【幻夢ノ館/Phantom Memories】 第二話 白薔薇と夜霧の殺人鬼

長編22
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【幻夢ノ館/Phantom Memories】 第二話 白薔薇と夜霧の殺人鬼

 真っ暗な部屋に蝋燭の炎が揺らめいている。床には白墨で描かれた六芒星と奇妙な文字列。六芒星の各頂点には六つの人影。皆黒いローブを纏い、書物と燭台を手に何かを呟いている。

 六芒星の中心には、少女が一人横たわっている。長く艶やかな黒髪がたおやかに流れ、制服の袖から伸びる白く細長い手足は人形のよう。

 彼女は瞳を閉じ、両手を鳩尾で組んでじっとしている。よく見れば、周囲にいる人影も同じ服を着ているのが分かる。服の描くラインから、どうやら六人とも女性のようだ。

 周囲を取り囲む人影が、一斉に何かを叫んだ。何回かそれが繰り返され、そして静寂が再び戻る。

「…………」

「…………」

暫く沈黙が流れた後、落胆したように緊張が解けたのが伝わってくる。

「やっぱ、だめじゃん」

「結構マジでやったんだけどなあ……」

「希美、もういいよ、今回は失敗」

「う~ん、やっぱダメかあ」

目を開いた女子生徒に別の一人が話しかける。

「あんた、途中から寝てたでしょ」

「え? ……いや、まさか……起きてたよ」

「……ふうん、じゃあ、最後に唱えた呪文、言ってみてよ」

「呪文……」

思案顔になった彼女に一人が突っ込みを入れる。

「やっぱ寝てるし」

「だって……暗いし、涼しいし、みんなの声が子守歌みたいで気落ちいいんだもん」

「希美らしい」

 その時、部屋に冷気が走った。一瞬で襲い掛かってきた氷のような風に一同身を竦ませていると、小皿の上に立てられた蝋燭の炎が、見えない獣に舐め上げられたように大きく揺らめいた。炎はそのまま消えるかと思われたが、突如激しく火焔を吹き上げる。誰が見ても蝋燭で出せる筈のない火力だ。

「〓〓〓〓〓〓」

突如響いた野太い声に、みな硬直し視線を交わす。

 希美と呼ばれた少女が体を大きくしならせていた。「〓〓〓〓〓〓」と岩が転がり落ちるような声音で繰り返しながら。それは骨格や筋肉の機能を無視したような、あるいは意味というものを完全に欠いた、見る者の認識を狂わせる奇妙なダンスだった。

「やめてよ、希美。趣味悪いよ」

 一人が止めようと少女の肩を掴む。その相手に、少女は大きく見開いた白目を向けた。そしてその少女の首に、手にしたボールペンを突き立てた。「え?」と言った表情で首を抑える少女。その傷口から、一気に大量の血が飛沫が噴き上がる。

「ああっ!!」

「希美やめて!!」

身を竦ませ悲鳴を上げる少女達。希美と呼ばれた少女は舞台用の角材を手に、逃げ回る気力のある者から滅多打ちにして動けなくした。そして虫の息となった血塗れの少女らに工作用のハンマーを躊躇いなく振り下ろしていく。何かを叩き潰す六つの音が、冥界の門が開くのを告げる鐘のように響き渡る。

 暫くして、見回りの用務員が演劇部準備室を訪れた時、一人を除いて全員が無残な死体となり果てていた。その一人は呆けたように血まみれの床の上で、同じく血まみれの両手を振りかざしながらふらふらと踊っていた。充満した血の臭いに用務員はその場で嘔吐し、職員室に駆け込んだ。

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【幻夢ノ館/Phantom Memories】

第二話 白薔薇と夜霧の殺人鬼

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 ふと気が付いたら、真っ暗な場所に一人佇んでいた。目の前に巨大な城館が聳えている。煉瓦造りの城壁がぐるりと張り巡らされてはいるが、正面はシンプルな鉄柵の門だけだった。門から館まで真っすぐ石畳の道が伸び、両脇のガス灯が青白い炎を揺らめかせている。誘蛾灯に引き寄せられる羽虫ように鉄門に近づくと、鉄柵の扉が中に入れとばかりに小さな軋み音を立てながら開いていった。

 敷地内は物音一つしない。胸が圧し潰されそうなほどの静寂。靴底が石畳を叩く度に、目に見えない何かの囁き声が混じったような異様な残響音が尾を引く。道の両脇から甘い香りが漂ってくる。ガス灯の明かりではよく見えないものの、広大な庭園が広がっているらしい。その闇から何かにじっと見られているような気がして、ひたすら前だけを見て進んだ。

 正面の館に近づくにつれ、とても古い建物であることが分かってくる。外壁には蔦が幾重にも巻き付き、辛うじて突出した煉瓦の角は綻んで丸みを帯びていた。外階段を上り、ようやく玄関に辿り着く。ドアノックを叩くと、少しして鉄枠を嵌めた扉が重々しい音を立てながら開いた。そこには、銀髪の女中がひっそりと佇んでいた。

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§ 館と女中 §

 来客用の居間に通され、暖炉前の安楽椅子を勧められた。深々とした柔らかいクッションに身を預けると、先程までの緊張が解けていくのを感じる。薪が爆ぜる小さな音がやけに大きく聞こえる。

 部屋の内部は中世ヨーロッパの城そのものだった。現代の利器など全く見られない。部屋の明かりはと言えば、暖炉の炎と、幾つかのランプくらいのものだ。部屋の天井にはシャンデリアがぶら下がってはいるが、久しく使われていないようだ。床には深紅の厚い絨毯が敷かれ、テーブルや椅子、燭台、ランプ、暖炉、絵画や剥製に至るまで贅を尽くしているのが手に取るように分かる。これらはいずれも高級家財の類だろう。オークションに出せばさぞ値が張るに違いない。

 軽くノックの音がして、女中が再び姿を見せた。

「お口に合うとよろしいのですが」

差し出されたカップの中で紅い液体が微かに波打っている。その揺れる液面に朧に自分の姿を認める。一口飲む度に、芳醇な香りと味わいが体を芯から温めてくれるようだった。

「私は……」

名乗ろうとして困惑する。自分の名前が思い出せない。それだけでなく、ここに来る前の記憶が全くないのだ。持ち物を探すが、財布も携帯も所持していない。

(どういうこと?)

自問する私に、女中が目を伏せて言った。

「お名前も、ここに来る以前の記憶も失くしておいでなのでしょう?」

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§ 記憶の鍵 §

 宛がわれた部屋でしばし横になる。この部屋もまた贅の限りを尽くしたような内装だ。この館を建てたのは大国の王族に違いない。

 それより、女中に言われたことを思い出す。この館で記憶を取り戻す“鍵”となるものを見つけること。そうすれば、自分の居るべき世界に戻ることが出来ると。しかしその“鍵”は何なのか、女中にも分からないという。

(やってられんわ。あほくさ)

 どんなファンタジー小説を読んだらそんな設定を思いつくんだか。もしかして、頭イカレちゃってるんじゃない?(笑)。美人さんなだけに残念過ぎる。まあ適当に過ごしていればその内色々と思い出すでしょ。私は恐らく一時的な記憶喪失なのだ。大げさに考えることはない。

 

 燭台の青い蝋燭に目が留まる。何となしに眺めていると、突如その蝋燭に青々とした炎が灯った。頭の中で、何かが光った気がする。一瞬感じた記憶の糸を手繰り寄せ、その先に…………

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§ 一つ目の記憶 §

 ガス灯を背にした私の影が、裏通りの石畳に細く伸びていた。この霧の街で、表通りの明かりが届くか届かぬか、そんな路地裏に身を潜めて獲物となる女を物色する。警察の目が厳しさを増してはいるが、彼らにこの街の全てを監視するだけの人員的余裕はない。

 私の好みは気の強い女だ。シャーロット・ブロンテの小説が発刊されて以来、婦人の自立が徐々に世間の関心を集めてきた。だがそんなご時世でも、最も自立した婦人と言えるのは昔と変わらず娼婦と呼ばれる女達だ。だからこそ私にとって彼女らは永遠の聖母マリアであり、その聖性を穢すのが無上の喜びなのである。何故なら人は禁忌中の禁忌を侵すことによって初めて、裏道から神の領域へ至ることができるだから。

 今日もまた、顔見知りの娼婦を見つけた。彼女のことは前から気になっていて、いつやろうかタイミングを見計らっていたところだ。今夜こそ狙い目だ。私は意を決して彼女に近づき、穏やかに微笑んだ。

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§ 孤独な舞踏 §

 体が奈落に落ちるような感覚がして、咄嗟に目を覚ます。動悸が激しい。今のは何……?

 自分と何か関係があるのだろうか。思い出そうとしても、頭に黒い霞が掛かっているようで何も浮かんでこない。もしこれが本当にあったことだと言うのなら、あの中で私は一体誰なのだろう。

 今見た夢についてどう考えるべきか、あの女中に聞いてみよう。そう思い立ち、部屋を抜け出す。別に出てはいけないとも言われていない。禁じられた部屋があるとも聞いていない。どこに行けば会えるのかわからなかったが、最初に紅茶を飲んだ部屋に行ってみようと思い足を向けた。

 どこかから床を踏み鳴らす音が聞こえたのは、廊下を暫く進んだ時だった。それにしても、この館は余りにも広い。うかつにほっつき歩いていると、自分がどこにいるか分からなくなりそうだ。取り合えず音を頼りに進む。

 辿り着いたのは一階の大広間らしき場所だった。ドアの隙間から僅かに光が漏れている。そっとドアを開けて中を窺う。

 人影はやはりあの女中だ。女中は踊っていた。ホールの中央壁側には一応暖炉あるのだが、今その場を照らし出すのは暖炉上に置かれた手提げランプのみ。天井の光を宿さないシャンデリアがかつての栄華を偲ばせるようで、却って侘しさを感じさせる。

 その薄暗いホールで、女中は相方と手を取り合って軽快にステップを踏み、優雅に舞い踊っていた。それはさぞかし名演舞であったろう。パートナーが手足をただ遠心力に任せ、振り回してさえいなければ……。

(一体何を……一緒に踊っているのは……人形?)

 女中が腰に腕を回し、手を取り合っているそれは金髪の西洋人形──のように見える。しかしそれにしては生々しい質感があり、今にも目を開いて一緒に踊りだしそうな雰囲気があった。真紅のドレスを纏ったそれは、眠れる少女のように見えて仕方がなかった。

(まさか、死体じゃないよね)

「ウフフフ、ねえ、上手くなったでしょう? 私……」

物言わぬそれに語りかける女中の目に、狂気じみた光が宿っている。

「ずっと、練習してきたわ……あなたがこれくらいできるようになれって言うから、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと……」

 女中はそれを片腕に抱いたまま床に腰を降ろし、ナイフでもう一方の腕を切った。その躊躇いの無さに唖然とする。流れ出る血がぽたりぽたりと胸に抱いたそれの口元に滴っていく。

「いい子ね。たくさん飲んで……」

我が子をあやすような声音に思わず寒気が走る。その場を後にしながら、あの女中に対する不信感が強くなるのを感じた。

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§ 二つ目の記憶 §

 部屋に取って返し、しかし手持無沙汰な感もあって書棚の前に立った。こんな館に住む人間は一体どんな本を読んでいるのか。気になってそのうちの一冊を手に取る。タイトルは掠れて読めなかったが、内容は一目で解剖学の書と知れた。その時、頭の中で何かがチカッと光った。

 脳内を錐でグシグシと突き回されているような痛みが走る。声も出せないほどの激痛が暫く続き、意識が霞み始める。もはや自分が立っているのか、座っているのかすら分からない。目の前に眩い光が走る。それは視界を一瞬で覆い尽くし──

 一人の少女が長い艶やかな髪を振り乱し、床に這いつくばって何かを漁っている。その周囲には、六体の屍が転がっている。少女はその一つに覆い被さり、裂けた腹部に手を突っ込んでいた。

「温かい……」

一頻り柔らかなその感触を楽しんでから、少女は子宮を切り出しては握り潰し、溢れ出る血液を飲み干していく。

「ああ……最高……」

他の臓器には目もくれず、それを中心に他の死肉を食い荒らしていった。

「ありがとうね、みんな…………」

少女は一体ずつ腹を抉りながら、すでに物言わぬ旧友達に感謝の言葉を残した。

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§ 赤と薔薇 §

 ランプを片手に中庭の庭園を散策していると、薔薇の剪定をしている女中が目に入った。

「あら……」

彼女は慎ましい微笑を浮かべたが、しかしその瞳にはどこか翳を宿していた。

「美しい薔薇だ。よく手入れされていますね」

「そうね……薔薇は好きよ。特に赤い薔薇は。ある人に似ているから」

「ある人?」

私はそれだけを聞き返して続く彼女の言葉を待った。こういう時は根掘り葉掘り聞くより、相手に語らせた方がいい。

「彼女は……そうね、棘があるくせに、それが却って美しさを引き立てて……寧ろ棘があってこその彼女なのかも知れない。でも時折思うのよ。薔薇は自ら魅了した者達を傷つけて楽しんでいるんじゃないかって。私、卑屈かしら」

「……そういうずるい人もいるでしょうね」

女中は動きを止め、一度ぎゅっと目を閉じた。

「ええ、……でもやっぱり彼女はそうじゃない。薔薇のように、自分の生を全うしているだけなんだわ。薔薇に傷付けられたら、迂闊に手を伸ばした方が悪いんだって思うしかないのよ」

「薔薇に、傷付けられたことが?」

 私の言葉に反応して、女中が振り向いた。晴れた青空を思わせる瞳が一滴の雨露を宿しているように見えたのは気のせいではあるまい。私に向けられたその視線が余りにも柔らかく、軽く見つめ返すだけで潰れてしまいそうだった。

 その時、短い金属音が響き渡った。鋏が落ちたのだ。白薔薇に赤い液体が滴り、じわりと染み込んでいく。だが、それらは決して穢されたようには見えなかった。むしろ白薔薇は彼女から祝福を受けたのだ。その赤い蜜から芳醇な甘い香りが漂うようで、私は知らず彼女に身を寄せていた。

「大丈夫よ」

私の挙動を別の意味に捉えたのか、彼女はそう言った。

「慣れてるから」

包帯を取り出し指に巻き付け始める様子を私は苦々しい思いで眺めた。その行動こそが汚らわしいものだと、何故気づかないのか。

 だからという訳でもないのだが、私は衝動的に落ちた鋏を広い、女中の脇腹に突き刺していた。柔らかな皮膚が、肉が裂ける感触が鋏を通して私の手に伝わる。赤い液体がじんわり衣服に染み込み、同時に甘い香りが溢れ出していく。この感触こそ、私の魂が根源から欲していたものだ。高潔な者を自ら手にかけ、死に至らしめるまでの恍惚の時。私はこの瞬間、神と対等の存在となれるのだ。

 女中は私の手元を抑えはしたものの、その指先に力はなかった。私に向けられた視線はさっきまでの拉げてしまいそうな柔らかなものではなく、かと言って敵意や絶望、恐怖の類に満ちたものでも無かった。それは言うなれば、偶々通りかかった路地で水たまりを踏んでしまったという程度の、災難とも言えないちょっとした不運に見舞われたとでもいうような顔だった。それでも彼女の腹部からは、温かな液体が流れ続けている。私はその感触を更に味わうべく、刃先をさらに捻じ込み、彼女の内部をかき回した。

 鋏を深く差し込んだまま、もう立つことも困難な女中を抱きかかえてその顔を間近に覗き込む。晴れた空を思わせる瞳は瞬き一つせず、ただ私を見つめ返していた。

「なぜ刺したかお聞きにならないんですか?」

私は尋ねた。不思議だった。なぜこの女はこれほどまでに落ち着いているのか。今までの女はどれほど気位が高くても、こういう状況になると涙声で殺さないでと訴えたものだ。

「……長く生きていれば、いつかはこういう時が来る。むしろ遅すぎたくらいよ。壊れる前に壊して貰えるなら、それも甘んじて受け入れるわ」

 そうか。ならば迷うことはない。私は鋏で彼女の内臓を抉り、そのまま鋏を開閉させた。何度も何度も丹念に。胃も腸も肝臓も原型を留めないほどに寸断された筈だ。体は小刻みに震えて立っていることも難しい筈だが、それでも彼女は時折眉を顰ませ、唇を噛みしめる以外には薄紅色の唇から血を吹き零すくらいの反応しか示さなかった。彼女が見せるそれらの微かな表情の変化を、私は仔細に観察した。遂には切り取った子宮を掴み出し、彼女に見せつけながら咀嚼する。それでも彼女は動じた様子を一切見せなかった。私は心から彼女を賞賛した。ああ、これでこそ完成されたマリアだ。

 興が乗った私は彼女を引き倒し、両目を抉った。それらが彼女の中で最も美しい部位だと思ったからだ。彼女は白い喉を仰け反らせ、呻き声を上げた。その声の何とエロティックなことか。これほど艶のある声を私は知らない。再度それを聞きたくて、繰り返し彼女の眼窩に鋏を突き刺したが、声を発したのはそれが最後だった。

 仕上げに、私は彼女の首を切断し、花壇に添えた。薔薇の蔦がその頭部に巻き付き、そっと持ち上げて囲い込んでいく。彼女の銀色の髪が、茨の檻の中でさらさらと揺れている。その様子が鳥籠に囚われた小鳥のようで、ひどく神聖な暗示に感じられたので私は大いに満足した。ここに胴体があるのは似つかわしくないので、それを担ぎ上げ、庭園を後にした。

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§ 首無しの女中 §

 目覚めはベッドの上だった。酷い夢を見たような気がする。喉がからからだ。起き上がり、水差しを手に取るものの中は空だった。仕方がない。女中さんに持ってきてもらおう。しかしどうやって呼べばいいのか。そうだ、最初に通されたあの客間に行けば飲み物があるかも知れない。運が良ければ女中さんにも会えるだろう。

 館の内部は相変わらず暗い。廊下の向こうから今にも得体のしれない化け物が襲い掛かってきそうで、ランプ無しには怖くて歩けるものではない。階段を降りて、記憶に従って廊下を進むと、やがて見覚えのある部屋に辿り着いた。

 暖炉前の安楽椅子に近づき、先客がいるらしいことに気が付く。そっと回り込んで相手を確かめようとした時──

「……ひっ」

 首のない体だ。鋏か何かで無理やりに切断したような、ぎざぎざの傷口から白い頚骨が覗いている。切断面の周囲には流血の跡が生々しく残っていた。

「……女中さん?」

 変わり果てた姿ではあるが、よく見れば女中さんではないか。首がないので断定は出来ないが、背格好からして恐らくそうだろう。彼女以外には主がいるのみだとは言っていたが、まさか館の主人が女中服など着まい。いや、問題はそこではなく、何故彼女が殺され、ここに死体が置いてあるのかだ。

「まさか悪戯じゃ、ないよね……」

 一応それを確かめようと、改めて首の切断面を眺める。とても作り物とは思えない。そしてもう一つ、肝心な事に思い至る。

「殺人犯がいるということ?」

 そうだ。こんな閉鎖された空間で人殺しが闇に紛れ潜んでいる。ひょっとして、館の主とか……? 自分の使用人を殺すなどそうそうありそうにはないが、無いとも言えまい。

 ならば、ここに留まるのは良くないのではないか。犯人はこの近くにまだいるかも知れない。ならば自室に戻り、鍵をかけて籠るのが一番だろう。そうだ、それしかない。

 そう考えた私は、急いでドアに走り寄り外の気配を探る。物音一つないのを確認してそっとドアノブを回し、隙間から外を窺いながら身体を滑り込ませ、部屋の外に出る。

 廊下は真っ暗だが、ランプを手にしていると自分の居場所を犯人に知られる恐れがあるので手ぶらで移動することにする。

 館の内部は外から見たのとは違って迷路のように複雑だった。絨毯の敷かれた床は注意深く歩けば音は然程立たない。壁に手を這わせ、慎重に歩みを進める。どのくらい歩いたろうか。自室に戻るはずが、どこかで道を違えたようだ。少しずつ焦りが生じる。

 今歩いている廊下は中庭に面し、ガス灯の青白い炎が漏れこんでいる。さっきから誰の気配もしないので少し大胆になって歩調を速める。その最中、すぐ横で何かが動く気配がして私は体を硬直させた。

 じっと息を殺し、それに目を凝らす。それが鏡だと気が付いた時には大きな溜め息を漏らしていた。自分の姿をここに来てまだ一度も確かめていないことに気が付き、鏡に近づいてみる。それで記憶を取り戻せるかもしれないという期待もあった。

 そして覗いた鏡の中に──

「あっ」

 何となく自分でも分かってはいたが、そこには高校生くらいの女の姿が映りこんでいた。修道服をアレンジしたらしい制服を身に纏っている所を見ると、どうやらカトリック系の高校に通っているようだ。黒く長い髪がスレンダーな体形によく似合っている。我ながら美形だ。

 じゃなくて、問題は鏡に映ったその口元が……。

「血?」

 手で触って確かめる。既に乾ききってはいたが、それは紛れもなく血液だった。それが口回りから喉元にかけて、たっぷりと塗りたくられたようにへばり付いているのだった。

 鏡の前で呆然としていると、廊下の奥で足音が聞こえた。逃げようとしたが、何故か両足が縫い付けられたかのように動かない。このまま殺人犯に殺されるのか。あの女中のように、首を切り落とされるのか。その前に凌辱されるかも知れない。やばい、もう相手は自分を見つけているだろう。今更逃げても追いつかれて……。

 様々なことが頭の中を駆け巡る。やがて青白い光の中に、揺らめく蜃気楼のように現れたのは──血塗れの首無しの死体だった。

 ふらり、ふらりと足元も覚束なげに、両手で前を探るようにしながら確実に私を目指して進んでいる。思わずへたり込んで、それでも見過ごして行き過ぎるのを祈り目を瞑る。

(神様、助けて!!)

記憶はないものの、おそらくはかつてないほどに真剣に神に祈る。

 “それ”がスサ、スサ、と絨毯を踏みしめ近づいてくる。耳をそばだて息を潜める自分の前を、女中の死体が通っていく。その光景が脳裏を掠め、いっそう手足を縮こませる。そのまま通り過ぎてくれ、と必死に祈る。ふと気が付くと、音が止んでいることに気が付いた。

 頃合いから、あれはもう過ぎ去った筈だ。そう思い目を開いた真ん前に、首なし女中が覗き込むように屈みこんでいた。頭部の欠落部を再び見せつけられる。

 突然、女中の動く死体が動けずにいる私の手を掴んだ。そのまま私を立ち上がらせ、引っ張っていく。これがイケメンの王子様なら喜んで付いて行くのだが。私はもうゲーム・オーバーかも知れない。このままどこかで、この首なしに殺されるのだろうか。そうは思いつつ、決して強くはないその力を振り払う気力も残されてはいなかった。

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§ 輪廻 §

 中庭まで連れてこられた私は、その奥の薔薇園に足を踏み入れていた。白薔薇が咲き誇るその場所に、一か所だけ切り取った耽美派の絵画のような光景が現出していた。

 薔薇園に、女中の生首が供物のように添えられている。その両目は無残に潰されて血の涙を流していた。薔薇の蔦が彼女の頭部を守るように巻き付いていて、その滴る血のせいか、白い薔薇の幾つかは真紅の薔薇と化していた。女中の首なし死体が近づくと、蔦がその頭部を持ち主にそっと差し出す。”彼女”はその頭部を持ち上げ、首の上に載せた。

 成り行きを見守るしかない私の目の前で、彼女の傷口という傷口が仄かに発光し始める。その光は薄い青から赤、黄金や銀と次々にその色を変えていく。それらの光が消える頃にはすべての傷が癒えていた。再び開かれた瞳は、以前と同じスカイブルーに輝いている。

「私も随分と強い因果に囚われたものだわ。死んでも死にきれないとはこのことかしら」

 女中が銀に輝く髪を掻き上げながら呟く。もはや「いやいや、違うでしょ!!」と突っ込む気にもなれない。

「あなたの魂が輪廻に戻るには、やはり私の助けが必要なようですわね」

「輪廻?」

「ええ。人の魂がそこから外れた時、無限の闇に落ち込んでしまうことがございます。ここはそのような魂を救済するために作られました。では、参りましょうか」

 女中が白い手を差し伸べる。今しがたの奇跡を目の当たりにして、その言葉を疑う気は起きなかった。その冷たい掌を掴んだ刹那、急速に視界が歪んでいく。むしろそれは、意識そのものが歪むような感覚だった。

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§ 三つ目の記憶 §

「麗華先輩を呼び戻す?」

 青葉女学院の演劇部準備室で、山崎京子に問い返す。彼女は高等部二学年の同級生で、私と同じ演劇部の部員である。

「どうやって?」

「黒魔術。ナカチーが古本屋で手に入れたんだって」

「えぇ? ……また怪しげな……」

「そうは言っても、あなただってもし会えるなら会いたいでしょう?」

 そうだ。九条麗華は三年の先輩で、学園のアイドル的存在だった。演劇部部長でもあり、彼女が主演した「ヴェルサイユ宮殿の赤薔薇」は学園の演劇部史上の最高の演技と顧問から評されたほどだ。

 良家の令嬢であり、元華族というお家柄からも育ちの良さは折り紙付き。父親は大企業の役員、母は小なりとは言え華道一流のお家元である。品行方正、成績優秀、人徳もあるとなれば人気者になるのは当然の事で、彼女の周りにはいつも取り巻きがいて花の学園生活を謳歌していた。

 その彼女が、友人たちと有名な歌劇団の舞台を鑑賞しに外出中、列車事故に巻き込まれて死んだのはつい先月のこと。級友はもとより学園全体に暗い影が差した。しかしそれから一月が立ち、部員達も少しずつ活気を取り戻しつつある。何せ、生者は日々を乗り越えていかなくてはならないのだ。失われた者にばかり囚われては生きていけない。

 そんな折、死者を呼び戻す降霊術を企画したのが一年の青葉樹である。彼女はショートカットで小柄の、いかにも気の小さそうな子ではあったが、オカルトに傾倒していて妙に詳しいところがあった。

「でさ、その儀式には魂を呼び込む為の依り代が必要なんだって。希美、あんた麗華先輩にもよく似てるって言われてたじゃん? だから最適じゃないかって、青葉が言ってるんだけど。どうかな?」

「どうかなって言われても……何をすればいいの?」

「よく分かんないけど、魔法陣の中で寝そべっとけばいいらしいよ? 呪文だのはうちらがやるから」

「う~ん……まさか本当に霊が降りてきたりしないよね?」

「まあね……ここだけの話、マジなのは青葉だけだし。ほかの部員はどちらかというと怖いもの見たさとか面白半分だと思う。私も信じちゃいないけど、一度はこういうのやってみたいじゃん? 青春の一ページとしてこんな思い出もあっていいかなぁ、なんて」

「……まあ、そういうことなら」

 少女たちは、青葉が描いた魔法陣に均等に立ち並び、何やら怪しげな書物を手にぶつぶつ呟いている。横たわる私の周囲で蝋燭がゆらゆらして睡眠誘導効果を発揮し始める。心地よいエアコンの冷風を身体に受けながら、私は目を閉じた。

 目を覚ました時には、儀式は終わっていたらしい。そんな私を見て京子が苦笑いしている。

「あんた、途中から寝てたでしょ」

「え? ……いや、まさか……起きてたよ」

慌ててごまかしに掛かるが、やはり無駄だった。

「……ふうん、じゃあ、最後に唱えた呪文、言ってみてよ」

「呪文……」

思案顔になった私に別の一人、長谷部先輩が突っ込みを入れる。

「やっぱ寝てるし」

「だって……暗いし、涼しいし、みんなの声が子守歌みたいで気落ちいいんだもん」

「希美らしい」

 みんなが笑い声をあげた瞬間、部屋に一陣の冷気が駆け抜けた。身を切るような冷たい風に一同身を竦ませる。蝋燭の炎が、見えない獣に舐め上げられたようにゆっくり大きく揺らめいたかと思うと、突如激しく火焔を吹き上げた。到底蝋燭で出せる筈のない火力だ。強張った面持ちでそれを見ていた一人が、部屋の隅の消火器を取ろうと駆け出した瞬間──

「〓〓〓〓〓〓」

 何語ともつかぬ言葉が響いた。野太い男のような声だ。それが自分の口から漏れ出ていると理解するのに数秒掛かった。違う。これは私の意志じゃない。何これ……どういう状況?

 皆恐怖に顔を引き攣らせ私を見ている。違う、大丈夫だから。視界が激しく振動する。何が起こっているのだろう。

「やめてよ、希美。趣味悪いよ」

誰かが肩を掴んできた。その感触を最後に、私の意識は飛んだ。

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§ 終焉 §

 六体の屍が転がっている。私は満足してそれらを見下ろしていた。

「これがあなたがしたことという訳ね」

振り返った先に、あの女中がいた。殺したはずなのに。

「ああ、そうだ。みんな殺した。あの時代と同じように」

「その責めは誰が負うのかしら」

彼女の言葉を聞きながら、柔らかな子宮の歯応えを楽しむ。

「ああ、美味い……最高だ……」

時間をかけて咀嚼し、喉を鳴らして飲み込んでいく。

「あなたはもう死者の国にも戻れない。輪廻に帰ることもなく、永劫の闇に囚われるがいいわ」

 女中の言葉と共に、周囲に稲妻が走った。いつの間にか演劇部の部屋ではなく、あの城の庭園で女中と向かい合っている。

「私をわざわざ呼び寄せた彼女らが悪いのさ」

「本来あの子が侵す罪ではなかったはずよ。事ここに至った以上、あなたも罰は受けるべきね」

再び稲妻が走る。それは一瞬で消えることなく、雷鳴を轟かせながら意志を持つかのように上空を飛翔し続けた。

「魂を輪廻に戻すのがあなたの役目ではなかったのかな?」

「何事にも例外はある」

「なるほど、元“調停者”の本領発揮という訳か」

「それは関係ない。人間なら、誰もがこうするわ」

「ふん?……誤解しないでほしい。私も人間だ。そして誰よりも人間愛に満ちている。例えそれが歪なものであったとしてもだ」

「その歪みが何人もの人を不幸にした。落とし前をつける時が来たのよ」

「君はあの時代の狂気を知らない。常軌を逸していたのは社会の方だ。あらゆる階級、幾つもの階層が矛盾と衝突を抱え、人々は不満の吹き溜まりの中で捌け口を求めていた。私がやらなくても、いずれ誰かがやったことだ」

「どんな理屈を付けても、あなたがやったことは唯の猟奇殺人よ。もういい。話すだけ無駄ね」

彼女がすらりと上空に腕を伸ばす。その仕草が余りに優美だったので、私は思わず微笑んでいた。

「さようなら、狂える魂」

 

 彼女の言葉を合図に、上空の稲妻が巨大な東洋のドラゴンの姿となって私に襲い掛かった。その紫電の牙に捕らえられた時の衝撃は筆舌に尽くし難い。かつて味わったことのない苦痛の中で、私は自分の意識が分裂していくのが分かった。あの時代から私が持ち続けていた、密かな破滅願望が叶う時がようやく来たのだと分かる。私にとってそれは、永い悪夢の末の安寧と同義だった。

「やはり、あなたは聖マリアだ」

私の声は果たして彼女に届いたろうか。その言葉を最後に、私の意識は消滅した。

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§ 幻夢館 §

「やっぱり……彼女らの儀式だけど……」

 暖炉の前で革張りの書物を捲っていた女中が、向かいの長椅子に横たわる少女に声をかけた。黄金の髪がワインレッドのクッションの上に広がり、その豪奢な美しさを際立たせている。

「降霊術としては欠陥だらけよ。これでは死に穢れた魂を無防備に呼び覚ましてしまう。今回のようにね。それにしても……」

 女中は書物をテーブルに置き、瞳を閉じた少女のすぐ側に膝を付いた。その柔らかなブロンドを撫で、また顔を埋めながら囁きかける。

「儀式で呼び出されたのは、本当に“あれ”だけだったのかしらね…………」

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§ 誰そ彼 §

 警察病院の一室。猟奇殺人の容疑者として収容されていた一人の少女がむくり、と起き上がる。壁に掛けられた鏡の前に立つと、彼女は白い歯を見せてにっこりと笑みを浮かべた。

「お早う、希美」

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