長編10
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異夢

金木犀の香りが、突き上げる様に襲ってくる。

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図書館からの帰り道。

知り合いに教わった近道を試してみようかと思いつく。

この地に越して来て半年、忙しさにかまけて様々な事を疎かにしながらも、新しい生活、新しい出会い、新しい発見に心躍らせる毎日。

移り行く季節への実感に、新たな試みを興じるというささやかな冒険心が生まれた。

秋の夕暮れ、久々に橙色をした空を仰ぐ午後16時40分。

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探していた専門書に有り付いて、帰宅後の楽しみを思い描きながら知人の話していた順路を思い返す。

大通りから一本外れた通りに出る。

初めて歩くこの通りは飲食店や居酒屋、八百屋に精肉店、魚屋などが軒を連ね、予想に反して賑やかで活気があった。

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通りを暫く道なりに歩き、住宅街に続く坂道を下った先が自宅のある通りだ。

いつもは線路を渡るため、踏切を二つも超える必要があり大回りをしていた。

知人の話によると、この道を使う事で10分程時間を短縮出来るそうだ。

次の日も休み。

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土地勘はないが、迷い道もまた一興といった気持ちと時間の余裕から意気揚々と歩く。

住宅街に続く坂道に差し掛かる。

ここまではイメージ通り。

ここから生活道路になり、道幅が狭くなる。

坂を下りきった所でY字路が見えて来たら右。

然程(さほど)難しくない道順だ。

すっかりと日が暮れ、辺りは宵闇が迫る。

紺色の住宅街にぽつぽつと灯りが灯り始める。

坂道を下りきりY字路と思われる分岐点に差し掛かった。

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目の前の分岐はY字では無く、十字であった。

想定外の光景に眉をひそめる。

坂道は他に脇道のない一本道だった。

どこからどう見ても眼前に広がる三方向の道。

その十字路はどこかが斜めに歪んでいることはなく、正に漢字の十を表していた。

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さて、どうしたものか、、、、

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左の道は街灯の間隔が広く薄暗い。

賃貸アパートが連なり、その先に踏み切りの赤い光が見える。

右の道は街灯の間隔が狭く明るい。

建売や注文住宅の連なる住宅街が続いていて、その先には車が行き交う通りが見える。

正面、真ん中の通りは工場とグラウンドの敷地が左右にある。

左は工場のブロック塀、右がグラウンドのフェンスが続いており、その先は右の道と同じ様な通りが見える。

通りの先にある高いビル群がキラキラと輝く様子は、いくらか幻想的な印象を受ける。

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どの道に行くべきか、、、、

左の道は踏み切りがあるので近道の意味がない。

右の道の先にある通りは、自宅に面した通りである可能性が高い。

しかし正面の道の先にも同じ様な通りが見える。

しかも都会的なビルが建ち並ぶ様子から、この地に来てからそこがまだ未開拓の場所である事は明白であった。

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左手首に目をやると、時刻は午後17時05分。時間の余裕がある事を確認し、ささやかな冒険心が、強い探究心に変わった。

選ぶのは正面、真ん中の道だ。

、、、、

、、、、、

、、、、、、

、、、、、、、

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誰もいない。

青と緑と灰色だけ。

周囲を見渡すと、コンクリートの様な材質で恐ろしいまでに美しく成形された造形物の森。

途方もなく高く聳え(そびえ)立つ建物や、見た事もない生き物と思しきものの形をしたオブジェが並んでいる。

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一見して適当な配置に見えるが、精密に計算され尽くした配置にも見えるその造形物達は、それぞれが綺麗に刈り揃えられた芝の上に佇んでいた。

生き物は私だけの様な錯覚さえ覚える。

見上げる空は真っ青で、雲一つないその景色は、誰かの意図で作られたとある空の様にしか見えなかった。

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一切の不純物を許さないこの場所は、喜びも怒りも悲しみさえも無い、無機質でいて何らかの目的の為だけに存在しているのだと感じた。

この世界にとっての異物は自分一人であり、間も無く招かざる者に対しての洗礼が襲って来る気配さえ感じられる。

自らの思考と感情が、疑心や不安でたっぷりと満たされていく。

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ここに居てはいけない。

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状況の把握や判断がつかない現状に、焦りと迷いが行動という選択肢に霧をかける。

錆びついた様に動かない身体を無理矢理に動かし、歩き出す。

自分がこれまでに生きて来た世界と明らかに異なる場所。

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目的は帰還すること。

とにかく元の世界に帰り着くこと。

出口とされる扉、穴、装置など、帰るための手掛かりなら何でも良い。

少しずつ地面を踏みしめる足に力が入り、さらに歩みを進める。

広大な敷地にコンクリートの建物や造形物群。

それらをまじまじと見つめると、不自然な程すべてが綺麗で新しい。

傷、垢、シミ、埃ひとつみられない。

そこからこの世界の文化や足跡を汲み取る事は叶わない。

収穫といえば、つい先程そこに産まれたばかりの灰色の物体だという事だけだった。

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もうどれくらい歩いただろう、、、、

不思議な事に、疲労や空腹をまったく感じない。

周囲には不規則に並ぶオブジェと高いビル。

それぞれの形は違うが、いくつかの共通点に気付く。

オブジェは動物である事、しかしそれは所謂(いわゆる)動物のそれでは無く、“動く物”である事が辛うじて分かる程度だった。

首の長いゴリラや二足歩行の馬、昆虫の様な沢山の脚を携えた蛙の頭の生き物。

中にはまったく意味の分からない流線型のものまである。

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いずれもその様なものという形容に留まる程、理解を超えた造形物なのだ。

そして果てしなく天に伸びるビル群。

一見してビルと形容する他ない形をしていて、窓も付いている。

ただし入り口が見当たらない。

近づくと音がする。

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ゴウン、ゴウン、、、、

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その規則的な音は確認したすべてのビルから聴こえてきた。

現状の分析や検証が出口への希望に繋がらないという事実。

俄かに、絶望という名の感覚が自らの中に沸々と湧き上がる。

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思わず天を仰ぐ。

安い絵の具で青色に塗りたくった、天井の様な空を恨めしく睨みつける。

ふいに視界の端、高いビル群の中でも一際目立つ、空を突き刺す程の建物を捉える。

既に希望も望みも捨てかけ、論理的思考の欠如した自分にとって、思考では無く感覚からその最も高い建物を目指すべきだという結論に達した。

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程なくして目的の建物にたどり着く。

その建物は、この世界に来てから見てきたどのビルとも異なる形をしていた。

今迄通り過ぎたビルは形は違えど、共通して四角柱に近い形をしていた。

目の前にあるビルは綺麗な円柱型である。

その建物には上に向かって等間隔にグリーンのライトが付いている。

建物の入り口を探すが、他のビルと同様に見つからない。

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焦りと苛立ちの中その建物の外周を歩く。

外周の直径は計り知れないが、とにかくその壁に何か手掛かりが隠されている事を信じ歩き続ける。

何も無いただの壁だと分かるのにそう長くはかからなかった。

絶望に苛まれ、自らの前頭部を建物の外壁に打ち付ける。

その時、微かにビルから音が聴こえた。

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ィィィイイイイ〜〜、、、、

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耳鳴りの様な音が聴こえる。

これまで他のビルで聴いた音とは明らかに違う。

壁に耳をくっつけてさらに音を聴く。

次第に耳鳴りの音は、自分の身体から聴こえている様な感覚を覚える。

急に視界が白く濁る。

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次の瞬間世界全体が白に覆われ、前後、上下左右の感覚が無くなった。

、、、、

、、、、、

、、、、、、

気がつくと自宅のベット上にいた。

普段着のまま布団も掛けずにベットに横たわっていた。

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夢?

ズキッ、ズキッ!、、、、

頭痛がする。

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頭を抑えながら、何気なく左手首に目をやる。

時刻は午前7時32分。

腕時計の文字盤、ガラスの部分に大きなヒビが入っていた。

それを見た途端、昨日の夜の事が鮮明に思い出される。

、、、、

、、、、、

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選ぶのは正面、真ん中の道だ

「おーい!ちょっ、、ちょっと待ってー」

真ん中の道に脚を踏み出した時、背後から声がした。

振り返ると40代程の男性が小走りで近寄って来た。

街灯に照らされた彼は、警察官の様な制服を身に付けていた。

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「そっちはまずいなぁー、、ダメだよぉ〜」

その男の出で立ちに、何もしていないにも関わらず法を犯したのでは無いかという根拠のない不安が渦巻く。

「え?なんでしょうか?何かまずい事でもございましたか。」

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平静を装い男に向き直ると、あっ!と相手が大きな声を出した。

男の意図が分からず段々と苛立ちが増す中、男は自身の今立っている場所と足元を見ながら、あちゃーとかもうダメだーと言う独り言を話し始めた。

「なんなんですか!?さっきから!意味がわかりません。」

思わず興奮気味に話してしまう。

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「まぁーしょうがねぇべな!」

何かを悟り、何かを見捨てる様な眼差しで、馴れ馴れしくもポンッと肩を叩いて来た。

尚も怒りが抑えきれず、冷静さを欠き詰め寄る。

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「一体なんです!?なんの権利があって私を呼び止めたのですか?職務質問なら身分の提示をするべきなんじゃ無いですか?貴方名前は?所属は?」

年甲斐もなく相手を責め立てる。

男は動じず答える。

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「所属ぅー?名前ぇー?あー、、へっへっへ。」

意味がある様な笑いをする男を見て、まったく意味が分からない事への怒りに加え、もしかしたら男は警察官では無く逆の立場の人間、つまり犯罪者では無いかという恐怖心が生まれた。

ジリジリと後退りし、背後に逃げようとすると、男は妙な動きを見せた。

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「おっとっと!違う違う!こっちこっち。」

向かおうとしていた真ん中の道では無く、右の道へ行けと男が指を指す。

警戒心と恐怖心で満たされた心は恐怖心が上回り、男が指し示す方向であればこの状況から解放されるのではと言う希望が右の道を選ばせた。

弾かれた様に走り出し、全力で駆ける。

遠く背後から、男が声をかけてくる。

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「危ないから走らない方がいいぞ〜。」

男の声を無視して走っていると、視界が段々と斜めに傾いて来る。

あ、あれ、、、、?

ドタンッ!!

気がつくと身体の左側を下にして倒れていた。

あの男に何かされた?怖い!危険だ!

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必死に立ち上がりヨロヨロとしながらも何とか大通りまで出る。

ここまで来れば人通りも多いし安心だ。

知人から教わった通り、自宅から歩いて数分の位置まで来る事が出来ていた。

幸いな事に傷は左手に小さな擦りギズのみだった。

しかし大事にしていた腕時計の文字盤にヒビが入ってしまった。

やっとの思いで自宅マンションに帰り着き、部屋のベッドに腰を下ろす。

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まったく酷い目にあった。

警察官を装った犯罪者だったなんて、、、、

通報はしておかなければと考える。

ふと急激な眠気に襲われる。

制御出来ない眠気に倒れて頭をぶつけない様に、最低限ベッドに安全に横たわる事に最後の力を振り絞った。

ーーーーー

ーーーーーー

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「それで、あの夢をみたんだ。

四叉路、十字路なんて君には嘘を付かれたよ。」

彼の体験談と共に、教えた道順の確認も兼ねて話を聞いた。

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彼に近道を教えたのは私だ。

私は彼の体験談を克明に聞く事が出来た。

教えた順路に十字路などは存在しない。

道順も間違ってはいなかった。

なぜ三叉路が四叉路になっていたのか、私自身首を傾げるしかなかった。

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「しかし奇妙な夢だな。

変な男にも会うし、怪我や時計の破損、

散々だったな。」

私は苦笑をしながらも、心からその知人を心配しそう話した。

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「本当に大変だったよ。

でもね、その事があってからずっと気になっている事があるんだ。

もしあのまま誰にも邪魔されず真ん中の道を進んでいたら、どうなっていたんだろう。

もしかしたらあの夢の世界に辿り着いたのかも知れない。」

虚ろな瞳で話す彼の様子を見て、嫌な胸騒ぎを感じた。

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彼が人身事故で命を落としたと聞いたのは数日後だった。

坂を下り切った先にあるY字路。

右に行けば近道の順路だ。

左に行くと踏み切りがあり、その場所が事故現場となった。

彼は何を想い行動したのか。

今となっては知る術がない。

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踏み切りの近くに献花を供える場所が設けられ、事故現場へは定期的に赴いていた。

その際に耳にした事。

彼が電車に轢かれた後、身元を確認する者が唯一腕時計だけであったそうだ。

衣類は身に付けていなかった。

また人身事故というものは、遺体の損壊が激しいとは良く言われる事だが、彼の場合粉々のミンチ状にまでになっていた。

そして最も不自然な点は、電車が彼と接触した痕跡が一切ないとの事。

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踏み切りの近所の住人が、日課にしている早朝の散歩中、線路内に赤い液体と細切れにされた肉の様な物がぶちまけてあるのを目撃している。

その傍らには彼が愛用していた腕時計が落ちていたそうだ。

警察と鉄道会社は通報を受けて車両の点検を行うが、血痕など接触が確認される材料の一つも見付けられなかった。

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ただそれも、近所の噂を聞いただけ。

それだけのことだ。

彼の存在が消えた現実は変わらないのだ。

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金木犀の香りがすると、彼の最後の言葉を思い出す。

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「僕は決めたよ。

今色々と準備をしているんだ。

向こうへ行くには、こちらでの自分の存在を消さなきゃならないんだ。

あの男が言っていたよ。

成功したら合図を送るよ!」

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嬉々として話す彼を見て、掛けるべき言葉を見つけられなかった自分を責める。

彼が何処かで生きているのであれば、それほど喜ばしい事はない。

例えそれが幻想であったとしても、私は彼の合図を待ち続けたいと思う。

Concrete
コメント怖い
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@はと
早速お読みいただき有り難く存じます。
あり得ないという言葉に裏切られ翻弄される日々でございます。
悪魔の囁きは日常に存在し、それはいつの間にか目の前でぽっかりと口を開けて待ち構えているのかも知れません。

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