【穢土切子の心霊カルテ】貴女が石になるまで(完)

長編10
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【穢土切子の心霊カルテ】貴女が石になるまで(完)

江戸桐子(えどきりこ)……若く美しい女医。普段はしがない町医者だが、この世ならぬ出来事に通じ、障りを祓う裏の顔を持つ。「穢土切子」の隠し名を持つ。

目崎千里(めざきせんり)……桐子の助手。大学生。

日暮真理子(ひぐらしまりこ)……美しい依頼人。ある出来事がきっかけで、身体が石化しかけている。十七歳より以前の記憶がない。

日暮甚五郎(ひぐらしじんごろう)……麻里子の父。一部で著名な芸術家。心臓発作で倒れ、意識不明になり入院している。

日暮麻里奈……甚五郎の妻。十一年前に死亡している。

右野圭介(うのけいすけ)……甚五郎の弟子。嵐の夜に失踪する。

左野実(さのみのる)……甚五郎の弟子。嵐の夜に自殺する。

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まずは自己紹介をいたしましょう。

私は穢土切子。

貴方の師事する、日暮甚五郎氏のご息女である、日暮麻里子さんから依頼を受けてこの場におります。

私は普段はしがない町医者ですが、この手の常ならぬ事態を解決する裏の稼業を持っています。

どこでお知りになられたかは存じませんが、麻里子さんは私の許を訪れた。

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お話は彼女から聞かせていただきました。

甚五郎氏が心臓発作で倒れ、佐野実さんが自殺し、貴方が突如失踪した夜のこと。

その際に交わされた、貴方と麻里子さん、実さんと麻里子さんの会話のこと。

そして、あの家を離れた貴方が知らないであろう、麻里子さんの身に起こった事態。

それらを全て結び、説明する仮説を私は持っています。

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どうぞ、その椅子に腰を下ろしてください。

始めに、少しだけ、貴方の話を聞かせてください。

私の説を補強する最後のピースを。

貴方が日暮家にやってきた日のこと、そして、あの晩、実さんに云われたことを――。

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『はじめまして、日暮麻里子と申します。

右良圭介さんと、左野実さんですね。父から話は聞いております。

どうぞ、よろしくお願いいたします』

彼女と初めて顔を合わせたとき、僕と実君は驚きました。

なぜって、甚五郎先生に娘さんがいらっしゃったことなぞ、それまで誰も知らなかったのですから。

麻里子さんはその時十八歳でした。

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僕らが弟子入りをする前年、先生は奥様を亡くされ、一時期非常に傷心なさっていたと伺っています。

奥様――麻里奈さんは美しい方だったと記憶しています。

先生のところにご厄介になる以前、展覧会にご夫婦でいらっしゃっているのをお見かけいたしました。

彼女はピアニストであるということも、後に知りました。

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麻里子さんは、母親である麻里奈さんの面影を強く感じさせる顔立ちをしていました。

病で屋敷から出ることもできず、そればかりか、十七歳までの記憶すらないとの話でした。

僕らは彼女を不憫に思いましたが、聡明で心根の優しい彼女は、そんなことを感じさせないばかりか、年上である僕らを家族のように慕ってくれたのです。

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僕らはいつしか、彼女に惹かれていました。

兄のように慕ってくる少女を、女性として意識することの罪深さに怯えながら(まして彼女は、師匠の娘さんなのです)。

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彼女は年とともにさらに美しく成長しました。

ひとつ、奇妙に思っていたことがあります。

彼女はよく、母親は自分が生まれる際に亡くなった、と口にしていました。

先ほど申し上げた通り、先生の奥様が亡くなったのは、十一年前――彼女が昏睡から目覚める一年前――です。

この記憶違いは、彼女の記憶喪失によるものだったのでしょうか。

そのことに触れない先生の手前、僕らは口をつむぐばかりだったのですが――。

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話はあの夜――私があの家を離れた日――の一週間前に飛びます。

その夜、私の部屋に、実くんが飛び込んできたのです(転がり込んできた、という云い方の方がいいかもしれません)。

彼は普段と違い、たいそう憔悴していました。

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『どうしたんだい?』

尋ねる私の言葉が耳に届いているのやらいないのやら、彼はブツブツと何事か呟いています。

そしておもむろに顔を上げ、こう云いました。

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『圭介くん、僕はとんでもないものを見てしまった。

先生の――彼女の――ああ、こんなことがあるものだろうか。

しかし、いや、やはり甚五郎先生はすごい。

あんなとんでもないことをやってのけるなんて、僕らの先生は名人だ』

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私は彼が何を云っているのか、まったくわかりませんでしたが、敢えて聞き出すことはせず、ああそうだな先生は名人だ、と調子を合わせて、彼の興奮を沈めようと努めました。

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その晩はしばらくして冷静を取り戻した実くんが自室に戻っていき、事は済んだのですが、再び翌日の晩、事件は起きたのです。

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激しい雨の晩でした。

なにか不吉な気配を感じる天候でした。

自室にいた私は、妙に間延びしてドアを叩く音を聞きました。

扉を開けると、実くんがーー青白い顔をして、泣き出しそうな、しかし口許は奇妙に緩んだ形をさせてーー立っていました。

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『どうしたんだ、二晩続けてなんて』

『先生が……心臓の発作に倒れられたんだ。

……いや、安心したまえ。僕が居合わせ、先生の身体を支えたので、頭を打つようなことはしてない。

救急車も呼んだから、君、車が来るまで先生をベッドに寝かせて差し上げたいから、手伝ってはくれないか』

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彼の態度は妙でした。

いくら対応が適切に済んでいるからといって、変に落ち着いています。

私だったらもっと取り乱していたでしょう。

心が、どこか別の場所にあるかのようでした。

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私たちは急いで先生がおられるアトリエに駆けていき、先生の身体を支えてベッドまで運びましました。

『実くん、麻里子さんには知らせたのだろうね?』

彼は首を振って、それから私を立ち止まらせました。

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『待ってくれ。君に大事な話があるのだ。

僕らの愛する麻里子さんのことなんだ。

落ち着いて聞いてほしい。あらかじめ云っておくが、僕は混乱も錯乱もしていない』

そう断ってから彼が告げたのは、信じられない言葉でした。

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「麻里子さんは呪われている。

実くんは私にそう云ったのです」

圭介は切子に向けてそう告げた。

まっすぐな視線だった。

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「彼は、先生が倒れられたのもその一端であり、今後その牙は麻里子さんに及ぶ、と言い出したのです」

「貴方はその言葉を信じたのですか?」

圭介はかぶりを振る。

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「はじめは――そんな突拍子もない話、信じられるわけがないと云いました。

科学全盛のこのご時世に、なにをオカルトな、と。

ですが――」

言葉の切れ目を心電図の定期的な音が埋める。

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「私は実くんという人間をよく知っています。

彼は非常な理屈家なのです。根拠がないものを盲目的に信じることは、けしてしません。

その彼が、オカルトはある、と言葉を続けたのです。

信じざるを――得ませんでした」

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実は圭介に、この家から――麻里子から離れることを要求したという。

圭介がいることで、麻里子に向けられた呪いに対処できなくなるから、と。

一介の芸術家見習いで、つい何日か前までオカルトなど毛嫌いしていた実に、呪いの対処などできるものか、と反発した圭介だったが、ただ麻里子の身の安全は案じられた。

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そして、そんな圭介に、いつから信じたかは問題ではない、実際にそれを視て、それに触れて、道理を理解したなら、ライターで火を点けるくらい、呪いへの対処は造作もないことだ、と実は云った。

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『――僕は念のため、大通りまで救急車を迎えに行ってまいります。

実君が麻里子さんに話があるそうです。すぐにアトリエに行ってやってくれますか?』

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圭介は麻里子にそれだけ告げると、家を離れた。

麻里子の身の安全を、実に固く約束させて。

たとえ、自らの恋心が叶わなかったとしても、愛する人の命のため――。

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「――わかりました。圭介さん、ありがとうございました。

これで、すべてが繋がりました。

貴方は麻里子さんの身の安全を慮られて、彼女の許を離れられた。

しかし、圭介さん――」

真相をお話する前に、貴方の愛する人にお会いいただきましょう。

その言葉に、圭介がはっと顔を上げる。

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「い、いるんですか?ここに、彼女が」

「ええ――」

切子は甚五郎の病床の奥にある、ベッド周りを覆うカーテンを開けた。

そこには――。

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shake

「ま、麻里子さん――!」

そこにはもう一台ベッドが設えられており、その上に横たわっていたのは、全身が固く冷たい石と化した、麻里子その人だった。

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「麻里子さん、なんて姿に――!

これが……、これが呪いなのですか?

実君――、彼は一体なにを!

麻里子さんのことはまかせろと云うから僕は――」

圭介は激しく取り乱した。

切子が落ち着いた調子で声をかける。

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「左野実さんは亡くなりました。

麻里子さんに愛を受け入れてもらえず、その失意のために自ら命を断ったのです。

親友である貴方との約束を裏切るつもりはなかったと思いますよ。

なぜなら、彼はすでに一度、貴方に対して嘘をついていたのですから」

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「嘘――?」

はい、と切子は応える。

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「実さんが貴方についた嘘。

それは呪いを持って彼女をこのような姿にした第三者など”はじめからいなかった”ということです」

なにを――、と圭介は息を飲む。

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ある男の話をしましょう。

彼は若い頃から美の神の祝福を受けた人間でした。

彼の手はあらゆる美しいものを造り出しました。

やがて彼は伴侶を得ますが、ふたりの間に子供はありませんでした。

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しかし彼に不満はありませんでした。

愛する者がそばにいてくれる。それだけで満足だったのです。

彼にとって、自らが生み出した芸術品は子供も同様。

ただ、妻さえいてくれたなら――

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しかし、そんな彼を突然の別れが襲います。

十一年前のことです。

妻が病で帰らぬ人となったのです。

彼は失意のどん底に落ちました。

どん底の闇の中をもがいて、もがいて――

やがて、彼の手は奇跡を掴むことになります。

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彼は忘れ得ぬ、出逢った頃のうら若い妻の姿を石像に刻みました。

美の神に愛された彼が、一心に彫りこんだその石像には、かりそめの命が宿ったのです。

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男の名は日暮甚五郎。

妻の名は真理奈。

石像に宿った命は――

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麻里子と名付けられました。

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甚五郎氏がどんな気持ちで麻里子さんと接していたかは、当人の口から語られない限り、想像の域を出ません。

しかし、彼は麻里子さんのかりそめの命が途切れぬよう、日々、ある行為を施していたのです。

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甚五郎氏には、やがてふたりの弟子が付き、彼らは美しい麻里子さんに惹かれていきました。

十年は何事もなく過ぎましたが、ある夜、その幸せな均衡は綻んだ――

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『圭介くん、僕はとんでもないものを見てしまった。

先生の――彼女の――ああ、こんなことがあるものだろうか。

しかし、いや、やはり甚五郎先生はすごい。

あんなとんでもないことをやってのけるなんて、僕らの先生は名人だ』

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弟子の左野実さんは、甚五郎氏が麻里子さんに施していた儀式を覗き見てしまったのですね。

彼女の真実にも気が付いた。

翌日、甚五郎氏が倒れたのは偶然か、はたまた実さんに真実を突き付けられてショックを受けたからか――これも定かにはわかりません。

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しかし、いずれ実さんにしてみれば、あとは圭介さん、貴方さえいなくなれば、麻里子さんは自分だけのものになると、そんな考えが頭を過ったのでしょう。

魔が射したのですね。

そこで彼は、偽りの、呪いの第三者の存在を貴方に吹き込んだ――

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『麻里子さんは呪われている』

『君が此処にいては、彼女を救えない』

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しかし結局、彼女に気持ちを受け入れてもらえず、友を裏切ってまで吐いた嘘も無駄になってしまった。

彼は失意の内に命を断った。

麻里子さんのかりそめの命を繋ぐ儀式は、以来誰からも施されることなく。そして――

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「彼女は″元の″石に戻った、というわけです――」

切子は長い話を終えた。

ちょうどその時、規則正しく鳴っていた甚五郎氏の心電図が動きを止めた。

まるで自らの役目を果たしたかのように。

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「先生……」

圭介はぽつりと呟いた。

驚きと哀しみと、数々の問いを飲み込んだ声色だった。

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「儀式とは――これは私の推測ですが――石像である彼女に息を吹き込むこと。

息吹は命。これは呪の基本です。

しかし誰にでも出来ることではない。

甚五郎氏が、暗闇の中をもがいてようやく手にした奇跡です。

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彼女の存在を真に切望した者が、自らの命を分け与える決意のもとでそれをしなければ。

――右良圭介さん、貴方にそれが、できますか?」

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圭介は眠れる麻里子の石像をじっと眺め、そして――。

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「桐子さんが描いていた夢の絵――天から垂れ下がる糸と、その下に立つ少女は、糸の切れた操り人形を暗示していたんですね」

病院からの帰り道、僕は前を歩く桐子に問いかける。

「意思を持って自立した被造物。麻里子さんはそういう存在だったんだ」

桐子の描く夢の絵は、この世界のどこかにある真実と繋がっている。

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「これから、あのふたりは大丈夫なんでしょうか。

圭介さんは、麻里子さんに真実を伝えるんでしょうか」

圭介の口づけに目覚めた麻里子は、自身が完全に石に「戻っていた」ことを知らない。

息を引き取った父の姿を見て涙し、隣に立つ圭介の胸に顔をうずめていた。

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「それは彼が決めることさ。

でもまあ、案じることはないよ。

石像の麻里子さんは確かに人の手が造り上げたものだけれど――」

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人もまた、神の手による被造物には違いないのだから――そう云って桐子は微笑んだ。

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