見て見ぬフリが卑怯なのは困っている人が生きている場合だけ

中編5
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見て見ぬフリが卑怯なのは困っている人が生きている場合だけ

 その日も下心があって、私は文房具屋に向かいました。たまにですが、文房具店で可愛い女の子を見かけるのです。

 艶やかな黒髪、透き通った白い肌、素朴な雰囲気を醸す彼女は私が好む女性像の条件に当てはまっているのです。一目見て、彼女と仲良くしたいと思いました。

 しかし臆病な私は少女を見かけては話し掛ける機会を次回にまわしてばかりいました。意気地なしな自分に嫌気がさし、今日こそは話し掛けるのだと意を決して店を目指していたのです。

「残念やけど、今日は来んよ?」

 入院中の店長に代わって店番をしていた八幡のおばあちゃんが、不思議そうに私の顔を見つめていたのを覚えています。

「あの子は察しやすい性質だから危機回避能力に長けているとして・・・うーん、今日はみんな、なんとなく店に寄らない気分だと思うんやけどねえ?」

 私が店に来たことが不可解とでも言いたいのか、まるで幽霊を見るようなおばあちゃんの目が、非難しているようにも感じとれました。

 開店時間に入店してはいけないのかときいてみると、おばあちゃんは首をかしげてこう言いました。

「たまに危険な日があるとよ。でも、ひいちゃんが来たから違うかもしれん。そっか、おばあちゃんの予想が外れたか・・・」

 曖昧に笑いながら「気に留めるな」と言われても、ほんの数秒の怪訝な視線を忘れることができません。

 なんだか自分が文具屋にいてはいけないような気がして【危険な日】について詳しく訊こうとしました。しかしおばあちゃんは笑って誤魔化すばかりで、ますます不安が募っていきました。

 それでも私の機微を察してくれたらしく、無理矢理リンゴのパイの話題を切り出しました。腹にたまれば少しだけ気を紛らわすことができたかもしれませんが、食べ物の話では落ち着きませんでした。

 べつに【危険な日】を教えてほしかったわけではありません。『危険な日というのは狂言で、本当は自分がここにいてほしくないのではないか』と錯覚していたのです。

 だからおばあちゃんは私の不安を否定してくれれば、心の整理がついたのです。(はっきり否定することで逆に安心するてこと、ありえますよね)

 結局自分に、悪くないと言い聞かせ、渋々リンゴのパイの会話を続けました。

 本命の子がいないのであれば居すわる理由はない。話を切り上げる頃合いを待っていると、落ちつかない私の態度を間違えて解釈したおばあちゃんが突然洋菓子を買ってくると言い出しました。

 おばあちゃんは私を食い意地のはったガキだと思っているようで、何か食べさせてやれば元気になると思い立ったようです。

 おばあちゃんが私の性格を把握しているように、私はおばあちゃんが一度決めたら熱が引くまでつっ走る性格だと知っています。提案を却下しても、誤解を解こうとしても、無意味なのです。

 こうして私はおばあちゃんの代わりに店番をすることになりました。平日の昼間に客なんて来ないだろうと思い、軽率にも引き受けたのです。

 ところがおばあちゃんの予想が的中し、客は訪れました。

 誰かの気配を感じたからではなく、なんとなく帳簿から顔を上げて初めて少女が目の前に立っていることに気づきました。

「晴れの日が続いているから、もしかしたらセーラー服を来た女の子が鋏を買いに来るかもしれん」

 少女は鋏をにぎっていない方の手をこちらへ差し出しています。小さな手のひらの上には、鋏と同じ値段の小銭が乗っていました。

 彼女には申し訳ないのですが、私はおばあちゃんと約束をしました。

 絶対に、鋏を買わせてはならないと。

「女の子が全てを諦めて茫然としていたり、味方を見失って泣いていたら、優しい言葉を使って購入を止めて

 でも笑っているときは相手にしてはだめ。何があっても気づいていないふりをして」

 私は困ってしまいました。

 少女の前髪が胸元のスカーフの結び目まで伸びているので、表情がうかがえません。どちらにせよ彼女に凶器を持ち帰らせてはいけないので、私は帳簿へ再び視線を落としました。

 数秒後、鋏の先端が俯いていた私の前髪をかすって帳簿に突き刺さりました。

 あ、しまった、と思いました。お前の選択は誤っていたのだと攻め立てる言葉と、少女に見えていることを知らせてはいけないと言い聞かせる警告が衝突して硬直しておりました。

 とっさに謝罪の言葉を呟きそうになって、止まりました。

 謝って・・・それから?次が思い付かないのならだめだ。謝るだけで済まそうとするなら、何もしてはならないと自分を咎めました。

 少女はおそらく攻撃的な人格ではなく逆に傷を受けやすい性格です。言葉選びはもちろん、喋り方や視線すら考えなければいけません。袖から覗く痛々しい手首を見つめながら、固く握られた鋏が帳簿から離れないことを祈りました。

 彼女が辛い思い出に囚われているとしても、辛い現状の真っ只中にいたとしても、どうすることもできません。私は臆病者なんだ、巻き込まれたくないのです。

 心の中で何度も謝っておきながら、私は見て見ぬふりを続けました。

「おまたせ。一人で店番ご苦労様」

 その瞬間、自分は間違っていないのだと安堵しました。無視をして正解なんて奇妙だと思いながらも、「早く食べたい」とおばあちゃんの方へ駆け寄りました。やっと抵抗なく逃げることができたのです。

「ひいちゃんがこっち来たら、いなくなったよ。さっそく食べようか」

 ゆっくり後ろを見ると、少女の姿は消えていました。

「おばあちゃんのおかげで助かった」

 すっかり元気になった私はケーキを頬張りながら、訊きました。

「ところでどうして彼女が笑っているとわかったの?」

「店に入ってすぐに見開いた目が合ったとよ。口の端を釣り上げていたから『笑っとる!』と気づいたよ」

「なにそれ」

 おかしいと私は思いました。なぜなら入口を真っ直ぐに進んだ突き当りが会計なので、おばあちゃんがいた位置からだと少女の後ろ姿が見えることとなります。

 どうして、目が合うのか?

「どうして、会計するところで後ろを向いていたのかねえ」

「え?いや……多分あの子は帳場を向いていた。首以外は」

 私を騙すために顔を隠していたことに気づくまでに時間がかかりました。幽霊も学習能力があるのですね。発見です。

「それにしても、どうやっておばあちゃんは鋏を買う女の子の正しい応接を知ったの?」

「現在入院中の文具屋店長からきいたとよ」

 おばあちゃんは店長の代わりに店を開いていることは知っていましたが、店長不在の理由は知りませんでした。

「店長のおかげてで、おばあちゃんたちは二の舞を踏まずに済んだとよ」

 おばあちゃんはみぎ茶を啜ってほうと息を吐きました。

 この出来事により、店内に鏡が飾られるようになりました。鏡の目的を忘れたおばあちゃんが鏡を売ってしまうので、四代目の鏡には『非売品です』というメモを付けています。

 鏡を見るたびに鋏を買いに来る女の子を思い出します。

Concrete
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コメント、怖ポチありがとうございます。
この作品を読んで、危害を加える人物が必ずしも加害者であるとは限らない、と考えてくれると嬉しいです。

(攻撃的な人は危険ですが、繊細な人も警戒しなければなりません。迂闊な言動が命取りとなります。)

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