人汽車、疾走する事 - 峰岸善衛の備忘録

長編8
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人汽車、疾走する事 - 峰岸善衛の備忘録

 深夜1時過ぎ。

 終電を降りて駅から家路を歩く女の疲れ切った足音が夜道に響く。そう、彼女は本当に疲れきっている。今日は終電に乗れただけ、まだましなほうである。終わりの見えない連日の深夜残業に、心身ともに疲弊し切っている。

 「ったく、こんなことも満足に出来ねえのか。要領が悪すぎるんだよ、お前は」

 「えらいわよねえ。毎日遅くまで残業なさってて。よっぽど仕事がお好きなのねえ。じゃ、これも宜しくね。 さよならー」

 押しつけられる仕事と、罵声と嫌みの言葉に満ちた日々。労働時間短縮の建前の為に照明の消されたオフィスに、一人ぽつねんと残されてPCの画面の灯りだけを頼りに「明日の朝一まで」と厳命された、ほぼ無意味な資料作りを続ける毎日。それでもここを辞めるわけにはいかない…

 今日は何だかいつもより家への距離が一層長いような気がする。重い脚を引きずるように歩いていた彼女は、家路の途中にある公園のベンチに、思わず座り込んでしまった。

 「まだ、火曜日……あと三日もある……」

 こんなこと、いつまで続くのだろう。溜まった疲れと出口の無い毎日への思いが、大きなため息となって口から吐き出される。もう限界だ。苛めそのものとしか思えない仕事も、罵声や嫌みも、もう十分我慢した筈だ。もうどこか遠いところに行ってしまいたい……

 彼女はふと、思い出す。いつかネットで読んだ“幻の夜行列車”という都市伝説。どこにも居場所がなく、どこか遠くに行ってしまいたいと心から願っている人の前に、ただ一度だけその列車は現れる。それに乗れば、誰にも見つからずに、自分の望む遠い遠い所に連れて行ってくれるという話。陳腐と言えば陳腐だが、それだけに現実的とも言えるこういう話は、形を変えながら昔から繰り返されてきたようにも思える。ずっと以前テレビで良く似た話を見たような気もする。

 「そんな列車があるなら、私も今すぐ乗りたいよ……」

思わず口をついて出た自分の言葉のやるせなさに、彼女は一層惨めな気分になり、もう一度大きなため息をついた。同時に目尻から溢れ出た涙が、一つ二つ、地面に小さな沁みを作る。

 その時。

 暗闇の中から何か近づいてくる音が聞こえてくる。いや、音というより声? だんだん近づいてくるそれは、確かに複数の人の声のようだ。

「……?」彼女は声のする方向に目を凝らしてみた。

 と、突然彼女の前に現れた老若男女十数人の人間が一列に繋がって、目の前を走り抜けて行く。よく見ると、各々前の人間の肩に手をかけて、子供の電車ごっこの形で繋がって勢いよく駆け抜けて行くのだ。ご丁寧に先頭の人間は体の脇で機関車の形に腕をぐるぐる回している。そして連なった全員が、大きな声で機関車の口真似をしている。

 「しゅっしゅっ!」「ぽっぽっ!」「しゅっしゅっ!」「ぽっぽっ!」

 (何あれ?いい大人ばかりなのに……馬鹿みたい……)

 彼女の座ったベンチの丁度目の前には噴水があった。呆気にとられている彼女をしり目に、彼等は噴水の回りをぐるぐる回り始める。

 「しゅっしゅっ!」「ぽっぽっ!」「しゅっしゅっ!」「ぽっぽっ!」

 元気よく声を出しながら、勢いよく脚を上げて、ぐるぐるぐるぐると回り続けている。 

 (馬鹿みたい……でも何だかとっても楽しそう……)

 ぐるぐる回る隊列を目で追っていた彼女は、いつの間にか自分も首を回しながら、小さな声で「しゅっしゅっ、ぽっぽっ」と口ずさみ始めていた。

 と、その時。

 「一分間停車しま-す!」

 先頭の声が闇の中に響くと、丁度彼女の座ったベンチの前で隊列はぴたりと停止した。

 俯き加減だった人々の顔が、ゆっくりと持ちあがると、一斉に彼女の方に向けられる。どの顔も薄紙を貼りつけたような感じで、表情は、はっきりとは分からない。それでも、彼女には彼等が心から楽しそうにしている雰囲気のようなものが伝わってくる。そして彼等の声も……

 (君も乗りなよ!) (楽しいわよ-!) (早く早く!発車しちゃうよ!)

 「待って……私も乗せて……」

 ベンチからふらりと立ち上がった彼女は「しゅっしゅっ、ぽっぽっ」と呟きながらゆっくりと歩き出した……

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 「いやあ、久しぶりにやっちまったなあ……」

 とある晩。久方ぶりに再会した旧友と、ついつい飲み過ぎてしまった峰岸は、千鳥足で家路を歩いていた。かろうじて終電には間に合ったものの、彼の住んでいる所では、この時間になると人通りは、殆ど無くなる。

 生来の酒好きではあり、昔からよく飲んでいるが、さすがに若い頃のようにはいかない。ふらふらした足取りで辿る家路はまだ遠い。峰岸は、途中にある小さな公園で酔いざましをしようと思った。

 深夜の公園には誰もいない。よっこらしょ、と声を出しながら、彼は噴水の前の小さなベンチに腰を下ろした。無造作に脚を投げ出して、自堕落な姿でベンチに座る。ほてった顔に、ひんやりした夜気が心地よい。知らず知らずのうちに、峰岸はベンチに座ったまま、うとうとし始めていた。

 と、その時。

 暗闇の中から何か近づいてくる音が聞こえてくる。いや、音というより声? だんだん近づいてくるそれは、確かに複数の人の声のようだ。

 「……?」

 いきなり峰岸の前に現れた老若男女十数人の人々が、一列に繋がって走り抜けて行く。

 「しゅっしゅっ!」「ぽっぽっ!」「しゅっしゅっ!」「ぽっぽっ!」

 全員、大きな声で機関車の口真似をしながら、各々前の人間の肩に手をかけて、一列に繋がって駆け抜けて行く。

 そして、呆気にとられている峰岸をしり目に、彼等は噴水の回りをぐるぐる回り始める。

 「しゅっしゅっ!」「ぽっぽっ!」「しゅっしゅっ!」「ぽっぽっ!」

 元気よく声を出しながら、勢いよく脚を上げて、ぐるぐるぐるぐると回り続けている。 

 (なんだ、ありゃ……でも何だか楽しそうだな……)

  峰岸は、いつの間にか自分も首を回しながら、小さな声で「しゅっしゅっ、ぽっぽっ」と口ずさみ始めていた。

 と、その時。

 「一分間停車しま-す!」

 先頭の声が闇の中に響くと、彼の座ったベンチの前で隊列が停止する。

 俯き加減だった人々の顔が、ゆっくりと持ちあがると、一斉に峰岸の方に向けられる。どの顔も薄紙を貼りつけたような感じで、表情は、はっきりとは分からないが、彼には彼等が心から楽しそうにしているのが分かる。

 「……皆さん、楽しそうですね……」

 呟きながら、峰岸はベンチからふらりと立ち上がった……

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 二日後の夜。

 久しぶりに訪れた先祖に、峰岸は先日公園で遭遇した異様な集団のことを話している。

 「結局、その”汽車”には乗らなかったと言いますか、列には入れなかったんです。楽しそうな雰囲気に釣り込まれて立ち上がったところまでは覚えてるんですが、何故か、足が前に出なくて……やっぱり、どこかで警戒心が働いたんでしょうか。私が立ち尽くしていると一分間が過ぎて、”しゅっしゅっぽっぽっ”を繰り返しながら、また闇の中に消えて行きました」

 「ふん、まあ、乗らなくて良かったではないか」

 先祖の反応は淡々としている。あまり興味が無いようにも見える。

 「あの時は、やはりご先祖様が?」

 「それより、お前の見立てはどうじゃ。彼等は何者だと思う?」

 「さあ……今回はとんと見当もつきません。あの顔は異形のようでもあり、でもやっぱり人間のようでもあり……そもそも彼等はどこから来て、どこに帰っていくのでしょうか」

 「実は今回の話は、わしも最近聞いたばかりで、まだ細かい調べはついておらん。じゃが、その点については、一応わしなりの考えはある。まだ想像にすぎんがな」

 「それは、どこでしょうか」

 「多分、隠れ里かもしれん」

 「隠れ里……?」

 聞きなれない言葉に、峰岸は戸惑う。

 「昔からこの国の至る所に隠れ里の伝説は存在しておった。誰の目にも触れずに、ひっそりと深山の中に存在する世界。そこでは浮世の争いや娑婆苦から逃れて来た人々が毎日平和に楽しげに暮らしている……」

 先祖の説明が淡々と続いていく。

 「はっきりしたことは言えぬが、もしお前の遭遇したのが、隠れ里の住人だとすると、彼等は本来普通の人間なのだ。ただ、彼等の生きる時間や空間は、お前達の生きる”ここ“の時空間とは少々異なっているということじゃ」

 「なるほど……たしかに背格好や服装とかは、普通の人間でした。ですが、あの薄紙を貼りつけたような顔だけは、やはりどうも異形の者という感じがするのですが……」

 あの顔がずらりと並んだ異様な光景を思い出して、今更ながら峰岸はその不気味さに戦慄する。

 「彼等はもともと普通の人間で、ちゃんと顔もある。だが、お前のような、いわば普通の里人には見えないようにしておるのかもしれん」

 「それは何故でしょうか」

 「知れたこと。探して欲しくないからじゃ」

 例によって、先祖が淡々と言い放つ。

 「虐めや日々の煩わしさに苛まれる日々には、もう戻りたくない。自分は、ここに居場所を見つけたのだ。楽しい仲間達と繋がって自分の手にその温もりを感じながら毎日楽しく生きている。だから、もう放っておいてほしいというわけじゃろう。そもそも、隠れ里自体、本来普通の里人の目には触れないようになっておる。偶然迷い込んだ者にしかその存在は知られないものじゃ。もし遭遇した場合は、秘密を守る為に、連れ去りという手荒な手段をとることもあり得るかもしれんな……」

 先祖の言葉を聞きながら、峰岸は複雑な気分になってくる。あの読み取れない表情の裏に、彼等のそんな思いが隠されていたのか……割りきれない問題を考え続けているような気分になる彼の心には、様々な疑問が湧いてくる。

 「しかし、人一人消えるということは、やはり事件です。何故、この話が今まで騒ぎにならなかったんでしょう」

 「騒ぎにならなかったということは、それなりに手は打っておるということじゃろうな」

 先祖は何故かあいまいな表現をした。

 峰岸は、最後に一番気になっていることを質問してみた。

 「……彼等は、本当に幸せなんでしょうか……」

 「それはわしにも分からん。そもそもわしが答える筋合いでもなかろう。知りたければ、お前も彼等の仲間になって走りながら直接訊いてみてはどうか?」

 「いえいえ、それは結構です!」

 慌てる峰岸の姿にうっすらと笑いながら、先祖は消えて行った。

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 「なあ、あいつ最近変じゃないか?」

 「そうなんですよねえ……何言っても、ただにやにやしてるだけで、こっちも張り合いが無くて。何だか人間じゃないみたいな感じで気味悪いったらありゃしない」

 「はは、イジめ甲斐が無いってか?前みたいに、黙って悲しそうにいじけてるあの顔が見られないと、こっちも拍子抜けしちまうよな。でも、言われてみると確かに、何かこう……人間そっくりだけど精巧なにせものみたいな感じもするな」

 「気味悪いこと言わないで下さいよ。そんなのが会社に紛れ込んでるなんて」

 「まあ、いいじゃないか。黙っていくらでも残業してくれるし。まあ、今までもそうだったと言えばそうだけどな。要は、何も変わらないってことさ」

 「……まあ……そういうことなんでしょうねえ……」

[了]

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