護民、易からざる事 - 峰岸善衛の備忘録

長編9
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護民、易からざる事 - 峰岸善衛の備忘録

「じゃ、行ってきます。」

「はい、行ってらっしゃい。忘れ物ない?お財布持った?携帯は?」

「ちゃんと持ったよ、おばさん。じゃね。」

峰岸善衛の妻、治子が自分を無遠慮におばさん呼ばわりした若者を文句も言わずに送り出したのは、他でもない、それが自分たちの甥っ子だからである。

峰岸敬太は、峰岸善衛の弟の長男である。弟夫婦は仕事の都合で関西の方に住んでいるが、敬太は今年東京の大学に入学したために、首都圏で独り暮らしを始めることになった。

ところが、上京早々、とある事情が発生し、この数日前から彼は峰岸家に居候を余儀なくされているのである。

事の起こりは、敬太の新居で発生した怪現象である。

彼が上京して間もないころ、一通り引越しも落ち着いたころを見計らって、峰岸は敬太を夕飯に招いた。一応学生生活にも順調に馴染んでいるようで、峰岸夫婦も安心する。

「まあ、とにかく元気そうで良かったわ。毎日学校に行くのが楽しいみたいね。」

おかわり、と差し出された茶碗を受け取りながら、治子が笑顔を返す。

「うん、すごく充実してるよ。あとは、彼女でもつくらなきゃね。」

屈託のない発言に峰岸も笑顔になる。

「生活面でも特に困ったこととか無いか?」

「うーん、そうねえ。困ってることはないけど、あ、ちょっと変わったことはあるかなあ。」

「どんなことだ?」

変わったことという言葉に峰岸は敏感に反応する。

「うん。毎晩うちの玄関のドアノブが回されるんだよね。」

「何だって?」

敬太が淡々と言った言葉の内容に峰岸も治子も驚く。

「うん。毎日。そうね、大体夜の10時頃かなあ。」

「お前、それは変質者かストーカーじゃないか?」

「…俺、男の一人暮らしだし。」

「いや、最近はわからないぞ。女のストーカーだっているんだから。」

「うーん、そうかもしれないけど、全然心当たり無いんだよねー。ストーカー行為ったって、いきなりなるわけじゃないでしょ。告ったのにふられたとか、普通、一度拒絶された後になるんだよね。俺、そもそも女の子から告られたことないし。あ、男からもだけど。」

「それも寂しいな。」

「…そうかあ…って、いや、男から告られるくらいなら何も無いほうがいいよ。」

「いや、そうじゃなくて…。それで、それが始まったのは何時ごろからだ?」

「入居したその日からだった。」

「何だって?てことは、お前、もう二週間以上そんな所に住んでるのか?」

流石の峰岸も驚いている。

「いや、俺も気にはしてたよ。でも回されてる間は、さすがに怖いから近寄れないし。で、音が鳴りやむと、ダッシュでドアスコープから覗くんだけど、誰もいないの。ドアの前も廊下も。一度、覗いた後で、思い切ってドア開けてみたこともあったけど、やっぱり誰の姿も見えないし、走り去ってく足音とかも聞こえなかった。まあ、特殊な訓練を受けた人間がゴム底靴でも履いてれば、音をたてずに逃げることも不可能じゃないかもしれないけど。」

「ますます気味が悪いじゃないの。」

治子が顔をしかめる。

「うーん、まあ、他には特に問題無い部屋だし。あと、ドアノブが回されるっていっても、静かに数回回して終わるんだよね。時間にしても一、二秒だし、特にしつこい感じもしないから。まあ、毎晩ではあるけれどね。最近は、もう慣れてきちゃったんだ。実害ないし。」

「…あきれた。」

峰岸に輪をかけた敬太の暢気ぶりに夫婦ともども呆れかえっている。

「とにかく、ストーカーでないにしても、空き巣や強盗が下見をしている可能性だってある。わかった。一度俺が見に行ってやる。指紋ぐらい採れるかもしれん。」

「おじさん、指紋なんて採れるの?」

「鑑識の専門家でなくても、こういうことは一通り習うんだ。」

こうして、峰岸は敬太の新居に一泊して、現場を調べることにした。

そして、三日後の夜。敬太と並んで座りながら、峰岸はその現象を待っていた。何やら現役時代、張り込みを行っていた時の感覚が蘇ってくる。

「退屈だなあ。」

敬太がのんびりと欠伸をする。

「こら、静かにしてろ。音を聴き逃すじゃないか。」

「大丈夫だよ。ドアはすぐ目の前だし、話してても聞こえるぐらいの音はするよ。大体、さっきからおじさん、ずーっとドアを睨んでるんじゃん。」

学生向けの1DKの小さなアパートは、ドアを開けるとすぐリビングである。玄関前にダイニングセットの椅子を並べて、峰岸達はドアノブの動きをじっと待ち続けているのである。指紋採取も行うつもりで、二人とも手袋まではめて待機している。

「そうは言っても、こういうものは緊張感をもってだな、」

と、その時。

峰岸は見た。カタ、カタと小さな音をたてて、レバー型のドアノブが、二回ほど、ほぼ90度いっぱいまで回された。

「来た!」

なるべく足音を立てずにドアに走り寄った峰岸は、まずドアスコープから様子を伺う。

誰もいない。耳を澄ましてみたが、走り去る足音もしない。

時計を見る。22時2分。時刻を記憶する。

ゆっくりとサムターンを解錠し、慎重にドアを開けてみる。何の気配もしない。そのまま廊下に出てみるが、やはり何の物音もしない。今まで誰かがいたような気配もない。

「ね、誰もいないでしょ。」

「うーむ。」

とりあえず室内に戻った峰岸は、鞄を開ける。

「ともかく、何か出るかもしれんから、採取してみよう。」

峰岸が取りだしたのは市販の指紋検出キットである。千円も出せば変える代物であるが、一応役には立つだろう。

前もって綺麗に拭っておいたドアノブの表面に、アルミパウダーを付着させ、キットに付いていた柔らかい羽毛をそっと動かしながら、余分なパウダーを落としていく。

「へー、すごいね。おじさん、なんだか警察官みたい。」

「馬鹿、本物の警察官だったんだ。」

果たして、銀色の表面に渦巻き状の文様が白く浮かび上がってきた。

「出たぞ!」

峰岸は、小躍りすると、慎重な手つきでセロハンテープをドアノブの表面に張り付け、ゆっくりはがすと、黒い台紙の上に張り付けた。

明らかに、人間の指紋と思われる文様が、黒い台紙の上にくっきりと描かれている。

「どうだ、綺麗に採れたぞ。」

「ほんとだ。おじさん、すげー!」

「よし、後は明日にでも現役の連中に渡して、データベースと付き合わせてもらおう。前歴のある奴かもしれん。」

と、その時…。

「…あっ!」

峰岸は自分がとんでもない間違いをしていたことに気づいてしまった。あまりにも単純な間違いであり、それだけに明白で、覆しようの無い現実である。

「…まさか…」

それが意味する怖ろしい事実に峰岸は軽いパニックに陥り、額からは、一筋の汗が滴り落ちる。

「敬太!ここを出るぞ。当面俺の家に来い。すぐに貴重品と当座必要なものだけまとめろ!」

「ちょっ、え?なに?」血相変えて突然言いだした峰岸の顔を茫然と見ながらも、その勢いに気圧されて、敬太は慌てて身支度を始める。

綺麗に拭ってあった銀色のドアノブの表面にくっきりと浮かび上がった真新しい指紋。確かにそれは自分のものでも敬太のものでもなく、たった今ドアノブを回した者の指紋である。

だが、峰岸がパウダーを振って指紋を検出したのは、”内側の” ドアノブだったのである…。

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「部屋の中だったなんて…」

峰岸から事の真相を聞かされて、流石に暢気な敬太も身震いした。

「実話怪談本なんかで、夜になるとドアノブが回されるって話は読んだことがあるが、それは外側からの話だ。お前は、その誰かさんと二週間以上同棲してたわけだ。」

「変な言い方しないでよ。」

敬太が改めて青ざめる。

「こうなると、明らかに怪異現象だ。しかし、霊体にしても、相手がどんな素性で、何を訴えているのかわからんことには対処のしようがないな。」

「とにかく、暫くの間うちから学校に通いなさい。衛司の部屋が空いてるから。」

衛司というのは、峰岸夫婦の長男で、今は仕事の関係で地方都市で独り暮らしをしている。治子の勧めにも従って、敬太は峰岸家に暫くの間居候をすることにしたのである…。

数日後の夜。

久方ぶりに峰岸は金縛りに襲われた。そして、前触れどおりに、江戸時代に町奉行として活躍した先祖が現れる。

「これは、ご先祖様。」

「甥っ子の面倒はちゃんと見ておるか?」

能吏であった先祖は常に何でもお見通しなのである。尤も常にそのアドバイスに助けられている峰岸としては文句は無い。

「それがですね…」

峰岸は、敬太のアパートで発生した一連の経緯について説明した。

「とにかく、こんなことは初めてです。部屋の中にいたことに気付いたときは、流石に凍りつきました。」

身震いしながら、峰岸が言う。

「それにしても、あれは、どういう霊体で、何が言いたいのか。特に敬太に障りが出た様子はないのですが…」

悩む峰岸に、先祖が問いかける。多分、もう全てを知った上で峰岸を試しているのである。

「例えばお前自身はどうじゃ。全く、一度も、そういう事をしたことはないか?」

「そういう事というのは…」

「取っ手を回す行為よ。」

「そうですね、言われてみれば…。出かける時に、施錠確認で、何度か取っ手を回すことは、確かにあります。」

「例えば、その"心"は、扉がきちんと施錠されているか、確かめたかったのではないか?」

意外な先祖の一言に、峰岸は、はっとする。そうか…。何度か取っ手を回す行為…。不安心理から来る確認行動…。

「たまたま施錠を忘れた為に、その”心”は、恐ろしい目にあった…。無残な目にあった…。入室してすぐに施錠しておれば…。強い無念と恐怖の所為で、その心はその場に縛りつけられ、夜毎不安な思いから施錠を確認しておったのじゃ…。なんとも憐れではないか。」

突然峰岸は思いだした。

「そうでした!一年ほど前、まさにあの町でストーカー殺人事件が有りました。」

被害者は二十歳の女子大生であった。犯人はバイト先のファミレスの店長で、一方的に彼女への思慕を募らせ、しつこく交際を迫っていた。最初は職場でのアプローチだけだったが、耐えかねた彼女がバイトを辞めてからも、いや、寧ろ辞めた後に、ストーカー行為が本格化してきた。自分の仕事の無い時間は、頻繁に彼女の自宅近辺に出没するようになり、帰宅する彼女の様子を監視するようになっていったのである。

彼女自身も、帰宅するとすぐに施錠するように気を付けていたのだが、ある日、両手に大きな荷物を持って疲れきって帰宅した時、つい、そのまま施錠を忘れて座り込んで休んでしまった。監視を続けていた犯人は、これを好機ととらえて、室内に押し入ったのである。既に異常な心理状態にあった彼は、悲鳴をあげる彼女を見ていきなり逆上し、暴行して殺害した。

(そうか、あれは例のストーカー事件の被害者の霊で、あの部屋が現場だったんだ。そして殺された時間が22時2分…。)

被害者が従前から警察にストーカー行為を相談していたこともあり、犯人はあっけなく割れて、すぐに逮捕された。一審の東京地裁では無期懲役の判決が出たが、検察、弁護側双方がこれを不服として控訴、現在第二審が東京高裁で争われている。

「それにしても、敬太は、なんでそんな物件に入居してしまったのやら…」

「知れたこと。不動産屋が黙っておったのじゃ。上京したてで、東京の物件事情にも疎かったお前の甥っ子は、まんまとカモにされたというわけよ。」

不動産屋の言語道断の所業に峰岸は憤る。

「とんでもない話ですね。明らかに事故物件なのに、これを黙って契約させたとは。当然、契約は解除させますし、損害賠償も請求しましょう。勿論、こういった話は、私が対処致しますが、その娘の霊は如何致しましょう。」

「あの娘ならわしが保護して、しかるべきお方に引き渡した。そのお導きによって、今はもう成仏した。」

「そうですか、なら一件落着というわけですね。良かった良かった。」

「馬鹿もん、ちっとも良くないわい。」

苦り切った顔の先祖に叱られて、峰岸は慌てる。

「はあ、良くない…ですか…」

「あの娘、付きまとわれ始めた頃から警察に何度も相談したのに、まともにとりあってもらえなかったと涙ながらに言うておったぞ。そもそもお前達がもっと、迅速、柔軟に対応しておれば、あの娘は死なずにすんだのじゃ。」

そのとおりである。事件当時、警察の後手後手の対応が世間から厳しい非難をあびたのは峰岸もよく覚えている。直接担当したわけではないが、警察業務に関わっていたものとしては、耳が痛い。

「確かに…。覚えております…」

「善衛よ。なんぼ捕り方の数ばかり増やし、ご大層な組織と道具ばかり揃えても、肝心の”民を護る"という心構えに欠けておっては、いざという時何の役にもたたぬぞ。仏作って魂入れず、とはこのことよ。」

「仰るとおりで…」

久方ぶりに、みっちりとお説教をくらってしまった峰岸は、どうやったらこの言葉を現役の連中にもしっかりと伝えられるかと思案していた…。

[了]

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あんみつ姫様
遅くなりましたが、新年おめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げますm(_ _)m。
おかげ様で、峰岸ものも、何とか二年目を迎えることが出来ました。これも、あんみつ姫様を初めとする皆様の暖かいご声援の賜物と思っております。折角のお休み、どうぞ有効に使われて、ゆっくりと休まれて下さい(勿論、じっくりお読み頂けるのは大変光栄ですが^_^)。
寒さもこれから本格化という感じですが、あんみつ姫様もどうぞご無理なさらぬよう、御自愛下さい。本年も一層のご活躍をお祈りいたしますm(_ _)m。

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