先生、また佐楢見さんの腕がもげました

長編6
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先生、また佐楢見さんの腕がもげました

wallpaper:792空

Ⅰ 桜の雨

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その桜の花は白くて、枝に萌える葉は爽やかな緑。

校舎へ続く霞桜の並木道へ、今朝もやわらかな風が訪れる。

揺れて重なる花と葉の、混ざり合う彩りの美しさ。

遥か空を渡り雲を跳ねる、陽の光の暖かさ。

さんざめく枝と枝とが、アスファルトへ変幻自在の影絵を描き出す。

花片は静かに宙を遊び、そしてひっそり地に伏せる。

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公園のベンチに鳩が群がっているのは、パン屑を撒くのが日課のおばあさんが座っているから。

ラフマニノフが聴こえてくるのは、あの古めかしい一軒家の2階の窓が開け放たれている時。

毎朝、駄菓子屋の手前でわたしを追い越し歩いて行くのは隣のクラスの田久保くん。

そのすぐあとに自転車に乗って、教頭のカツラが通り過ぎる。

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春の盛り、4月の終わり、新生活は日常と呼び名を変えて、わたしの鞄には数十項が埋まったノート。

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15歳、4月の終わり、忘れられない昔日を胸に、きっと忘れられない今日をまた重ねている。

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正門を過ぎると、僅かに先を憧れの山本先輩が歩いていた。

飛び立つ雀に気を取られ空を仰ぐ横顔。背と鼻が高くて、目つきが鋭くて、喋り方も洗練された、陸上部の注目選手。

声を掛ける理由なんてなくて、でもきっかけなんていくらでも捏造できるはずで、けれど思いつく案はどれも不自然。

校庭で先輩が走るのを初めて目撃した放課後の、その帰り道の不思議な寂しさ。

夜の静けさへ今さら驚く独りの部屋で、心の奥に先輩の足音だけが響いていた。

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これはたぶん恋というものである気がしていて、たぶんすぐに散ってしまうものであるような気もしていた。

恋人だっているに違いない。

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山本先輩が手を振って、隣を歩く女子に挨拶した。誰だろう?

うらやましいその子はぺこりと背をかがめ、ショートカットの黒髪を揺らした。先輩はとても嬉しそうな笑顔。

けれどその子は静かに受け答えしただけ。誰かを探すように首を回らせて、彼女はわたしに気づいてくれた。

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その子はわたしのクラスメイト。この高校で最初の友達。

細いフレームの眼鏡の奥に、澄んだ瞳が輝いている。

聴く人の心を包みこむ、いつものあの優しい声の、佐楢見(さなみ)さん。

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「新谷さん、おはよう」

佐楢見さんの興味がわたしに向いたのがつまらなかったのか、山本先輩は表情を消して他の生徒達へ紛れて、もうその背中を見失ってしまいそう。

「あ、うん……おはよう」

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靴に翼が生えたような歩み、鞄のストラップを掛けた華奢な肩。

佐楢見さんが着ると制服の紺色もどこか華やいで、スカーフは軽やかに翻る。

佐楢見さんは陸上部に入ったから山本先輩の直接の後輩なわけで、だから挨拶くらいするだろうけど、でも隣を歩くこの人はとても可愛らしくて、先輩のあんな笑顔を見たのもわたしは初めてで、もしかしたらふたりは、なんて一瞬の疑いをすべてもみ洗いするように彼女は、ふんわりと笑った。

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「ほら、あれだよあれ」

佐楢見さんの長い人さし指の先、山本先輩のスポーツ刈りのてっぺんに、桜の花片が乗っていた。

「今日はかんぺきないちにち、でしょ?」

笑うと八重歯が見える佐楢見さん。上の唇から覗く左右の小さな牙。

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『今日はかんぺきないちにち』を語り合ったあの日も、この人はこんなふうに笑った。

なんだか勇気を貰える八重歯。疑うことなんてない。

わたしの世界はわたしが変える。

「そうだったね……行ってくる!」

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正門から校舎へ進んでいた山本先輩に追いついて、頭の花片のことを伝えたら、払い落としながら照れ笑いで「ありがと」と感謝の言葉をくれた。嬉しかった。

この声を聴く耳があってよかった。

下駄箱に向かう先輩の背中は、もうわたしと無関係じゃない。踏み込んだんだ。あの背中を見る眼があってよかった。

変なやつだと思われたかもしれない。でもきっと、わたしのことを覚えてくれたかもしれない。ここからすべてが、始まるのかもしれない。立ち止まらない勇気があってよかった。

その力をくれたのはふたつの八重歯。支えられた。そう、佐楢見さんに会えてよかった。

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遠くで大気が轟いて、すぐ一陣の風が届いた。

丘を駆け抜ける突風が、校舎を縫って砂塵を散らし、登校してきた生徒を殴り、わたしの頬をぞんざいに撫でる。

樹の枝のしなりを追って振り向くと、正門から伸びる一本道に、花片の白い嵐が吹き荒れていた。

舞い踊る桜吹雪の最中、佐楢見さんはまっすぐに顔を上げ、わたしに笑いかけていた。

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風の唸りに潰されぬよう、わたしはこの春いちばん大きな声で叫んだ。

「ありがとう!」

桜の雨に纏われて、佐楢見さんは、頷いた、

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頷いた、らしかった。

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去り際の風の深い溜息に、幾千枚かの花弁が撒き散らされて佐楢見さんの表情を隠した。

正門付近へ特に激しく風が抜け、多くの生徒の制服の襟や鞄の隙間に桜の花が滑り込む。抵抗の術もなく、今や歓声が上がっていた。楽しそうに笑って、お互いの顔を見てはまた笑う、はしゃぐ彼らに囲まれて、佐楢見さんはただ佇んでいた。

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気づけば彼女の周囲に淡く紅い霧が立ち籠めていた。

桜の幕を染めて、赤い雫が舞っていた。

それを浴びた周囲の生徒達は服や顔へ指を伸ばし、ぬめる液体を不思議そうに拭って、お互いの顔を見てはまた黙り込んだ。

訝しがる彼らに囲まれて、佐楢見さんはただ佇んでいた。

風が遠のいていく。

桜の雨が終わる。

うっかり、佐楢見さんはおとしものをしていた。

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佐楢見さんを遠巻きに、悲鳴も上げずに眺める周りの生徒。

わたし達のクラスでもそうだった。あまりに思いがけないことが起こると、胸は激しく脈打ちながらも最初は半笑いでいるしかない。

風はすでに音も残さずに消え、間を置かず佐楢見さんはゆらりと歩み出した。

すぐ躓いて姿勢を崩したけど、どうにか持ち直して脚を動かす。

途切れた首から珍しいものが露出していた。

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びっしり詰まって縮れているのは頭部と胴体を繋いでいた筋繊維。

真ん中あたりでひょこりと顔を出している白い跳び箱、あれは頸椎。

のたうちまわって鮮血を噴出しているストローは総頸動脈に違いない。

泡立っている箇所があるが、あれは肺からの空気が抜けている途中の気管だろう。

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あの日は驚くことしかできなかったけれど、今なら各機能までわかる。

駆け寄りながら、桜の絨毯を血に染めて佐楢見さんの頭部がごろりと転がっているのが目に入った。なんだか申し訳なさそうな顔をしていた。よかった、眼鏡は無事だ。

バランスを崩して倒れ込む直前の、彼女の身体を受け止める。

血を吸いすぎた制服がぬらりと滑るので、佐楢見さんの肩へ頬を押しつけ抱き締めた。

首の断面から溢れる血液がわたしの耳へ流れ込む。だいじょうぶ。だいじょうぶだからね。

「誰か、あたま!」

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「おう、よし。とりあえず保健室か? 朝練、遅れてよかったよ」

佐楢見さんの頭部を優しく胸に包んだのは、ちょうど登校してきたクラスメイトのみのるくん。

大きな眼の茶色い瞳が、いつもより優しげに揺れていた。

中学時代から野球部のエースらしいけど、彼が女子にモテるのはこういう親切さのためだと思う。

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「ああああああああ! あああ? ああ。 ……あ、あ! あああああああああ!」

 道端で腰を抜かして妙な悲鳴を上げたのは生徒指導のエロ崎先生。

ほんとは宮崎という名前なのだが女子生徒の写真を集めているのがバレて校内のヘンタイ名簿にリストアップされた角刈りエロ崎。先生の悲鳴を皮切りに、目前で人の首が落ちた事実へ理解が追いついた生徒達が一斉に叫び始めた。

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「え! なにあ…なにあれだいじょうぶなああああああすだっ!」

「いやいやいや、もうあれだってあれはあれだってあれれれあれれれれ!」

「逆にあれじゃねーの?」

 なんでか冷静な者もいた。逆にあれなせいかもしれない。

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佐楢見さんの体質はまだ同じクラスの生徒しか知らないから、しばらくは悲鳴も仕方ないのかもしれない。

私達が守ってあげたい。いつもこの人の笑顔が見たい。

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廊下に血のワックスをかけながら保健室に運び込み、首と頭部の切断面を合わせてみる。

すぐには変化が見られなかった。意識も戻らない。

白衣の似合うよしこ先生も困った様子で、時間がかかりそうだからと授業へ向かうよう勧められた。

みのるくんは教室に行って、わたしはそのまま残った。

ベッドの脇でパイプ椅子に座って、眠る佐楢見さんの手を握る。

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「ねぇ佐楢見さん……今日はかんぺきないちにち、でしょ?」

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@。❀せらち❀。
これは美しい文章を特に心掛けながら書いていた時期なので、とても嬉しいです。
この先は何も考えてませんが…
スプラッタならなんとか綺麗に(変な言葉だ)やれるはずなので、考えてみます!

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