悪疫、封じ難き事 - 峰岸善衛の備忘録

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悪疫、封じ難き事 - 峰岸善衛の備忘録

「スイセン、△×サン、オチ、ドオデスカ」

「は?」

とある日、自宅の近所を散歩していた峰岸は、見慣れない人物に声を掛けられた。

妙に背の高いひょろりとした体形。コートに付いたフードを頭からしっかりかぶっている。サングラスを掛け、マフラーをしているので、人相は良く分からない。僅かに見える顔面の一部は浅黒く、日焼けしたような印象を与える。

相手は長身をかがめながら、峰岸の方に、顔をぬっと近よせるようにして、妙に甲高い声で、もう一度言った。「スイセン、△×サン、オチ、ドオデスカ」

相手の言った事が全く理解できない。

(オチ、どうですかって…まだ何も話してないし。)

「スイセン、△×サン、オチ、ドオデスカ」

相手はなおも同じ言葉をゆっくりと繰り返す。

その話し方に、峰岸はあるイメージを持った。慣れない外国語で一生懸命に意思を伝えようとする時の話し方を思わせる。そうか、この人外国人なんだ。ここら辺りでも、ここ数年、外国人を見掛けることが多くなったもんな。

「スイセン、△×サン、オチ、ドオデスカ」

「すいません、もう一度。あの、ええと…ワンス アゲイン…プリーズ」

「スイセン、△×サン、オチ、ドオデスカ」

繰り返し聞いてるうちに、聞き取れなかった幽かな子音が、峰岸の脳内で補完されてくる。

わかった。ひょっとしたら…

「すいません、なんとかさん、おうち、どこですか?」峰岸は口に出してゆっくり言ってみる。

果たして当たっていたらしい。相手は嬉しそうに何度も大きく頷きながら、「ハイ、ハイ」と言った。この人物は誰か人を訪ね歩いているらしい。だが、どうしても肝心の、”△×サン”が聞き取れない。

(確かに母音の多い日本人の名前は外国人にとって発音しにくいと聞いたことはあるが、とにかくこれじゃ案内のしようもないな…。)峰岸は、この近所の家で、何となくそれっぽいと思った名前をあてずっぽうで並べてみる。

「藤木さん?」

「イエ、イエ」

相手は首を横に振る。

「今井さん?」

「イエ、イエ」

「緑川さん?」

「イエ、イエ」

流石に途方に暮れていると、向こうもこのままでは埒があかないと思ったらしい。あきらめたように肩をすくめると、

「アリガト」

と一言言って、去って行ってしまった。

(何だか悪いことしたなあ…。一応できるだけのことはしたつもりだが。)足早に歩き去っていく後ろ姿を、峰岸は気の毒そうに眺めていた。

その二日後。

買い物に出かけた峰岸は、駅から家路を急いでいた。

電信柱のある角を曲がった途端、いきなり一昨日道を聞いてきた例の外国人に出くわした。

「スイマセン、△×サン、オウチ、ドコデスカ」

(この人、まだ訪ね歩いていたんだ…。)

峰岸は、流石に気の毒になって何とかしてやりたいと思った。何度も繰り返したせいか、相手の発音も少し聞き取りやすくなっている。

「ええと、一昨日はごめんなさい。もう一度、お名前を、言ってください。」

ゆっくりと質問する。

「スイマセン、△×サン、オウチ、ドコデスカ」

相手もゆっくりと繰り返し始める。

「スイマセン、△×サン、オウチ、ドコデスカ」

少しずつ、相手の声が聞き取れてくるような気がしてきた。

「スイマセン、…シサン、オウチ、ドコデスカ」

(え?)

ところが、なんとなく峰岸は不安を覚えた。

「スイマセン、…ネ…シサン、オウチ、ドコデスカ」

相手の発音が少しずつ明瞭になってくる。それと同時に何故か峰岸の不安も高まってくる。

(まさか…)

「スイマセン、ミネギシサン、オウチ、ドコデスカ」

峰岸の不安は確実なものとなった。

この人物は、俺の家を訪ね歩いていたんだ…。それに気付いた途端、何故か言いようの無い恐怖が峰岸を襲った。

「スイマセン、ミネギシサン、オウチ、ドコデスカ」

こいつと関わってはいけない。すぐに逃げなければ…。本能が警報を鳴らしているが、何故か峰岸の足は動かない。

「スイマセン、ミネギシサン、オウチ、ドコデスカ」「スイマセン、ミネギシサン、オウチ、ドコデスカ」「スイマセン、ミネギシサン、オウチ、ドコデスカ」

何度も繰り返される言葉を聞いているうち、峰岸の頭は、何となく熱に浮かされたように、ぼうっとしてきた。

(この人は二日間もずっと自分を探し歩いていたんだ…。悪い事をした…。早く連れてってやらないと…。)

「…ああ、それなら…」

ふらつく頭で峰岸が言いかけた瞬間。

「しゃべるな!!馬鹿者!!」

頭の中に飛び込んできた大音声に鼓膜が内側から破られたかと思った瞬間、峰岸は我に返った。と、同時に目の前で一瞬猛烈な光が炸裂し、思わず彼は目を覆った。

熱に浮かされたような頭を何度も振ってはっきりさせた時には、その外国人の姿は、もうどこにも見当たらなかった…。

「危ないところじゃった。」

その晩現れた、元江戸町奉行の先祖に、峰岸は恐縮する。

「またも危ないところを助けて頂きました。本当に有難うございました。」

「今回は、本当に危なかったのじゃ。もし、あやつをあのまま家に案内しておったら、お前達一家全員、危険な感染症に冒されるところだったのだぞ。」

先祖の言葉に峰岸は身震いした。

「そもそも、あいつは何者なんでしょうか?」

峰岸の疑問に先祖は説明を始めた。

「わしも、まだ生きておる時分に聞いたことがあるが、瘴癘の気が人の姿をとることがあるのじゃ。」

先祖は難しい言葉を口にした。

「しょうれいのけ…?」

「瘴癘とは、主に湿度や気温の高い気候や風土の場所に蔓延する、伝染性の熱病のことじゃ。例えば瘧(おこり)などもその一つじゃ。」

「おこり…。今で言うとマラリアみたいなものですね。」

「こういう熱病の”気”が、人の形で現れたという事例を、親戚の者から聞いたことがある。道端にうずくまっている人の姿に何となく違和感を覚えながらその傍を通り掛かった者が、その直後実際に瘧に悩まされたということがあったそうじゃ。」

「じゃ、あいつも、要は人の姿をとった異形の者だったんですね。昔から見聞きされてるような。」

「それだけではない。今回の奴は、いかにも今様じゃ。実際、奴は外国で発生した様々な感染症の気が、その地で人の形をとったものじゃ。瘧だけでなく、他にも複数の感染症の気が渾然一体となって人の姿をなしており、各々の脅威も、感染力、致死率、いずれも過去の物とは比べ物にならぬくらい強化されておる。それが、堂々と観光客の姿で入国して来おった。」

「そんな危険な”人物”が簡単に入国できたんですか。」

峰岸は呆れかえる。

「奴らも進化しておる。何時、どこで感染症の気を発散させるか、ちゃんと自分で制御できる。歩いているだけで無秩序に発散させるわけではない。見た目は普通の観光客なのじゃ。仮に誰か傍にいた者が、その気に当てられることがあったとしても、潜伏期間の間に奴の乗った飛行機は到着し、後は人ごみに紛れてしまう。入国審査官も、まさか瘴癘の気が人の形をとっているなんぞという可能性は夢にも思うまい。」

確かに普通の観光客の姿で入国される分には、チェックのしようが無い。かと言って、どこかみたいに無闇に入国を制限するのも、いかにも乱暴な話だし弊害が多すぎる。どうすればいいんだ…。

峰岸は憂鬱な気分になる。と同時にもう一つ気になる事実を思い出す。

「あの…あいつは、何故私を訪ね歩いていたのでしょう…」

目を背けていたい事実。知るのも怖いし、かと言って不明のままでいるのも怖い…。

「お前も、異形の者の間で少しは知られるようになったからな。海外にまでその名が鳴り響いておるということじゃろう。有名人になって良かったではないか。」

先祖がにやりと笑いながら峰岸をからかう。

「じょ、冗談じゃありません!そんなの嫌です!」

「今回の奴はあくまでも下見じゃ。人の形をとって入国することが上手くいくのか、また、様々な感染症の気も、もとの毒性を保ったまま持ちこみ、維持できるか。その輸送や保持が上手く制御できるのか。そして、何よりも異国に怪しまれずに滞在し、活動することの実地訓練。これについて、あやつが入国した後、この国で手引きをした者がいるに違いない。人であれ異形であれ、そいつがお前に少々恨みが有って、訓練に利用しようとした、というところじゃろうな…。」

峰岸は暗澹たる気分になる。人か異形か…。もうひとつ”人工知能”も勿論入っているのだろう…。

「お前のことは常に見守っておるから案ずるな。今回の奴もわしが封じておいた。当面手出しをする奴はおらんじゃろう。」峰岸の憂鬱な顔を見て、先祖がフォローする。

「有難うございます!今後とも、宜しくお願いします!」

藁にもすがる思いで峰岸が訴える。

「大丈夫じゃ。気を強く持つがよい。じゃが、警戒は怠らんことじゃ。では、また来る。」

そう言って先祖は例によってあっけなく消えて行った。

先祖が去った後、峰岸は不安な気持ちで考える。

(ご先祖様はああ言ってくれたけど…。俺以外の人達はどうなるんだろう。それこそ人か異形か知らないが、こんな方法でこの国に大規模なバイオテロを仕掛けようとする輩がいたとしたら…。)

(ご先祖様は、いみじくも”下見”という言葉を使った。…そう、もしも東京オリンピックを標的にして、来日する無数の観光客の中に奴らが何人も紛れ込んでいたら…。そもそも大規模なバイオテロに対して、この国はどこまで対応できるんだろう?遺伝子操作によって、日々、未知のウイルスが作られてるかもしれないんだ…。そうなったらストックされているワクチンだって無意味だろう。まして、”瘴癘の気”の発散なんて仕掛けられたら、誰も対応なんかできやしない。どうすればいいんだろう…。)

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「スイセン、シンジュウエ、ドオデスカ」

「えっ?」

「スイセン、シンジュウエ、ドオデスカ」

「シンジュウって…? あ、わかった。”すいません、新宿駅、どこですか?”でしょ?」

「ハイ、ハイ…」

「わたしも、新宿駅に、いきます。いっしょに、いきましょう。」

「アリガト、アリガト…」

[了]

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月舟様
コメントと怖ポチを頂き、有難うございます。遡ってお読み頂き恐縮です。
科学的なものか霊的なものか…成る程ですね…。あの、そこらへんはあまり気にしないでくださいf^_^;。何せ人怖も霊怖もごたまぜ、被りも有るという無責任な世界ですので。病いというものの”気”、それはその物の本質としてのスピリットみたいな物だとすると一応霊的な存在という事なのでしょうね。ただ、その元になる病は、自然に進化したり、場合により悪人によって人工的に強化されたりしてることもあり得るという、まあ、そんな感じで、はい。適当ですいませんf^_^;。

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虎鳴真矢様
コメントと怖ポチを頂き、有難うございます。
いえ、どうぞ細かい事はお気になさらず。今晩はで宜しいんじゃないでしょうか^_^。そうですね。峰岸は温厚で面倒見が良く、少しのんびりして人が良いキャラです。今回の彼の思いは、ある意味作品に共通してるテーマかもしれません。彼は常に先祖に護られ、また問題や謎も、先祖か解いてくれる。一方、他の人には、妖怪なり人工知能なりは、依然として恐怖なわけで、そこに怖さを演出する余地が出てくるのかもしれませんね。

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都牟刈様
コメントと怖ポチを頂きまして、誠に有難うございますm(_ _)m。
そうですね。いつもお読み頂いてる都牟刈様だからこその視点ですね。本当に有難うございます。バイオテロとか起こせば当然巨大な負のエネルギーが産まれますから傘下のバイオテクノロジーの会社を使って、より強化されたウイルスを作りテロリストに供給する。一方で、テロ対策には、通信傍受とか顔認証システムとかIT技術が不可欠だから、これはこれで開発して、マッチポンプよろしく各国政府に売り歩く…。とんでもない輩ですね…って書いたのは小生でしたねf^_^;。今後ともよろしくお願い致します。

珍味さま

こいつが峰岸氏を狙って来たのは峰岸氏が有名になったからだけなのでしょうか?例の大企業が裏で画策してるなんてことは…
今後が大変気になります。
次回も楽しみにしております。

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