中編6
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夜の卵【ワレナイ】②

ぼんやりと見ていて気付かなかったが、ヒナが金魚すくいをとっくに止めて、誰かと話しているのに気付いた。

そこは、周りの店に比べて随分と薄暗く、裸電球一つの屋台に、今まで見たこともないような美しい女性が座っており、その屋台の台の上には、白い卵が所狭しと並んでいた。ヒナはその店主となにやら楽しそうに話をしている。

 お祭りの屋台に卵を売る店?真美子は怪訝に思いながらも、その店に近づいた。

店主の女は、この暑さにも関わらず、巫女が着るような着物を着ており、その色は玉虫色というかなんとも言えない色調の生地だった。そして、気温などまったく関係のないように、汗一つ書いていない。

「おや?いらっしゃい。あんたもこの店が見えるのかい?」

その女店主は不思議なことを言う。真美子は、この店主に関わらないほうが良いと直感的に思った。

「行くわよ、ヒナ。」

真美子はヒナの手を引こうとすると、ヒナが振りほどいた。

「ヤダ!まだこのお姉さんとお話したい!」

何でもかんでも、ヤダヤダヤダ。もうウンザリ。

「どうしていつもママの言うことが聞けないのっ!」

真美子は、大声で叫んだ。

ヒナはびっくりして泣き出してしまった。

「泣けばママがいつも言うこと聞くかと思ったら大間違いよ!聞き分けの無い子はママの子じゃありません!」

大人気ないと思ったが、真美子は日ごろのストレスが爆発してしまった。その様子を嬉しそうに、見ている卵売りの店主も癇に障った。

「ねえ、あんたの願いをかなえてあげようか?」

その店主は、真美子に白い卵を差し出してきた。

「願い?」

「そう、願いさ。人間なんだから、何かあるだろう?」

私の願いは・・・。真美子は地団太を踏んで泣いているヒナを見た。もうこうなってくると、1時間はここで足止めをされるのだろう。

本当に、もううんざり。

「あんたの願い、叶えてあげるよ。さあ、持ってお行き。」

また女店主は、白い卵を差し出してきた。胡散臭い。こんな卵で何ができるって言うの?

「じゃあ、ヒナがもらう!ヒナが願いを叶えてもらうの。ヒナねえ、猫ちゃん飼いたい~!猫ちゃんがヒナのおうちに来ますよーに。」

いつの間にか泣き止んだヒナが、卵売りの女から卵を受け取ろうとしていた。

「ダメ!知らない人から、物をもらっちゃダメっていつも言ってるでしょ?返しなさい。」

ヒナが下から、子供とは思えないような目で睨みつけてきた。

「ママはいつでも、何でもダメダメダメって言う。ママこそ、ヒナの言うこと、何にも聞いてくれないじゃん。」

なんなのよ。私は、いつもあなたの言うこと聞いてるし、ダメだというのも、あなたのことを思って言ってるんじゃない。何にもわからない、ガキのくせに。

真美子の怒りが爆発して、気がつけば、ヒナの頬を打っていた。

その拍子に、ヒナの手から卵が零れ落ちた。ゆっくりと放物線を描いて、地面に落ちた。だが、その卵は割れなかった。地面に落ちるまでの時間が一瞬止まったかのように見えたが、ヒナの火がついたような泣き声が時を戻したかのように動き始めた。

「ママなんかだいっきらい!」そう叫ぶと、ヒナは神社を抜け、道路に向かって走り出した。同時に、急ブレーキの音と、ドンッという音が響いた。

真美子は、とっさに何が起きたかを理解した。

「ヒナッ!!!」

フロントガラスの割れた車。

その先には・・・。血まみれのヒナが転がっていた。

「ヒナッ!ヒナッ!」

真美子は半狂乱になって叫んだ。救急車!という誰かの声。ほどなくして、救急車が到着し、真美子はヒナに付き添った。ああ、私がヒナをぶったばっかりに。ごめんね、ごめんね、ヒナ。どうか、助かりますように。

真美子は祈った。

しかし、祈りも空しく、ヒナは死んでしまった。真美子は狂ったように泣いた。

「あんたの願いを叶えてあげようか?」

あの女店主の言葉が真美子を責める。真美子は、一瞬思ってしまった。

この子さえ居なければ。再就職もできた。彼氏も逃げなかった。私の人生はもっと違うものになったはず。

でも、それは違う。

私が不幸になったのは、全て自分の所為だ。

大切なものは失ってから知るものなのだ。

私の一番大切な宝物。それは、ヒナだった。何故気付かなかった?

「すみませんでした。」

ヒナを轢いた男が、病室を訪れた。

「すみませんで済むと思ってるの?返して!返してよ!私のヒナを返せ!」

真美子は半狂乱になって、男に掴みかかった。

病院関係者は、お母さん、落ち着いてくださいと言いながら、真美子を取り押さえようとした。

「・・・弁償します。」

男の口から、出た言葉に、真美子は耳を疑った。今、何て?

「弁償します。」

今度ははっきりと聞こえた、真美子は面食らったが、すぐに怒りが頂点に達した。

「弁償なんてできるはずないじゃないの!ヒナは物じゃないのよ?」

また真美子は男に掴みかかった。

「たかが一回死んだだけじゃないですか。そんなに僕を責めなくてもいいでしょう?」

男は平然と言ってのけた。何を言っているの?この男は。頭がおかしいのか。

「許さない!人の命をなんだとおもってるの?」

真美子は子供のようにわんわん泣き出した。だが、その男はキョトンとした顔でそれを見ていた。

興奮状態の真美子を、病院関係者は鎮静剤で落ち着かせてベッドに寝かせた。

真美子は、ベッドの上で目が覚めた。朦朧とする意識の中、残酷な現実が蘇ってきた。

ああ、もう私のヒナは居ないんだ。真美子はまた、涙があとからあとから溢れてきた。

「泣かないで、お母さん。」

恵美子がその声に振り返ると、ベッドの横には、ヒナが立っていた。

「ヒナ!」

これはヒナの幽霊だろうか。恵美子は何度も目をこすって、自分の頬をつねってみた。

夢ではないし、ヒナに触れることもできる。幽霊なら触れることなんてできないだろう。

「ヒナ!ヒナ!」

真美子はヒナを抱きしめた。

「痛いよ、お母さん。」

先ほどから、真美子は小さな違和感を感じていた。

ママではなく、ヒナは自分のことをお母さんと呼んでいる。

「ほんとうに、ヒナ?」

「ヒナだよ。お母さん、どうしちゃったの?」

姿形はヒナだが、どうもヒナにしては大人びているような気がした。

「ヒナ、あなた大丈夫なの?車に轢かれて大怪我したんじゃあ・・・。」

「何言ってるの?お母さん。お母さん、お祭りの会場で倒れちゃって、救急車で運ばれたんだよ。良かった、お母さんが目を覚ましてくれて。」

あの卵が落ちて転がる映像が、真美子の脳内でフラッシュバックする。それと同時に、ジーンズのポケットに違和感を感じた。恵美子が恐る恐る、そこに触れ、ポケットの中からそれを取り出す。

「卵だ・・・。」

割れない卵。夢を叶えてくれると、あの女店主が言った卵。どうしてここに?

真美子は翌日には退院して、ヒナと自宅へ戻った。

ヒナは変わった。我侭ばかり言って、真美子を困らせたヒナはどこにも居ない。良い子になったヒナ。真美子を困らせることは一切なくなり、体も丈夫になって、真美子は、呼び出しをくらうことは全くなくなっていた。

ヒナさえ居ればいい。何もいらない。

あれは、本当に夢だったのだろうか。真美子は時々考える。夢にしては、やけにリアルだった。あの時、女の言った言葉が思い出される。

「持ってお行き。お代は要らないよ。ただし、タダではないけどね?」

卵を渡す時に確か、そう言ったような気がする。

お代がいらないのに、タダではない。

あの後、ヒナを叱ってぶってしまって、ヒナが道路に飛び出して車に轢かれて死んだ。

でも、ヒナは生きて、今自分と暮している。全ては、真美子の夢なのか、幻覚か。

 ヒナとの暮らしは、貧しいながらも幸せだった。職場の仕事も順調、しかも、新しい彼もできた。今度の彼は、温厚で優しい男で、ヒナのこともとても可愛がった。真美子は、男からプロポーズされた。やっと真美子に、幸せが訪れると思った矢先だった。

 その男は、交通事故に遭って死んでしまった。どうして、私ばっかり。真美子の憔悴振りは相当なものだった。私は人生に何も期待してはいけないのだろうか。途方にくれ、落ち込む真美子に、ヒナが近づいてきて言った。

「お母さん、また弁償してもらえばいいじゃない。私の時みたいに。」

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