中編7
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【咎塗れの恋】第3話

上の方についたベルが鳴った。

小さい頃は、どうして動かすたびに扉が鳴るのか分からなかった。

目線が高くなった今は音の正体に簡単に気付ける。

だけどそれをいちいち気に留めるほど、俺の世界に冒険は少ない。

情報を得るデバイスが増えてしまった。

知らないことを、知らないままで居る時間が減ってしまった。

全部が全部光り輝いていた空間は、2度と戻ってこないだろう。

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窓際から一番離れた、奥の席に座った。

すぐに水を持った店員さんがやってくる。

「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」

と言われたから、

「あー……っと紅茶の温かいのを」

と注文すれば、

「銘柄はいかがなさいますか?」

とまた返されたので、

「銘柄?…………えっと、だ、だーじりん?で」

紅茶の文字の下に書かれた、小さい羅列の一番上を読んでおく。

正直、ストーレートとレモン。それからミルクとアップルくらいしか知らない。

あと、よく知らないカタカナを言うのは、ほんの少し恥ずかしい。

暇潰しで携帯を弄っていれば、頼んだ紅茶がきた。

これがダージリンかと言いたいが、結局紅茶は紅茶だ。それ以外はない。

カップより小さい容器に入ったミルクを、入れるか入れまいか下らない悩みを抱えた頃合いに、

「あ、ほんとに居た」

「うぇ……」

件の久慈が来た。

こっちが座ってるから、お前が立ったままだと見下されてるような気になるんだよ。

とは、嫌味にもならないので言わなかった。

「来ないかと思った」

「行かなきゃおたく3組に来そうだからな」

「せーかい。気持ち悪っ」

「なんでだよ」

「んー……僕ね、そう言う僕のこと知ってるように言われるの好きじゃないんだ」

表面上は柔らかい姿勢のまま、害のない表情でこいつはサラッと牙を向く。

機嫌が悪いと、言葉にしないと伝わらないとでも思っているのだろうか。

なんだかまた急に顔を近づけられそうで、軽く警戒していたが、

「お前のことなんて全く存じ上げませんけど」

そう返せば、

「なんてね、桜也くんなら少しくらい言ってもいいよ」

「は?」

俺の正面の席に久慈が座る。

「桜也くん僕に好意的じゃないから」

「好意を抱くほどおたくの情報持ってないんで」

「うん、その前に僕みたいなの好きじゃないでしょ君。それがいい」

「ゾッとするから止めてもらえますかね」

「ふふっ」

いちいち鳥肌が立つ物言い。

こいつは変の付く態なのか。それとも人なのか、両方なのか。

たぶん両方だ。両方兼ね備えてこうなってんだ。

たっぷり嫌悪を含めた視線をぶつけたが、ニコニコ受け止められたから、やったことを後悔した。

「で、おたく何の用?」

「身の回りで起きる全てのことに理由があると、そう思うのは面白いけど一時的だよ」

つまり意味は無いと。

「帰る」

鞄を掴んで席を立てば、久慈が苦笑いで引き止めた。

「冗談、ごめんね。ちゃんと用はあるよ。ただ何か注文してからでいいかな」

「早くしやがれ」

「はいはい。何頼んだの?紅茶?ダージリンか」

「分かんの?」

「齧る程度だけどね。ミルク入れたいからアールグレイにしようかな」

「どう違うんだ」

見た目を裏切らないご趣味をお持ちで。

一括りにしてただの茶のことなんて、さっぱり分からないし、アールグレイってなんだアールグレイって。

なんかバンド名にありそうな名前だよなぁとか思ってしまうあたり、俺は博識ではないのだ。

俺の質問に対して、答えを持っている久慈は、

「さぁ?」

どうにも小馬鹿にしたように笑うから、ああやっぱり苦手だこの人間。

「用って言うのはさ、」

「ああ」

やっと本題に入ったが、脱力感が半端ない。

真っ直ぐ歩けばいい道を、わざとグネグネ遠回りさせられている感覚に近い。

「僕見た目良いじゃん?」

「ソウデスネ」

申し訳程度についてきた、クエスチョンマークすら腹が立つ。

これは自慢しに来たのか。

俺がそう思ってるのも気付かずに。いや、気付いてるかもしれないが、久慈の中では些細なことでないとみた。

癪に障るなぁ。

「だからさ、よく知らない内に知ってる人が増えたりするんだよ」

「はい?」

「こうね、僕は隣町に行ったことが無いとします」

「はぁ」

「だけど隣町には、僕の"友達"が居るんだ」

「学区違いとか?」

「ううん、会ったこともない人。でも"僕の友達"なんだって。そう言う人が沢山居る」

ここで久慈は、紅茶を店員から受け取った。

ぼそっと「ティーパックか、だよね」と言ったのを、俺はそのままスルー。

カップの下の皿を蓋みたいに被せてから、組んだ腕をテーブルに乗せた久慈がこう言った。

「怖くない?"知らない友達"がどんどん増えてくのって」

「体験したくはないな」

「まぁとりあえずね、そう言うのが多いから、僕は人に見られるのにある程度慣れてるんだ」

「だろうな」

「その上で相談なんだけど」

張り付けたように作り物の笑顔を消さないまま、久慈が口を開く。

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「最近誰かに見られてるんだ」

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沈黙数秒。

俺の返しは、

「だからなんだ」

さっき自分で"見られることに慣れている"と言った奴に、見られていますと言われてもな話である。

「学校や登下校中ならまだ分かるよ。

でも家に帰っても風呂に入っても汚い話トイレに行っても、右を向いても左を向いても振り返っても座っても。それから寝ても。

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ずーっと"同じ方向から見てる人"なんて、

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居ると思う?」

皿を下に戻して、ミルクを入れる。

軽くかき混ぜてから一口飲んで、カップを置いた久慈は、自分の首の後ろを叩いた。

「だいたいこの辺り、見られてるのは。背中が壁に付いてても問題なし」

「それは」

「あとなんだろな、分かるのは。距離とか?たぶん手が伸ばせるくらい。たまに触られるから」

全く同じ場所、同じ方向に居続けられるのは、それはもう人間ではない。

長い時間見ているとしても、見る位置は必ず変わる。

久慈に合わせて動いているのだ、それは。

だが、

「何も居ないぞ」

それっぽい奴がそんな近くに居たら、俺はこいつと関わろうとは思わない。面倒事は嫌だからだ。

でもどんなに"見よう"としても、久慈の後ろには何も居ない。

ただ喫茶店の壁があるだけだ。

「そうなんだよね。僕も一応見てるからさ、あちら側なのはすぐ分かったんだよ。でもなんでか"形が無い"んだよね」

「ホイホイ見えるなんて言う奴は大概が嘘だ」

「君が同じものじゃなきゃ言ってない。それに囲井さんのモヤが僕にも見えてるのを、桜也くんは知ってる筈だよ」

「うっ、」

根本的なことを無かったことにしていた。

こいつは俺を、そうかそうでないか判断してきたじゃないか。

ご丁寧にもし違った時にも、使えるような方法で。

「ついでに言うと、今も見られてる。だからここに居る。話聞いてるかは分からないけど」

形の無いものを相手にするのは非常に面倒臭い。

故に、久慈の話を聞いた俺はもう"どう上手く誤魔化してトンズラしようか"、それだけに全神経を集中させていた。

「ねぇ悪いんだけど砂糖取ってくれないかな。そこの」

「ああ、ほい」

俺側に置いてある角砂糖が入った小さな瓶を指差した久慈に、渋る理由も無いので瓶を渡す。

てっきり無糖派だと思ったが、なんだ砂糖使うんだなとか、俺はまた油断してしまっていた。

この男が狡賢いのを、数時間前に体験したばかりだったのに。

「触った」

「え……」

今、関係ない単語。

触った。

………………触った?

何と思って、瓶を掴んだ右手を見る。

「げっ」

指の先。ほんの少し。

久慈の左手が、俺の手に触れている。

嘘だろ。

「はい繋がった」

恐る恐る久慈を見れば、また目を開いて口角だけを上げた気味の悪い笑い方をしていた。

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俺は、

極力人に触らないようにしている。

潔癖ではない。

少しでも触れると、否応なしにその人と"繋がってしまう"から。

接点が出来てしまうとも言える。

とにかく、触りたくないのだ。

特に変なものを持ってきそうな奴には。

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「気を付けてるように見えるけど、君ってかなり単純だよね」

「うぐっ」

顔を戻した久慈が、俺から受け取った瓶の中から角砂糖を取り出す。

ちょっと待て何個入れる気だ、軽く5つは超えてるぞ。

「馬鹿って言った方がいい?隙あり過ぎ。よくそれで逃げようと思ったね」

「クソ野郎」

カチャカチャ音を鳴らして、紅茶から甘ったるい液体になった代物を混ぜる。

「どっちにしろさ、僕達は知っているんだ。関わるか関わらないか、その二つの選択しか無いんだよ。で、君みたいな能の無い鷹に"逃げる"選択肢は無い。彼らもそこまで馬鹿ではないからね。単純ではあるけれど」

「その能の無い鷹に相談していらっしゃるのはどちら様ですかー」

「残念だったね。僕が居なきゃ、そこそこほっといてもらっただろうに」

もうやだ何この人。

顔を覆って泣いたフリをしても無駄。

この勝負、完全にドヤ顔で自論に溺れまくった俺の負けだ。

「君は僕と縁が出来た。もう協力せざるを得ないんだから諦めな」

「おたくいつか刺されるよ」

「安心して。もう刺されるより嫌なことになってる」

くすくす笑った久慈はカップを口元に近付けて、

「甘っっ?!」

と一言。

…………そりゃそうでしょうよ。

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