる。

 彼は刀を抜き、そしてゆっくり振りかざした。芳野の面影のあるその女に──。ふらふらと家を出た万太郎は、山道を歩いていた。いつしか峠にさしかかる。月の光に照らされた両手は、べっとりと赤黒いもので汚れていた。そして生暖かい血に濡れる刀を首にあてがい、喉元を掻き切った。

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§ 秋月左門 §

「早良殿、遅うござりますな」

「うむ……秋月、見て参れ」

「はっ」

 川間に勢いよく返事をした左門は、部屋を出て廊下をずんずんと歩いて行った。酒のせいもあってか、気持ちが大きくなっていた。なに、どうせ酔いつぶれてどこぞの部屋で眠りこけているに違いない。からっ、からっと次々に襖を開いて中を確かめる。

 一体そうして何部屋見て回っただろう。酔いの廻った頭でも、流石にこれだけ部屋数があるのはおかしいと気が付いた時──。

 目の前の部屋に、亡き友、岩蔵源之丞の姿を認めた。奴との付き合いは幼き頃にまで遡る。童の頃から、奴は仲間内で既に統率者としての資質を発揮していた。俺は常に奴の二番手に甘んじていたのだ。そして奴は、俺が密かに思い続けていた由良をも娶ってしまった。

 由良は美しい女だった。侍大将の娘に相応しい女だった。その佇まいは凛として、雪の如き白い肌、濡れ烏の如き黒髪、その舞いは鶴の如く。その由良も、いつしかめきめきと頭角を現していく岩間に惚れこむようになっていった。それは傍目にも分かる程に……。 

「俺は…俺は悪くない。お前が……全てを俺から奪っていったのだ!!」

兜の下から覗く髑髏が、辛うじて残った皮膚を貼りつかせてカタカタと笑った。

 そう。左門は先だっての戦で奴を殺し、巧妙に誤魔化したのだ。逃げ落ちた敵を追い掛ける最中、丁度誰の目にも入らぬ林の中で小太刀を抜き、脇腹に突き立てた。岩蔵は驚愕に目を見開いて俺を見つめたまま崖から転がり落ちていった。俺は奴が敵と斬り合いの末殺されたことにした。

「死人は大人しくあの世で眠っておれ!!」

 刀を振りかざした左門に、髑髏武者が刃向かってきた。負けてなるものか。死んでなるものか。由良は俺が貰ってやる。俺は若侍の中でも二番手に強かった。功績もあった。

「岩蔵、貴様などに由良は渡さん!! また俺に殺されろおお!!」

大音声で呼ばわった刹那、左門は山にいた。岩蔵を突き殺したあの場所だ。

「今のお言葉……どういう意味でしょうか?」

背後から声がした。声の主は……振り向かなくても分かる。由良だ。

「やはり、あなたが殺したのですね。我が夫を……」

ゆっくりと振り返る。そこには冷たい目で俺を見つめる由良と、護衛の武士が数人。大方、岩蔵が死んだ場所を見ておこうと訪れたのだろう。

「秋月殿、神妙になされよ。申し開きは軍目付・大飯様に。今は大人しく縄につかれよ」

取り巻きの侍が慎重に俺に近づく。

「く……ふふふ……」

 引きつった笑いが漏れる。俺はもう一度由良の顔を見た。どこまでも厳しい目で俺を睨むその美しい顔を目に焼き付ける。由良は岩間に向けたような優しい表情を俺には向けてくれない。分かっていたのだ。俺がやつの代わりになどなれはしないことなど……。

「もはやこれまで……さらばだ」

左門は太刀を自分の脇腹に突き刺し、真っ逆さまに崖を転がり落ちた。

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§ 川間兵吾 §

「うむ、わしも厠に行きたくなった。丁度良い。様子を見てくる」

すっかり酒が廻った川間兵吾も立ち上がった。

 厠で用を足した川間がご機嫌で戻ろうとした時、庭に何かの気配を感じて廊下で立ち止まった。庭の隅に何かがいる。

 既に陽は沈んでおり、誰が点けたか石燈籠の明かりで辺りが柔らかく照らされている。そこに、赤い振袖の少女が佇んでいた。まだ十を少しこえたくらいだろう。肩のあたりで短く切り揃えた髪、白くて丸みを帯びた顔。そして身に纏った赤い振袖──。

 そこで、着物の柄に違和感を覚え我知らず凝視する。着物に縫い込まれた花弁が、楓の葉が、なんと風に吹かれているかのように布地の中で舞い散っているのだ。そして、彼女のぐるりにはひらひら飛ぶ蝶の群れ──青や赤、黄色、白など様々な色の燐光を放ち、まるで親を慕う幼子のように少女を取り囲んでいる。

「おのれ……化生の者か……!!」

川間は刀を抜き放ち、少女に走り寄るが早いか切りつけた。

 気が付くと、どこぞの民家の納屋の中にいた。目の前で美しい女が震えている。

(一体どうしたことだ。先程まで儂は山の中の屋敷にいた筈だが…否、『ここ』こそが現世。儂は束の間夢を見ていたに相違ない……)

 川間はにやり、とほくそ笑んだ。若い女を力づくで犯し、殺すのが長らく戦場の楽しみになっている。今もまた逃げようとする女を殴り、無理やり押し倒して更に殴りつけ、抵抗する気力を奪い、女の体をまさぐり始める。

「川間殿」

後ろから突然自分を呼ぶ声がした。振り向いたそこにいるのは佐久間徳重──軍目付直属の侍である。兵の軍規違反に目を光らせる役職だ。

「しかと目にしましたぞ。敵領内とは言え、民への狼藉はご法度にござる」

「誤解じゃ、佐久間殿」

「言い逃れは見苦しゅうござりますぞ。既に軍目付も御承知。いざ腹を斬られるならば、拙者が介錯致そう」

女は隙を見て逃げ出した。

(仕方がない。この際、この佐久間を斬り伏せて敵の仕業に仕立て上げるしかあるまい)

「何をたわけたことを……この槍大将川間兵吾、そのような事で死んでたまるか」

「言うたな。上意に御座ればいざご覚悟を…御免!!」

 言うが早いか、佐久間は刀を抜き放ち、一気に駆け寄ってきた。咄嗟に槍を付き入れたが、佐久間は難なくそれを擦り上げて間を詰めてきた。槍は近すぎる間合いでは却って使えない。咄嗟に槍を捨て刀を抜く。ガキン、と刃がぶつかり合う。刀を交差させつつ、用心しながら互いに少しずつ下がる。と、川間は得意とする太刀の巻き落としを試みた。大抵の者はこれで刀を取り落とし、拾う間もなく川間に斬られるのだ。

 しかし佐久間の方が一枚上手であった。川間とは逆向きに刃を回転させて佐久間の刀を打ち落とし、すかさず身体を左右反転させて間合いを詰め川間の喉元を斬り上げたのだ。吹き上げる血飛沫を呆然と眺めながら、川間はばたんと前のめりに倒れた。

 

 気が付くと、川間は首を絞められていた。目の前には自分がいた。必死に抵抗をするが、どう抗っても目の前の自分は鋼のようにぎりぎりと首を閉め上げてくる。そうしている内に、意識は遠くなり、やがてふつりと糸が切れたように視界も闇に閉ざされた。

 気が付くと、再び首を絞められていた。目の前には、やはり自分がいた。

必死に抵抗し、助けを呼ぼうとするが声は全く出なかった。抵抗している自分の腕が、白く頼りないほどに細いことに気が付いた。着物の袖も女ものだ。やがて前回と同じように、苦しみの中で意識が途絶えた。

 気が付くと、また首を絞められていた。目の前にはやはり自分がいた。自分に犯されながら、首を絞められている。目の前の自分は脂汗を垂らし、目をぎらつかせながら腰を力強く打ち付けていた。

「う……が……」

抵抗虚しく、股間からせり上がる激痛と共に意識は闇に消える。

 気が付くと…………。

「おおおおおおお!!!!」

口から呻き声が漏れる。目の前にいる自分はそれが気に入らなかったらしい。右手で力任せに頬を殴りつけ、

「大人しゅうせんか!!」

と怒鳴りつけて腰を打ち付け始めた。

なんだこれは……いつまで続くのだ……そうか、思い出したぞ。丁度この時、配下の者もいて……。

「おい、済んだぞ。お前もやれ」

「へい……」

まだ元服をおえたばかりの若い侍が圧し掛かり、腰を打ち付け始めた。

「や、やめ……」

「この女、まだ口がきけるらしいですぜ……」

若い侍が嗤いながら自分を…否、この女体を貪っている。記憶通りとすれば、この後……。

「おい、終わったら始末しろ。軍目付にたれこまれたら面倒だ」

「へい」

若侍は頷くと精を思い切り流し込み立ち上がった。

「悪く思うなよ」

言うが早いか、白刃を胸元に突き立てた。激痛の中で意識が飛んだ。

 気が付くと…………。

 一体何度繰り返したろうか。殺してきた女の分、繰り返しその最後を追体験させられる。川間はその度に逃げようとし、殴られ、犯され、殺された。何度も、何度も繰り返し……。

 やがて何をしても過去を変えることができないと悟った川間は、考えることを止めた。

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§ 源作 §

 源作は動けずにいた。皆戻って来ない。やはりここは妖の棲む屋敷なのかも知れぬ。そっと廊下を窺う。物音一つしない。玄関に向かって歩みを進める。ここはやはり逃げ出すに限る。そう思って玄関まで暗い廊下を走り、板戸を抜けて屋敷の門まで辿り着く。しかし目の前の扉はしっかりと閉ざされてびくともしない。人一人の力では、到底開きそうになかった。

  

 気が付くと、源作は震える子供の前にいた。まだ元服前の、十にもならぬ子供だ。すぐ後ろから声が飛ぶ。

「上意である。源作、斬れ!!」

命に従い、刀を振りかざす。少年は健気にも怯えを隠し、名家の矜持を示さんと泣き叫ぶのを堪えている。

(一体いつこんなことになった? おらはさっきまで山の中の屋敷に居て……それに、おらは合戦になど出たことはねえ筈だ……おらは誰を斬ったこともねえ。小作人の両親の制止を振り切って、村を訪れた侍達と村を出て来たばかりだ。まだ足軽という身分でも、出世すれば偉くなれると聞いて……)

 だが出世とは何だ。手柄とはなんだ。その実態はこんな子供を斬ることだったのか。戦国の世とはいえなんと無慈悲な。おらはこんな身分に憧れていたのか。なんて恐ろしい……。

「おい、何をしている!!」

後ろから怒号が響く。

「おらは……おらには出来ねえ!!」

「何だと!!貴様、主命に逆らうか!!」

「出来ねえことは出来ねえ!!おらは侍を辞める!!」

「この小心者が!!」

 名も知らぬ侍に思い切りぶん殴られ、体が横方向に吹っ飛んでいく。

「追って沙汰を下す!! 重罪は免れぬと知れ!! うつけ者!!」

成り行きを見守っていた少年が驚いたような目で自分を見ていた。

 その少年の首がごろんと転がってきた時、彼が自分に微笑んで見せたような気がした。

「お主は戻るが良い」

生首がそう告げた途端、視界がぐにゃりと歪んだ。

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§ 屋敷の少女 §

 赤い振袖の少女は屋敷の庭に佇み、空を見上げていた。その周りを蝶がひらひらと舞っている。

「そうか…お主らは……もうよいのか? さすれば儚き夢の間に戻るが良い」

 少女の言葉を理解したのか、何頭かの蝶が少女の掌で二、三度羽ばたき、虚空へ舞い上がって山に消えていった。その様子を見守っていた少女は、何かに気が付いたように別の方角に視線を向けた。

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§ 源蔵 §

 老体に鞭打って、源蔵は山道を歩いていた。息子の源作は侍になるなどと大見えを切って家を、村を出て行った。

しかし自分には分かる。あの子には侍など務まらん。鳶の子は鳶らしく、農民の子は農民として生きるのが何より無難なのだ。侍として生きるなど恐ろしいことだ。それが分かっておらぬからあの子は……あの侍達の口車に乗せられて付いて行ってしまった。

 なぜもっと強く引き止めなかったのか。妻にも責められ、倅を追って山に入った。このままではたった一人の倅が戦場で命を落としてしまうだろう。

「もう好きなようにせい!!」

言っても聞かぬ我が子につい激怒して言い放った言葉を思い出し、今更のように悔恨の念に苛まれる。

 あの小倅には人を殺すということが出来るとは思えねえ。それが出来たとして、平気でいられるほど肝が据わってるとも思えねえ。侍の世界はいい事ばかりじゃねえ。儂ら農民にとってはずんと恐ろしい事もせねばならねえに違えねえ。

 山道を提灯の明かりを頼りに進む。一体あの馬鹿はどこに行ってしまったのだろう。今夜中に見つけられなんだら、山小屋まで行くしかねえ。あそこは樵が棲んでいるが、村の者とは懇意にしてるからきっと泊めてくれる。それにしても、獣のいる気配すらねえ。こんな張りつめた空気は久しぶりだ。何か良くねえことがあったかも知れねえ……。

 

 源蔵の胸の内には、不安ばかりが渦巻いている。そんな視界の隅に、何か光るものを目にした気がした。目を凝らすと、人影のようだ。知らずそこに足を向ける。人影はちらりと見えたかと思うとすぐにいなくなる。それを何度も繰り返し、いつの間にか山深く足を踏み込んでいると気が付いた時には、どこをどう歩いたかも覚えていなかった。

「どうすべ……」

 困惑している源蔵の前を、一人の少女が歩いて行く。さっきから追い掛けているのがその少女だと、直感で悟る。こんな山奥であんな綺麗なべべを着てほっつき歩くおなごなぞ、きっと人じゃねえ……。

 頭では理解しているのに、何故か少女を追わねばならない気がした。そして再び追い掛けて暫く、杉の大木の前で少女と対面した時、源蔵の目が驚愕に見開かれる。

「おまん…おまん……」

 涙がぽろぽろと零れるのをとめることが出来なかった。

「ちい姉でねえか……」

 源蔵は少女の前に両膝を付き、少女を見上げた。間違いねえ。これだけ時間が経っても忘れはしねえ。ちい姉……千歳姉が不幸に巻き込まれる全ての原因は、この自分が作ったのだ。あの古い神社で、隠し鬼で捕まってくれたちい姉。あの時のことがきっかけで、ちい姉は……。

「済まねえ、済まねえ…ちい姉…おら……おらずっと謝りたくてよぉ……」

涙声の源蔵の頭に、そっと小さな手が置かれる感触がした。

「泣くでねえ、源蔵…こんな大きゅうなって……」

嗚咽を漏らす源蔵の頭を撫でながら、ちい姉は続ける。

「おまんのせいじゃねえ…これも巡り合わせじゃけぇ…ほら、倅を連れて帰らな……」

 倅? はっとして顔をあげた先には既にちい姉の姿はなく、代わりに杉の根元で眠りこける源作の姿があった。

 源蔵は源作に走り寄り、その体を揺さぶる。

「源作!! 起きんか、源作!!」

「ん…あれ? 親父……?」

「こん……馬鹿息子が!!」

涙を流しながらも、げんこつを下ろす。源作はいてっ、と声を上げたが、源蔵の帰るぞという言葉に何故か素直に従った。

 源作は父親の後を追いながら山を見上げる。いつもの、見慣れた筈の山々。しかし今夜は、違う世界と繋がっている様な、不思議な空気に満ちている。

「源作、急がんか」

源蔵に促され、源作は再び山道を降り始めた。

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§ 千歳 §

 人一人いなくなった屋敷。数多の蝶が舞う庭で、少女は夜空を眺めていた。一頭の蝶が少女の指先に停まり、羽を休める。

「お主も行くのか…縁があればまた会おうぞ……」

 呟いた少女の前を、再び舞い上がった蝶がどこへともなく飛んで行った。その姿を、少女はいつまでも見守っていた。

Concrete
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shibro様
コメント、怖いありがとうございます。
実は映像化してみたいという願望はあります。CG動画とか作成できるスキルがあればいいんですが、それができないので言葉で表現するしかないんです。
充分に言い表せているか確信が持てないのですが、これからも精進します。

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