中編5
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絶界掌小屋

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以前、連合赤軍集団リンチ殺人並びに浅間山荘事件に興味を持ち、学生闘争を詳しく調べたことがある。

その時にとある文献から見つけた事件。

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70年代末というからもう四十年近い昔の話になる。

北関東、--県と--県の県境、--岳において発生したその事件は世間ではあまり知られていない。

実際、僕自身もその時初めて知った。

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事件の内容はあらゆる意味において絶望的であり(例えば前述の連合赤軍事件に比しても)、

これは忘れられた事件というよりは秘された、もしくは封印された事件と呼ぶにふさわしいと思われる。

以下、その詳細を記述する。

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197-年、--岳。

その冬季避難小屋において惨殺死体が発見された。

小屋の中央に配された囲炉裏の上、自在鉤に若い女性の首が当人の髪でくくりつけてあった。

また、天井の四隅には腕と足が針金で吊されていた。死体は干からび、いぶされ、あたかも木炭のように見えたという。

第一発見者は麓の--村で商店を営む菊地威夫(仮名)という中年男性とその知人、使用人の数名だった。

捜査の結果、この殺人死体遺棄事件は信じがたい奥行きを見せることとなる。

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【発端】

1970年初冬、--岳にて--大学山岳部のパーティが遭難し全員が死亡する事故があった。

パーティの構成員は五人。

年が明けて春が訪れる頃、麓に程近い場所で全員の遺体が発見された。

事故の原因は不明だが、悪天候や準備不足、冬山経験者の不在などの複合的な要因が考えられる。

こうした事故は当時珍しいことではなかった。

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その年の夏、若い男女十数人のグループが--村を訪れた。

彼らは前年に遭難した--大山岳部の者だと名乗り、菊地威夫の叔父で当時--村村長を務めていた菊地正蔵(仮名)に面会を求めた。

彼らは--岳登山道に冬季小屋の設置を申し出た。

当時、--岳には山小屋どころか避難小屋もなく、遭難者は野外でのビバークしか選択できなかったのである。

--岳は有数の暴風・豪雪地帯であり、当時の貧弱な装備においてビバークは死に直結するものだった。

仲間の死を憂い、二度と悲劇を繰り返さない為にと彼らは冬季小屋の設置を懇願した。

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「これは、彼らの弔いである。」

と、佐々木と名乗る彼らのリーダー格らしき青年は涙ながらに語ったという。

その後いくつかの条件が盛り込まれ、冬季小屋の建設が許可された。

彼らが--大山岳部とは一切関係の無い者たちであることを、この時点で村人たちは知る由もなかった。

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【掌小屋】

翌年、村人と佐々木のグループの共同作業により、--岳中腹に冬季小屋が設置された。

そしてグループの数名、佐々木を含めた男女四人がそのまま残り、小屋の運営を任されることとなった。

村側が出した条件とは小屋に常駐する人員をグループ内から出すことと、山の手入れをすることの二点であった。

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村は当時から慢性的な人手不足にあり、手間のかかる登山道の整備を含めた山の手入れを担当する人員を渇望していた。

佐々木たちの提案は渡りに舟であった。

小屋の一軒や二軒は全くもって安いものだった。

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小屋は村長の名前から取って菊正小屋と名付けられた。

当時の記念写真では真新しい小屋をバックに佐々木たちや村人が村長を囲みにこやかに笑っている。

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春の訪れと共に佐々木たちは小屋を後にし、夏の終りに再び--岳にやってくる。

秋をたっぷり使って山を整備し、冬は寒さに震える登山客を出迎える。

こんなサイクルが何年も繰り返された。

メンバーは毎年変わったが、佐々木だけは常にその中にいた。

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後に、佐々木の提案により、菊正小屋から伸びる五つの登頂ルートに一軒ずつ簡易的な避難小屋が作られた。

遭難防止に万全を期すためである。

位置関係からそれぞれの簡易小屋は「指」と名付けられ、菊正小屋を含めた六軒を村では「掌小屋」の通称で呼んだ。

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そこから数年、--岳では新たな遭難者が出ることもなく、まさに仏の掌にいるような安寧が訪れた。

それは、あくまで表面的なものでしかなかったのだが。

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【菊地威夫の供述より】

○その年の春に、叔父(菊地正蔵)が肝臓癌で亡くなった。

○その年は小屋番の佐々木が秋を過ぎても村に現れなかった。(過去、遅れたことは一度も無かった)

○連絡を取ろうとしたが電話は不通だった。(最後に通じたのはその年の五月頃。正蔵の葬式の案内。出席はせず)

○--大に連絡したところ、現在山岳部は存在しないとのこと。佐々木という学生も同様。(山岳部は遭難事故をきっかけに解散していた)

○不審に思い、山の手入れを兼ねて掌小屋に向かった。菊正小屋、親指、人指し指(註:簡易小屋の通称)と回り、中指に辿り着いたところ死体を発見した。

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【判明した事実】

捜査の結果判明した事実。

●薬指、小指からも同様の惨殺死体が発見された。

●小指からは男児の遺体が合わせて発見された。(推定6、7歳)

●検死解剖の結果、三体の遺体の内二体は失血性のショック死(中、薬指)と判明。残り一体は不明(小指)。

  死期について言えば小指の死体のみ数年単位で他より早いと思われる。

●検死解剖から男児の死因は急性腹膜炎と判明した。

●記念写真から、佐々木と共に村を訪れた人間の身元が割り出された。彼らは佐々木に雇われていたニセ学生だった。

●佐々木は学生運動家を名乗り、山岳基地獲得の為と彼らに協力を要請したらしい。彼らも佐々木の素性は知らなかった。

●グループの中に佐々木の情婦と目される女が数名いたという。

●小指で発見された古い山刀から血液反応と男児の指紋が検出された。

●男児の歯や爪は著しく鋭く、眼球は両目とも飛び出さんばかりであり、それは人より獣を思わせるものだったという。

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【絶界】

佐々木と名乗った男は現在に至るも行方不明である。その目的もまた、不明のままだ。

男児は佐々木と三人の誰かの間に産まれた子であると推測される。

本当に恐ろしいのは正しい教育を受けないことであり、それはけして他人事ではない。

数十年が経過した現在でも、地元の人間はけして一人では山に入らない。

掌小屋と呼ばれた六軒の小屋は朽ち果てながらもその姿を未だ山肌に残しているという。

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